18 手強い交渉相手と架け橋の料理(2/3)
※2015.9.9 12:00更新 2/3パート
※第1パートからの続きです。まだお読みでない方は第1パート(前話)よりお読みください。
「ええっと、まずこうしてですね……」
ナトルはパトをナイフで小さく切り、フォークの上に載せて口に運ぶ。『ツバメ』に来る前に学んだ食べ方だ。その様子をまじまじと見ていたタクミは、珍しく驚きの表情を見せていた。
「なるほど、パトというのはそうやって食べるのですか」
「え、ええ。でも、これがパトの食べ方ではないのですか?」
タクミが驚く理由が分からないナトルは、疑問形で答えた。
およそタクミの常識とはかけ離れたパトの食べ方だった。しかし、これが“こちらの世界”、少なくともパトのある国での『普通』であるのだろう。
すっかり“こちらの世界”の生活にも慣れたタクミだったが、ここが自分たちがかつて住んでいた世界とは異なる場所であるということを久しぶりに思い出させる驚きだった。
「いえいえ、私が以前にいた場所で食べられていたパスタ ―― パトと良く似た料理とは食べ方が違っていたので少々驚いてしまいました。失礼いたしました。」
「そ、そんなっ。私こそパトというのはこういう食べ方をするものだとばかり思ってしまって……すいません」
タクミにつられたのか、ナトルも頭を下げる。タクミはナトルに頭を上げるよう促ししつつ、質問を続けた。
「そうそう、今お出ししたものと博覧会会場で食べてきたもので、他に何か違いはございませんでしたでしょうか?」
「ええっと、麺がもっと柔らかかったように思います。確か……そう、舌でつぶせるぐらいの柔らかさでした。あと、タクミさんはフライパンの中でソースを和えていらっしゃいましたが、博覧会の会場で頂いたときにはパトとソースがテーブルの横に別々で運ばれ、目の前で仕上げをしてくれました」
博覧会会場で食べさせてもらったパトの味わいを一生懸命思い出しながら答えるナトル。その後にサバスも説明を補った。
「私からも一つ付け加えるとすれば、赤い方のものは和えるソースと上に載せるソースが別々に用意されておったことかな。白い方は載せるソースの代わりに摩り下ろしたチーズがたっぷりとかけられていたかな」
二人の話を聞くタクミの表情はいつになく真剣なものだった。駅や喫茶店のお客様と接している時のような穏やかな笑顔とは違い、料理人として真摯に向き合っているようにナトルには感じられた。
何となく場の空気が張り詰めていく ―― しかし、ニャーチの能天気な声がそれを打ち破った。
「うーん、そんなに眉間にしわを寄せてたら美味しいご飯もおいしくなくなっちゃうのなっ。 冷めちゃう前に食べるのにゃっ!」
フォークで器用に巻いて2種類のパトを食べ進めるニャーチ。口の周りを汚しながら幸せそうに頬張っていく姿を見た三人は、一気に緊張が緩んだのか、クスクスと笑みがこぼれた。
「そうですね。ニャーチの言う通りです。改めてどうぞ、召し上がってください。食べやすい食べ方で結構ですよ」
タクミの言葉にナトルも素直に同意し、改めてフォークとナイフを手にした。
赤いソースのパトは、トマトの新鮮な酸味とケチャップの濃厚な味わいが絡まりあい、絶妙な味に仕上がっていた。
一方の白いソースのパトは、ベーコンの旨みに卵とチーズのコクが加わったまったりとした味わいに、黒こしょうのピリッとしたアクセントが加わることで全体が引き締められ、こちらも素晴らしい味わいに仕上がっていた。
どちらも“タクミさん流”の味わいであり、博覧会の会場で食べたパトとは大きく異なるものだ。
硬めに茹で上げられたパトは歯ごたえが楽しく、ナトル個人としては博覧会会場で食べた柔らかいパトよりもこちらの方が好みにも感じた。
