20 ランチのお誘いと大輪の花(2/2)
※2015.9.29 22:00更新 2/2パート
※第1パートからの続きです。まだお読みでない方は第1パート(前話)よりお読みください。
翌朝、モーニング営業が一段落した喫茶店『ツバメ』のキッチンに、大きな深いフライパンの中を木べらでグルグルとかき回しているタクミの姿があった。
フライパンの中にはこげ茶色となったペースト状のものに最細挽きのマイス粉を加えたものが入っている。
それを焦がさないように細心の注意を払って混ぜ続けると、マイス粉全体にペーストのこげ茶色が移され、全体がフレーク状となる。完全に色が移った頃合いを見計らい、タクミはフライパンを火から外した。
鍋の中で作られていたのは特製のブラウンルーだ。額の汗を腕でぬぐいながら一息入れたタクミは、出来たばかりのルーを少しだけ掬って味を確認する。
甘みと旨みが凝縮された中にわずかにほろ苦さを感じる独特の風味、その味はタクミの狙い通りの仕上がりとなっていた。
(ふぅ、どうやら上手くいったようです。ナトルさんに感謝です)
このブラウンルーの元となっているのは“リレット”というものだ。豚や鶏のミンチとミエール、それにプラタノやパルタといった果物を混ぜ合わせたものをこげ茶色になるまで中弱火でじっくりと炒めることで作られるペースト状の食材で、主にパンや野菜、焼いた肉などに塗って食されるのだ。
ナトルの地元では良く食べられているという料理の一つであり、タクミはその作り方を先日のパト料理の試作の際に彼女から直接教わっていた。
その時初めて試食した“リレット”、タクミは今でもその衝撃が忘れられないでいた。なぜなら、リレットの味わいは“こちらの世界”に来てからは口にできていない故郷の味 ―― “味噌”の風味を思わせるものだったのだ。
もちろん、材料も製法も全く異なるリレットと味噌では、似ているといえどもよく味わえばそれぞれに違うものだと分かる程度だ。
しかし、口に含んだ瞬間に広がる独特の風味と香りは非常に似通っており、“味噌っぽい風味が欲しい”と思う時にはこのリレットが代用できるのではないかとタクミには感じられるものだった。
その後何度か試作を繰り返した結果、リレットの“味噌っぽい風味”は『こげ茶色の成分』にあることがわかってきた。
その風味を生かせば、今まで自分では作りだせなかった洋食に欠かせない“あるソース”を作るのに役立つはず……そう考えたタクミがリレットの作り方を応用して作り上げたのが、“あるソース”の元となるブラウンルーだった。
ブラウンルーのベースとなっているこげ茶色のペーストの主な材料は、豚ひき肉とミエール、そして果物の代わりにセボーリャのすりおろしを合せたものだ。今日はさらに、風味づけとしてアッホとヘンヒブレのすりおろしも合わせられている。
この合わせ材料をフライパンの中でかき混ぜながらじっくりと加熱すれば、どんどんと水分が蒸発していく。最初はグツグツしているフライパンの中身の水分が完全に蒸発すると、一気にひき肉やセボーリャがこげ茶色に色づくとともに、素晴らしい香りが立ってくる。
こうして出来た旨みたっぷりのペーストにマイス粉を合わせることで、旨みと風味がたっぷり詰まったブラウンルーを作りだすことが出来たのだ。
(さてと、ソースを完成させてしまいましょうか)
新しく寸胴鍋を用意したタクミは、その中へ自家製のトマトケチャップと鶏ガラと野菜で取ったスープ、さらに赤ワインを注ぎ、火にかけながらよくかき混ぜる。すると、真っ赤に染まったスープが温まるにつれて、トマトケチャップ特有の酸味を含んだ美味しそうな香りが立ち上ってきた。
そして、スープが程よく温まったところで先ほどのブラウンルーを数回に分けて投入すれば、スープの色が褐色へと変わり、さらに程良いとろみがつけられる。
そのまましばらく弱火で温められ、塩コショウ、スパイス類、そして隠し味となる黒色酢で味が調えられる。
最後に、大きな円錐状のザルを使ってスープの中の細かな具材を濾しとり、全体を滑らかに仕上げれば、“あるソース”を目標としたブラウンソースが完成となった。
タクミは、仕上がったソースをスプーンで一掬いし、その味わいを確認した。
(これは……! 思った以上の出来栄えになりました)
予想以上の仕上がりに思わず喉を唸らせるタクミ。
