26 重ねられる試作と再現したい味(2/3パート)
※2015.11.29 20:00更新 2/3パート
※第1パートからの続きです。まだお読みでない方は第1パート(前話)よりお読みください。
夕食を終えたタクミは、再びカフェエプロンを身に纏う。腰ひもをきゅっと締めると、気持ちまで引き締まるようだ。
後片付け当番を終えたニャーチが、その姿を見て声をかけてきた。
「今日もアレの試作するのにゃっ?」
「うん、毎日で悪いけど、試食をよろしく頼むね」
「あいあいさーなのなっ。じゃあ、ルナちゃんと一緒にいるから、出来上がったら声をかけてなのなっ!」
「わかったよ。少し時間がかかるだろうから、出来上がったら二階の部屋に持っていくね」
「わーいっ!待ってるのにゃーっ」
ニャーチは顔を綻ばせると、二階にいるルナの下へと向かっていった。
すっかり日が暮れた時間、ランプの灯りがキッチンをぼんやりとしたオレンジ色に染めている。タクミが動けば、レンガの壁に写しだされた影も共に動く。オーブンストーブに残しておいた火のついた薪が、時折パチ、パチと弾ける音を響かせていた。
(さて、今日こそは完成させたいですね……)
タクミは“未完成のパトソース”の試作へと取り掛かる。
もう何度目の試作になるだろうか? パスタに非常に良く似た食材 ―― “パト”が手に入るようになってから、タクミは時を見つけてはこの“特製ソース”の試作を繰り返していた。
もちろんお客様に喜んでほしいという思いはある。しかし、これに限ってはむしろタクミ自身が食べたいという理由の方が大きいかもしれない。
仕事の合間に一人で掻き込んでいたこと、遠くからやって来た友人を招いて一緒に食べたこと、まだ結婚する前に向い合せに座って二人で楽しく話をしながらつついたこと ―― いろんな思い出が詰まっている“故郷の名物料理”。タクミはあの頃の思い出を忘れないよう、何とかこれを再現したいと思っていた。
とはいえ、この“特製ソース”を作っているのは、タクミの故郷でも一部の“専門店”に限られているものだ。一般家庭はもちろん、専門店以外の飲食店においても一からこのソースを作るということはない。出来合いのレトルトソースを使うのがせいぜいだ。
“専門店”に勤めた経験を持たないタクミも、当然このソースを作ったことはない。このため、再現のための試作は、頭の中にわずかに残る伝え聞き程度の知識と、思い出とともに舌先に残っている味わいの記憶だけが頼りだった。
最初の試作品は散々たるものだった。味わいの再現を重視した結果として出来上がったのは、豚肉とケチャップを炒め合わせたポークチャップ風のパスタ。そういえば聞こえはいいが、実際はほとんどイタリアンと変わらない味わいにしかならなかった。
もっとソースっぽく仕上げることをテーマとして取り組んだ第二の試作品は、鶏ガラのスープにトマトケチャップを合わせて煮詰めることで作られた。
鶏とトマトの2つの旨みがなかなかの美味しさとなっていた。しかし、決定的に“パンチ”が弱い。目指しているソースが持っている個性的な味わいとは程遠い物であった。
その後も時間を見つけては試作を繰り返すタクミ。何度か繰り返し試作を行っていく中で、おぼろげながらも徐々に輪郭が見えてきた。
最初に分かったことは基本的な旨みの構成。目指すソースの味わいはミートソースのそれに近いことを見出すことができた。
一方で、ミートソースと異なる部分もはっきりと浮かび上がってきた。それは味わいの中心を何においているかということ。ふんだんに入れられた“肉”が中心のミートソースに対し、目指すソースは“旨みの汁”が中心に位置づけられることが見えてきていた。
さらにこのソースを特徴づけているのが、ミートソースにはない独特のコクのある風味とジャンキーとも称されるような強烈な“パンチ”のある味わい。この“強い味わい”を再現できなければ目指すソースが完成したとは言えない、とタクミは考えていた。
何度も試作は繰り返すが、どうしても“一味”もの足りなさを感じてしまう ―― 袋小路に入りかけていたタクミが光明を見出したのは、先日ランチを仕込んでいる最中のことであった。
それは、Aランチとして“ひまわり風オムライス”のソースとして“デミグラス風ブラウンソース”を仕込んでいた時のこと。タクミは、ブラウンソースの味のベースとなる“焦げ茶色になるまで徹底的に炒めたひき肉のペースト”をいつものようにロランドに作らせていた。
ロランドからの出来上がりの合図に、ペーストの味の確認をしたタクミ。独特の風味を纏った強烈な旨みが舌先に転がる。いい出来栄えだ。タクミはロランドの成長ぶりに感心しつつ、合格のサインを出す。
その時、タクミの脳裏にふとよぎるものがあった。この強烈な旨みをあのソースに取り込めば、目指す味わいに近づくのではないだろうか?
