28 聖誕祭と初めてのケーキ作り(1/3パート)
本日も当駅をご利用いただきまして誠にありがとうございます。この列車は当駅が終点となります。改札口にて乗車券を拝見いたします。到着いたしました列車は車庫に入ります。お手荷物などお忘れ物がございませんよう、ご注意をお願いいたします。
―― なお、喫茶店『ツバメ』では、ポサダの期間限定のドリンクメニューをご提供しております。どうぞこの機会にお楽しみください。
年の瀬を半ば過ぎとなり、ハーパータウンの街は今年もナビターの時期を迎えていた。
聖者の誕生を祝い新たな年を迎える喜びを分かち合うこのお祭りは、“こちらの世界”に住む人たちにとって1年の中で最も大きな、そして最も大切なイベントと位置付けられている。
特にナビダーの前半、12月半ばから聖誕日の前日まで続く“ポサダ”の期間は、街中がお祭りムードに包まれる。一年の中で最も賑やかとなる華やかな時期だ。
街の中心であるセントラルストリートの広場には色とりどりのオーナメントで飾りつけされた大きなツリーが立てられ、お店や家の玄関にはナシミエント ―― 聖母や聖人の人形が施された“生命の樹”を模したリースで彩られている。
街の芝居小屋で上演される聖者の誕生をモチーフとしたお芝居も毎年の風物詩だ。
ポサダの間は、街の人々も陽気に騒ぐ。街中の至る所で連日パーティーが開かれ、子供たちはもちろん、大人たちも祝福を分かち合うのが習わしだ。
このポサダのパーティーでメインとなるのが“ピニャータ割り”だ。
高いところに吊るされたピニャータを目がけ、目隠しをした子供たちが順番に長い棒で叩いていく。
見事に命中してくす玉が割れると、中に入っているお菓子や果物、木の実などがバラバラっと下に落ちるという寸法だ。
そして、ピニャータが割れると、割った本人はもちろん、周りで見ていた子供も大人も一目散に集まって争奪戦が繰り広げられるのも定番だ。競うようにしながらもみんなで分かち合うのが、ポサダのパーティーでの楽しみとなっていた。
そんなポサダの始まりを迎えたある日の午後下がり、私学校での勉強を終えたルナが喫茶店『ツバメ』へと帰ってきた。
普段であればキッチンへとつながる裏口から帰宅するルナだが、今日は“お客様”と一緒ということもあり正面の入り口から店内へと入る。『ツバメ』の表玄関に吊るされたドアベルが、カランカランカラーンと音を響かせた。
「いらっしゃいませなの……あ、ルナちゃんおかえりなのなっ!こっちから帰ってくるのはめずらしいのなっ」
ホールで接客をしていたニャーチが、帰宅してきたルナの姿を見つけて声をかける。ルナも、温まっている室内にほっと一息をつきつつ、コートを脱ぎながらニャーチに言葉を返した。
「ただいまですっ。今日は先生と一緒だったのでこちらから入らせてもらいましたっ。えっと、タクミさんはお手すきですかっ?」
「えーっと、ちょっと待っててなのなっ。声をかけてくるのなっ!」
そう言うが早いか、ニャーチはキッチンへと駆け出していく。
ランチのピークも過ぎて落ち着いた時間帯でもあったので、タクミの手は空いていたようだ。
ニャーチは両手を掲げて、大きな丸を示す。
「おっけーっぽいのにゃっ!こちらへどうぞなのなっ」
「どうやら大丈夫みたいです。先生、どうぞこちらへおかけください」
「ありがとう。それでは失礼いたしますわね」
先生と呼ばれた女性は、ルナに案内された席へと着いた。修道服の裾をすっと引き、居住まいを整える。どうやら私学校の運営元でもある教会の関係者でもあるようだ。
彼女は店内をぐるりと見渡すと、目を細めて微笑みを浮かべながらルナへと話しかけた。
「暖かな雰囲気の良いお店ね。確か貴女もこちらでお手伝いしていらっしゃるとか?」
「はいっ。学校が終わって帰ってから、洗い物や後片付けを中心にお手伝いしていますっ」
「それは感心なことですわ。きっと将来役に立ちますわよ」
「はいっ!ありがとうございますっ」
先生に褒められたルナは、くすぐったいような面持ちではにかんだ。
そんなやりとりをしている二人に、キッチンからやってきたタクミが挨拶をする。
「お待たせいたしました。確か私学校のイザベル先生でしたよね?ご無沙汰しております。いつもルナがお世話になっております」
