22 小さな魔女と女神が愛した果物(1/3パート)
乗客の皆様、長時間のご旅行お疲れ様でした。この列車は当駅が終点となります。改札口にて乗車券を拝見いたします。到着いたしました列車は、整備点検の上、折り返し、ウッドフォード行き最終列車となります。お手荷物などお忘れ物がございませんよう、ご注意をお願いいたします。
―― なお、本日は駅前広場でのイベントに伴い、喫茶店『ツバメ』は特別営業体制となります。
「んー、今日は本当に爽やかな日なのなっ!」
秋晴れの爽やかな空の下、ニャーチは駅前にある広場を一人散歩していた。屋台が立ち並ぶ駅前広場は、いつも以上の人出に大変賑わっていた。
駅前広場で行われているのは“収穫祭” ―― 実りの秋を祝い大地の女神へと感謝を捧げる“こちらの世界”の伝統的なお祭りだ。
日に日に秋が深まっていくこの時期は、街のいたる所で“収穫祭”が開かれている。最近少しずつ開けてきた駅前周辺の住民や店主たちと協力し、今年から新たにハーパータウン駅の駅前広場でも“収穫祭”を行うことになったのだ。
喫茶店『ツバメ』も今日は通常営業をお休みとし、ホールを休憩所として開放しつつ、屋台を出してドリンクや軽食の提供を行っていた。
多くの人でごった返す駅前広場だが、その中でもひときわ目を引くのが“収穫祭”の主役である子供たちだ。
“収穫祭”の風習に乗っ取り、子供たちは皆思い思いの仮装に身を包んでいる。伝統的な衣装を着ている子もいれば、女神様の恰好をした子、精霊のように背中に羽を背負っている子も見かける。そして、どの子たちも蔦を編んで作った手提げ籠を手にしていた。
そんな賑わう会場の中をニャーチが歩いていると、その脇を子供たちがパーッと駆け抜けていった。どうやらお目当てである“赤色のスカーフを巻いた大人”を見つけたようだ。
子供たちは、やや恰幅の良いその女性を囲んでから“魔法の言葉”を口にする。
「トゥルコ・オ・トラート!」
言葉をかけられた女性はにっこりとほほ笑むと、持っていた袋の中から取り出したものを子供たちへと配っていった。受け取った子供たちは口々にお礼を言うと、みんな大事そうに手提げ籠の中へと入れていく。
“収穫祭”の華ともいうべき“パルテ・デ・ティエラ”と呼ばれる風習だ。
元々は収穫祭に捧げられた大地の恵みを参加者で分け合ったことを起源とする“パルテ・デ・ティエラ”は、現在は大人たちから子供たちへのプレゼントといったように形を変えて続けられていた。
子供たちからの“トゥルコ・オ・トラート(いたずらが嫌だったらおもてなししてね)!”の掛け声に対して大人たちが贈るのは、クッキーなどのお菓子類や手作りの小さな人形やおもちゃ、そして大地の女神がこよなく愛したといわれる真っ赤な果実 ―― マンサナだ。
収穫祭が終わるころには、どの子供たちの籠の中もパルテ・デ・ティエラで一杯になるのだった。
(うーん、とっても楽しそうなのなっ。うらやましいのにゃっ!)
子どもたちに贈られる美味しそうなお菓子やマンサナを目にして、ニャーチの猫耳がピクピクと動く。
とはいえ、パルテ・デ・ティエラは子供たちのためのものだ。いくら自分の精神年齢が子供に限りなく近いとはいえ、さすがに貰う訳にはいかないだろうという自制心はきちんと働いていた。
ニャーチは子供たちが喜ぶ姿を羨むように見つめていた。
そんなニャーチの視界に、ふと、会場の片隅で佇んでいる一人の少女の姿が飛び込んできた。
色とりどりの衣装に身を包んでいる子供たちが多い中、その少女はまるで魔女のように真っ黒な出で立ちに身を包んでいた。
マントのように羽織っている真っ黒な布は、よく見ると布のあちこちが擦り切れている。頭にかぶっている黒い三角帽子も先が折れて傷んでしまっているようだ。
少女は、あまり人目に付くことのない会場の隅に立ったまま、他の子どもたちがパルテ・デ・ティエラを求めて大人たちを追いかけいく姿をじっと見つめていた。
その寂しげな姿が気になったニャーチは、少女に近寄ると少しかがんで視線を合わせてから声をかけた。
「にゃ?こんなところでどうしたのにゃっ?」
「きゃっ!あ、あの、その……」
突然声をかけられた少女はビクッと震え、身体をこわばらせる。言葉が上手く出てこない少女に、ニャーチが、首を傾げながら話を続ける。
「お嬢ちゃんはトゥルコ・オ・トラートしにいかないのなっ?声をかけづらいかのかにゃっ?」
優しく話しかけてくるニャーチに、少女はオドオドとしながらも言葉を返した。
「あ、あの、私はいいんです。そ、それより……このマンサナ、買ってもらえませんか?」
少女はそう言うと、籠の中から一つのマンサナの実を取り出した。少し小ぶりであるその実は、深い紅色に色づいている。ニャーチが籠の中をひょいっと除くと、同じように色づいたマンサナがたくさん入っていた。
