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1  トランクを抱えた少女とまかないご飯

乗客の皆様、長時間のご旅行お疲れ様でした。この列車は当駅が終点となります。乗車券を拝見いたしますので改札口までお越しください。到着いたしました列車は、この後車庫に入りますので、お手荷物などお忘れ物のなきようご注意頂きますようお願いいたします。

―――なお、お困りごとがございましたら、遠慮なく駅長までお申し付けください。

「お疲れ様でした。こちらは復路の切符となりますので、お帰り便へのご乗車の際まで、なくさないようご持参くださいませ。 それでは、よい旅を」


 最終列車で到着されたお客様の改札を無事済ませたタクミは、ほっと一息をついた。先ほどまで行列ができていた改札口も今は静けさを取り戻している。

 今日も平穏、異常なし……そんなことを考えながら、タクミは“駅長代理”としての本日最後の仕事となる終業点検のために、駅舎内へと向かっていった。


 既に最終列車はホームを離れ、車庫へと向かっていた。

 タクミは、煙の香りが残るホーム上で夕日に吸い込まれていく後ろ姿を見送りつつ、いつもの点検作業を進める。駅舎内はいつも通り静まり返っていた。線路には特段の問題はなさそうだ……。そう判断したタクミが反対側の点検にとりかかかろうと振り返ると、一つだけ普段と異なる光景が目に飛び込んできた。

 そこには、一人のお客様が大きなトランクを抱えたままホームの一番隅のベンチに座っていたのだった。


 ベンチに座っている小柄な女性は、チェック柄の大きなハンチング帽を目深にかぶったままじっと俯いていた。

 タクミは記憶をたどるが、彼女は普段この駅で見かける“常連”の方々ではなかった。となると、恐らくは先ほど到着した列車の乗客であろう。

 あどけなさが残る彼女の雰囲気から察するに、年恰好は15~6歳ぐらいであろうか?とすれば、“こちらの世界”では成人を迎えたかどうかという頃合いと思われた。


 さて、そうなると……。“こちらの世界”で『駅長代理』を続けてきたタクミの脳裏に、少女が何かしらのトラブルに巻き込まれしまった可能性が浮かび上がった。


「失礼いたします。 お客様、どうかされましたか?」


 タクミは、途方に暮れる様子の少女を驚かせないよう少し間をとりつつ、斜め前方から声を掛ける。

 その声に、まだあどけなさが残る少女ははっと目を開いてこちらを振り向き、その眼に涙を浮かべながら慌ててこう答えた。


「ご、ごめんなさいっ! わ、わ、私っ、降りる駅を通り過ぎて、乗り過ごしてしまってっ……」


 しどろもどろになりながら話す少女。タクミに見せられた切符には、この路線の2つ手前の停車駅 ―― ここから列車で1時間半ほどの場所にある ―― の駅名が記されていた。

 少女の話によれば、初めて乗る長距離列車に興奮して前日によく眠れなかったことに加え、半日以上にわたる長旅の緊張と疲れが重なり、途中からすっかり寝入ってしまって、つい乗り過ごしてしまったとのことだった。三等車の自由席に座っていたこともあり、車掌が途中で声を掛けることもなく、ここまで来てしまったようだ。


「……というわけなんです。 本当にごめんなさいっ。これって無賃乗車になっちゃいます……よね……? 」


「いいえ、大丈夫ですよ。ご様子をお伺いするに、わざと乗り過ごしたということでもなさそうですし、このような場合には『無賃乗車扱いにはしない』という規則となっております。このような場合は本来降りるはずだった駅まで追加料金なしでお戻りいただけますので、どうぞご安心ください」


 タクミは腰をかがめ、少女と目線の高さを合わせるようにして話しかける。その言葉に恐縮してすっかり縮こまっている様子を見せていた少女も、ようやくほっとした様子を見せた。


