3 おてんば娘とお子様ランチ
乗客の皆様、長時間のご旅行お疲れ様でした。この列車は当駅が終点となります。改札口にて乗車券を拝見いたします。到着いたしました列車は、整備点検の上、折り返し、ウッドフォード行き2番列車となります。お手荷物などお忘れ物がございませんよう、ご注意をお願いいたします。
―――なお、本日は、お子様連れのお客様に喫茶店にてドリンクサービスを行っております。お気軽にお立ち寄りください。
「もうやだぁぁぁぁぁぁぁ!!!! 帰るのぉぉぉぉぉぉぉ!!」
本日最初の列車が定刻通りに到着し、ようやく春めいてきて穏やかな空気に包まれた駅舎に、キーンと甲高い悲鳴のような絶叫が響き渡った。“駅長代理”として到着したお客様の集札業務を行っていたタクミは何事かと思い、声の発信源の方に目をやる。 するとそこには、列車のドアにしがみついて泣きじゃくる小さな女の子と、その子の隣でなんとか宥めようとしている母親の姿が見えた。子供の泣き声に反応しすぐに車掌が駆けつけてきているのが見えたので、タクミはひとまず対応を車掌に任せ、集札業務を続けることとした。
しばしの後、改札口の行列も無くなり、あとは一組のお客様を残すだけとなった。集札を続けている間に何とか列車からは降りてもらうことはできたようだ。タクミは車掌から対応を引継ぎ、ホームのベンチに腰を掛けているお客様に声をかけた。
「本日はご利用頂きましてありがとうございました。長時間のご旅行でお疲れではございませんか?」
「ええ、私は大丈夫なのですが、この子が長旅に飽きてしまったようで…騒がしてしまって、本当に申し訳ございません」
そう答える母親と思しき女性は、淡青色のリボンが付いた白いキャペリンハットをかぶり、白のロングワンピースの上にショールを羽織るという装いから、とても清楚で上品な雰囲気を漂わせていた。一方、母親と同様白のフレアワンピースを纏い、頭には大きな赤いリボンをつけている少女は、ふくれっ面というのは今の彼女のための言葉だろうというほど、見事なまでに頬を膨らませていた。
「いえいえ、大人でも列車での長旅は堪える時がありますから、小さなお子様にはきっと大変だったことでしょう。どうでしょうか?いったん集札を済ませて、喫茶店の方へ場所を移しませんか?」
「喫茶店ですか?この近くにあるのでして?」
「ええ、この駅では、私の方で待合室の一角を改装させてもらって喫茶店も併設させて頂いているのです。今日はちょうどこの駅をご利用されるお子様連れのお客様にドリンクサービスを行っておりますので、もし宜しければどうぞご遠慮なくご利用なさってください」
「まぁ!それはありがたいサービスですわ。 きっとこの子も少し休めば落ち着くでしょうから…。 さぁ、リアナ、あちらで飲み物を頂けるそうですわ。参りましょうね」
リアナと呼びかけられた少女は、母親の呼びかけにもそっぽを向いたままだった。それでも、母親がリアナの手をとると、ふくれっ面のままではあったものの渋々と改札口へと向かっていく。タクミも、母娘の荷物運びを手伝いながら改札口へと二人を案内していった。
◇ ◇ ◇
「長旅お疲れ様でしたなのな。 今日はかわいいリアナちゃんのために、ドリンクサービスをさせてもらうのにゃっ! この中でどれが飲みたいかにゃっ?」
母娘を喫茶店へと案内してきたタクミから事情を聞いたニャーチは、席に着いたリアナと目線の高さを合わせて話しかける。ドリンクサービスで選べる子供用の飲み物は、本日届いたばかりの新鮮な牛乳か、ミルクたっぷりのカフェオーレ、それか小粒で甘酸っぱい赤いベリーの実をつぶして牛乳と合わせたフレッサのオーレだ。
リアナはメニューをチラッとみるが、ぷいっとそっぽを向いてしまう。母親は、その様子を見て慌ててニャーチに注文を頼む。
「本当にすいません。 ええっと、そうしたらこの、フレッサのオーレというのを頂けますか?」
「かしこまりましたなのな! あと、リアナちゃんのママさんもコーヒーか、さっきのどれかをお出しできるのなのな。どっちがいいかにゃ?」
「あら、私までいいのでして? そうしたら、私は…温かいカフェオーレでお願いいたしますわ」
「了解なのな! 少々お待ちくださいませなのにゃ!」