ルナの実質的な保護者でもあるタクミは、ルナが連れてきた女性と面識があった。私学校への入学手続きの際に、尽力いただいた方だ。
丁寧に会釈をするタクミの姿を見たイザベルは、慌てて席を立って頭を下げる。
「こちらこそ、営業中のお忙しいところに突然お邪魔いたしまして申し訳ございません」
「いえいえ、この時間なら一息つけるタイミングですので大丈夫です。どうぞおかけください」
タクミに着席を促され、イザベルは再び席に腰を掛ける。そこへ、銀色のトレイを手にしたニャーチがやってきた。三人の前に陶器のカップが並べられる。
「いつもルナちゃんがお世話になっておりますなのなっ。こちらどうぞお召し上がりくださいのなっ」
陶器のカップから白い湯気がほのかに立ち上っていた。“こちらの世界”での伝統的な温かいドリンク、ポンチェだ。
ポンチェとは、ナランハやピーニャをはじめとした果物や、干したシルエラやウーバなどのドライフルーツ、それにカーニャや砂糖、スパイスと共に煮込んで作られる一種のフルーツティーであり、ポサダのドリンクとして広く愛されている。『ツバメ』でもこの時期限定のメニューとして提供していた。
イザベルは軽く会釈をしてから落ち着いた色合いの厚手のカップを手に取る。
カップを口元に近づけると、甘く爽やかな香りが鼻孔をくすぐった。しばらく香りを楽しんだ後、ふーふーと息を吹きかけてから口に含む。
カーニャや砂糖からしみ出した甘みとたくさん入れられた果物からしみ出した酸味が、温かさとともに体に染み渡る。
家庭ごとにそれぞれの味わいがあるとも言われるポンチェだが、『ツバメ』のポンチェは少し甘みを抑え目にされたもののようだ。イザベルには甘みと酸味のバランスが何とも心地よく感じされた。
「ああ……。ため息が漏れてしまいますね。大変美味しゅうございますわ」
「お口に合いまして何よりです。ところで、今日はどのようなご用向きでしたでしょうか?」
イザベルに尋ねるタクミの眉は、わずかにハの字を描いていた。私学校の先生であるイザベルがわざわざ保護者であるタクミの下を訪れてきたということは、学校で何かトラブルでもあったのかもしれないと心配になったのだ。
そんなタクミの表情を伺ったイザベルは、慌てて手を振ってタクミの心配を打ち消した。
「いえいえ、タクミさんが心配されるようなことはございません。ルナさんは本当に熱心に勉強されていますし、他の子供たちとも仲良くされておりますわ。小さな子たちの面倒も良く見ていただいておりまして、こちらが助かっているぐらいです。むしろ、今日はこちらからお願い事があってお忙しい中お伺いさせていただいた次第でして……」
「お願い、ですか?」
思わぬ言葉に、タクミは身を前へと乗り出すように身体を傾ける。
イザベルは、少し話しにくそうにしながらも、タクミに事情を説明し始めた。
「ええ。ルナさんから聞いていらっしゃると思いますが、毎年ポサダの期間に合わせ、私どもの学校でもささやかながらパーティーを開いております。街の中で開かれるパーティーのように盛大なものではございませんが、信者の皆様のお力添えもあって、ピニャータやパーティーの料理なども子供たちに喜んでもらえる程度には用意が出来ておりました」
私学校でのポサダパーティーの話は確かにルナから聞いていた。これまでの事情もあってここ何年もポサダのお祝いに参加できていなかったルナが、このパーティーの日をとても楽しみに待っていることもタクミは感じ取っていた。
もしかして何か開催できなくなるようなトラブルでもあったのだろうか……タクミはゆっくりと相槌を打ちながら、イザベルの話にいっそう耳を傾ける。
「お願いというのは、このパーティーで出していたお菓子のことなのです。私どもの学校のパーティーでは、私どもの用意する料理のほかに、毎年とある熱心な信者の方のご厚意でフランを並べさせていただいておりました。大きく焼き上げられたフランを前に、子供たちは目を輝かせていました。
しかし、実は先日お身内の方から連絡があり、その方が体調を崩されてしまい今年はフランを焼くことができないとのお話がございました。私どもとしてもご厚意で頂いていたものですし、ご負担を掛けるのは本意ではございません。そこで、今年のパーティーはフランなしで進めようと思っていたのですが……」
