25 約束の邂逅と美しきデザート(3/3パート)
※2015.11.20 20:00更新 3/3パート
※第1パートからの続きです。まだお読みでない方は第1パート(2話前)よりお読みください。
個室からホールへと降りてきた二人は、タクミの案内に従ってキッチン側にあるカウンターの前に設えられた特別席へと案内された。ホールにはランプが灯され、ほのかな明るさとなっている。
並んで座る二人の前には、カウンターを挟んでカフェエプロンを身に纏ったタクミの姿があった。
二人を案内したタクミは、改めて手元に用意した材料を確認する。
まずはメインとなるクリーム色の生地 ―― アロース粉と牛乳、卵、砂糖を合わせて薄く焼きあげておいたクレープ生地だ。
そして、収穫の季節を迎えたナランハの実。こちらは予め絞ってジュースにしたものと、別途丸ごとのものを一つ用意している。
この他に用意した材料は、白砂糖にバター、そしてナランハの実を漬け込んだ果実酒の3つ。果実酒は、店で使うリキュールの一つとして、半年以上前にタクミが仕込んでおいたものだ。サトウキビを主原料として作られるロンと呼ばれる蒸留酒にナランハの実と砂糖の結晶が漬け込まれている。
続いてタクミは予め火を入れて置いたオーブンストーブの火加減を確認した。
カウンターにある小型オーブンストーブは、上部の半分が天板ではなく鉄格子と入れ替えられている。今日のデザートは直火の方が調理しやすいため、コンロ代わりに使えるように事前にセッティングを変えてあった。
鉄格子の下に見える薪からはしっかりと炎が立ち上り、半分残されている天板もしっかり温まっているようだ。
準備は上々のようだ。タクミはふぅ、と一つ息をついてから、改めて二人に頭を下げる。
「さて、それでは始めさせていただきます」
タクミの開始の合図に、二人は無言で頷いた。
いったい何が始まるのであろう……二人は、ワクワクしながらタクミの一挙手一投足に視線を送った。
タクミは、火にかける前のフライパンの全体に敷き詰めるようにして白砂糖を入れる。そして、そのフライパンを天板の上に置き、静かにゆっくりと温めはじめた。
続いてナランハの実を手に取ったタクミは、蓋を取るようにしてヘタの近くを切り落とした後、皿の上に逆さまにして置く。そして、先ほど切り取った蓋状のナランハの皮をその上に重ねると、調理の際に用いる二股の大きなフォークをその皮ごとナランハに深く突き刺した。
普段以上に料理へと集中するタクミの表情は実に真剣なものだった。
ソフィアの目はすっかりタクミに釘づけとなっている。隣に座るリベルトも、固唾を呑んでタクミの様子を見守っていた。
フライパンの中では先ほど入れた白砂糖が少しずつ溶けはじめていた。その様子を横目で確認したタクミは、先ほど串刺しにしたナランハをフォークごと持ち上げ、小さ目の包丁で器用に皮を剥いていく。くるくるとナランハを回しながら包丁を入れていくと、厚めに剥かれた皮が下に長く垂れ下がっていった。
ナランハの皮は最後まで剥かれることはなく、一部を剥き残すことで実と皮がつながったままとされた。
タクミは、いったんナランハの皮を元のように戻してから実ごと皿の上に置き、フライパンの前に立ち位置を移す。
フライパンの中に入れてあった白砂糖は、ゆっくりと加えられた熱により、透明な液状へとその姿を変えていた。
タクミは、溶けた砂糖が入っているフライパンの中へバターを投入し、フォークの先で軽く押さえながら全体になじませるように溶かしていく。
そして、バターが溶けきったところで、用意しておいたナランハのジュースを入れ、鉄格子のコンロ側へとフライパンを移した。
直火により先ほどよりも高い熱が加えられるフライパン。そのまましばらく置いておくと、温まったナランハのジュースが小さく泡立ってくる。
そして、ほんの僅かに沸騰しはじめたタイミングを見計らうと、タクミはフライパンを天板の上へと戻し、その中へ扇形になるよう四つ折りにしたクレープ生地をそっと並べていった。
その様子を見て、ソフィアが思わずタクミへ声をかける。
「あら、生地を煮てしまうのでして?」
「ええ、今日はクレープを温かいデザートとしてご用意させていただきます。さて、ここからが本番です。どうぞお静かにご覧いただければ幸いです」
タクミから返された言葉に、ソフィアの期待がますます膨らむ。
この溢れんばかりの期待を共有しようと、隣に座るリベルトの方を見るソフィア。その視線に気づいたリベルトも、ソフィアに向かって静かにコクリと頷いた。
二人の視線は再びタクミの手元へと注がれた。
タクミは、二人からの期待の眼差しを一身に受けつつ、最後の仕上げへと移っていく。
金属製の柄杓のような器具の中に果実酒が注がれ、コンロの直火で温められる。やがて、果実酒は温まり、フツフツと沸騰を始めた。
