27 冬の風物詩とスープ論争(3/4パート)
※2015.12.10 20:00更新 3/4パート
※第1パートからの続きです。まだお読みでない方は第1パート(前々話)よりお読みください。
あれから二日後、間もなく営業終了時刻を迎えすっかり落ち着きを見せていた『ツバメ』のキッチンでは、タクミとロランドが“白いアルメハのスープ”の仕込みを始めていた。
キッチンテーブルに用意されている材料は砂抜き済みのアルメハと塩漬け燻製肉、セボーリャ、サナオリア、パタータ。それにペレヒール、アッホの姿もある。この他には牛乳、生クリーム、バターといった乳製品に各種調味料、白ワイン、そしてアロース粉が用意されていた。
「本当に牛乳を使うんっすね……」
“こちらの世界”では魚介類と乳製品を組み合わせた料理は少ない。チーズやバターを使った料理はいくつかあるものの、魚介のスープに牛乳を使う料理は見たことも食べたことも無いとロランドは語っていた。
なじみの薄い組み合わせを前にして不安をありありと浮かべるロランドに、タクミは微笑みながら話しかけた。
「私の故郷ではアルメハのスープといえば牛乳を使った“白い”タイプのものが一番よく食べられていたので大丈夫ですよ。何はともあれ、まずは一回作ってみて、味を見てみてください」
「分かったっす!そしたら、何から準備すればいいっすか?」
ロランドから返された声は明るいものであった。師匠であるタクミの言うことであれば信じられる。そう思えば、不安や迷いはいったん心の片隅に置くことができた。
仕事を前に気持の切り替えを素早く行えるようになったロランドの姿に頼もしさを感じながら、タクミは作業の指示を出す。
「では、セボーリャとサナオリア、パタータを刻むところからお願いします。大きさはだいたい1センチぐらいの角切りで。大きさは出来るだけ全部そろえるようにお願いいたします」
「了解っす!こっちの肉も同じように角切りでカットすればいいっすか?」
「いえ、そちらは薄切りでお願いします。スライスしたらさらに1cm幅ぐらいで刻んでください。私はアルメハの下ごしらえを進めますので、作業をしながらで見ておいてくださいね」
包丁作業をロランドに任せたタクミは、ザルに移して水切りをしておいたアルメハを手に取る。汲み置きの水を注いだボウルの中にアルメハを入れると、殻を擦り合わせるようにしながら汚れを落としていった。
アルメハの下処理で最初に集中しなければならないのがこの洗い作業だ。
アルメハの表面についた砂や汚れを落とすことはもちろんだが、むしろこの洗い作業を通じて砂や泥が詰まってしまっているものを弾くことも大事なポイントとなる。
万が一砂まみれのアルメハが残ってしまって一緒に調理してしまえば、せっかくの美味しい料理が台無しになってしまう。ここで見逃さないことが肝要であることは言うまでもない。
タクミは、アルメハを数個ずつ擦りあわせて洗いながら、その“音”に集中する。違和感のある音がした時には注意だ。その時は、一つずつ貝を手に取って叩き合わせたり、一つずつキッチンテーブルにコツコツとぶつけたりして、中身が大丈夫かどうかを確認する。
妙に高い音や鈍い音と感じたものは、別のザルへとはじき出された。
「うーん、外から見ただけでバクダンが分かればいいんっすけどね……」
サナオリアの皮を剥きながらタクミの手さばきをチラチラと見ていたロランドがぽつりとこぼす。
漁師一家に育ったロランドにとってアルメハは馴染みの食材の一つだ。小さな頃から慣れ親しんでいる分、採取したアルメハにバクタンが混じることは仕方がないと割り切っているところがあった。
しかし、料理人としての道を歩みはじめた今は、“バクダン”の厄介さを今まで以上に痛感している。実家でも練習の際にアルメハを使うことがあるが、もし一粒でも残ってしまえば砂で料理全部を台無しにしてしまう。一度にたくさん作った時などは、何人分もの材料をダメにしてしまうことに繋がってしまう。
とはいえ、熱を通して口が開くまではアルメハの中を見ることはできない。だからこそ洗い作業を通じて“音”で聞き分ける必要があるのだが、目で確認できない作業はどうしても不安が付きまとってしまうのだ。
ロランドの言葉と表情から何かを察したのか、タクミはうーんと唸ってから自身の考えを伝える。