タクミが目指していたのは、喫茶店、特に洋食系のメニューには欠かせない“デミグラスソース”だ。今日作り上げたブラウンソースは本式のデミグラスソースとは異なる作り方ではあるものの、コクと旨みを凝縮させたその味わいはまさに“デミグラス風”といって差支えないと思わせるものだった。
(さて、こちらはひとまずこれとして、ランチメニューの仕込みを始めましょうか)
今日のブラウンソースは、この後『ツバメ』を訪れるリベルトから依頼された“特別注文のランチ”へ使うことを念頭に置いたものだ。しかし、二人分の特別料理に時間をかけすぎて、通常営業のランチメニューがおろそかになってしまっては本末転倒だ。
このため、ブラウンソースは二人分よりも多めに仕込んだ上で、通常営業のランチメニュー用にも使うこととしていた。タクミは早速食料庫から肉の塊を運び入れると、Cランチのメインとなるハンバーグ用のひき肉づくりに取りかかるのだった。
――――――
予定よりも少し早目の時間に訪れたリベルトとソフィアを出迎え、二階の個室へと二人を案内したタクミがキッチンへと戻ってきた。すると、通常営業分のランチの仕込み作業を進めていたロランドが声をかけてきた。
「こっちはもうすぐ終わるっす!次は何をすればいいっすか?」
「そうですね、そうしたら次はBランチに使う分の野菜の準備をお願いします。レポーリョは千切り、セボーリャは薄くスライスして塩水にさらしてください。トマトは薄めのスライスにできますか?」
作業の進み具合を確認して次の作業を指示するタクミに、 了解っす、っと小気味の良い返事がロランドから返ってくる。
その声に安心して続きの作業を任せられると判断したタクミは、リベルトのオーダーである“特別注文のランチ”の調理へと取り掛かった。
昨晩のうちにリベルトから行われたオーダーは『“大輪の花”をイメージした料理』。そのオーダーを受けたタクミは、すぐに喫茶店の定番ともいえると“ある料理”を思い浮かべていた。
タクミは、朝のうちに仕込んでおいた“デミグラス風ブラウンソース”を小鍋に移し、少し牛乳を加えてから温め始める。そして、キッチンテーブルに必要な食材を次々と並べると、早速包丁を手にして調理にとりかかった。
最初にセボーリャを少し粗目のみじん切りにし、続けてピミエントも同じように刻んでいく。豚の塩漬け燻製肉も薄くスライスした後で細かく刻まれた。今日使う具材はこの三点のみ、非常にシンプルなものだ。
続いて用意されたのは大きめのフライパンだ。タクミは、コンロ代わりに使っているロケットストーブの火力を確認すると、その上にフライパンを載せる。
やがてフライパンが温まったところで、バターを多めに投入。焦がさないように遠目の火でフライパンを回すようにしながらバターを溶かした後、先ほど刻んでおいた燻製肉とセボーリャ、ピミエントが入れられた。
ジュワーっという食欲をそそる音とともに、バターの甘さを感じる良い香りがタクミの鼻孔をくすぐっていく。
そのままセボーリャが透き通るくらいまで手早く炒めたところに、タクミは炊きあがったアロースを追加する。そして木べらで切るようにしながら炒め合わせ、アロースの一粒一粒に肉と野菜の旨みが移ったバターの油を染み渡らせる。
しばらく炒めてある程度パラリと仕上がった頃合いで、フライパンの中へ塩コショウと自家製トマトケチャップ、それに隠し味程度のスパイスミックスを加える。そして、そのまま煽るようにしながら混ぜ合わせ、全体に色むらが無くなれば、チキンライスの完成だ。
タクミは、出来上がったチキンライスの半分を丸いお椀型の器によそい、その上に縁が少し高くなった丸い平皿をかぶせる。そして上下を抑えたままひっくり返し、上になった椀型の器をそっと外すと、チキンライスは平皿の上にきれいなドーム状に盛り付けられた。
チキンライスの周囲に温めなおしておいた“デミグラス風ソース”が静かに入れられた。
同じように2つ目の皿にもチキンライスを丸く盛り付けた後、タクミは先ほどとは異なるやや小ぶりのフライパン ―― 卵料理専用に使っているもの ―― を取り出す。
新たなフライパンをオーブンストーブの天板の上に置いて温めている間に、タクミは手早くボウルに卵を割り入れて、菜箸を使い白身を切るようにして溶き混ぜていく。一人当たり3個、卵が決して安いものではない“こちらの世界”では贅沢な使い方だ。
溶き混ぜられた卵液には、塩、コショウ、砂糖、そして生クリームが加えられ、味が調整される。
卵液が出来上がったところで、温まったフライパンにバターが投入される。ここからは時間の勝負だ。タクミは、一瞬目を閉じて集中力を高める。
