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異世界駅舎の喫茶店  作者: Swind/神凪唐州


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19 月に一度の来訪者と秘密のご注文

本日も当駅をご利用いただきまして誠にありがとうございます。この列車は当駅が終点となります。改札口にて乗車券を拝見いたします。到着いたしました列車は車庫に入ります。お手荷物などお忘れ物がございませんよう、ご注意をお願いいたします。

―― なお、喫茶店『ツバメ』ではメニューにないお品物でも別注で承ります。お気軽にご相談ください。


「こんにちは。そろそろよいですかな?」


 ある日の昼下がり、客入りも落ち着いた喫茶店『ツバメ』の入り口のベルがカランカラーンと鳴った後、男性の声が聞こえてきた。

 ホールで片付けの手伝いをしていたタクミが振り向くと、そこにはシルクハットを手にした、やや恰幅の良い男性が立っていた。

 毎月一度、決まった日に訪れる顔なじみの来訪者にタクミは声をかける。


「パストルさん、お待ちしておりました。どうぞ、こちらへお願いいたします」


 タクミは会釈をしながら、一番端のテーブル席へと案内した。

 テーブルの上には書類の束が山と積まれている。席に着いたパストルは、書類の束の一つをペラペラとめくりながらタクミに話しかけた。


「今月もなかなか量がありますなぁ……商売繁盛で何よりなことです」


「恐れ入ります。では、今月分もよろしくお願いいたします。足りない書類などがありましたらお声掛けくださいませ」


 そう返したタクミは一礼をしてキッチンへと向かう。

 その姿を見送ったパストルは、持参したアタッシュケースをパチンと開くと、中から丸縁の眼鏡を取り出した。

 年齢のせいか、最近目が霞んできてしまったパストルにとって、眼鏡は無くてはならない“商売道具”の一つだ。特に、最近手に入れた“つるかけ形”のこの眼鏡は、古くからある鼻眼鏡や紐かけ眼鏡とは異なり、長時間使っていてもずれてくる心配が少ない。

 細かな字を読み取り続けなければならないパストルにとっては、大変ありがたいものだった。


 パストルは、眼鏡とともに、他の“商売道具”もアタッシュケースから取り出す。一度インクを吸わせれば長時間書き続けることができるエスティログラフィカ(万年筆)とインク壺、メモ用の紙束と帳面、そして経理士であるパストルにとって最も大切な道具といえるアバクス(そろばん)と計算尺だ。

 

(さて、今月はどんな具合でしょうかな……)


  “商売道具”を並べ終えたパストルは、書類の束の一つを手元に取り、一番表にある書面の内容の確認から作業を始めていった。



―――



(ふぅむ、客足もまずまず伸びてきているようだな……)


 パストルは、この店の帳簿のメインといえる『日計帳』を開き、伝票や取引書類と照らし合わせながら内容を確認していく。

 はた目から見れば地味で単純な作業だ。しかし、これらの数字の動きを追っていくことで、それぞれの店や会社がどのような流れの中にあるかが見えてくる。時には、数字の動きが現場よりも『真実』を明らかにすることさえあるのだから面白い。

 パストルにとっては、『商売の謎解き』の機会が得られるこの仕事が何よりもやりがいのあるものであった。


「お疲れ様です。珈琲をお持ちいたしましたのでこちらに置かせていただきますね。いつも通り“甘め”に仕立てております」


 パストルが作業を始めてしばらく経った後、タクミが淹れたてのシナモン・コーヒーを運んできた。淹れたてのまだ温かい珈琲からは、シナモン・コーヒー特有の甘さを含んだ香気が湯気とともに立ち上っている。

 眼鏡を外しながらタクミに向けて一礼をしたパストルは、テーブルに置かれた琥珀色の魅惑的な飲み物が入ったカップを手に取ると、しばし香りを堪能してからそっと口へと運んだ。


「いつもながらに美味しいですな。ありがとうございます」


「いえいえ、こちらこそ毎月お世話になっておりますので、せめてものお礼でございます。ところで、今月はいかがでしたでしょうか?」


 接客時の微笑みから、一転きりっと締まった真剣な表情を見せるタクミ。パストルはタクミの方を向き直し、安心させるような笑顔で答えた。


「ざっと見た限りでは、特に大丈夫でしょう。きちんと日計帳も付けて頂いていますし、書類もそろっております。それにしても業績は順調のようですな」


 その言葉に、タクミはほっと一息ついて、頭を下げる。


「ありがとうございます。おかげさまで最近では多くのお客様に足を運んで頂くことができております。少ない人数での運営、しかも駅舎の業務と並行してとなりますので、なかなか大変ではございますが……」