「そうですね。生のアルメハを専用のナイフで開いてむき身にしても良いのですが、扱いを間違えるとせっかくのアルメハの身に傷をつけることになってしまうのです。手間もかかりますし、もし傷がついてしまうとアルメハの美味しい汁が逃げてしまうのも良くありません」
「やっぱそうなんっすね。そうすると、洗う時に気を付けて選別するしかないってわけっすね」
師匠であるタクミなら何か秘策があるのでは……とどこかで期待していたロランドが声を上げる。若干残念そうな表情を見せるロランドに、タクミが諭すようにして話しを続けた。
「そういうことです。何事も楽にはいかないのですよね」
その後、二人は再び作業へと集中した。
野菜類の皮を剥き終えたロランドは、丁寧に、しかし手早く野菜を刻む。サナオリアもパタータもきれいな1センチ角に切りそろえられていった。
一方のタクミは、選別を済ませたアルメハをフライパンに入れ、白ワインを振りかけてから蓋をかぶせ火にかける。フライパンが置かれたのは、十分に温められたオーブンストーブの天板の上だ。
アルメハの口を開かせることだけを考えれば、ロケットストーブの強火にかけた方が早い。しかし、アルメハの身は熱に弱い。あまり強く熱しすぎると旨みの汁が外に流れ出てしまい、身が縮んで固くなってしまうのだ。
特に今日の料理では、スープに入れた後もアルメハの身に熱が加えられることとなる。このため、タクミはオーブンストーブの天板を通じて間接的に伝わる弱めの熱でじっくりとアルメハに火を通す方法を選んだのだ。
アルメハの口が開くのを待つ間に次の作業へと移るタクミ。ペティナイフ代わりにしている小さな包丁を手に取ると、ペレヒールを細かく刻み、アッホも同じくみじん切りとした。アッホを最後に刻むのは、他の食材に匂いを移さないようにする配慮だ。
自分の作業が一段落したところで、タクミはロランドの作業の進み具合を確認する。野菜類は既に下準備が出来ており、塩漬け肉も刻み終えるところだ。
ここまで手際よく準備を進めたロランドに、タクミから次の指示が告げられる。
「そうしたら、次は深めの両手鍋を一つ用意してください。弱火でバターを溶かしたら、こちらのアッホで香りづけして塩漬け肉を炒めます。ある程度火が通ったところで野菜類も順番に入れて熱を入れてください」
「野菜は硬い物から順番っすね!了解っす!」
その指示の意図をすぐさま理解したロランドは、塩漬け肉を全て刻み終えると早速鍋を用意した。
タクミが置いたアルメハ入りフライパンの横のスペースに両手鍋がセットされ、少し温められてからバターが投入される。やや黄色みがかったバターは音もなくスーッととけていき、クリーム色の液体となって銀色の鍋の中に広がっていった。
バターがほどよく溶けたところでアッホのみじん切りを入れて香りを出し、その中に先ほど刻んだばかりの塩漬け肉が入れられた。
木べらで鍋の中を軽くかき混ぜながら塩漬け肉を炒めていくロランド。程よく火が通ったところで、サナオリア、パタータ、セボーリャの順で角切りの野菜が入れられる。
ロランドがゆっくりと木べらを動かしながら、炒め具合についてタクミに確認をとる。
「炒めるのはセボーリャが透き通ってくるぐらいまででいいっすか?」
「ええ、それくらいまででOKです」
タクミは、先程まで使ったザルやボウルをすすぎながらロランドの質問に答えた。
やがて、アルメハを入れて温めていたフライパンの蓋の隙間からゆっくりと蒸気が上がってくる。そろそろ頃合いとなったようだ。
手ぬぐいとして使っている白い布で手についたしずくを拭きとってからフライパンの蓋を開くタクミ。白い湯気がフライパンから立ち上り、ほんのりとした海の香りがタクミの鼻をくすぐった。
フライパンの中で温められていたアルメハは、7~8割ほど口が開いていた。タクミは用意しておいたザルにフライパンの中身を一気にあけた。
ザルの下に敷かれたボウルには、フライパンの中に溜まっていた真っ白に染まった液体が受け止められていた。アルメハのエキスがたっぷりと詰まった汁だ。これを一滴たりとも逃してはもったいない。
ザルの中のアルメハも余熱で順次火が通り、次々に口を開いていた。
「そろそろ炒め終わります!」
ロランドからの合図の声がキッチンに響く。その声を聴いたタクミはオーブンストーブに近づき、鍋の中の様子を確認した。
「これくらいで大丈夫そうですね。そうしたら、ここからは鍋を引き受けますのでロランドはザルに移したアルメハの身を全部外してください。まだ熱いので十分気を付けてくださいね。汁もバットに受けて逃さないようにお願いします」