バターが十分に溶けたところで卵液を流し入れ、卵液全体に一様に熱が加わるよう左手でフライパンを大きく揺らしながら、右手に持った菜箸で卵液全体をかき混ぜる。
そして、熱が加わって僅かに固まり始めた卵液をフライパンの向こう端に寄せると、フライパンの柄を右手に持ち替えて上下に動かしながら、左手でトントントンとフライパンの柄を叩く。
すると、まるで手品でも見るかのように卵液がくるくると回転し、わずか1分もしないうちに鮮やかな黄色が美しいオムレツが出来上がった。
出来上がったオムレツはすぐに先ほどのチキンライスの上に載せられ、中心線にナイフで切り込みが入れられる。その切り込みからオムレツがそっと両側へ広げられると、トロトロの半熟に仕上がった美しい卵が表に現れ、チキンライス全体を丸く包み込んだ。
一つ目が目論見通りに仕上がったことを確認したタクミは、急いで二つ目のオムレツも焼き上げて同様に盛り付ける。そして、二人分の料理を完成させると、自らリベルトとソフィアの待つ個室へと運んで行った。
―――――
「お待たせしました。リベルト様からリクエストを頂きました本日のランチ、『ヒラソル・オムライス』でございます」
昨日の会合と同じ『ツバメ』の二階にある個室に通されていたリベルトとソフィアの下へ、特別注文のランチ ―- ヒラソル・オムライスが運ばれた。二人の前に運ばれた皿の上には、“ヒラソル”の名のとおり、こげ茶色の大地の上に黄色の大輪の花が燦然と輝いていた。
二人は目の前に運ばれてきたその料理の美しさに揃って感嘆の声を上げる。
「まぁ、なんて美しいのでしょう!皿の上に大輪のヒラソルが咲いているようですわ!」
「これは大地から力強く咲き誇るヒラソルそのものだ……。いや、これは想像以上に素晴らしい……」
「ありがとうございます。温かいうちの方が美味しく味わっていただけるかと思います。それでは、ごゆっくりお召し上がりくださいませ」
タクミは礼を述べると、階下のホールで間もなくピークを迎える通常のランチ営業のために、キッチンへと戻っていく。個室は、再び二人だけの空間となった。
「うーむ、ずっとこうして眺めていたいほどの美しさであるが、温かい料理は温かいうちに頂くのが作法だな。早速いただくとしようか」
リベルトの言葉に、ソフィアもコクリと頷き、そのまま胸の前で手を組んで食前の祈りを捧げる。
ほどなく、ソフィアはスプーンを手にすると、早速オムライスの端の部分をスプーンで一口大に切り取り、そのまますくい取った。
中から現れたのは具材とともに炒められたアロース。オレンジ色に染まったそれが黄色の半熟卵に包まれている様は、見た目からも美味しさが伝わってくるようであった。
ソフィアは、ゴクリと喉を鳴らしてからオムライスを口へと運ぶ。
オレンジ色の正体はどうやらトマトケチャップのようだ。バターで炒められたと思われるアロースには、ケチャップの酸味とコク、そしてベーコンや野菜の旨みが染みわたっている。一緒に入れられたセボーリャやピミエントも味と食感にアクセントを与えており、複雑な味わいを生み出している。
そしてしっかりとした味の中身をまろやかに包んでいるのが、半熟に焼き上げられた卵だ。トロリとした卵の豊かな味わいと炒めたアロースの強い味わいが一体となり、ソフィアがこれまでに経験したことのない美味しさとなっていた。
オムライスの余りの美味しさに、ソフィアは半ばため息に近い吐息を漏らす。
「これは……凄い、の一言につきますわ」
黙々とオムライスを食べ進めていたリベルトも、ソフィアの言葉に頷き、同意を示す。
リベルトが特に驚いたのはブラウンソースの味わいだ。その味わいの中心となっているのはトマトの旨みだろう。それに肉の旨みが合わさり、強烈なコクが生み出されている。
それをまとめ上げているのが、ソース全体から湧き上がる独特の風味だ。若干のほろ苦さを含んだその味わいと香りが、味わいに奥深さを加えているのだ。
強烈な旨みとコク、そしてほろ苦さを合わせ持つブラウンソースの複雑な味わいが、オムライス全体の味を引き締め、一層の深みと凄みをもたらしていた。このオムライスという料理の旨さはこのブラウンソースあってこそのもの、リベルトにそう感じさせるほどの旨さが演出されていた。
一つの部屋に若い男女が二人きりで同じ料理を頂く、普通であれば楽しげな会話の一つでもあって然るべき状況であろう。
