Coffee Break ~ 機関士たちの新年会
本日も当駅をご利用いただきまして誠にありがとうございます。この列車は当駅が終点となります。改札口にて乗車券を拝見いたします。到着いたしました列車は車庫に入ります。お手荷物などお忘れ物がございませんよう、ご注意をお願いいたします。
―― なお、危険防止のため、列車が出発する際には白線の内側までお下がりいただけますようお願い申し上げます。
新年を迎えたハーパータウン駅は、聖誕祭から新年にかけてのお祝いムードもすっかり抜け、通常通りの様子を見せていた。
夕日が長い影を落とすハーパータウンのプラットホームには、珍しくルナの姿があった。
少し背伸びをしながら列車の窓を覗きこむルナ。やがて、先頭車両で作業をしている人影を見つけると、コンコンコンと窓を叩いた。
その気配に、車中の人物がガラッと窓を開けて身を乗り出してきた。制帽を被り、ひげを蓄えた厳つい壮年の男性へ、ルナはいつものように屈託のない笑顔でタクミから預かった包みを差し出した。
「車掌さんお疲れ様ですっ。今年もよろしくお願いしますっ! あ、これ、タクミさんから機関区の皆さんへ差し入れだそうですっ」
「おう、お嬢ちゃん、ありがとうな!駅長代理にもいつもありがとうと伝えてくれ!」
車掌は包みをひょいっと受け取ると、制帽に手をかざして一礼した後、窓をパタンと閉めた。ルナもその仕草を真似するように額に手をあてる。
その微笑ましいしぐさに、車掌は思わず目を細めた。
「さて、忘れ物はなし。寝ている乗客もなしっと。よし、これで点検完了だな」
後ろから順番に乗客降車後の点検を終えた車掌は、最前部の扉から再び身を乗り出すと、首から下げていた呼子笛をピッ、ピッ、ピーッと強く鳴らした。短音2回に長音1回、出発の合図だ。
ほどなくして、先頭を引っ張る機関車からポーッと汽笛が鳴り響く。
ガッタン、ゴットンと車輪が重厚な音色を奏でながら、列車は本日の待機所となる機関区へと進んでいった。
―――――
機関区へと到着し、所定位置に停車したことを確認した車掌は、先頭車両から簡易タラップを降ろし地面へと降りる。
そこへ、作業着を纏った大柄な男が、同じ作業服の若者数人を引き連れて、のっしのっしとやってきた。
作業帽の両脇からは、羊目の亜人の象徴たる大きな巻角を覗かせている。
男は気さくに車掌へと声をかけた。
「おう、クルス。車掌業務、お疲れさん。どうやらその様子だと、今日の運行は平穏無事支障なしってところか?」
「おお、カルネーロか。とりあえず客車の方は問題なしだ。機関車の方はファビオに聞いてみないと分からんがな」
クルスと呼びかけられた車掌は、カルネーロとがっちりと握手を交わす。列車運行の責任者たる車掌のクルスから、整備班を束ねるカルネーロへ列車管理の業務を引き継ぐいつもの儀礼だ。
儀礼を終えたカルネーロが、部下たる若者へと大声で呼びかける。
「よーし、早速客車の方から点検と整備に取り掛かってくれ。まだ日は短いから、手早く。しかし、見落としがないようにな」
「「「うぃーっす!」」」
返事が早いか、若者たちは早速点検整備作業へと取りかかった。
テキパキと作業を進めていく部下たちを横目に、カルネーロはクルスと連れ立って機関車の運転室へと向かう。
運転室では、機関士のファビオが機関助士の二人とともに機関区到着後の確認作業を進めていた。
「おーい、ファビオー。今日もお疲れー。問題は特にないかー?」
「クルスかー。今日は大丈夫そうだー。今そっちにいくわー」
ファビオは助士になにやら指示を出すと、はしごを伝って地上へと降りてきた。クルスとカルネーロが、ファビオと固い握手を交わした後、互いに帽子のつばに手を当てて敬礼する。
クルスとカルネーロ、ファビオの三人はローゼス=ハーパータウン線の開業当初からの同期生だ。それぞれに車掌、整備士、機関士と職種は違うものの、列車の安全な運行とお客様への快適なサービスのために、志を一つとしていた。