「さもありなんだと思いますよ。速算の集計ですが、昨年の同じ時期と比べお客様の数が2倍近くになっております。そろそろ現在の体制では限界に近づいてきているかもしれませんな」


 パストルの指摘はタクミ自身も痛感していた。特に最近は、博覧会の開催に合わせて駅を利用されるお客様が増えており、駅舎も喫茶店もどちらも目の回るほどの忙しさとなっていた。

 博覧会が終われば客足はいったん落ち着くであろうが、それでも駅舎も喫茶店もお客様は徐々に増えている状況には変わりがない。お客様に迷惑をかけないためにも、何かしらの対策を講じる必要が生じていた。


「私の方からも報告書を通じて“駅長”さんに申し添えておきますので、ぜひお早めにご相談されるとよいと思いますよ」


 喫茶店ツバメの業績や経営状況は、月ごとに経理士であるパストルの手によって報告書にまとめられ、“駅長”へと提出される。ツバメの開業当初から続けられている“約束”の一つだ。

 報告書を通じてツバメの状況を正確に伝えることは当然のこととして、そこからさらに一歩踏み込み、様々な数値から読み取った『流れ』の向かっている先を伝え、転ばぬ先の杖を用意する時間を作る ―― これこそが、“ツバメの応援団”を自認するパストルが出来るツバメへの貢献だった。


 そんなパストルの思いを十分に知っているタクミは、助かりますと短く答え、頷いた。そのまま言葉が続けられる。


「それでは、今日も“いつもの品”を用意させていただいてよろしいでしょうか?」


 その言葉に、パストルは思わず顔を綻ばせる。


「ありがとう。毎月これが楽しみで、ツバメに来る日を指折り数えておりましてな。後の楽しみをゆっくり待たせてもらいながら、しっかり作業を続けさせて頂きます」


「かしこまりました。それでは、この後はしばらく駅舎の改札業務に着きますが、その後はキッチンにおりますので何かありましたらお声掛けくださいませ」


 パストルはタクミの言葉に一つ頷き、再び眼鏡をかけて作業へと没頭していった。





◇  ◇  ◇


 




「さっきホールでパストルさんが来てたのなっ! 珈琲のおかわりを出しておいたのなっ!」


 駅舎での業務を終えキッチンに戻ってきたタクミに、ニャーチが目を輝かせながら声をかけてきた。

 その言葉とキラキラさせている眼差しの意図を理解したタクミの手が、ニャーチの頭をポンポンと撫でる。


「はいはい、ニャーチの分も用意してほしいってことですよね。わかってます。えっと、ロランドはどうしますか?」


「あ、もしよかったら自分もご相伴にあずかりたいっす!あと、もしよかったら一緒に手伝わせてもらえるとうれしいっす!」


 通常営業で使った鍋やフライパン等の洗い物を進めていたロランドからも予想通りの答えが返ってきた。パストル、ニャーチ、ロランド、それに自分の分を含めた4人分……ちょうど作りやすいサイズだ。

 タクミは、頭の中で必要となる材料の分量と段取りをさっとイメージする。そして、そのイメージに従ってニャーチとロランドに指示を飛ばした。


「そうしたら、ニャーチは新しい珈琲の用意を4人分お願いします。少し濃いめで、シナモンは効かせなくて大丈夫です。ロランドは、洗い物が終わったら、ボウルと泡立て器の用意、それにオーブンストーブを温めておいてください」


「かしこまりなのなっ!」「了解っす!」


 二人の元気な返事を聞き届けたタクミは、早速食料庫へと入っていった。


(さて、今日はどれを使いましょうか……)


 食料庫の棚に置かれているのは色とりどりの果物。この時期旬のものを見繕って、ガルドやシルバ商会が届けてくれているものだ。その上の段には加工されて瓶詰にされた果物も並んでいる。

 タクミはそれらを一つずつ確認しながら、組み合わせを考えていく。


 (甘みと酸味、あとは全体のバランスを考えますと……今日はこう組み合わせてみましょうか)


 タクミが選んだのは、新鮮なフランブエッサ(木イチゴ)と追熟させて甘い香りを放っているプラータノ(バナナ)、それに瓶詰にされたアルバリコッケ(アプリコット)のシロップ煮だ。

 この他、タクミの手にする木箱の中にアロース(コメ)粉、卵、砂糖といった材料が入れられていく。


 (あとはこの中ですね……)


