22 小さな魔女と女神が愛した果物(3/3パート)
※2015.10.20 20:00更新 3/3パート
※第1パートからの続きです。まだお読みでない方は第1パート(2話前)よりお読みください。
ニャーチとルナ、それに“駅長”が帰ってきて再びにぎやかになった『ツバメ』のテーブルに夕食が運ばれてきた。今日の夕食はアツアツの鉄板の上に載せられた牛肉入りのピラフと、特製ドレッシングでさっぱりと味付けされた野菜サラダだ。
鉄皿の上でジュージューと音を出している牛肉ピラフを食べながら、“駅長”が話を切り出した。
「いやはや、遅くなってすまんかったね。ルナの伯父母殿との話の後、ついでに温泉街の方に出て銭湯に立ち寄っていたものでな」
どうやら難しい事態となっていたわけではなさそうだ。タクミは、ほっと息をつく。
「思ったより遅いのでどうしたかなと思ってはいましたが、特に大きなトラブルがあったという訳ではなかったのですね。よかったです」
「あのねっ、おっきいお風呂でさっぱりしたのなっ!ルナちゃんと一緒にはいったのにゃっ!」
あっけらかんというニャーチに、ルナは少し恥ずかしそうな表情を見せる。しかし、顔を見合わせる二人の様子から察する限り、ルナは随分とニャーチと打ち解けたようだ。
ニャーチの人懐っこさに改めて感心しつつ、タクミは“駅長”から状況を聞き取る
「それで、どのような感じだったのでしょうか?」
「うむ、それがな、ルナ殿の伯父母殿はどうも急に遠くへ旅立つことになったようでな。置き手紙が残されておったのじゃよ。これまでいろいろと酷い目に合わせてしまったと反省の言葉が書かれておった。ほれ、この通りじゃ」
“駅長”から受け取った手紙に目を通すタクミ。そのこめかみに汗がツーッと流れた。
タクミが幸せそうにピラフを頬張っているニャーチに尋ねる。
「ねぇ、ニャーチはルナちゃんの伯父さんや伯母さんに会ったの?」
「うんにゃ。私たちがお風呂やさんでのんびりしている間に、“駅長”さんが行ってきてくれたのにゃ」
「そ、そうなのね……」
ニャーチの言葉を聞いた後の“駅長”の表情は実に朗らかなものであった。これは“駅長”が裏で何か仕掛けたに違いない……、タクミはこれ以上の深入りを止めることとした。
その後の話題は銭湯での話へと移り、4人で談笑しながらの食事が続けられた。
そして程なくして夕食が終わると、ルナの表情にまた少し緊張の色が映り始めた。この後のことが不安なのであろう。
視線をさまよわせるルナにタクミが優しく言葉をかける。
「ルナちゃん、まだデザートが入る余裕はありますか?」
タクミの言葉に現実に戻ってきたルナは、少し考えてから遠慮がちにコクリと首を縦に振った。
その言葉を聞き逃さなかったニャーチが、ルナに同調して主張する。
「ニャーチもデザートたべたいのなっ!」
「わかってますって。そうしたら、デザートを仕上げてきますね。そうだ、その間にニャーチはコーヒーを淹れてもらっていいです?ルナちゃんの分はジュースでもいいですよ」
「了解なのなっ!折角だからルナちゃんも一緒にコーヒー淹れてみないかにゃっ?」
「いいのっ?ルナ、やってみたーいっ!」
ニャーチの提案に、明るく答えるルナ。二人は早速カウンターへと向かっていった。
その様子を見守っていた“駅長”が、タクミに話しかける。
「では、私はキッチンを覗かせてもらおうかな。たまにはタクミ殿の腕前でも見させてもらおうかの」
「ええ、どうぞお越しください。デザートの仕上げをしながらですが、少しお伺いしたいこともありますし……」
タクミはそう言うと、ニャーチとルナの方をチラリと見やる。
“駅長”もその視線が意味するところを察したようだ。珈琲は任せたぞ、と二人の娘たちの頭をポンと撫でてから、一足先にキッチンへと向かっていった。
―――――
キッチンに入ったタクミは、“駅長”に椅子を勧めてから作業に取り掛かった。
手始めにマンサナのコンポートを鍋から取り出してまな板の上に置くと、包丁を横に動かして丁寧に薄くスライスしていく。粗熱がとれたマンサナは中まできれいに色素がいきわたり、その断面から淡く美しいピンク色を覗かせていた。
普段は調理に集中するタクミだが、今日は少し様相が異なっていた。マンサナのスライスを終えたタクミは、包丁を水で洗い終えると“駅長”へと話しかける。
「ルナちゃんの伯父母はただのネグレクトというだけではなかった……ということですね?」
“駅長”は、察しの良いタクミの言葉に首を縦に振って肯定した。
「ああ、遺産狙いじゃった。割とよくある話じゃな。どうやらルナの母親はそれなりの名家の一人娘だったらしく、伯父母はそれを受け継いだルナを引き取ることでそれを我が物にしようと画策しておったようじゃ。」
タクミは先に下焼きしておいた生地を金網の上に並べながら、コクコクと頷く。
「それに私の方でざっと調べただけでも、他にもいろいろと悪さをしていたようでな。さすがに目に余るものじゃったから、少々“遠く”まで出かけてもらうことにしたんじゃよ。まぁ、帰って来られるかどうかは彼ら次第じゃろうがな」