柄杓の中の果実酒は、熱が加わるにつれ徐々に泡が大きくなる。その様子を注視していたタクミは、頃合いと見るや予めコンロの中で火を移しておいた細長い木を取り出し、柄杓の中の果実酒へと近づけた。
その瞬間、ボワッという音とともに柄杓の中から青い炎が立ち上った。
「きゃっ」
立ち上る炎に驚いたソフィアが、甲高い声をあげた。その声に反応したリベルトが、彼女をかばうように一瞬身を乗り出す。
タクミは集中を切らすことなく作業を続ける。
ナランハの実を串刺しにした二股フォークを手にしたタクミは、そのまま実を持ち上げ、クレープが煮込まれているフライパンの上へナランハの皮をタラリと垂らした。
そして間髪を入れず、青い炎を上げている果実酒をナランハの皮に添わせていくと、ナランハの皮に青い炎が伝わり、フライパンへの中へと流れていった。
「わぁ……」「ほう……」
幻想的な炎の滝 ―― あまりにも美しいその光景に、二人は思わず息を呑む。
そして、タクミの手元から発せられる甘酸っぱい香りに、今度は二人そろってうっとりとした表情を見せた。
まるで魔法を見ているようなタクミの仕草に、二人は完全に目を奪われていた。
―――
「お待たせいたしました。旬を迎えたナランハを用いましたクレープシュゼットです。どうぞお召し上がりください」
先ほど目の前で調理された美しいデザートが二人の前へと運ばれた。
白い皿の上には橙色のソースが敷かれ、その上にしっかりとソースを含んだ扇型のクレープが載せられている。
皿の上から放たれる甘酸っぱい香りが鼻孔をくすぐり、再び食欲を掻き立てる。ソフィアは、隣に座るリベルトをチラリと見やり、軽く頭を下げてから、クレープにナイフを入れた。
「美味しい!! 甘酸っぱくて、でも、コクがあって……、とにかく美味しいですわ!」
一口目を食べたソフィアの口から、称賛の声が飛び出した。とにかく美味しいのだ。
フライパンの上で煮込まれたクレープ生地にはしっかりとソースが含まれていた。かといって生地が柔らかくベタベタとなっているわけではない。クレープ特有のモチモチとした皮の食感はきちんと残されたままだ。
皮の食感がきちんと残されているから美味しさをしっかりと感じ取れる、ソフィアにはそう思われた。
そして、このナランハのソースだ。ナランハ単体では酸味が強く立ってしまうところに、白砂糖の甘さとバターのまろやかさが加わることで、爽やかでバランスの良い味わいとなっている。
そして、ソースから感じ取られるナランハの香気とわずかな苦み。この2つがソースに絶妙な深みを与えてくれていた。
この香気と苦みの源は、仕上げに入れられた青い炎の滝 ―― ナランハの果実酒によるものとであろう。果実酒に炎を纏わせることで余分なアルコールを飛ばし、さらにナランハの皮を伝わせることで香りと微かな苦みが加えられていた。
あの魔法のような演出は、見た目の素晴らしさだけではなく、味わいのことをきちんと計算されていたのだ。ソフィアはただただ感服するばかりであった。
「素晴らしい。いや、言葉が出ないというのはまさにこのことだな」
黙々とフォークを動かしていたリベルトが、半分ほど食べ終わったところでようやく言葉を発した。そしてふぅと大きく一息つくと、タクミに視線を送る。
「このデザートも、タクミ殿が考えたものかね?」
質問を投げかけられたタクミは、微笑みながら首を横に振った。
「いいえ、今日のデザートも私が以前に暮らしていたところにあるものを原型としております。ただ、こちらで手に入る材料で再現するためにいくつか工夫いたしました。それに、今ご覧いただいた通り、このデザートは“魅せる”のも一つの楽しみとなりますので、お二方にお出しできるレベルまで技術を習得するために練習が必要でした」
「あいかわらずストイックね。このデザート、普段のお店では出せないでしょ?」
若干あきれたような調子でソフィアが口を挟む。その言葉にも、タクミはいつも通りの笑顔で応じた。
「ええ。さすがに普段の営業では手がかかり過ぎてしまいます。ただ、こうしてお二人だけをお迎えする日であればお出しすることができるかと思い、クレープシュゼットを選ばせていただこうと考えました。それと……」
「それと?」
タクミの言葉にリベルトが首をかしげる。横ではソフィアも次の言葉を待っていた。
息の合った二人の様子を見たタクミは、くすっと微笑みながら、一つの言葉を紡ぎだした。
「それと、折角二か月ぶりにお二人きりでお会いになるのですから、少しでも思い出に残して頂けるようなものをお出ししたかったのです。華やかなこのデザートはお二人にも良くお似合いですしね」
タクミの言葉に、ソフィアはなぜだか自分の頬が染まるのを感じていた。
二ヶ月前の会食の後、リベルトとは仕事の関係で何度か顔を合わせていた。しかし、それはあくまでも銀行家ソフィア・マリメイドと、大使リベルト・デ・ラウレンティスとしての顔だ。