 続いて冷蔵箱の中から取り出されたのは、牛乳、生クリーム、そしてカスタードクリームだ。

 カスタードクリームは、卵黄と砂糖、アロース粉、牛乳を混ぜ合わせた原液を鍋に入れて火にかけ、軽く沸騰させれば出来上がる。それほど手間がかかるものではない。

 しかし、出来たてのカスタードクリームを作るには問題が一つ、それは『温度が高い』ということだ。

 このため、今日の“いつもの品”に使うカスタードクリームは、モーニング営業の合間を見て予め仕込んであり、冷蔵箱の中で保管していたのだった。


 一通り材料を揃えたタクミは、キッチンへと戻り、食材をキッチンテーブルへと並べた。調理器具の準備を終えていたロランドがすぐさまタクミの下へ駆け寄ってくる。


「フランブエッサは水洗いしてから縦横の四つ割に。プラータノは皮を剥いて斜めに薄くスライス、アルバリコッケも瓶から取り出してプラータノと同じ厚さでスライスをお願いします」


 了解っす、と短く返事をしたロランドは早速指示された作業にとりかかる。その様子を見ながらタクミも作業に入った。


 タクミはボウルの中に卵を割り入れ、泡立て器で溶きほぐす。そして、コルザ(菜種)油、砂糖、塩、アロース粉と順番に混ぜ合わせ、もったりとしたクリーム状になったところで、牛乳を数回に分けて流し込む。

 コルザ油が入っていることを除けば、ここまではカスタードクリームの原液づくりとよく似た手順だ。しかし、今作っている生地については、お玉で掬うとさらっと流れる程度のゆるい生地に仕上げて置くことが必要とされる。

 タクミは、慎重に牛乳を入れながら、生地の濃度を調整していった。


 生地づくりの次は、生クリームのホイップ(泡立て)だ。タクミは、生クリームの入った瓶を手に取ると、別に用意したボウルの中へと注ぐ。そこに、砂糖を加えると、マヨネーズやメレンゲ作りでも使っている手回し泡立て器(ミキサー)を中に入れ、ハンドルを回し始めた。

 しばらくすると、手回し泡立て器で撹拌された生クリームが空気を含み、固さを増していった。時折仕上がり具合を確認しながらハンドルを回し続け、泡立て器ですくい取ったクリームが角を立てた状態で落ちない程度となったところが完成の目安だ。


 生クリームのホイップを続けているところに、ロランドから声が上がった。

 

「果物の準備、終わったっす!オーブンも温まってるっす!」


「ありがとう、そうしたら、こちらの続きお願いします」


 タクミはロランドにクリームの入ったボウルを渡し、代わりに先ほど休ませておいたゆるい生地の入ったボウルを手に取る。いよいよ生地の焼き上げだ。


 ロランドが予め火を入れて置いたオーブンストーブの天板に手をかざすと、あっという間に熱気が手に伝わってきた。

 タクミは、コルザ油を染みこませた白い布を天板に擦りつけ、わずかに油を馴染ませた。そのまま少しの間を置けば、天板からほのかに煙が立ち上る。適温に温まった証拠だ。

 準備を終えた天板に、手元に用意しておいた生地をレードル(おたま)で掬って生地をそっと落とす。さらりとした生地は天板の表面を自然に広がっていくが、そこにトンボの形をした木製の器具を乗せ、円を描くようにクルクルクルと回していけば、生地はあっという間に薄く大きく延ばされた。

 トンボにより薄く延ばされた生地は、あっという間に表面が乾いて片面が焼き上がる。タクミは、パレットナイフを使って生地が破れないようそっと剥がすと、そのままひっくり返して裏面にも一瞬焼き色をつけた後、皿に取り出した。ほんの僅かな時間でクレープが1枚焼き上がった。

 

 タクミは、この作業を次々と繰り返す合計11枚のクレープを焼き上げる。ちょうど良いタイミングでロランドから声がかかった。


「ホイップ、これくらいでいいっすか?」


 ロランドが持ち上げている泡立て器には、すこしお辞儀をする程度に角が立ったクリームが掬い取られていた。イメージ通りのちょうどよい硬さだ。タクミは、ロランドにOKサインを出すと、先ほど焼き終えた生地をキッチンテーブルへと運ぶ。


「さて、二人とも仕上げの手伝いをお願いしますね。私がクリームを塗っていきますので、順番に果物を並べていってください。最初はプラータノからお願いします」


 タクミはそう告げると、まな板の上に焼き上げたクレープを一枚置き、待機させておいたカスタードクリームを小さなパレットナイフで掬ってクレープの全体に薄く広げていく。カスタードクリームを塗り終えると、ロランドに目で合図を送ってプラータノのスライスを並べさせた。