「ただ、もう今日の最終列車は出発してしまっておりますので、戻り便が出るのは明日の朝になってしまうのですが……」


「えっ、そ、そうなんですか?」


 ようやく落ち着きを見始めていた少女の表情が再び青ざめ、途方に暮れたものへと変わる。少女は大きなため息を一つついてから、タクミに身の上の事情を話した。


「す、すいません。ご迷惑でなければ、そのっ、こ、ここで明日の朝の便まで待たせてもらってもいいですか? 私、お金の持ち合わせがほとんどなくてっ……」


 その言葉にタクミは思案した。タクミの知る限り、“こちらの世界”では、旅行といえば『徒歩』か『乗合馬車』が一般的で、この駅を発着するような長距離列車はまだまだ高価でぜいたくな部類に入るものだ。

 三等車の自由席とはいえ、『特別な時』に『相当奮発して』でなければなかなか乗れるようなものではない。きっとこの少女も何か特別なことがあって、列車に乗ったのであろう。少女の懐に余裕がないことは、タクミにも十分に想像することができた。


 とはいえ、駅長代理として、この少女を一人でこの駅に残しておくことはできなかった。 住み込みで働いているタクミ自身が一応の「見張り番」となるとはいえ、人気のない場所に野宿させるのはどんな危険があるかわかったものではない。

 そもそも、少し春めいてきて暖かくなってきたとはいえ、まだまだ夜は冷え込む時期だ。体調のことを考えるだけでも、タクミは彼女の申し出を受け入れるわけにはいかなかった。


 さて、そうすると……。タクミの答えは一つに絞られていた。


「申し訳ございません、ここは明日の朝まで閉めなければならないのです。誰もいないホームにお客様おひとりを残すというのは駅舎を管理する者として許可できないのです。その代わりといっては何ですが、もしよろしければ我が家に泊まっていかれませんか? 長旅の疲れもあるでしょうし、お風呂にでも浸かって一晩ゆっくり休んでもらえれば、私としても安心です」


驚きのあまり、くりくりっとした少女の目がさらに真ん丸になる。


「え、でも、そんな……。ご迷惑になっちゃいます……」


「いいえ、大丈夫ですよ。 空いている部屋もありますし、遠慮なくゆっくり休んでいってください。さ、とりあえず改札をお願いいたしますね」


 タクミはそう言い切ると、少女の脇に置かれていた大きな革のトランクバックを手に取って、改札口へと歩き出した。






◇ ◇ ◇





 タクミは改札口横に備え付けてある電信機で、少女が降りるはずだった駅へ連絡を取る。どうやら向こうでも少女が到着しないとの問合せがあったようで、明日の朝一便で向かう旨を伝えてくれるとのことだった。


「では、こちらへどうぞ」


「あ、はいっ。お邪魔いたします……」


 連絡を済ませたタクミは、改札口の最終点検と駅舎の戸締りを確認し、少女を連れて改札口のすぐ左にある扉へと向かった。重厚な一枚板で作られた扉を開けると、カウベルのようなカランカラーンと音が鳴る。その音を聞きつけたのか、タクミたちが部屋へ入ると同時に陽気な声での出迎えを受けた。


「お帰りなのなーっ! 今日もお疲れさまなのにゃーっ!」


「おー、お疲れ様ー。ちゃんと掃除してくれたかい?」


「はいにゃぁ! ばっちりやっておいたのにゃぁ!」

 

「おー、ありっとありっとー」


 そう言いながら、タクミは雑巾をもったまま近づいてきた女の子の頭をポムポムと撫でる。やや赤みがかったくせっ毛のショートヘアの女の子は、頭についたネコ耳をぴくぴくと揺らしながら嬉しそうに微笑んだ。


「じゃあ、もう今日は寝ていい?! いいよねっ!?」


「こら、ちゃんと飯食ってからにしなさい」


 タクミが背中をつかむと、ネコ耳娘はにゃぁと力なく声を出しておとなしく背中を丸める。


「……えーっと?」


 タクミは、少女のことを置いてけぼりにしていつもの調子でネコ耳娘とのやり取りをしてしまったことに気いた。慌てて少女へと振り向いて説明する。


「あっと、申し訳ございませんでした。 ちょっと驚かせてしまったようで……。えーっと、ここは駅の待合室兼喫茶店になってます。で、この騒がしいのが喫茶店のスタッフ兼同居人のニャーチです。ほら、挨拶しなさい」