スケジュールの関係で同期三人が揃うのは週に一度あるかないかというところだが、三人そろった時には食事を共にするのが恒例となっている。
三人で最も酒好きであるカルネーロが終業後の予定を二人に尋ねる。
「新年でこのメンバーがそろうのはこれが最初か。せっかくだし、今日はどっか行くか?」
「俺はどっちでも構わんよ。クルスはどうだ?」
「俺もそう考えてたんだが、それよりも駅長代理が気を利かせてくれてな。コイツを肴に食堂で一杯といこうじゃないか」
クルスが掲げたのは先ほどルナから預かった包み。タクミからと伝言があったということは、包みの中はお手製の料理であろう。
その言葉の意図することを悟り、カルネーロがごくりと喉を鳴らす。
「おお、例の差し入れか!これは、新年から有り難い。今日はとっておきの酒を出さないとアカンな」
「を、とっておきとは大きく出たな。じゃあ、俺もコイツを出さざるを得ないだろうな……」
ファビオはそう言うと、手に提げていた鞄から丁寧に紙で包まれた一つの塊を取り出した。
数センチほど厚みで、大きさは両手の平を合わせたほど。その様子にピンときたクルスがファビオに確認を取る。
「これは、もしや例のアレか?」
「ああ、例のアレだ。今朝家を出る時に、うちのやつが持っていけってさ」
「そりゃありがたい。しかし、ファビオのところは良くできたかーちゃんだよなぁ。うちのにも見習わせたいぞ」
カルネーロがため息を漏らしながらボヤく。その言葉が照れくさいのか、ファビオは鼻をポリポリと掻きながら応えた。
「家に帰ればあーだこーだうるさいけどな。まぁ、なかなか帰れん割にはしっかり守ってくれてはいるわな」
「なんだい、結局二人とものろけかよー。独り身には辛いでござんすよっと。さて、じゃあ俺は一足先に待機所で書き物終わらせるわ。お前らも、とっとと仕事終わらせろよ」
三人のうちで唯一独身者であるクルスが話をぶったぎるように二人に声をかけた。その調子に、二人も二人を見せながら仕事へと戻る。
「わかったよ、じゃあ、いつものように呑みの準備は頼むな。こっちもとっとと点検終わらせて戻るわ」
「俺も助士の後始末を確認したら、ひとっ風呂浴びて来らぁ。あとは任せた!」
「おうよ。といっても、駅長代理からの差し入れがメインだから楽なもんさ。では、後程」
クルスはそう一言残すと、線路をまたぎながら機関区の待機所兼宿泊所へと向かっていった。
―――――
日が落ちた食堂に、ランプの灯りが揺らめいていた。暖炉を兼ねた石炭ストーブの上では、水を張った大鍋が静かに湯気を立ち上らせている。
仕事を終えた部下たちは先に食事を終え、部屋へ戻ったり街へ繰り出したりとそれぞれに休息のひと時を過ごしている。食堂に残っているのは彼らの上役にあたるファビオとカルネーロの二人だけであった。
テーブルに肘をつき、料理が運ばれるのを今や遅しと待ち構えている二人。ほどなくして、料理の準備を終えたクルスが二人の下へやってきた。
テーブルに皿を並べながらクルスが説明を始める。
「ほいお待たせー。こっちの大皿がタクミからの差し入れで、そっちが俺様特製の料理な。」
大皿には海老や鶏肉に黄色い衣を纏わせたフリットと、焼いたヴルストをトルティーヤ生地で巻いたロール状のタコスが載っている。
もう一つの中皿には円盤型をした大きな卵焼きが八等分に切り分けられ、ドンと盛り付けられていた。
この他にも、パンやチーズ、干し肉などが並べられ、最後に大きな陶器のジョッキになみなみと注がれたエールが各人の前に運ばれた。
料理が出るのを待ちかねていた機関士ファビオが声を上げる。
「どれもうまそうだな、じゃあ、乾杯といくか」
「ああ、これはもう待ちきれん。よし、早くグラスを用意するんだ」
カルネーロはそう言葉を続けると、慣れた手つきで手元のガラス瓶のコルクを抜いた。
そして手元の小グラスに瓶の中の液体をトクトクトクと注ぐと、あとの二人にも瓶を回して同じように注がせた。
うっすらと琥珀色がついたその液体からは、魅惑的な香りが放たれている。