 そして3枚目のクレープを載せると、今度はホイップした生クリームのボウルを手にする。柔らかい黄色みがかったカスタードクリームとは異なり、真っ白な生クリームは生地の上でまぶしいぐらいに輝いている。タクミはさっと生クリームを塗り終えると、ロランドにアルバリコッケのスライスを並べさせ、ニャーチには隙間を埋めるようにフランブエッサを散らさせた。

 

 4枚目以降はカスタードクリームと生クリームを交互に塗り、アルバリコッケとフランブエッサを並べさせていった。徐々に中央部が盛り上がってくるので、時折軽く押さえて平らにならしていく。こうして8枚目のクレープの上まで作業を終えると、全ての果物が並べ終えられていた。

 

 9枚目と10枚目のクレープの上には生クリームのみが広げられた。そして最後の11枚目を上にかぶせて、もう一度全体を均すようにふわっと軽く押さえ、“いつもの品”が完成した。


 間近で最後の仕上げの様子を見ていたニャーチから歓声が上がる。


「わーいっ!出来上がりなのなっ! 早くきりわけてほしいにゃっ!」


「ダメです。このままではまだなじんでないのでしばらく置いておかなければダメですよ。それに、これはあくまでもパストルさんのご注文なんですからね」


 タクミはニャーチをたしなめながら、清潔な白い布を出来上がった“いつもの品”にかぶせる。ニャーチは、ふくれっ面をしながらもその言葉を受け入れ、気を紛らわせるように率先して後片付けを始めるのだった。






◇  ◇  ◇






「今月もありがとうございます。どうぞ、お召し上がりください」


 タクミが“いつもの品”と新しく淹れたコーヒーをトレーに載せ、パストルの下へと運んできた。

 四等分にカットされたその断面からは、幾重にも重ねられた生クリームやカスタードクリーム、そして赤やオレンジといった鮮やかな果物たちが顔を覗かせている。 

 食べるのがもったいないと思えるほど美しい姿、これこそパストルが毎月待ち望んでいる“いつもの品” ―― ミルクレープだ。


 帳簿を確認していたパストルは、いったん手をとめて自分の目の前に置かれたその美しいミルクレープの姿を堪能する。


「こちらこそ毎月本当にありがたいことです。もう少しで帳簿の確認が終わるので、その後でありがたく頂きかせてもらいます」


「かしこまりました。日も傾いてまいりましたので、ランプをこちらに置かせていただきますね。では、失礼いたします」


 タクミはそう言い残すと、卓上に置かれたランプに火を灯してから、一礼をしてキッチンへと戻っていった。

 

 気づけば『ツバメ』の営業時間は過ぎ、ホールの席に座っているのはパストル一人となっていた。

 既に帳簿の確認を終えていたパストルは、タクミがキッチンへ戻る姿を見届けると、作業を続けている素振りを見せるために開いていた帳面をパタンと閉じ、ミルクレープを手元へと引き寄せる。


(ようやく今月もこれを口にすることができる……)

 

 揺らめくランプの灯りに照らされたミルクレープは、一層の輝きを放っているように見えた。パストルの喉がゴクリと鳴らされる。

 パストルは、しばらくその姿を堪能した後、ようやく意を決して先端部分にデザート用の小さなナイフを入れていく。クリームの水分が馴染んでしっとりと滑らかになった生地にナイフがスッと入り、丁寧に積み重ねられた層が崩れることなく切り離された。

 

(何度見ても美しい……。そして、その味わいは……)


 パストルは、切り離したミルクレープの一片を崩さないように注意しながら口へと運ぶ。一枚一枚は柔らかな食感の薄い生地だが、何層にも重ねられることで適度な弾力とプツプツっとした楽しい歯触りを生み出していた。

 生地の食感を楽しみながら咀嚼すれば、生地の間に挟まれた生クリームのさっぱりとした甘さとカスタードクリームのコクのある甘さが口の中で混然一体となる。二つの甘さは、パステルの口の中を幸せで満たしていった。


 さらに食べ進めていけば、今度は果物が口の中で主張を始める。

 ネットリとして濃厚な甘さを持つプラータノは二種類のクリームと絡み合ってボリューム感を演出。アルバリコッケは果物らしい甘酸っぱさを加え、フランブエッサの強めの酸味が全体のアクセントとして味を引き締めている。

 甘さと酸味のバランスが絶妙なハーモニーとなり、ミルクレープの味わいをさらに引き上げていた。


 一切れ、二切れと食べ進めたパストルは、いったん珈琲を口に含む。

 先ほどまで呑んでいたものとは異なり、シナモンも砂糖も入れられていないそれは、珈琲本来の芳醇な香りが鼻をくすぐり、特有の苦味と酸味がミルクレープで甘くなった舌に実に心地よく染み渡る。