 背中を猫掴みしていたネコ耳娘ことニャーチを床に降ろしつつ、挨拶を促す。ニャーチは、黒のレギンスパンツの上に纏っているネコの絵の刺繍が入ったカフェエプロンの裾をつまんで、お辞儀をしつつ元気な声を上げた。

 

「ニャーチはニャーチなのな! いらっしゃいませこんばんわなのにゃー! 君はなんて名前なのな?」

 

「あわっ、私はっ、 ナトル・グラートって言いますっ。 今日はっ、えっと、駅長さんにご迷惑をおかけしてしまって……」


「っと、そうでした。私も自己紹介がまだでしたね。 私はタクミ・クロガネ、この駅の駅長代理兼喫茶店の料理人として住み込みで働いております」


「あ、ここに住まれてるんですかっ?」


「ええ、私とニャーチはここで住まわせて頂いてます。 小さいですが客室もございますので、今晩はどうぞごゆっくりしていってくださいませ。後程夕食もご用意させていただきますね」


「そんな……。本当に何から何まで……。申し訳ないです」


「いえいえ、困ったときはお互い様ですから。それに、お客様をお迎えできるのは嬉しいですしね」


タクミはシュンとなってしまっているナトルに優しく声をかけて落ち着かせながら、トランクをニャーチに預ける。


「じゃあ、ニャーチ。ナトルさんを客室のお部屋に案内してもらってもいいですか? 自分たちの部屋の隣でいいと思います。あ、あと、お風呂も沸かして入れてあげてください」


「あいあいさーっ! じゃ、ナトルちゃん、よろしくねっ!」


「あ、はいっ、こちらこそお世話になりますっ」


 ニャーチはタクミが手にしていたナトルの大きなトランクを受け取り、ついでにナトルの手も取って引っ張るようにして二階へと上がっていった。

 この駅舎の二階はちょっとした宿舎となっており、タクミとニャーチが住居として使っている部屋以外にも、一~二人用の個室が4つと、大部屋が1つ備えられていた。

 今は手が回らないので宿泊所としての運営は行っていないが、急な来客があっても大丈夫なように掃除とベッドメイキングは普段から怠っていなかった。


 二階へ上がるニャーチとナトルを見送ると、タクミはキッチンへの隣にある食料庫へと向かった。

 急なことなので食材にゆとりがあるわけではないが、今日残っている食材をうまく組み合わせれば何とかなりそうだ。

 ニャーチと二人だけなら簡単に済ませる予定だったが、せっかく「お泊りのお客様」がお越しになったのだから少し凝ったものにしよう…タクミは、今日のメニューを思い浮かべながら食材を選び出していった。


 タクミは選んだ食材をキッチンテーブルに並べながら段取りを確認し、調理作業へととりかかった。

 まず、レタスによく似た野菜であるレチューガの葉を手でちぎり、汲み置きしておいた水桶でよく洗ってザルにあけ、水切りをする。

 続けて、真っ赤で丸いトマトの実もよく洗って、包丁で5ミリ程度の厚さにスライスする。同じように、太目のキュウリによく似たペピーノや、ピーマンサイズながらも肉厚でしっかりとしている黄パプリカ、赤パプリカも水で洗って薄くスライスし、ザルに入れた。


 野菜の下処理を終えて次に取り出したのは、食料庫に保存してあった魚のオイル漬けだ。ボニートと呼ばれる濃い赤身が特徴的な魚の切り身を、各種の香草とともにコルザという植物の種から取れる油にたっぷりと浸し、ごく弱火でじっくりと煮込んだ上で、コルザ油とともに容器へ移して漬け込んである。