「了解っす!」
ロランドは木べらをタクミに渡すと、キッチンテーブルへと向かいアルメハの身を剥く作業へと移った。
入れ替わりでオーブンストーブの前に立ったタクミは、鍋の中の具材の状態を一目で確認すると、下味となる塩と胡椒を軽く振るう。
ざっと全体をかき混ぜたタクミは、鍋の中へランチの際に一緒に作っておいた鶏がらの出汁をひたひたの半分ほど入れた後、さらに風味づけの白ワインを注いだ。このまましばらく蒸し煮にして、野菜の旨みを引き出す考えだ。
スープと白ワインが加えられた鍋は、十分に熱を加えるため天板の中でも最も熱くなる中央部分へと移された。
オーブンストーブ側の作業に一区切りをつけたタクミは、いったんキッチンテーブルへと戻り新しいボウルを取り出す。
タクミの作業を見逃すまいと、アルメハの身を剥いていたロランドが手を止めることなく身を乗り出した。
「今日のスープの仕上げはこれを組み合わせて使うんですよ」
ロランドに説明しながら作業を続けるタクミ。手にしたボウルの中には牛乳と生クリームが注がれ、その上からアロース粉がザルで軽く振るわれながら加えられた。
タクミは、アロース粉がダマにならないように注意しながら、全体をなじませるようにして泡立て器でかき混ぜる。
「へぇ、牛乳とアロース粉っすか」
「そうです。牛乳でまろやかなミルクスープに仕立てるとともに、アロース粉で少しとろみをつけます。これが今日のスープの決め手ですね」
「なるほど。勉強になるっす!あ、アルメハは剥き終わったっす!!」
タクミの作業を見ている間にロランドは手元の作業を終えたようだ。殻からきれいに剥き終えたアルメハがバットの上に積まれている。プリプリとしている大ぶりの身はそのまま食べても美味しそうだ。
「このまま出せばワイン蒸しですね。一つ摘まんでみますか?」
タクミは、バットの中のアルメハの身から小さ目の一粒を手のひらに載せてロランドへと差し出す。調理している素材の味を確認させるためだ。
ロランドも、あざーっすと短く答えてから、差し出されたアルメハを摘まんで口の中へと放り込んだ。
「んー、ぷりっぷりでジューシーっすね。うちの親が泣いて喜びそうな味っす!」
「この旨みを出来るだけ逃さないよう調理するのが、アルメハの料理の基本ですね。まずは加熱しすぎないこと、そして旨みの汁を逃さないこと。この二点に尽きるかと思います」
「分かったっす!肝に銘じるっす!」
タクミからの指導をしっかりと聞き入れるロランド。手が空いたらすぐにノートにメモを取らなければ、といったん頭の中に刻み込んだ。
「さて、仕上げといきましょうか。ここからは私が調理しますので横で見ていてください」
タクミはロランドに声をかけてから、オーブンストーブの前へと戻る。
まずは鍋の蓋をあけて煮え具合を確認する。フツフツと音を鳴らしている鍋の中から、野菜の旨みがたっぷりと染み出たやや濁りのあるスープが良い香りを立てていた。野菜類にもしっかり火が通っているようだ。
タクミは手元のボウルに入れられた白色の液体 ―― アルメハのエキスがたっぷりと染み出た蒸し汁を全て鍋の中へ注ぐ。
白く染まった鍋の中のスープはいったん静かになるが、しばらく温めていると再びフツフツと言い始める。再びフツフツと言い始めたところで、タクミは鍋の置き場所を微妙に調整した。
ここで加熱しすぎるとアルメハの旨みが苦味に変わってしまうためだ。
「あとはこれで10分ほど煮込んでから、先ほど作っておいたアロース粉入りの牛乳を注ぎ、一煮立ちさせればスープの完成です。アルメハの身は既に熱が通っていますので、食べる直前に入れて温める程度で大丈夫です。ペレヒールは皿に盛り付けてから彩り程度に振りかけます」
「アルメハはとにかく煮込まないってことっすね!あとでちゃんとノートに書いておくっす!」
ロランドの言葉に、うんうん、と頷いて応えるタクミ。ここで作業はひと段落だ。
タクミは、作業の忘れがないかどうかもう一度確認してから、ロランドへ声をかける。
「さて、では今のうちに片づけをしてしまいましょう」
「後片付けまでが料理っすね!わかってるっす!自分に任せてくださいっす!」
元気よく返事をしたロランドは、早速腕まくりをして後片付けにとりかかっていった。
※第4パートに続きます。