 甘いミルクレープに苦味のある珈琲、この対比的な組み合わせに気づいてからというもの、パストルはすっかり虜となっていた。


 その後もパストルは、珈琲とともに一人黙々とミルクレープを食べ進めていく。その表情はようやく巡り会えた逢瀬を堪能する若い青年のような笑顔であった。



―――――



「今日も旨いっす!でも、どうしてホールで一緒に食べないんっすか?向こうは一人みたいっすし、みんなでワイワイ食べた方が楽しいと思うんっすけど……」


 キッチンの一角に置かれた小テーブルでミルクレープを食べているロランドが、素朴な疑問をタクミに投げかける。

 

「パストルさんはワイワイとにぎやかにするよりも、静かに向き合って食べるのがお好みなのでしょう。楽しみ方は人それぞれですので、お邪魔をしてはいけません」


 タクミの答えに、うーん、そんなもんっすかねー、と首をひねるロランド。しかし、思い悩んでも仕方がないと感じたのか、再びミルクレープを堪能し始めた。


 ちなみに、同じテーブルを囲んでいるニャーチはわれ関せずと、小さく切り取ったミルクレープを一枚ずつ剥がしながら食べたり、そうかと思えば、大きな切れ端を一気にがぶっといったりと、頬にハートマークが浮かぶほどの笑顔を見せながら、黙々と堪能していた。

 そして、手元の皿がすっかりきれいになったのを見るや、そーっとタクミの方へと手を伸ばす。しばしのち、フギャッっというつぶれた声がキッチンに響いた。


「ダメですよ。一人一切れです」


 ニャーチの手の甲をつまんでたしなめるタクミ。ニャーチが理不尽に抗議しつつ、うるうるっと涙目で訴えて来るが、タクミは意に介さない。その様子を見ていたロランドは、あー、甘いっすねーと一人つぶやいていた。


 ニャーチに取られる前に最後の一切れを口の中へ放りこんだタクミは、手を合わせつつ小声でごちそうさまでした、と言った後、席を離れる。


「では、パストルさんのところに行ってきます」


 タクミは二人に後片付けをするよう指示をしながら、ホールへと向かっていった。



―――――



「今月はいかがでしたでしょうか?」


「ええ、今月も大変美味でした。いや、ゆっくりと堪能させていただきました。」


 最後の一口だけ残しておいた珈琲のカップを傾けながら、パストルはタクミに感謝の言葉を伝える。話は続く。


「しかし、この年になってこうも甘いデザートを美味と感じるとは思いませんでした。毎月このミルクレープが楽しみで楽しみで、……いや、お恥ずかしい限りです」


 苦笑いをするパストルに、タクミは軽く首を横に振ってから言葉を返す。


「お仕事柄、身体…というか頭が甘いものを欲するのだと思いますよ。体力を使う仕事の後では塩分を欲するように、頭を使った後ではエネルギー源を補うために糖分を求めるようになっていると聞いたことがあります。」


「なるほど、では、一生懸命仕事をした証拠ということでもあるのだな」

 

 パストルはほっと安堵の表情を見せた。タクミはコクリと一つ頷いて言葉を続ける。


「とはいえ、こう甘い物をがっついている姿はあまり他人に見られたくはないと思ってしまうのですよ。古い考え方かもしれませんが……」


「いえいえ、誰しも人の目が気になることは持っております。また来月もご用意させていただきますので、どうぞ楽しみにお待ちください。そろそろカスターニャ()の季節になりますし、来月はカスターニャのミルクレープなんていかがでしょか?」


 カスターニャはパストルの好物の一つだ。それが入ったミルクレープがどのような仕上がりになるのか……想像するだけでパストルの喉がゴクリとなってしまった。


「っと、失礼しました。カスターニャのミルクレープですか……想像するだけでワクワクしますな。それでは、また来月、ぜひよろしくお願いいたします」


 パストルはそう言いながら席を立ち、持ち帰る資料をアタッシュケースに収めてからシルクハットを頭にかぶる。

 タクミに見送られながら店を出ると、外はすっかり暗くなっていた。

 

 一時に比べれば日が暮れるのが随分早くなってきていた。朝晩などはずいぶん冷え込むこともある。作物や果物が豊富に実る秋はもうすぐそこまで迫ってきているのは間違いがなかった。


 パストルは、一か月後に約束された“逢瀬”を胸に秘め、一人帰路に着くのであった。


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