 新鮮な魚が入手しづらく、また、冷蔵庫もない“こちらの世界”で魚をなんとか保存できるようにタクミが工夫して作ったものだ。


 タクミは、手のひらほどの大きさのボニートのオイル漬けのブロックを器から取り出すと、油を切ってからボウルへ入れてほぐした。

 そこに、ボニートを漬け込んでいたオイルを小さなスプーンで2さじほど加え、鮮やかな橙色をした柑橘であるナランハをギュッと絞る。これらをよく混ぜ合わせたところで少しつまんで味を確認し、塩こしょうで味を調えた。


 そして、先ほど水切りしておいた野菜を少し深めの木の器に盛り付けていく。一番下にはレチューガのちぎった葉を並べ、そこにトマト、ペピーノ、赤と黄のパプリカを彩りよく並べていく。

 中央には先ほどのボニートのほぐし身にオイルと果汁を和えたものを乗せ、ボウルの中に残った汁も野菜に振りかけた。一品目となる野菜サラダが完成したところで、余分な温度がかからないよういったん食料庫へと移動させた。


 続いてメイン料理の調理にとりかかる。用意した食材は昼の営業で余っていたものを取り置きしていた豚肉の端肉だ。

 タクミは、この端肉を包丁で細かく叩きミンチにする。そこに刻んだセボーリャ(玉ねぎ)と塩コショウ、香草、卵、粉チーズ、さらにはタクミが“こちらの世界”の大豆に似た豆で作った自家製の豆腐を加え、包丁で叩きながらよく混ぜ合わせる。 全体がよく合わさったところで3等分にし、空気を抜きながら形を整え、ハンバーグ種を完成させた。


 その他の下準備も済ませ、いよいよ仕上げの作業に入る。

 “こちらの世界”ではガスコンロではなく、薪を使ったストーブが一般的に使われており、駅舎のキッチンにもコンロ型のロケットストーブと薪ストーブを変形させたようなオーブンストーブが一つずつ備え付けられていた。


 タクミは、マッチを手に取り、慣れた手つきでオーブンストーブに火を入れると、ストーブトップの上に賄い用にとっておいたブラウンシチューが入った小鍋を置いた。

 オーブンストーブの天板は鋳鉄の板でできており、炉内の熱が伝わるようになっている。スープやソースを温める時は弱火に調整することが難しいロケットストーブよりも、オーブンの天板を伝わる熱で温めた方がやりやすいことをタクミは経験から学んでいた。少しかき混ぜながら温め、湯気が立ち上ったところで、今度は煮詰まりすぎないよう、中央に比べて温度が低いストーブトップの端の方へと鍋を移動させた。


 次に、ロケットストーブにも火を入れ、やや大きめのフライパンを乗せる。フライパンがチリチリと音をさせ十分に熱せられた頃合いを見て牛脂を投入するとジュワーっという音とともに脂の良い香りが辺り一面に立ち上った。

 そこに、先ほどのハンバーグ種を3つとも乗せ、両面に焼き色を付けたら、別に用意してあった3枚の鉄皿に一つずつ乗せる。

 この鉄皿は、タクミの故郷の喫茶店でよく使われていたものを思い出して特注して作ってもらったものであり、このレストランに欠かせないものとなっていた。


 焼き色をつけたハンバーグの隣に串切りにしたパタータ ―― ジャガイモに似た芋 ―― を載せ、鉄皿ごとオーブンに入れる。これであとは焼き上がりの頃合いを見計らえば特製ハンバーグの完成だ。タクミは、焼き上がりを待つ間にキッチンテーブル回りの片づけを済ませ、主食となるマイスの粉 ―― コーンフラワー(トウモロコシ粉)を使って焼き上げた丸いパンを準備した。