「うーん、別に買ってあげるのはいいのな。でも、そんなお顔してどうしたのにゃっ?」
ニャーチの目には、少女の表情が何かに怯えているように映った。決して自発的な意思でマンサナを売っているとは思えない、何か、切羽詰まっているような、もしくは追い立てられているような、そんな気配を察したのだ。
ニャーチの質問に少女はしばらく黙りこむが、そのうちにポツリポツリと事情を話し始める。
「あの、私っ、これを全部売ってお金を持って帰らないと、その……また怒られちゃうんです……。だから……お願いです……買って……ください……」
今にも泣き出しそうになり、言葉を詰まらせる少女。そのただならぬ気配を感じたニャーチは、少女を自分が最も頼りとする人の下へと連れていくこととした。
「わかったのなっ。そうしたら、とりあえずうちにくるのにゃっ!ごしゅじんに相談してみるのにゃっ!」
―――――
「なるほど、そういう話ですか……」
休憩所となっている喫茶店『ツバメ』の店内に戻ったニャーチは、早速タクミへと相談を持ちかけた。事情を聞いたタクミは、カウンター越しに腕組みをしながら少女を見つめ、うーんと唸っている。
「だから、このマンサナ、出来るだけ買ってあげたいのにゃっ。ダメかにゃっ?」
「うーん、マンサナはいろいろ使えるし、良いといえばいいんだけど……」
タクミは、ニャーチから差し出されたナランハジュースを少しずつ飲んでいる少女を改めて見つめる。年の頃は10歳前後か、もう少し大きいぐらいであろうか?
髪はボサボサで、あまり手入れが行き届いていないようだ。体格も子供にしてはずいぶんと痩せている。よく見れば肌もカサカサだ。
ニャーチの話と少女を観察から浮かび上がってくる一つの可能性……それがもし現実であれば事は急を要するであろう。タクミの眉間に皺がより、苦々しい顔となる。
渋い表情を見せるタクミをニャーチが心配そうに覗きこんできた。視線が合ったタクミは、しまったな……と思いつつ、潜めていた眉をハの字にしてニャーチに優しく声をかける。
「とりあえず詳しい話を聞いてからだね。ニャーチ、そこのメレンゲクッキーを運んでもらっていい? あと、ジュースのお代わりと珈琲を用意してもらえるかな?先に“駅長”さんとロランドに声をかけてくるから、その間に準備よろしくね」
「あいあいさーなのなっ!私もジュースにしていいかにゃっ?」
いつもの明るい調子で返事を返してきたニャーチに、タクミは、はいはい、いいですよ、と軽く返した。
苦々しい表情を見せたタクミを励まそうと努めて明るく振る舞っているのか、それとも単に天然なだけなのかは分からないが、こういう時はニャーチのいつも変わらない明るい態度が本当に助かる。
少女と話をする際のお菓子と飲み物の準備をニャーチに任せたタクミは、“駅長”とロランドへの業務連絡へと向かっていった。
―――――
『ツバメ』へと戻ってきたタクミが少女の座っている席を見ると、ちょうどニャーチがお菓子と新しい飲み物を用意し終えたところだった。タクミが席へと近づくと、膝を落として視線の高さを少女に合わせてから声をかける。
「はじめまして。ニャーチの夫で、この喫茶店のマスターをしているタクミです。ニャーチからお話しは伺いました。えーっと、なんてお呼びすれば……?」
「あ、わ、私は、ル、ルナって言います……」
少女は俯いたまま自分の名前を名乗った。その表情はもちろん、身体全体が緊張のあまり強張っているようだ。
少女の年頃を考えれば『知らないおじさん』と一人で話すのは緊張するのは当然であろう。とはいえ、目の前の少女の様子からは、子供のあどけなさのようなものが全く伝わってこない、違和感を覚えさせるものであった。
タクミはチラッとニャーチを見やると、お菓子と飲み物を運ぶように視線で伝えた。
「ルナちゃんって言うの!いい名前なのなっ。じゃあ、これはルナちゃんへのトゥルコ・オ・トラートなのなっ!」
「それを言うなら、パルテ・デ・ティエラね。さぁ、どうぞ。遠慮なく召し上がってくださいませ」
ニャーチの手によって、ルナの前に新しいナランハジュースと器に盛り付けたメレンゲクッキーが並べられる。
ルナは最初こそ俯いたまま手をつけようとしなかったが、ニャーチに促されると、ようやく少しだけナランハジュースを一口だけ口につけた。
タクミはその様子をつぶさに観察しながら、ゆっくりとルナに声をかける。
「えっと、ルナちゃんは私たちにマンサナを買ってほしいのでしたよね?とりあえず、見せてもらってもいいですか?」
「あ、は、はい……」
ルナは、手元に抱えていた籠の中から、真っ赤に熟したマンサナを一つ取り出してタクミに渡した。タクミは、それをしげしげと見つめながら、さらに会話を続ける。