ニャーチはカウンターに向かうと、水桶に浮かべてあったフレッサの実を数個取り出し、緑色のヘタをとって小さなすり鉢に入れる。耳をピクピクと揺らして鼻歌を歌いながら、すりこぎでフレッサの実を押し潰す。少し粒が残る程度に潰したところで牛乳を注いでいくと、真っ白な牛乳にフレッサの果汁が溶け込み、ほのかなピンク色に染まる。ペロッと一舐めして味を見てから、隠し味に少しだけ蜂蜜をたらし、フレッサの実をさらにつぶしながらよくかき混ぜる。細かな網目の小さな手つきのザルで残った果肉を濾しとりながらグラスに注げば、フレッサオーレの出来上がりだ。その間にオーブンストーブで温めて置いた牛乳とこちらもポットに入れて保温していたシナモン・コーヒーを合わせて、ホットカフェオーレもすぐに完成した。
◇ ◇ ◇
「お待たせしましたなのなっ。リアナちゃんのフレッサオーレと、ママさんのホットカフェオーレなのにゃっ。 どうぞ召し上がれなのにゃぁ」
ニャーチは、出来上がったサービスドリンクをお盆に載せ、まだぐずっているリアナちゃんが待つテーブルへと運ぶ。まだ機嫌が直りきっていない様子のリアナだが、フレッサオーレには少し興味をひかれたようで、ちらちらと視線は送っている。
「今日しぼりたての牛乳と、フレッサの実の汁をあわせたものなのなっ。おいしーよっ?」
ニャーチが覗き込むように話しかけると、ようやくリアナが口を開いた。
「こ、こんな子供っぽい飲み物、私飲まないもん!もっとレディにふさわしいものはないの?」
「こら、せっかく頂いたものにそんな失礼な言い方してはいけません」
母親がたしなめるが、リアナが意に介した様子はない。
「いいのっ。私、こんなの飲まないからっ!」
「そうなのかにゃ。 せっかく美味しくできたのににゃ・・・・。じゃあ、もったいないから私が飲んじゃってもいいかにゃ?」
ニャーチはネコ耳をシュンと寝かせ、残念だなぁ…とリアナに訴えかけるようにじーっと目を合わせながら、フレッサオーレを手に取ろうとする。すると、リアナは慌ててグラスを抱え込んだ。
「ば、ばっかじゃないのっ!これは私にくれたんでしょ?まぁ、見た目は子供っぽい飲み物だけど、仕方がないから呑んであげるわよっ。それに、リアナちゃんじゃなくて、リアナさんって呼んでっ!」
リアナは早口でまくしたてながら、取られてはたまらないとばかりにフレッサオーレをゴクリと飲む。牛乳のまろやかさに包まれた甘酸っぱいフレッサの風味が口の中いっぱいに広がる。思わず顔がほころび、幸せそうな笑顔を浮かべる。リアナは、夢中になって一気にフレッサオーレを飲み干した。
「な、なかなかおいしいじゃない……」
リアナはニャーチや母親が静かに見守っているのに気づき、あわてて仏頂面へと戻ろうとする。しかし、一度柔らかくなった表情を隠すのは難しい。リアナは、バツの悪さと照れくささでそっぽを向く。その時、先ほどのフレッサオーレで刺激されたのが、ぐぅーーーーっと元気いっぱいの大きなお腹の虫の声がこだました。
「あらあら、そういえばもうお昼でしたわね。もしかして、機嫌が悪かったのはお腹が空いてたからってことでして?朝も早かったですし……」
リアナは母親の言葉に小さく頷くものの、恥ずかしさのあまり顔が真っ赤にして俯いてしまった。母親は、そんなリアナを微笑ましく見つめ、そっと頭をなでる。そして、ニャーチに向かって話しかけた。
「そうしましたら、折角ですし、何か食事になるものを頂きたいですわ。何が出来ますかしら?」
母親の言葉にかぶせるように、リアナが声を上げる。
「レディにふさわしい、おしゃれなメニューじゃないといやよ!」
リアナの言葉に、ニャーチは耳をピンとたて、ニカっとした笑顔でリアナに応える。
「かしこまりましたなのなっ! ええっと、そしたら当店シェフ特製のお任せランチでいいかにゃ?」
「構わないわ。その代わり、あんまりレディを待たせないでね!」
あくまでも強気に出るリアナを、母親がたしなめる。
「本当に申し訳ございません。 私の方は今はあまり量が食べられないので、少しだけつまめるもの…できれば酸味があるものがあればお願いしたいですわ」
二人の注文を聞き届けたニャーチは、いつものように笑顔でこう応えた。
「了解ですにゃっ! それでは、少しお待ちくださいませなのなっ!」
◇ ◇ ◇