 タクミは、オーブンの小窓からハンバーグの焼き上がる頃合いを見計らい、キッチンに備え付けられている伝声管を通じて階上の部屋にいるニャーチに声をかけた。


「そろそろ夕飯の支度ができるから、ナトルさんを連れて降りておいでー」


「あいあいさーっ! じゃ、ナトルちゃんも一緒に行こっ!」


 どうやらニャーチはちゃんとナトルさんの面倒をみててくれたらしい……と、ほっとする。ほどなく、階段の方からパタパタと元気のよい足音が聞こえてきた。


「ごっしゅじーーん! 今日のご飯はなんなのにゃー?」


「はいはい、とりあえずコレ持ってセッティングよろしく。あ、ナトルさんもそちらへどうぞ」


 タクミはニャーチにナイフやフォーク、取り分け用の皿を渡すと、再びキッチンへと戻ってハンバーグの仕上がり具合を確認する。オーブンの中で十分に温められたハンバーグに串を通すと、透き通った肉汁があふれてきた。

 ハンバーグに十分に火が通っていることの証を確認したタクミは、鉄皿をオーブンから取り出して木の皿の上に載せ、野菜サラダやとうもろこしパン、ソースポットに入れた適度に煮詰めたブラウンシチューとともに食卓へと運んでいった。






◇ ◇ ◇






「うわぁ……。こんなごちそう初めてですぅ……」


 うっとりするような響きでナトルが声を上げる。それぞれの席の前には鉄板ハンバーグが並べられ、テーブル中央には、サラダとソースポット、それに、とうもろこしパンが置かれていた。


「あ、ソースはかけますか? それともそのままがいいです?」


「えーっと……迷っちゃいますね。ニャーチさんはどうされます?」


「私はこうするのーっ!」


 ニャーチはソースポットを手に取り、ブラウンシチューソースをハンバーグの半分にだけかけた。鉄板からジュワーーッという音が響くとともに、ソースの焦げる香ばしい香りが辺り一面に広がった。


「あ、そしたら私もそうさせていただきます!折角ですし両方楽しみたいですっ」


「わかったのな。 じゃあ、私がかけるのにゃっ!」


 ニャーチが、ナトルのハンバーグにも自分の皿と同じようにソースを半分だけかける。その様子をほほえましく見ていたタクミも、ニャーチからソースを受け取って、やはりほかの二人と同じようにソースを半分だけかけた。


「それでは、手を合わせて……いただきます」


「いただきますなのなーっ!」


 ナトルは、聞きなじみのない、とても短い言葉での食前の祈りに少し戸惑ったものの、自分も胸の前で手を組んで祈りを捧げた。


(神様。 今日の糧を得られたことに、そして、素敵なお二人と出会えたことに感謝いたします。)


「ささ、冷めないうちにどうぞ。 でも、熱いから気を付けてくださいね」


「はいっ、本当にありがとうございます」


 ナトルは、どれから食べようか迷ったが、やはりとても食欲が湧く香りを漂わせているハンバークから頂くこととした。

 手に取ったフォークでハンバーグを刺すと、全く抵抗なくすーっと刺さっていく。想像していた以上の柔らかさだ。

 続いてナイフで切り込みを入れると、今度は中からたっぷりの肉汁があふれ出て、鉄板がジューーッという美味しい音を奏でた。


(ふわっ! これ、すごいっ!!)


 ナトルは、一口目としてソースのかかっていない側を口にした。まず最初に驚いたのはその柔らかさだ。 実家でも時々ハンバーグは食べさせてもらっていたが、ただ肉を丸めただけのソレは団子のように硬く、ボソボソとした食感だった。

 しかし、このハンバーグは咀嚼をするたびに口の中に肉汁があふれてくる。それも、脂くどいというのではなく、美味しいスープが染み渡っているようなジューシーさであった。ナトルは、思わず夢中で二口、三口と食べ進める。


「こっちもおいしいのなっ。食べてみてにゃ?」


 ナトルは、ハンバーグに夢中になりすぎてニャーチが野菜サラダを取り分けていたことに全く気付いていなかった。

 彼女の声にあわてて受け取ったお皿の上には、淡い緑色の絨毯のように敷き詰められたレチューガの上に、色とりどりの野菜と、何か魚のフレークのようなものが載せられていた。