そしてグラスを手にした三人は、逞しい体格をした強面の顔を互いに見合わせ、コクリと頷いた。
「では、新年を祝して」「無事の再会に」「明日も無事の仕事を祈って」
「「「乾杯」」」
掛け声とともにグラスを傾け、クッとの中の液体を飲み干す三人。
一時の静寂の後、三人の口から一斉にプッハーーーと吐息が漏らされた。
「ふーっ、これはすごいな。いつものロンとは大違いだ」
クルスから上がった感嘆の声に、この酒の提供者であるカルネーロが自信満々に応えた。
「新年用のとっておきのテキーラだからな、しかも、コイツは2年物のアニェホだぜ」
テキーラそのものが高級酒の部類であるが、樽の中で年月をかけて熟成されるアニェホはその中でもさらに高級品として位置づけられる。おいそれとは口にできない代物だ。
同僚の懐具合が心配になったファビオが、思わず声をかける。
「アニェホとはまた随分気張ったなぁ。奥さん怒ってんじゃないのか?」
「大丈夫、その辺はうまいことやってるから。年に1回位、こうして贅沢に親交を深めるぐらいはうちのも認めてくれるさ」
「あーあー、また二人ののろけがはじまったよ……」
妻帯者である二人の話がどうにも居心地悪く感じるのか、クルスがまた愚痴をこぼす。そんな同僚の様子に、ファビオが茶化すように言葉をかける。
「だからお前も早く良い相手を見つけろって。結婚は良いぞ。なんせ家で待ってくれる家族がいるんだからな。車掌の仕事だとかわいい娘なんかとも出会いがあるんじゃないか?」
「おいおい、いくら何でも客に手を出すのはマズイだろう?」
「そりゃそうだ。じゃあ……まぁ、呑め」
カルネーロも軽口をたたきつつ、クルスの杯にテキーラを注ぐ。
再びなみなみと注がれたテキーラをぐいっと煽るようにして飲み干したクルスは、机にトンと叩きつけるようにして杯を置くとフォークを握りしめて叫んだ。
「ふぅ、とりあえず飯だ飯、食うぞ!お前らも冷める前に食え!」
「分かってるって。じゃあ、折角だからお前さんの料理から頂こうかな」
ファビオはそういうと、大きくカットされた卵焼きを手にした。断面からは薄切りのパタータやセボーリャ、豚のひき肉などが顔を覗かせている。
まだほんのりと湯気が立ち上る黄色の欠片をファビオは豪快に頬張った。
しばらくの間咀嚼してその味わいを堪能した後、声が上がる。
「おう、また腕を上げたみてえだな!」
「まぁな。一人モンだし、料理の研究する時間もできるってもんよ」
「いやー、それにしても随分上達したんじゃねえのか?去年の今頃とは仕上がりが全然違うぞ」
カルネーロから続けられた賛辞に、クルスの口角が自然と持ち上がった。
「料理もやってみると意外と面白くてな。まぁ、仕事があるから毎日ってわけにもいかんが、休みの日なんかはのんびりと料理を楽しんでるさ」
「へー、お前さんも随分変わったなあ。昔は男たるもの厨房に入らずってんで包丁すら一切握ろうとしなかったのになぁ」
驚きの声を上げるファビオに、クルスが応える。
「まぁ、これも駅長代理の影響だけどな。なんせあの人の料理はすごい。これもそうだろ?」
そういってクルスが突き刺したのは、海老の揚げ物だ。タクミから聞いたところでは、テンプラという料理らしい。フリットにも似ているが衣はふわふわしておらず、サクッとした食感が実に心地よい。
クルスの言葉に、カルネーロが何度も首を縦に振る。
「ああ、海老のフリットはどこでも食べられるが、駅長代理のコイツはまた別物だな」
「こっちも見ろよ。ヴルストだけかとおもったら、中に野菜がぎっしりだぞ」
タコスにかぶり付いていたファビオも話に加わってきた。ヴルストとトルティーヤ皮の間に挟まれていたのは、千切りにして炒められたレポーリョだ。
レポーリョには様々なスパイスと、恐らく“ケチャップ”という者であろうトマト味のソースが絡められており、ヴルストの旨みを一層引き立たせている。
その中身を見たクルスが、思わずため息をもらす。
「どうせうちらだけだと野菜を食わないからって、こういうことをするんだよなー」