どこか言いにくそうに言葉を濁すイザベルを横に、ルナが割って入ってきた。
「学校のみんなは残念だけど仕方がないねって言ってるんだけど、本当はとっても楽しみにしてたみたいなのっ。小さい子なんかは“やっぱりおばちゃんのフランを食べたいなぁ”ってこっそり言ってる子もいたのっ。
だからねっ、もしお願いできるのならおばちゃんの代わりにタクミさんに作ってもらえないかなって……」
ルナは自分なりに学校の仲間たちが残念そうにしているのを何とかしたいと思ったようで、タクミに頼んでみてはどうかとイザベルに話を持ちかけたとのことだ。
子どもの言うことでご無理をかけるわけにはいかないと最初は思っていたイザベルだったが、去年までの子供たちの喜ぶ姿を目に浮かべてしまうと、もしお願いできるのであれば……と藁にもすがる思いでタクミの下を訪れたそうだ。
「私どもの学校に通う子供たちは貧しい家庭の子たちばかりでして、普段から甘い物を満足に食べられる子はおりません。だからこそ、毎年フランを楽しみに待っている子たちが多いというのも事実でございます。本当は私ども自身でフランを用意出来ればよいのですが、何分人手も足りない中でございまして……。
年の瀬のお忙しい中でご無理を申し上げるのは大変心苦しいのでございますが、子供たちのために何とかお力をお借りすることはできませんでしょうか?もちろん、費用がかかることでしたら出来る限り私どもで何とかさせていただきますので……」
子どもたちのために、ともう一度繰り返したイザベルはタクミに向かって頭を下げた。
顎に手を置いたままその姿をじっと見つめるタクミ。
タクミから返事が返されないのを心配したのか、ルナの口からもお願いの言葉が発せられる。
「勝手にお話を進めてしまってごめんなさいっ。でも、私と友達になってくれたみんなのために、なんとかしてあげたいのっ。私でお手伝いできることなら何でもしますので、お願いできませんかっ?」
ルナはそう言うと、席を立ってタクミに深く頭を下げた。
その声と行動に、タクミははっと顔をあげる。そしてすっかり考え込んでしまっていた自分を反省しつつ、うんうん、と笑顔で頷きながら二人へ言葉を返した。
「すいません、少しばかり考えに入り込んでしまっておりました。もともとパーティーの当日はルナに何か持たせようと考えていたところですし、そういうお話であればぜひご協力をさせて頂ければと存じます。」
「ほ、本当ですか!?」
ぐいっと身を前に乗り出して、タクミに確認を求めるイザベル。タクミは、ええ、勿論ですと頷いてから話しを続ける。
「むしろお声掛けいただきまして光栄です。ただ、私が少し悩んでいたのは“フラン”をお作りしても良いかどうか……ということなのです」
「と、言いますと?」
思わぬ言葉にイザベルは首をかしげる。その意図についてタクミは説明を始めた。
「お話を聞いた限り、子供たちにとってポサダパーティーの“フラン”はきっと特別なものではないかと思っております。そして、毎年差し入れをしてくれるその方との思い出とも深く結びついている……そうではございませんか?」
「うん! みんなねっ、“おばちゃんのフラン”が食べたいって言ってるよっ。あんまりみんながおいしそうな話をするから、ホントは私も食べてみたくなっちゃってるのっ。でも、今年は無理なんだよね……」
しゅんとするルナに優しく微笑むタクミ。話は続けられる。
「フランはこのポンチェと同じく“家庭ごとに味わいがある”お菓子ですので、私としても全く同じものを作るのは正直難しいと思うのです。そうであれば、子供たちの中にあるフランの記憶は、ぜひその方との楽しい記憶とともに大事に留めて欲しいと思うのです。そうすると、私の方でご用意させていただくのはフランとは別の何かの方が良いのではないかと……」
「なるほど……。いえ、そこまでお考え頂きまして本当に申し訳ございません。しかし、そうすると余計にご負担をおかけすることになりませんか?」
無理な相談を持ちかけてしまったのではないかと感じたイザベルは、不安そうに尋ねた。
しかし、タクミには既に一つの考えが浮かんでいるようだ。大丈夫ですよ、と一つ前置きをしてから、その考えについて説明を始めた。