「ええっと、この上にかかっているものは?」


「ああ、それはカツオ…ではなくて、ボニートという魚をコンフィにしたものです。昔住んでたところでよく食べられていた『ツナサラダ』ってのを再現したくて作ってみました」


「へぇ、ツナサラダですか。なんか美味しそうな響きですね。では、こちらも頂きます」


 タクミさんはどこか遠くから来たのかな…?と思いつつ、ナトルはツナサラダにフォークを伸ばした。

 一口、二口と食べ進めると、シャキシャキとしたレチューガの食感に、魚のフレークのホロホロとした食感が加わり、口の中がなんとも楽しい味わいで満たされる。香草の香りをまとった油が、ともすればエグ味が出てしまう野菜たちをまろやかに包む一方、さっぱりとした柑橘の甘酸っぱい味が油のくどさをきれいに消し去っていた。

 山育ちのナトルには魚をこのようにサラダに合わせてしまうということ自体が驚きであったが、そもそもこんなに美味しいソースのかかったサラダが初めての体験だった。


 その時、ナトルの心にチクリとした痛みが走った。こんなすごいご馳走はもちろん生まれて初めての経験だ。きっと今度お仕えするようなお屋敷の皆様じゃなければ、こんなに素晴らしい料理なんて口にできないだろう。もしかするとタクミさんに甘えてしまったせいで、すごい負担をさせてしまったのではないか……。

 一度そう感じてしまうと、自分のした失敗の大きさが心の中に重くのしかかり、せっかくの美味しい食事なのにフォークを進めることが出来なくなってしまった。


「にゃ? どうしたのなのな?」


 フォークが止まり、俯いてしまったナトルをニャーチが心配そうに見つめる。 ニャーチが覗き込むと、ナトルの表情は今にも泣き出しそうになっていた。


「うーん、あんまりお口に合いませんでしたか?」


 二人から言葉をかけられ、ナトルがはっと顔を上げる。

 

「あ、全然そういわけじゃないんです! 逆に、こんなに素晴らしい料理、本当に生まれて初めてで……。だ、だから、タクミさんに無理をさせちゃったと思うと、本当に申し訳なくて……」


 タクミが口を開きかけるが、その前にニャーチがふみゃ?っと疑問符が音になったような声を上げ、ナトルに話しかけた。


「ん? これはタクミが作ってくれるいつもの夜ご飯なのな。でも、ナトルちゃんがいるから、ハンバーグとかはちょっとだけ丁寧につくってるみたいなのな? ごっ主人、そうなのなのにゃ?」


 ニャーチの言葉に思わずポカンとするナトルだが、タクミは黙って頷いて肯定の意思を見せた。

 タクミとしては、いつもよりは見た目の彩りに気を付けたり、折角の機会だからとボニートの油漬けや豆腐といった変わった食材は使っているものの、基本は普段通りの“余りモノを使ったまかないご飯”の範囲だった。

 タクミは、ナトルを安心させるようにこう続けた。


「ほら、ここは昼間は喫茶店もやっているってお話しましたよね。 そうすると、どうしても余る食材が出てしまうので、普段から夕ご飯は余りモノを上手に再利用して作っているのです。そこにかけてもらったハンバーグのソース、実はこれ、お昼のランチメニューで出したブラウンシチューを煮詰めただけのものなんですよ」


「え? これがシチューなんですかっ?」


 今日何度目の驚きだっただろうか?ナトルはまだ食していなかったソースのかかった側のハンバーグを切り取り、口に運んだ。

 ストレートで力強い肉の味わいが美味しいソースなしの部分とは異なり、こちらはよく煮込まれたブラウンシチューのコクのある味わいとふんわりと柔らかい食感ながらも肉汁あふれるハンバーグの味わいが混然一体となっており、こちらも身悶えするほど美味しかった。