キッチンにてランチ営業のためのから揚げを揚げていたタクミは、ニャーチが受けてきたオーダーを聞いて、さてどうしようか…と思案していた。今日は、Aランチは貝をたくさん入れたシーフードカレーにトウモロコシのクスクスを添えたもの、Bランチはトウモロコシのトルティーヤに鶏肉のから揚げとインゲン豆と挽き肉の入ったピリ辛味のサルサを載せて巻いたタコス、Cランチはオーブンストーブでじっくりと焼き上げたローストビーフにグレイビーソースをかけたものをメインとする予定だった。どれも大人向けに味を仕上げており、リアナのような小さなお子様の口には合わない可能性があった。とはいえ、もう少しすればランチのお客様で賑わう時間だ。あまり手の込んだものを作る時間は残されていなかった。
それならば…と、タクミは特製ランチのメニュー候補をあれこれ思い浮かべながら、食料庫に必要な食材を取りに行く。まず食料庫から運び出したのは、2種類の粉 ――― トウモロコシ粉と大豆粉だ。それと合わせて、卵と牛乳、バター、コルザ油、ピカルボナート、そして粒がやや大きく黒糖に似た味わいの砂糖を運び出した。
食材をそろえたタクミは、まず、ボウルに卵を割り入れ、空気をたっぷり含ませるように泡立て器でしっかりと混ぜる。玉子が十分に泡立てられたところで、砂糖と牛乳を多めに、そしてほんの少しだけのピカルボナートを入れ、さらにしっかりと混ぜ合わせる。卵液を手の甲に乗せてペロッと一舐めし、味を確認。味の調整に塩をほんの一つまみだけ投入してから、もう一度さっくりとかき混ぜた。
甘くコクのある卵液が出来たところで、トウモロコシ粉と大豆粉を1:1の割合で合わせたものを、ダマにならないよう、何度かにわけてふるい入れていく。生地の硬さを確認しながら、先ほどと同様できるだけ空気を含ませるようにしっかりと混ぜていく。少し緩いかな?と思うくらいのトローッとした粘り気が出るぐらいの分量まで粉を投入したら、最後にスプーン1杯のコルザ油を投入し、さっくりと混ぜ合わせる。 これで、生地の完成だ。
生地を作っている間、オーブンストーブの上でフライパンを予め温めておく。そこにバターを薄く引き、レードルに半分だけすくった生地をフライパンの真ん中へと静かに投入すると、やや黄色みが強いクリーム色をした生地が静かに広がっていった。生地が焦げ付かないようフライパンの温度に注意を払いながらしばらく待つと、生地の端が少し乾いてきて、表面にポツポツと気泡が出始める。これがひっくり返すタイミングの合図だ。フライ返しを生地と鉄板の間に滑り込ませて生地を裏返すと、少し濃い目のこげ茶色をした美味しそうな焼き色が現れた。そのまましばらく置き、もう片面も慎重に焼き上げると、流し入れた生地は、倍の厚みまで膨らんだ。
こうして手のひらサイズほどの小さ目の特製パンケーキを3枚焼いて、角が丸く仕切りのついたプレート皿の一番大きなスペースの部分に積み重ねる。パンケーキの上にはバターを一かけら載せ、さらにたっぷりとはちみつをかける。パンケーキの横にはホイップさせた生クリームと、以前に作っておいたフレッサの実の形を残したジャム。2つある小さなスペースの片方には、ちぎったレチューガの葉を下に敷いたところにランチ用のから揚げを2切れ載せる。もう一方には、これもランチの付け合せ用に作っておいたパタータのマッシュに、モーニングで残ったゆで卵と濃い緑色をした細長い野菜であるペピーノを刻んだもの、それに自家製のマヨネーズを混ぜ合わせ、塩こしょうで味を調えたパタータサラダを盛り付けた。
そして、タクミはこの特製ランチの最後の仕上げにとりかかる。タクミは、キッチンの片隅から小さな紙切れを一枚取り出し、スマイルマークを中央に描く。それを、短く切ったマッチ棒ほどの細さの木の串に糊で止めて、パンケーキの中央に刺し立てた。
◇ ◇ ◇
「さすがマスター、こんなランチ見たことないっす!」
ジーンズの上から白いエプロンを纏ったまだあどけなさの残る少年 ―― ロランドがタクミに声をかけてきた。料理人志望の少年ロランドは、以前にこの喫茶店を訪れた際に食べた料理に衝撃を受け、ぜひタクミの指導を受けたいと、半ば押し掛け弟子のようにこの店の手伝いに来ていた。当初は戸惑ったタクミであったが、毎日漁師をしている親の仕事を手伝った後、徒歩では30分ほどかかる道を走ってまでこの店に通ってくれる熱心さにほだされ、ランチ営業を中心としたアシスタントとして雇い入れていた。
「うーん、本当はもっとお子様ランチっぽくハンバーグとか添えたかったんですけどね。 さすがにそこまでの時間はなかったですしね。ほら、手をとめないで。焦げ付いちゃいますよ」
「あっと、ごめんなさい!で、母親の分はどうするんっす?」
「ええ、それなんですが……。こういう組み合わせにしようかと」
「へ?」