しかし、リベルトもソフィアも、最初に二言三言話した後は無言のまま黙々とオムライスを食べ進めていた。“太陽の花”の名が冠されたその料理のあまりの美味しさに、二人は会話も忘れてその味を堪能することに集中していたのだ。
二人のいる個室には、スプーンと皿が当たるカチャリカチャリという音だけが響き渡っていた。
しばらくの時が過ぎ、二人の皿が揃ってきれいに空になったところで、二人はスプーンを皿の上に置きようやく顔を上げた。
ふっと我に返り、見つめ合う二人。“二人での食事”だったことを思い出したのか、お互いの間に妙な空気が流れる。
その空気に耐えきれなかったリベルトが先にクックックと押さえて笑い始めると、それに釣られてソフィアからもクスクスと笑みがこぼれる。やがて二人の笑い声は部屋の中に響き渡るほどとなった。
「いや、すまんな。あまりの旨さに会話も忘れて夢中になって食べてしまった」
「私こそですわ。せっかくご招待いただきましたのに、あまりにも美味しくて、お話することも忘れて食事を進めてしまいましたわ。今日の料理はリベルトさんのご提案でして?」
「いや、タクミ殿には『“大輪の花”をイメージした料理』ということを頼んだだけだ。料理という形にはなるが、ソフィア殿に相応しい立派な大輪の花を贈りたいと思ったのだよ。しかし、タクミ殿もけしからんな。せっかくの男女二人きりのランチに言葉を失わせるほど旨い料理を出すとは……」
リベルトの言葉が引っ掛かったのか、ソフィアが小首を傾げながら答える。
「あら、そういうおつもりだったのでして?私はてっきり仕事上のお礼だと思っておりましたわ」
「もちろんそういう思いも無いわけではないが、ソフィア殿のように素敵な女性と仕事を離れて二人で食事を楽しみたかったのだよ。そうそう、そこで一つ提案があるのだが……」
先程までの軽い調子から、不意に真剣な表情を見せるリベルト。場の空気が一度に変わったのを察したソフィアは、思わず居住まいを正した。
リベルトは、目の前に座るソフィアの目をしっかりと見据えながら、“提案”を切り出した。
「これから交易が進むとお互いにますます忙しくなり、ゆっくり休息の時間も取れなくなることだろう。そこでだ、二ヶ月に一度、ここ『ツバメ』での料理研究を名目に、二人だけで集まる会合を開くのだ。もちろん会合といっても、お互いに仕事を忘れて食事を楽しむだけなのだがな。ソフィア殿、いかがだろうか?」
リベルトの言葉に、ソフィアは思案する。これからますます忙しくなる見通しであることは、彼の指摘を待たずとも自分自身が身に染みて感じていることだ。
今でも打合せが続く日などは、疲れ果てて食事も満足に取れずに眠ってしまうこともあるぐらいだ。これ以上忙しくなれば、いずれ疲弊してしまうことは目に見えていた。
しかし、仕事以外のことに時間を割くことへのためらいを覚えるのもまた事実であった。仕事は忙しく大変であるものの、大きなやりがいも感じられていた。それに、銀行家として人と人との縁を繋いだり、いろんな人と新しいことを一緒に考えたりする時は楽しくて仕方がない。
自分の力を求める人がいるのであれば、出来るだけ応えたいと思うのも心からの想いであった。
『ツバメ』に来るとなれば、少なくとも丸一日、もしかしたら二日程度の時間を空けなければならない。良い仕事をするためにも休息を取る必要性は分かるものの、そこまでする意義がソフィアには見えていなかった。
とはいえ、これまでの交渉の中でもリベルトの意見は常に理路整然としていた。もしかしたら、自分には理解できていない意図があるのかもしれない。ソフィアは、小首をかしげたたまリベルトに尋ねた。
「ご提案はありがたいのですが、なぜこちらなのでしょう?お互いの拠点に近いウッドフォードでもよろしいのではございませんか?」
その質問が出るのを予想していたかのように、リベルトはにこやかな表情で滑らかに言葉を返す。
「休息のひと時はいかにして仕事からきちんと離れるかという点が重要となる。ウッドフォードから離れたこの場所での会合となれば、急な用件に邪魔されることもそうそうないだろう。上手く前泊できそうなスケジュールが組めれば、多少はプライベートを楽しむ時間も作れるだろうしな。それに……」
「それに?」
「こうでもしないとお互い『ツバメ』に来られなくなってしまいそうだからな。ソフィア殿は、これからもタクミ殿の料理を味わいに来たいとは思わないか? 私はもっとこの『ツバメ』を味わい尽くしたいのだよ」