「こうして食べてみても信じられません……。本当に本当に、余りモノのシチューなんですか?」


 やっと元気が出たナトルを見て、タクミは笑いながら返事をした。


「ええ、そうですよ。正真正銘、余りモノ料理です。って、あんまり自慢する事じゃありませんよね」


「でも、美味しければ何でもいいのにゃっ! ナトルちゃんも、美味しかったら笑うといいのにゃっ!」


 ニャーチがネコ耳をぴくぴくさせながら、ナトルをじっと見つめる。

 ナトルは、ニャーチの透き通ったつぶらなネコ目の視線に耐えきれなくなり、クスクスと笑い始めた。


「そうですね。 せっかくこんなに美味しい食事を頂いているのですから、楽しまなきゃいけないですね。本当にありがとうございます」


「そう言ってもらえると、料理人冥利に尽きます。まだまだたくさんありますから、いっぱい召し上がってくださいね」


「そうにゃーっ、このパンはこうしてもおいしいのにゃー!」


 そう言うが早いか、ニャーチは鉄皿に残ったソースをパンでぬぐって口の中に放り込んだ。

 幸せそうな笑顔でもぐもぐと食べるニャーチを見て、ナトルもちょっとはしたないかな……、と思いつつも同じようにパンにソースをつけて食べる。うん、やっぱり美味しい! ナトルは、夢中になってパンにも、サラダにも、もちろんハンバーグにも手を伸ばしていった。


 ソース一滴残さない程きれいに夕食を食べ終えたナトル、どれ一つとして「余りモノを使ったご飯」とは信じられなかった。

 でも、それはきっとタクミさんが一流の料理人さんだから。私もいつかタクミさんみたいな料理人になれるように頑張ろう……。

 ナトルは、せめてものお礼として洗い物を手伝いながら、そう心に誓っていた。






◇ ◇ ◇






 翌朝、ナトルは朝一番の列車に乗車し、本来の目的駅へと向かっていた。

 昨日と同様、三等車の自由席に座ったナトルの手には一つの紙の箱があった。朝ご飯代わりに列車の中で食べてね、とタクミから渡されたものだ。

 ナトルがその紙の箱をそっと開けると、中には食べやすいように一口大に切り分けられた二種類のロールが入っていた。

 一つはレチューガを刻んだものと薄くスライスされたセボーリャ、それにトマトとカリカリにに焼いたベーコンという組み合わせの具材がトルティーヤで巻かれたものだ。故郷にいたころ自分でも作ったことがあるぐらい食べ慣れた組み合わせだが、食感や味付けのバランスが素晴らしく、自然と笑顔になるほど美味しかった。


 もう一つのロールを手に取ったナトルは、しげしげとその中身を見つめる。こちらのロールにはナトルが全く見たことがない具材が巻かれていた。

 入っている野菜は、恐らくレポーリョの葉を千切りにしたものだろう。レチューガによく似ているが葉に厚みがあるレポーリョは、煮込み料理やスープの具材としてよく使われるものの、こうして千切りにして生で食べた経験はなかった。

 それに、昨日のサラダにも使われていた魚のフレークも入っている。それらの具材全体に和えられている白いソースは初めて見るもの。

 ナトルは、先にソースだけを指先につけてペロッと舐めてみる。すると、ふわっとした玉子のまろやかな風味とともに、ほどよいよい酸味が口の中に広がった。

 ソースだけでこれだけ美味しいのだ、これならきっと……。ナトルは期待を決めて、今度は一口大のロール全体を口の中にほおり込む。

 シャキシャキとしたレポーリョの楽しい歯ざわり、そして魚のフレークと先ほどのソースが口の中で絶妙なハーモニーとなり、ナトルをとても幸せな気分で包み込んだ。


 またいつか、お金を貯めてタクミさんとニャーチさんに会いに行こう。その時は、ちゃんと「喫茶店のお客さん」として、一杯美味しいご飯を作ってもらおう。それに、もし機会がもらえるなら、その時は私の料理も……。

 ナトルは、今日から始まるお屋敷での料理人見習いの仕事をしっかり頑張ろうと決意を新たにするのであった。

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