「実は私の故郷でもこの時期はクリスマスというイベントがございます。ポサダと同じように、神様の誕生を祝うお祭りみたいなものですね。このクリスマスの時には、特に子供たちがいる家庭などではクリスマスケーキというお菓子がよく召し上がられています。
クリスマスとポサダのお祝いは大変良く似ていることですので、今回はそちらをご用意させて頂こうと思うのですが、いかがでしょうか?フランと同じように甘いお菓子ですので、子供たちもきっと喜んでもらえると思います」
この『ツバメ』というお店で出されているケーキというお菓子の評判はイザベルの耳にも届いていた。
信者の方の噂話が耳に入るたびに心惹かれていたケーキであったが、修道女という立場上街に出歩いて外食を楽しむということは慎まなければならず、イザベルには縁遠いものと自分に言い聞かせていた。
そのケーキを頂けるとなればこれほど嬉しいことは無い。子供たちにも喜んでもらいたいというのも心からの願いであるが、子供たちと一緒に自分も楽しめるのであればそれはそれで嬉しいと思うのもまた本心であった。
イザベルは心から湧き出る喜びをなんとか押さえながら、タクミに頭を下げる。
「ご配慮いただきまして本当にありがとうございます。もし過度にご負担にならないのであれば、ぜひお願いさせて頂ければとてもうれしいです」
「かしこまりました。皆さんに喜んでいただけるものを頑張ってご用意させて頂きます。そうそう、ルナちゃんにも一つお願いしてもよろしいですか?」
「は、は、はいっ?」
突然の呼びかけに驚きのあまり声が裏返ってしまったルナ。恥ずかしそうに顔を赤らめる彼女に、タクミは優しく声をかける。
「先ほどルナちゃんがお手伝いしてくれるというお話をしていましたが、折角の機会ですのでクリスマスケーキを一緒に作ってみませんか?」
「え!?そ、そんなこと……!?」
タクミから発せられた言葉に、ルナは再び驚かされた。
ルナは料理の経験が全く無わけではない。しかし、それは“生きるため”に已むに已まれずやってきたもので、道端の草をただ煮ただけのような、本当に“お腹を満たすだけ”のものだ。
味わいを楽しむための料理、ましてや誰かに食べてもらうための料理などはこれまで全く未経験だ。
確かにタクミやロランドのように自分も“ちゃんとした料理”をしてみたいと思うことはある。キッチンでのお皿洗いのお手伝いをしている時に見るタクミやロランドの姿は何ともかっこよく見えるのも確かだ。自分が作った料理で誰かが喜んでくれるのなら、こんなに素晴らしいことは無いとも感じていた。
それでも、自分が料理をするというのは遠い将来の話だと思っていた。
知識も経験も、もちろん技術もない私なんかに、みんなに喜んでもらえるようなケーキが作れるのだろうか……。
どんな言葉を返せばいいか分からなくなってしまったルナは心配そうにタクミを見上げる。
そんなルナの様子を察したタクミは、優しく言葉をかけた。
「ルナさんなら大丈夫です。いつものようにお手伝いする感覚で“一緒に”ケーキ作りをしてもらえればきっと上手にできます。折角の機会ですのでやってみませんか?」
タクミの言葉に、ルナはしばし逡巡する。やがて、意を決したように真っ直ぐ前を見据えて言葉を発した。
「うん、やってみたい……、やってみたいです!タクミさん、いっぱい失敗しちゃうと思いますが、よろしくお願いしますっ」
強い意志のこもったルナの言葉に、タクミはうんうん、と二度頷いた。そして、イザベルの方を向きなおすと、改めて話を切り出した。
「ということで、当日はルナの作ったケーキをご用意させて頂こうと思います。私どもからの寄進という形でお受け取り頂ければと存じますのでお代は結構です。勝手を申し上げますが、このような形にさせていただけますでしょうか?」
タクミの言葉に、イザベルは両の手の平をポンと合わせ喜びの表情を見せる。
「もちろんですわ!こちらこそご無理なお願いで大変恐縮でございますが、よろしくお願い申し上げます。ルナさん、パーティーの日を楽しみにしていますわね」
「はいっ、がんばりますっ」
ちゃんと上手にできるか不安は尽きないが、タクミさんが一緒ならきっと大丈夫。みんなに喜んでもらえるように精一杯がんばろう。
“初めてのケーキ作り”に向けてそう心に誓ったルナの眼には、希望を感じさせる決意の光が溢れていた。
※第2パートに続きます。