頭の中で味わいを組み立てる前に、自然に手が動いていた。先ほど味見用として渡されたペーストの残りに鶏ガラスープを足し、キッチンテーブルに用意しておいたケチャップを混ぜ合わせる。
出来上がったのはとろみのあるソース状のもの。それをスプーンですくい取ると、先に水を含んで舌先を新しくした口の中と運んだ。
―― これだ、この組み合わせだ。タクミは直感的にそう感じ取っていた。
もちろん完成形に仕上げるには、さらに工夫を加えなければならない。しかし、このコクのある風味は記憶の中にある“あのソース”の味わいを思い起こさせるのに十分なものだ。
“味噌”や“醤油”を思わせるような独特の風合い、これが目指すソース作りの“鍵”となっていたことをタクミはようやく気付くことができたのだ。
その後、試作は急ピッチで進められる。これまで探してもなかなか見つけることが出来なかった“鍵”となるパーツ、それをようやく見つけることができたことでタクミのテンションは俄然高まっていた。
それから数回の試作を経てタクミは手ごたえをつかんでいた。
そして今日はいよいよ“完成形”を目指した試作。出来れば今日で作り上げてしまいたい ―― タクミは食料庫から運び入れた材料をキッチンテーブルに並べていった。
(材料は……うん、これで足りていますね)
テーブルの上に並べられた材料は、豚ひき肉にミエール、セボーリャ、サナオリア、マッシュルームに良く似たオンゴ、それと、あらかじめ作っておいた角切りトマトの水煮と自家製トマトケチャップ。この他、ヘンヒブレやアッホといった香味野菜に、白ワイン、各種の調味料、それにさまざまなスパイスも用意された。
タクミは、改めてカフェエプロンの紐を締め直すと、試作作業にとりかかった。
最初に行ったのは食材の下ごしらえ。セボーリャ、サナオリア、ヘンヒブレ、アッホをそれぞれ摩り下ろし、オンゴは細かくみじん切りにする。豚ひき肉にはミエールがかけられ、ボウルの中でよく混ぜ合わせられた。ここまでが食材の下ごしらえだ。
食材が準備できたところで、作業は“旨みペースト”作りへと移る。
少し浅めの平鍋をオーブンストーブの天板に置いたタクミは、その中へ豚肉の脂身を入れじっくりと炒め始めた。ジュワーっという音とともに脂身が徐々に透き通っていき、透明の脂が平鍋の中へ染み出していく。
豚の脂が十分に出たところで、先にミエールと混ぜ合わせて置いた豚ひき肉を鍋の中へ投入。温度に気をつけながら、こちらもじっくりと時間をかけて炒めていくと、豚肉から出た水分や脂が鍋の中を満たしていき、そぼろ状になったひき肉がフツフツと踊り始めた。
そのままゆっくりとかき混ぜながら炒め続けていくと、水分が湯気となって蒸発していく。鍋の中の水分がほとんど飛ぶと、今度は一気にひき肉の色が茶色に変化を始めた。
ここからは温度管理が重要だ。鍋の中が熱くなりすぎないように細心の注意を払いながら、タクミはさらに炒め続ける。ひき肉が褐色から濃い茶色へと変わった頃合いで、平鍋の中にオンゴのみじん切りが追加された。
その後も時間をかけてじっくりと炒められたひき肉は、濃いこげ茶色へと変わっていた。ここまで徹底的に炒めることで、焦げとは異なる“味噌”や“醤油”にも似た独特の風合いが生み出されるのだ。
今日のソース作りでは、この旨みと風味がたっぷり詰まったひき肉に、摩り下ろしたセボーリャとサナオリア、それに角切りトマトの水煮が合わせられた。
鍋を最も温度の高い天板の中央へと移動させたタクミは、そのままゆっくりとかき混ぜながら煮立たせていく。
野菜から染み出た水分で鍋の中がフツフツと言い始めると、大量に入れたトマトの良い香りが鍋の中から立ち上ってきた。
そのまま一煮立ちさせた後、ソースの味を調えていく。
最初に入れるのはトマトケチャップと白ワイン。ヘンヒブレとアッホのすりおろしも同じタイミングで入れられた。
そして、もう一度煮立たせた後、香りづけとしてシナモンやオールスパイス、辛みを加えるために赤いピミエント、味を引き締めるための塩、そして黒こしょうもたっぷりと投入された。