「少し小ぶりですが、身が締まったいいマンサナですね。これならうちの店でも十分に使えそうです」
「え、そ、そしたら、買ってもらえますかっ?少しでも良いんです!お願いしますっ!」
それまで俯いていたルナが、パッと顔を上げて歎願するようにタクミを見つめる。
希望を見つけた明るい視線とは異なる、危機から逃れようともがく視線だ。
タクミは、ルナの手にマンサナの実を持たせると、彼女の手をそっと覆うように自分の手を重ねた。
「その前に、ルナちゃんがなぜこのマンサナを買ってほしいのか、聞かせてもらっていいですか?」
タクミの言葉にルナの顔が一気に青ざめ、ガクガクと震えだす。慌ててニャーチがルナの肩を抱き寄せ、タクミをシャーっと威嚇した。
「にゃっ!ごっしゅじん!ルナちゃんをいじめちゃだめなのなっ!」
しかし、タクミは全く動じない。ルナから視線を離さず、かつ怯えさせないように、慎重に言葉を選びながら優しく語りかける。
「ルナちゃん、このマンサナを買ってほしいというのは何か訳があるのではないでしょうか?もしよければ、その訳をお話してもらえませんか?」
タクミの言葉に心を見透かされたように思ったのか、ルナは再び俯いて震え出してしまった。怯えるルナを包み込むように、ニャーチがしっかりと抱き寄せる。
タクミは、その様子を見守りながらルナが言葉を発してくれるのをじっと待つ。そして、しばらくの間沈黙が場を支配した後、ルナがようやく重い口を開いた。
「……マンサナを売って、お金を持って帰らないと、お家に入れてもらえないの」
やはりそういう事情だったか。タクミの眉間に思わず皺が寄る。想定していたケースの中でも、悪い方の部類に入る事情のようだ。
一方、事情を想定しきれないニャーチは、ストレートな質問を口に出してしまう。
「うにゅ?パパやママがいぢわるするってことなのな?」
「……パパもママも死んじゃっていないの。だから、ルナはおじさんとおばさんのお家に住まわせてもらってるの」
ルナの言葉に驚くニャーチ。それでもは話しを続けようとするニャーチだったが、タクミがさっと手を出してそれを制した。
「そっか……、ルナちゃんはおじさんとおばさんにこのマンサナを売って来いって言われたのかな?」
ルナの首がゆっくりと横に振られた。
「ルナはおじさんやおばさんの子供じゃないから、迷惑をかけちゃいけないの。だから、ルナはお金を持って帰らなきゃいけないの。お金を持って帰れば、家に入れてもらえるし、ご飯も食べさせてもらえるの……。そうしないと、私、わたし……」
必死にこらえながら言葉を紡いだルナだったが、一度思いを口にしたら堪えきれなくなったのであろう、その眼から涙が溢れ出てきてしまっていた。
悪い方どころの話ではない、最悪の状況だ。もう少し細かく事情を確認する必要があるが、目の前にいるルナという少女の身に危機が迫っていることは明白であった。
こうして縁がつながった以上は何とか手を差し伸べたい、タクミは当然のごとくそう考えた。
しかし、そこでタクミは一度逡巡する。もともと“こちらの世界”の人間ではない自分だけでは、手に余る問題を生じさせかねないと考えたからだ。
“こちらの世界”の人で、かつ、大きな影響力を有する人にも力を仰ぐ必要がある ―― そう判断したタクミは、ニャーチに声をかけた。
「ニャーチ、“駅長”さんを呼んできてください。助けが必要です」
「了解なのな!すぐ呼んでくるのな!」
ニャーチは離れ際にルナにも声をかけると、一目散で喫茶店を飛び出していこうとする……が、慌てたのか床に何かがあったのか、一歩目で思いっきり躓いてステーンと転んでしまった。
そのあまりに見事な転びっぷりに、ルナは目を丸くして固まってしまう。驚きのあまり、先ほどまでこぼれていた涙もいっぺんに止まってしまったようだ。
そーっとテーブルを振り変えるニャーチ。タクミは頭を抱えながらも、ちょいちょいとニャーチの足元を指さす。それに釣られたルナがタクミの指さす方向に視線を動かすと、転んだ拍子にニャーチのスカートが捲れ上がり、太ももが露わになっていた。
「むぅ! ごしゅじんのちゅけべーーー!!」
ニャーチはパッと立ち上がると、イーッと歯を見せてタクミに抗議する。転んだのは自分持ちでしょ……とタクミは嗜めるが、聞く耳など持っていないようだ。
しばらく二人のやりとりを見つめていたルナだったが、あまりの可笑しさについクスクスと笑みをこぼし始めた。それに気づいたニャーチが、弾んだ調子でルナに声をかけた。
「にゃ!やっと笑ってくれたのなっ。やっぱり笑ってる方がかわいいのなっ!笑顔がいちばんなのなっ!」
「そ、そんな……」
突然話を振られ、顔を真っ赤にして照れるルナ。やはり、この笑顔を失わせてはいけない。
タクミは今できる最大限のことが何か、頭の中で組み立て始めていた。
※第2パートに続きます。