タクミがテーブルに用意した食材をみたロランドは、その組み合わせに驚いた。並べられた食材は牛乳を発酵させた自家製のヨーグルトと、ナランハよりも大きく酸味と苦みがある柑橘であるポメロの実、それにはちみつだ。まるでデザートのような組み合わせだが、はちみつがあるとはいえ、見ているだけで唾が湧き出てくるほどの酸っぱい食材の取り合わせだ。酸味があまり得意ではないロランドは思わず顔をしかめる。
「うん、普通はこういう組み合わせにはしないんだけどね」
タクミには一つ心当たりがあった。先ほど駅舎の方で対応していた際、リアナの母親は少し体調が悪そうな様子を見せていたのだ。それに加え、食欲の湧かない母親が「酸味のある食べ物」をオーダーしたこと、お腹を締め付けないロングワンピースの装いであること、極めつけはまるで本来の年齢よりも小さい子のようにダダをこね続けたリアナの様子…これらを総合すると、導かれる答えは自ずと一つに絞られていった。
タクミは、用意したポメロの実を包丁で櫛切りにし、次々と皮を剥いていく。筋や房皮も全て取り除いていくと、オレンジ色とピンク色の中間のような色のポメロの実の果肉が露わとなり、辺り一面に独特の甘酸っぱい香りが広がる。ポメロの実を1個分剥き終えたタクミは、ヨーグルトに少しだけはちみつを加えて混ぜたソースを果肉と和えてから深めのボウル皿に盛り付け、天辺にミントの葉をあしらう。別の皿には先ほど作ったパタータサラダを盛り付け、木のお盆の上にかわいらしく配置した。
これで、母娘それぞれの特製ランチの準備は完了だ。タクミは、それぞれの皿をカウンターとキッチンを間仕切りしている壁の覗き窓の棚の上に置き、完成の合図であるベルをチリリーンと鳴らした。
◇ ◇ ◇
リアナが一心不乱にランチを食べているのを、母親は温かい目で見ていた。もともと食が細いわけではないリアナだが、食に対する好き嫌いはかなりはっきりしており、口に合わないものは手を付けようとしない。それが今日は、苦手なペピーノが入ったパタータのマッシュですら、無我夢中で食べ進めている。リアナの頬にはエクボが浮かび、すっかり笑顔となっていた。
何よりリアナの母親が驚いたのは、自分自身のために用意されたランチだ。酸味のある白いソースがかけられたグレープフルーツは、今の自分の食欲と体調にぴったりだった。それに、付け合せのパタータのマッシュも、何で味付けされているかはわからないがどこかほのかに酸味を感じ取ることができ、非常に食べやすい。なにより、肉や魚の匂いをどうしてもきつく感じてしまう今の自分には、果物や野菜だけで用意されたこのランチは大変ありがたいものだった。
「お味はいかがですか?お口に合いましたでしょうか?」
タクミが、母娘の席にやってきて声を掛ける。 リアナは、今日一番の弾んだ声でこう応えた。
「うん、とってもおいしーっ!! おじちゃん、ありがとーーーっ」
「いえいえ、喜んでもらえれば何よりです。 あ、そちらはいかがでしたでしょうか?食べられそうですか?」
「ええ、大変美味しいです。本当にありがとうございます。…ええっと、私が妊娠しているのはいつ気づかれたのです?」
「いや、なんとなくそうかなーって思っただけですよ。やっぱりそうだったんですね」
「ええ、まだ生まれてくるのは少し先ですけどね」
「リアナ、おねーちゃんになるんだよっ!」
タクミと母親が話している間に、ランチを食べ終えたリアナが割り込んでくる。母親は、それを優しい穏やかな笑顔で迎え入れ、そっと頭をなでる。そして、タクミに話しかけた。
「この子と、それとお腹の子のために素晴らしいランチを頂くことが出来ました。おかげで、この子も機嫌を直してくれましたし、私も久しぶりにいっぱい食べることができましたわ。本当にありがとうございます」
「こちらこそ、良いランチタイムとなったようで何よりです。 どうかご無理はなさらず、穏やかな日々をお過ごしくださいませ。 リアナちゃんも、お母さんのお手伝い、いっぱいしてあげてね?」
「うん! わたしもお姉ちゃんになるんだから、一杯お手伝い頑張るっ!」
ランチを済ませ、元気を取り戻したリアナと母親は、駅舎前から出ている馬車鉄道に乗り、スプリングサイドへと旅立っていった。きっと、しばらくの間、温泉地で静養されるのだろう。タクミは、無事に元気な赤ちゃんが生まれるよう、心の中で祈りをささげつつ、これから忙しさを増すであろう本日のランチ営業に取り組むのであった。