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異世界駅舎の喫茶店  作者: Swind/神凪唐州


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29 大みそかと年越しの料理(2/2パート)

※2015.12.29 22:00更新 2/2パート

※第1パートからの続きです。まだお読みでない方は第1パート(前話)よりお読みください。


 感謝の思いを巡らせながら、タクミは切り終えた食材に塩・こしょうを振りかけて下味を施す。

 そして、下味をなじませている間を利用してオーブンストーブに改めて火を入れ直すと、手をかざして温まり具合を確認した。


(さて、来年はどうなるのでしょうか……)


 タクミの思いは、間もなく迎える新年へと切り替わっていた。


 “こちらの世界”での生活にも随分と慣れた、タクミはそう感じていた。

 それまで当たり前のように使っていたものが手に入らない生活に最初は随分と戸惑ったものだ。

 灯りをつけるためにはランプや燭台を用意して一つずつマッチで火をつけなければならず、お湯を沸かすにも薪で沸かさなければならない。

 オーブンストーブやロケットストーブをはじめとして“こちらの世界”としては最新鋭の設備が整えられたキッチンではあるが、それでもかつてタクミが働いていた喫茶店のキッチンと比べれば何世代も古めかしいものだ。


 一つのことを行うのに、それまでの生活では想像できない程多くの労力がかかる。その不便さに人知れず悩んだこともあった。

 しかし、“こちらの世界”での生活も長くなり、そんな不便さにも慣れてくるものである。

 最初は苦心していた薪の扱いもすっかり上手くなったし、今の状況に合わせた段取りも組み立てられるようになった。

 このまま“こちらの世界”で年を重ねていくのであろうが、たとえ戻れなくても“こちらの世界”で十分に暮らしていくことができるとタクミは感じられるようになっていた。


 それでも、“日本”に戻りたいという思いが全くなくなったわけではない。

 どれだけこちらの生活に慣れたとしてもやはりタクミにとっての故郷は日本であり、行き来ができる術があるのであれば少なくとも“一度は”戻りたいと思うのは自然なことである。


 それに加え、タクミには“元に戻りたい”というもう一つの理由があった。最も大切に思う“妻”への想いが、タクミの頭をよぎる。


(もし、あの時に戻ることで(ユウ)と再び暮らせるのであれば……)

 

 “こちらの世界”にやって来た時に、最愛の妻は猫耳の少女(ニャーチ)へと姿を変えた。

 口調も人格も変わり、どこか幼さを感じさせるニャーチ。それでも、ニャーチは柚であり、柚はニャーチであるとタクミは自然と感じ取ることが出来ていた。

 “こちらの世界”に来る前に抱いていた柚に対する想いと、今の生活の中で抱いているニャーチに対する想いは全く変わることがない。

 タクミにとってニャーチは最愛の妻であるし、最も大切なパートナーである。


 だが、それでもなお、“黒金(くろがね)たくみ”と“黒金(くろがね)ゆう”として、何事も無く日本で暮らしていけたとしたらどんな生活をしていたのだろうかと心の中に想いがよぎることはある。

 “こちらの世界”にやって来た時の影響のせいか、過去の記憶が曖昧なニャーチとは“昔の思い出”を共有することが難しい。何かの拍子でふと昔を思い出した時にふと寂しさを感じるのも、タクミの偽らざる想いであった。


(本当は“戻りたい”というのとは少し違うのでしょうね)


 タクミは自分自身の中で確認する。

 自分は戻りたいというよりも、取り戻したい(・・・・・・)のであろう。

 二人で過ごした時間と記憶、それを妻と分かち合いたいと心のどこかで願っている、これがタクミの思いを最も正しくあらわした言葉であった。


 しかし、タクミは思う。果たして日本に戻ったとして、その時に同じ思いに悩まされることはないのだろうかと。

 過去の記憶が曖昧となっているニャーチと同じように、“こちらの世界”の記憶が柚に残らないことは十分に考えられる。そもそも、二人揃って戻れるかどうか、どこにも保証はないのだ。


 とはいえ、今の時点では日本へと戻る術は無い。つまり、少なくともしばらくの間は“こちらの世界”で暮らしていくことが前提だ。

 それに加えて、今年はルナを“家族”として迎え入れている。成り行きで受け入れたという側面はあったにせよ、ルナが今しばらく成長するまではしっかりと自分とニャーチで見守っていく必要があるとも感じていた。


(そう考えると、これからは“こちらの世界”にもっと積極的に関わるべきなのかもしれないですね) 

 

 タクミは、一つの考えを頭に巡らせていた。

 

 これまでのタクミは、どこかで“こちらの世界”との一線を引いてきた

 もちろん、“駅長”をはじめ、駅舎や喫茶店を通じてたくさんの人と縁を結んできた。それでも、自身の存在が“こちらの世界”に大きな影響を与えないよう、努めて一歩引いた関わり方を意識してきたのも間違いない事実である。