目指すソース作りのもう一つの“鍵”となっていたのが黒こしょうだ。粗挽きにした黒こしょうをたっぷりと入れることが、独特の強い“パンチ”の効いた味わいの源となっていたのだ。
味わいの確認のため、タクミはソースを少しだけ小皿に移すと、フーフーと冷ましてから口の中へ含む。
(……うん、これです。これこそあのソースの味わいですね)
最初に感じる強烈なスパイシーさの後に、肉と野菜の旨みが強烈に押し寄せてきた。まだ煮込みが足りず味がこなれていないものの、記憶の中にある味わいへと順調に近づいていっていた。
イメージした通りの味わいとなっていることを確認したタクミは、うんうん、と二度力強く頷く。
そして、味わいの調整のためにトマトケチャップと黒こしょうを再度加えると、鍋に蓋をして天板の端へと移し、弱火にてゆっくりと煮込んでいった。
(ようやく出来上がりが見えてきましたね……)
煮込んでいる間にここまでに使った調理器具の後片付けを始めたタクミの心の中に、ほっと安堵の気持ちが浮かんでいた。
“こちらの世界”に来てから、いや、自分の経験の中でも最も時間をかけて試作を繰り返したソースの完成像が見えてきた。
故郷の懐かしい味わいを求めたとはいえ、試作を始めた当初は、ここまで時間と工夫が必要となるとは想像すらしていなかった。
もちろん、今回作り上げたソースが故郷で食べていたそれと同じものであるかどうかは分からない。いや、むしろ異なったものであると考えた方が良いだろう。
故郷の専門店であれば、もっと何日も手間をかけて作っているであろうし、こちらでは手に入らない醤油や味噌などの調味料を使っていることも十分に考えられる。
そもそも、タクミの記憶の中にある味わい自体も、思い出とともに変化している可能性もあるのだ。
それでも、タクミは出来上がったソースには十分に満足していた。
“こちらの世界”で手に入る材料は限られているし、専門店ではない以上調理にかけられる手間にも限界がある。薪を燃料とするオーブンストーブやロケットストーブでは『弱火で放置して丸一日煮込みっぱなしにする』ということも難しい。
その中で、少なくとも“記憶にある味わい”と同じ味わいのソースは再現できた。初めて食べる“こちらの世界”のお客様にも満足してもらえるものになっているという自信もある。
そういう点では、今日作りだしたこの“特製ソース”は、今できるベストを尽くしたものであり、今のタクミにとってはベストの解答と言えるものであった。
タクミはそんなことを考えながら、調理器具の後片付け、そしてキッチンテーブルの拭き掃除を進めていた。テーブルを元のように磨き上げたタクミは、再び調理作業へと戻る。
じっくりと弱火で煮込まれたソースは、肉や野菜の成分が下に沈殿し、上澄みはスープ状になっていた。
タクミは、煮込まれていたソースをレードルでかき混ぜながら、円錐をひっくり返したような形のシノワの中へと移していく。すると、シノワの下から濾しとられたスープがぽたぽたと零れ、下に置かれた新しい鍋の中へとたまっていった。
レードルや木べらでギュッギュッと押し出すようにして旨みのエキスを絞り出していく。最後の一滴まで徹底的に絞り出すと、濾す前の半分強程度の量となった赤いソースが、新しい鍋の中に注がれていた。
タクミは、ソースを移した鍋をオーブンストーブの上に置くと、もう一度スパイス類と黒こしょうを少量合わせてから軽く煮立たせる。
そして、良い香りが立ってきたところで、最後の仕上げとして水に溶いたマイススターチを加えてとろみをつけた。
最後にもう一度味を確認したタクミは、うん、と一つ頷いた。
自分としては納得の出来る味わいに仕上がった。あとはニャーチの合格サインがもらえれば自信を持って店に出すことが出来るであろう。
タクミがふと壁にかけられている柱時計を見ると、短い針が10の数字を指ししめようとしていた。試作に時間がかかりすっかり遅くなってしまっていた。はたして、ニャーチは起きて待ってくれているだろうか……?
試食用のパトを仕込む前に階上の部屋にいるニャーチの様子を確認しようと、階段へと足を運ぶタクミであった。
※第3パートに続きます。