真面目な表情で語られる“駅長”の話を聞きながら、タクミは下焼きした生地にカスタードクリームを載せていく。そして、作業の手を進めながら本題の話を切り出した。
「そうすると、ルナちゃんはこれからどうしましょうか?今までの話からすれば伯父母の下を離れた方が良いとは思いますが、それにしても生活する場所は必要になりますよね?」
「うむ、それについてだが……タクミ殿、しばらくルナ殿を預かってもらう訳にはいかぬかね?」
“駅長”の言葉は予想していたものだった。タクミは二つ返事で頷く。
「ええ、それは構いません。というより、むしろ私からもそうさせて頂きたいとお願いさせていただくところでした」
「そう言ってもらえるとありがたい。しかし、タクミ殿はもちろん、ニャーチ殿にも負担をかけることになるが、大丈夫かね?」
「ええ、きっとニャーチも同じことを考えていると思いますよ。むしろ他に住まわせると言った方が機嫌を損なうかもしれませんね」
“駅長”の質問に、確信に満ちた口調で答えを返すタクミ。その間も作業の手が止められることは無かった。
カスタードクリームの上に薄切りのマンサナを並べた後、タクミは全体にシナモンの粉を振りかけた。シナモン特有の爽やかな香りがキッチンに漂う。
そして、準備が終わった生地は金網ごとオーブンストーブのグリルへと入れられた。これで軽く焦げ目がつけば完成だ。火加減を最終確認したタクミは、“駅長”へと声をかけた。
「さて、これで焼き上がれば完成です。コーヒーもそろそろ用意を終えているところだと思いますし、ホールの方でお待ちいただいてもよろしいでしょうか?こちらも出来上がり次第テーブルへお持ちいたします」
「あい分かった。それでは、最終的にどうするかはゆっくり考えるとしても、当面の間はルナ殿のことを、何卒お願いいたす。各所への連絡や必要な手続きの手配は私に任せてもらえるかね?」
「もちろんです。お手間を取らせますが、何卒よろしくお願いいたします。」
タクミの言葉に、うむ、と一つ頷いた“駅長”は、ゆっくりと席を立ってホールへと戻っていった。
―――――
「わぁ、美味しそうです! それにとっても甘い香り……」
目の前に運ばれてきたデザートは、ルナが初めて見る美しさだった。それに、何とも言えない甘い香りがルナの鼻孔をくすぐってきていた。
夕食もたくさん頂いてお腹いっぱいになったはずなのに、このデザートを見たルナの胃袋は再び食べたいと主張を始めているようだった。
「マンサナのカスタードタルトです。せっかくなので先ほどのマンサナを使わせていただきました。どうぞお召し上がりくださいませ」
「は、はいっ!ありがとうございますっ!」
タクミの言葉に、すぐさまお礼の言葉を返すルナ。今にもかぶりつきたい衝動に駆られていた。
淡いピンク色に色づいた薄切りのマンサナの実は見た目にもかわいらしく、ナイフを入れるのがもったいないほどだ。その下には、黄色いクリームのようなものが敷き詰められている。こんがりと焼き目のついた周りの生地もとっても美味しそうだ。
宝石のような美しさにも感じられるマンサナのタルトにしばらく見とれていたルナだったが、このままでは食べられない、と意を決してナイフを入れた。
上に載ったマンサナの実と、その下のクリームは何ら抵抗感なくすっとナイフが通った。それに対し、一番下の生地は適度な硬さがあり、切り分けるには少し力が必要だった。
クッ、クッと押すようにして生地にもナイフを入れていくとサクサクとした感触が伝わってくる。タルトを一口サイズよりは少しだけ大きく切り分けたルナは、タルトの大きさに合わせて大きく口をあけて頬張った。
「……美味しいっ!!」
ルナの口から今日一番の大きな声が飛び出した。口の中いっぱいに広がる甘く贅沢な味わいにルナは驚きを隠せなかった。
最初に感じたのはマンサナの実の甘さだ。そのまま食べるには酸味が強いマンサナだが、火が入ったことによって酸味が爽やかな甘さへと変わっていた。
それに、マンサナを口の中でもぐもぐとしていると、中から美味しい汁がたっぷりと溢れ出てきた。果汁とは異なる甘酸っぱい味わい、これまでルナが食べたことがある焼いただけのマンサナとは全く違うものだ。
そして、さっぱりとした甘酸っぱい甘さに続いては、クリームのまったりとコクのある甘さが押し寄せてくる。マンサナの甘酸っぱく爽やかな甘さとクリームのまろやかでコクのある甘さ、これらが口の中で合わさると、また違った味わいが感じられた。
土台となっている生地のサックリとした食感と香ばしさもちょうどいい舌休めとなり、タルト全体をしっかりと調和させる役目を果たしていた。
あまりの美味しさに、ルナは夢中になってもう一口、もう一口と食べ進めていく。こんなに美味しいデザートを頂くのはもちろん生まれて初めてだ。
しかし、食べ進めていく中で、ルナは心の片隅に不思議な引っかかりを感じていた。初めて食べるはずなのに不思議と感じる懐かしさ……。
そうだ、これってアレに似てるんだ!