 その理由は、タクミの持つ“知識”にあった。

 電化製品やインターネット等が当たり前に普及していた“日本”に比べれば、ようやく蒸気機関車や製氷工場が実用化されたという“こちらの世界”の技術水準は数世代以上前のものと言える。

 そのような中では、タクミが“常識的に”知っていることですら“未知のテクノロジー”であることも多いのだ。


 もちろん、タクミの持つ知識は料理以外のことについては“一般人”のレベルとそれほど変わりはない。 それでも「こういったものがある」という知識を伝えるだけでも、それが“開発目標”となって技術発展が急速に進むことは十分想定される。

 それがきっかけで“こちらの世界”の人たちの暮らしが良くなるのであれば良いのだが、想像もしていなかった結果をもたらす可能性もまた否定することはできない。

 急激すぎる進歩の影響は必ずしも良いものだけではないとタクミは考えていた。


 だからこそ出来る限りそういったことが起こらないよう、タクミは細心の注意を払ってきた。“こちらの世界”にとってイレギュラーであるタクミの存在が、こちらの世界に過度に干渉をすることは望ましくないと考えて、深い関わりとはならないように行動してきたつもりだった。


 しかし、今年一年を振り返るにつれ、タクミ自身の中でその思いが変化してきていた。


 技術進歩の根幹部分に大きく干渉することは決して望むべきではないが、人々の生活が豊かになると本当に信じられるようなものであれば、活用方法と言った部分の“道筋のヒント”程度は示していくことも良いと思えるようになったのだ。


 実際、今年はそのような小さいながらも動きを行っている面がある。博覧会の際にソフィアの求めに応じて提案した“冷蔵箱”だ。

 工場での製氷自身は、ソフィアをはじめ“こちらの世界”の人たちが自ら編み出したものである。しかし、その技術の活用方法の一つとして“冷蔵箱”という形が生まれたのは、タクミの言葉がきっかけといえた。

 もちろん、この程度のことは非常にささやかなものではあるし、タクミの言葉が無くてもいずれ誰かが見つけたことであろう。それでも、タクミが影響を及ぼすことで、数年、いや、もしかすると数ヶ月レベルかもしれないが、技術進歩の歩みが早まったのは紛れもない事実であった。


 今年のどこかの段階では、タクミの心の中には“こちらの世界”の一人としてきちんと根ざしていこうという想いが既に芽生えていたのであろう。

 そう考えると、ようやく自分自身も前を向いて“成長”を目指す気持ちの準備が整ったのかもしれない……、タクミは改めてそう感じていた。


(そうなると、ロランドやテオもどんどん成長してきていますし、私も頑張らないといけませんね)


 自分の思いを整理したタクミは、十分に温まった天板に脂を引き、食材を乗せた。

 無数の泡がはじけるようなジューという音とともに、香ばしい香りが天板から立ち上る。

 三十秒もたたないうちに裏返しにされ、再びジュワーっと美味しそうな音を鳴らす食材は、天板の端へと移され、蓋がかぶせられた。


 タクミは、姿の隠れた食材が発する音を聞き逃さないよう、無心となり全神経を集中して耳を澄ます。

 蓋の中で蒸し焼きにされる食材のブツブツという音が聞こえてきた。


 このままじっくりと焼き上げれば、美味しいビーフステーキの完成だ。

 日本にいる頃から、大晦日の夜はビーフステーキと決めていた。

 年越しそばは昼食に食べ、夜は特上の肉を一年のご褒美としてゆっくりと過ごす。

 それが、タクミ流の“年越し”の作法であった。


 マイス(コーン)ブレッドやスープは既に用意を済ませているし、“おせち”に収まりきらなかったいくつかの料理をサイドメニューとすれば、今晩の夕食は整う。

 ビーフステーキも間もなくすれば焼き上がるであろう。


 そんな時、ホールにつながる出窓から大きな声が響き渡った。


「ごっしゅじーんっ!ごはんまだなのなーーーーーっ!」


 いつどんなときでも変わらないニャーチ()の声に、タクミは思わず苦笑する。

 その声に、どこかセンチメンタルになっていた想いなど吹き飛んでしまったようだ。


 来年も、その先もきっと彼女は変わらないのだろう。

 でも、それでいいのだ。彼女がいるからこそ、自分はここで暮らしていける。いつどのようなことがあっても、彼女と幸せを築いていければそれでいい。

 タクミは、駆け巡る思いをいったん胸にしまい、こちらを覗きこんでいる最愛のパートナーへと声をかけた。


「はいはい、もう出来上がりますよー。運ぶの手伝ってくださいねー」


「はいにゃーっ、まつのにゃーっ!」


 ステーキの焼ける良い香りが漂うキッチンに、一際嬉しそうな声がこだました。


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