その言葉に、いやいや、と首を横に振りながらカルネーロが応えた。
「肉体労働で鍛えてられてるといっても、うちらもいい加減いい年だからな。野菜も食わんと、そろそろガタがくる頃だぞ?」
「ああ、昔は葉っぱなんてと思ってたけど、最近は駅長代理の料理のせいか、こうして美味しく食べられるようになったことだしな」
「確かにな。まぁ、感謝していただくとするか」
フィデルの言葉に自身の思いを重ねたクルスは、ガブリとタコスにかぶり付くのだった。
―――――
その後もにぎやかに騒ぎ立てながらの“新年会”が続けられ、用意した料理はすっかり三人の胃袋に納まっていた。
テキーラからオルーホへと切り替えた三人は、ファビオの持参品であるフエヴァの干物をスライスしたものを石炭オーブンにかざして軽くあぶりながら杯を重ねていた。
クルスがふぅ、とため息をつきながらファビオに尋ねる。
「ホントにこれは旨いなぁ……えーっと、これって何って名前だっけ?」
「ヴォッタルガ、な。こないだも説明したろ?」
ファビオから返された、どこかあきれたような調子の答えにクルスがポリポリと頭を掻く。
「いやー、最近言葉が覚えられなくなってきてなぁ……やっぱり年なんだよなぁ」
しみじみと語るクルスに黙って頷く二人。しばしの沈黙の後、カルネーロが言葉を発した。
「俺たちも、しっかり後進を育てていかんとなぁ」
「ああ、そうだな。でも、運転中はついつい先に指示をだしちまうせいか、ちっとも下が育たん。いつまでも俺の指示待ちにさせたらいかんのだよなぁ」
自分の身を振り返り、しみじみと応えるファビオ。 炙ったヴォッタルガをちびりとかじって、酒をあおる。
機関士という仕事は体力勝負、故に引退の時期も必然的に早くなる。
自分が元気なうちに何とか後進を育てなければ……ファビオは日に日に気持ちを募らせていた。
クルスはしばらくの間二人の話にじっと耳を傾けていたが、やがてポツリと口を開いた。
「そういや俺も近々部下を持つことになりそうだ。この間内示があった」
その言葉に、パッと反応したのはファビオだった。
「おお、お前もいよいよ部下を持つのか!おめでとう!」
「しかしなぁ、どうにも接し方がなぁ……」
列車の運行当初から一人で車掌の業務を築き上げてきたクルスにとっては、自身が部下として車掌業務の指導を受けたことがない。
特に、乗客への気配りという“目に見えない”要素が多い車掌の業務のポイントをどのように伝えていけばいいのか、クルスにはまだその方法が見えていなかった。
そんなクルスの様子を察したのか、整備班長として先に多くの部下を束ねる立場となったカルネーロがポンと肩をたたいて励ましの言葉をかける。
「なあに、ある程度やって見せたら、あとは任せることさ。横についてきちんとフォローすればいいだけのことさ」
「任せる……か。簡単そうだが、難しいな」
クルスがふぅため息を一つ吐き、クイッと杯を乾かす。続けてファビオも杯を傾け、ポツリとこぼした。
「その任せるというのが、どうにも難しいんだよな」
「まぁな。かっこつけていった俺も、正直悩みっぱなしさ。でもな、腹をくくってやらなきゃいかんのよ」
カルネーロも杯の中のオルーホを飲み干し、はーっとため息がついた。
再び沈黙が食堂を支配する。ストーブの中で揺らめく炎が、三人の顔を赤く照らす。
「できるよな?」
最初に声を上げたのはクルス。それにファビオが続く。
「ああ、出来るさ。今までだってやってきたんだ」
「そうだな。きっと、何とかなるさ」
カルネーロも言葉を重ねた。
そして三人は、最後に一杯だけオルーソを注ぐと、再び杯を交わす。
「やってやろうじゃないの」
「三人とも、黄昏ているヒマはまだまだなさそうだな」
「誰が一番早く部下を一人前にするか、これからの勝負だな」
銘々に掛け合った言葉に、三人はコクリと頷き、そして一気に杯を空けた。
喉が焼けるようなカーッとした熱さを感じながら、新たな目標へと向かう闘志を湧きあがらせる三人であった。