突如ルナの脳裏に幼き頃の記憶が蘇る。
まだ小さかった私がパパに連れられて出かけた収穫祭。そこでもらった大きなマンサナは、ママがコトコトと煮込んでジャムにしてくれた。
ブレッドが硬くて食べづらいといつも不満を言っていた朝食。我儘をいう私のために、母は牛乳と卵に浸してからブレッドを焼き直してくれていた。
そしてこの季節だけはちょっと特別な朝ごはん。甘い味付けになって柔らかくなった焼きブレッドに、ママが爽やかな甘みのマンサナのジャムをそっと添えてくれていた。これが、小さかった私の大好物だったんだよね……。
こんなに大好きだった味なのに、どうして忘れてしまっていたんだろう。大切なものを忘れてしまっていたという悔しさと、それでもこうして思い出すことができたという嬉しさで、ルナの心が複雑に揺れ動いた。
いつしか、ルナは大粒の涙をこぼしていた。
「にゃっ!ルナちゃん、大丈夫なのなっ?お口にあわなかったのにゃっ??」
慌てたニャーチが、ルナに駆け寄って肩をしっかりと抱きしめる。
ルナは、目元の涙を拭いながら、笑顔を見せる。
「だ、大丈夫です。小さい頃にパパやママと一緒に食べてたご飯のことを思い出しちゃって……」
その言葉に、タクミは固唾を呑んだ。もしかしたら、嫌な記憶を思い出させてしまったのではないだろうか……。
しかし、ルナが続けて発した言葉はとても明るいものだった。
「えっと、タルトっていうんでしたっけ?これのおかげで、小さい頃に大好きだったママの味を思い出すことができました。本当にありがとうございますっ」
そう言って、タクミとニャーチに向けて深々と頭を下げるルナ。タクミもニャーチも、目を潤ませながらその笑顔の少女をじっと見つめていた。
―――――
「本当にごちそうさまでしたっ。こんなにお腹いっぱいになったの久しぶりですっ!」
弾むような明るい声が『ツバメ』のホールにこだました。本来は明るい子なのだろう、ルナはすっかり元気を取り戻したようだった。
その様子に一安心したタクミは、先ほど“駅長”と相談して決めたことをルナに伝えようとする。しかし、その気配を察した“駅長”が、タクミに先んじて言葉を発した。
「さて、ルナ殿、これからのことなんじゃが……。どうだろう?ここでタクミ殿やニャーチ殿としばらく暮らしてはみないかね?」
「えっ?でも……」「それは名案なのにゃっ!そうするのがいいのにゃっ! ごしゅじんももちろん了解してくれるのなっ?」
ルナがもじもじとしながら答えようとした矢先、それにかぶせるようにしてニャーチが声を上げた。タクミがやれやれといった表情でニャーチに言葉を返す。
「もちろん私も構いませんよ。でも、一番大事なのはルナちゃんがどうしたいかということではないでしょうか?」
タクミはそう言うと、じっとルナを見つめた。その真剣な眼差しに、ルナはたじろぎながら答える。
「えっと、その……、でも、ご迷惑をかけちゃいますよね……?」
「全然構いませんよ。元々私たちもこの駅舎に拾われた身ですし、むしろルナちゃんのような子なら大歓迎です。ここなら空いている部屋もたくさんありますしね」
「それにここで一緒に住めば、ごしゅじんがおいしいご飯をいーっぱい作ってくれるのなっ!」
タクミに続けて、ニャーチもルナに話しかける。ルナは、みんなの暖かさにまた涙が出そうになっていた。
「そしたら、本当にごやっかいになってしまっていいですか?前のお家はとってもイヤだったけど、他にどこにも行くあてがなくて、本当はとっても困ってたんです……」
「ええ、これからよろしくお願いいたしますね」
タクミはそう言うと、ルナの下に近寄って手を差し伸べる。その手をそっと握りしめるルナ。その上に、さらにニャーチが手を重ねた。
「ニャーチもよろしくなのなっ!ニャーチのことはお姉ちゃんと思っていつでも甘えるといいのなっ!」
「……それはいくら何でも。もうちょっとは自分の年齢を考」「に゛ゃっ!ごしゅじん、なんか文句あるんかに゛ゃっ?!」
タクミがツッコミを入れようとした刹那、ニャーチが言葉をかぶせてシャーと威嚇する。そのやりとりに、思わずルナは吹き出してしまった。
この様子なら大丈夫そうだ。新しく始まる三人暮らしは様々な困難に直面することもあるかもしれないが、それでもこの三人なら力を合わせてなんとかやっていけるであろう……一連のやりとりを見守っていた“駅長”は、一人静かに頷いたのだった。