厳しい交渉もしなければならないし、周りの目もある。お互いのことをゆっくりと話す時間などない。
(やっぱり、今日が来るのを楽しみにしてたってことなのかな……)
ソフィアは自分の気持ちを推し測る。きっと、自分は彼に心惹かれているのであろう、そのことは認めざるを得ないと感じられた。
ただ、その気持ちを素直に見せるわけにもいかない……ソフィアの心の中が少しだけ重くなる。
今までの行動から、少なくともリベルトも自分のことを憎からず想ってくれているとは感じていた。
しかし、自分も彼も“立場の”ある人間だ。お互いに想い合うことと、“その先の関係”へと進んで良いかどうかはまた別の話でもあるのだ。
だからこそ、今は“友人”でありたいと思う。まずは良き“友人”として、ここでこうして語らい、張り詰めた日常とは異なる空気を味わうことができる幸せを味わおう。
ソフィアは揺れ動く心を何とか整理すると、自らの想いをそっと心の奥へとしまっていった。
(それにしても、彼も全く油断ならないわね。まぁ、私の見立ても間違ってないってことですけどね)
ソフィアの興味の対象は、タクミへと移っていった。後片付けを済ませ、食後のテーの用意を始めているタクミの姿をソフィアはぼんやりと眺める。
静かに相手の気持ちを慮り、先回りする。そして、最高のもてなしをするために決して努力を惜しまない ―― 一度は心惹かれた相手であるタクミの力を、ソフィアは改めて見直していた。
その時、不意に横から声をかけられた。今現在心を惹かれつつある相手、リベルトの声だ。
「そういえば、あの事は伝えなくて良いのか?」
その言葉に、はっと我に返るソフィア。大事な用件を伝え忘れていたことを思い出したソフィアは、若干慌てた調子でタクミに声をかける。
「そうそう。大事なお話を忘れていましたわ。タクミさん、少しよろしいかしら?」
「はい、なんでございましょう?」
ポットに火をかけてお湯を沸かしていたタクミが、ソフィアの方へと顔を向ける。
ソフィアはコホンと小さく咳を払うと、ビジネスの場で見せるような真面目な表情でタクミに一つの報告を行った。
「少し時間がかかりましたが、ようやくパトの交易も本格化することになりました。これからは、リベルト様のお国から様々な種類のパトが入って参りますわ。
そこで、これまでご尽力いただいたお礼に、こちらの喫茶店『ツバメ』へは優先的にパトの供給を行わせ頂きたいと考えております。この件は、リベルト様はもちろん、実際の商いを担うシルバ商会のサバス様もご了承済みです。いかがでしょう、お引き受け頂けますでしょうか?」
ソフィアの言葉をじっと黙って聞いていたタクミは、一瞬の間を開けた後、いつもの微笑みを浮かべて深々と頭を下げた。
「お心遣い、痛み入ります。パスタ……パトがあれば、より“喫茶店”らしいメニューをご提供できるようになることでしょう。私に出来ることであれば何なりとご協力させていただきますので、少しだけでもお譲り頂けますと本当に助かります」
タクミの言葉に、リベルトも大きく頷き、言葉をかける。
「タクミ殿なら我が国の食べ方とは違う、また新しいパト料理を生み出してくれることであろう。これからも期待しておるぞ」
リベルトの力強い言葉に、二人は視線を交わし、頷きあう。
そんな二人のやりとりを見守りつつも、ちょっぴりやきもちを焼いてしまうソフィアであった。
――――――
「さて、次回の約束をさせて頂きたいのだが、次は年が明けてからになってしまうであろうな。さすがに年末に前倒しするという訳にはいかぬであろう?」
食後のテーを楽しんでいる最中、リベルトが次回の約束について話してきた。
彼の言葉に、ソフィアはこくりと頷く。
「そうですわね。さすがに年末は何かと忙しくなりますので、こちらまで来ることは叶いませんわ。リベルト様も同じでございますわよね」
「そうだな。さすがに仕事を放り投げてこちらにやってくるという訳にもいかぬしな……」
ソフィアに同意を示すリベルトの表情は、実に残念そうなものだった。
その寂しげな表情になぜだか嬉しさを感じたソフィアは、自ら“次の約束”を切り出した。
「それでは、今回と同じように、また二ヶ月後という形でお願いできればと思いますわ。細かな時間はまた改めてやりとりをさせて頂くことということで。少し遅くはなりますが、共に新年を祝わせて頂ければ嬉しいですわ」
ソフィアの提案に、リベルトは大きく首を縦に振る。
「了解した。では、次の約束の日を楽しみに待たせて頂こう。タクミ殿、またいろいろお願いすることになると思うが、よろしく頼む」
「そうですわね。タクミさん、よろしくお願いいたしますわ」
「ご予約承りました。それでは、年明けのご来店、私も楽しみにお待ち申し上げております」
二人からの依頼に、いつものように深々と頭を下げて応えるタクミであった。