リベルトの答えが単に理路整然としたものだけだったら響かなかったかもしれない。しかし、最後に発せられた“実に魅力的な提案”が、彼女の心に見事に突き刺さった。
確かにこのままでは、次にいつ『ツバメ』に来られるかわからない。タクミの料理を味わう機会がなかなか得られないかもしれない。今日のような素晴らしい料理が次にいつ食べられるか分からない……
一度そう思い始めてしまったソフィアには、もはや自分自身を止める術は残されていなかった。
「わかりました。そのご提案、お受けさせて頂きますわ。二ヶ月に一度、ぜひご一緒に『ツバメ』で“料理の研究”をご一緒させてくださいませ。ただ、あくまでも“料理の研究”のためですからね?」
言葉の最後にせめてもの抵抗を見せるソフィアに、リベルトが普段以上の笑みをたたえて言葉を返す。
「お引き受け頂いて誠に感謝する。それでは、早速次は二か月後からだな。その日が来るのを今から楽しみにしているぞ」
リベルトは席を立つとソフィアにすっと歩み寄り、彼女の目をじっと見据えながら手を差し出した。
その熱いまなざしにソフィアは少し頬を染めながら、優雅な仕草で席を立ち、差し出された手をそっと握り返した。
どこか芝居がかったお互いの仕草に、二人は再び視線を合わせ、笑い声をこぼすのだった。
―――――
時計の針は、ソフィアが出発する時刻が近づいたことを示していた。
久しぶりに仕事から離れた時間を楽しんだ二人は部屋を出て階下へと向かう。すると、階段に差し掛かったところで、先に階段を降りようとしたソフィアが床の僅かな段差にヒールをひっかけ、躓いてしまった。
「きゃっ!」「危ないっ!」
ソフィアの左側を歩いていたリベルトは、ソフィアの左腕を反射的に掴んで自分の方へぐいっと引き寄せる。
そして彼女が階段から落ちていかないよう自分の左手を背中に回すと、しっかりと抱き寄せた。
「あ、ありがとうございました」
一瞬何が起こったか分からかったが、それでもリベルトに助けられたことだけは理解したソフィアが、しどろもどろになりながら感謝を伝える。
「ふぅ、危ないところだったな。元気なのは良いが、その身を傷つけないよう気をつけなきゃならんぞ」
恐らく無意識の行動だったのであろう。リベルトは言葉とともに、右手でソフィアの頭をポンポンと撫でた。
思わぬ刺激を受けたソフィアに、今の自分がどのような状況にあるかを理解するだけの判断力が戻ってくる。いつの間にか抱き寄せられその顔が至近に迫っていること、そして、なぜか頭をやさしくなでられていること……。
その姿を頭の中で組み立ててしまったソフィアの顔は、一気に真っ赤に染まることとなった。
「な、な、なにをするのですかっ!!」
突然の出来事に狼狽したソフィアは、階段から落ちそうになったところを助けられたことも忘れ、リベルトを思いっきり突き飛ばした。
ソフィアの思わぬ行動に体のバランスを崩してしまったリベルトは、彼女を巻き込むようにして床に倒れ込んでしまった。
「何か大きな物音がしましたが、どうかされましたか?」
怪我もなくすぐに立ち上がった二人だったが、そこに物音を聞きつけたタクミが階段を駆け上ってきた。
ソフィアは、パンパンと服の汚れを払いながらなんとか普段通りの表情を作って答える。
「な、なんでもございませんわ。ちょっと転んでしまっただけですわ。さて、そろそろお時間ですわね。タクミさん、参りましょう。そうそう、リベルトさん、今日はありがとうございました。ごちそうさまでしたわ。また、次もよろしくですわ」
早口でまくしたてるように礼を述べたソフィアは、タクミの案内を待たずにさっさと階下に下りて行ってしまった。その顔は耳まで真っ赤に染まっていた。
その場に居合わせておらず、全く事情の分からないタクミは、どうかなさいましたか、と尋ねるようにリベルトの方を向き、首をかしげる。
「なぁに、最後にちょっとしたハプニングが起こっただけのことだ。二人とも特に怪我もないから安心してくれ。さて、タクミ殿、今日も本当に素晴らしい料理だった。ありがとう。また次もよろしく頼む」
最初こそ若干バツが悪そうにしていたリベルトだったが、途中からいつもの調子を取り戻し、タクミに礼を述べる。
次は二ヶ月後だ。今日は最後のハプニングのせいで詰めをしくじった気もするが、まだ大丈夫だ。焦らず、じっくり時間をかけていこう。そう心に誓うリベルトであった。