「さすがはタクミ殿、こちらはこちらでとても美味しいですな」
先に食べ終えたサバスが率直な感想をタクミに伝える。どうやらナトルと同じような感想を持ったようだ。ナトルも続く。
「本当にとっても美味しかったです! 後でもう一度作り方を教えてくださいっ」
「ええ、私からもぜひお願いします。さて、それはさておき、これをどうやって改良していくかですね……」
タクミはそういうと、腕組みをしてじっと考え込む。
タクミが知る“パスタ”とは似て非なる“パト”、そして今回与えられているテーマ……多くの要素が絡み合っている。一筋縄ではいかないことは明らかだった。
じっと思案を続けるタクミを、三人が固唾を呑んで見守る。そしてしばらくの沈黙の後、タクミの口が開かれた。
「うん、やっぱりここはナトルさんが中心となって考えていった方がよさそうですね」
「ふえっ!? わ、私ですかっ?」
タクミの指名に、ナトルは驚きのあまり変な声を上げてしまった。恥ずかしさのあまり、顔が真っ赤になっていくのを感じる。
「今回のテーマが『両国の友好と発展に資する』ことを示すということですよね?そうすると、やっぱりベースをこの国の料理に置いた方がいいと思うのです。ただ、私は残念ながらあまりこの国の料理に精通しておりません。そうなると、この国の料理のことに詳しいナトルさんが中心となって考えてた方が上手く進むと思うのです。もちろん私もサポートさせていただきます。」
「そ、そんなっ、私が中心だなんてっ……」
動揺を隠せないナトルに、サバスが少し厳しい口調で話しかける
「ナトルさん、それはいかんですぞ。そもそもソフィア殿がナトル殿をこちらに寄越したときの言葉を覚えておりませんかな? ソフィア殿は、今回のこと進めるにはナトル殿の力が不可欠だと考えたからこそ期待を込めてこちらに向かわせたのではなかったですかな?」
サバスの言葉に、ナトルはこちらに向かう直前のことを思い出していた。
出発前にソフィアからかけられたのは『タクミさんの力を借りて、しっかりやってきなさい』という言葉。
その時はあまり意識していなかったが、タクミやサバスからの言葉を受けたナトルは、改めてその言葉の“重さ”を痛感した。失敗したらどうしようというプレッシャーが襲い掛かり、足の震えを抑えることができない。
その時、不意にナトルの背中がポンと叩かれた。はっとそちらを振り向くと、ニャーチがニコニコとこちらを見つめていた。
「ナトルちゃんなら大丈夫なのなっ。私もナトルちゃんのおいしいご飯が食べたいのなっ!」
ナトルの心中を知ってか知らずか、いつものように能天気な調子で声を掛けるニャーチ。そこにタクミとサバスも言葉を重ねる。
「そうですね。今までナトルさんの料理を食べさせてもらえる機会はなかなかありませんでしたし、ぜひお願いします。ソフィアさんがこちらに来るたびに随分自慢されていましたし、実は楽しみにしていたんですよね」
「左様、タクミ殿の料理も珍しくて美味しいが、ナトル殿の料理もなかなかに美味ですぞ」
自分の料理が期待され、そして高く評価されていることを初めて目の当たりにしたナトル。三人の言葉に勇気が湧いて出てくるのを感じた。
「わ、わかりましたっ。で、ではっ、精一杯やらせていただきますっ」
「じゃあ、早速なんか作ってにゃっ!」
食い気味にかけられるニャーチの言葉に、ナトルはまたびくっと驚いてしまう。
しかし、その緊張も一瞬のこと。急かすんじゃありません、とタクミに背中を掴まれてぶらーんとぶら下げられているニャーチの姿に、思わず笑いが止まらなくなってしまった。
目尻に浮かんだ涙を拭きながら、ナトルはこう宣言した。
「そうしたら、折角ですので今日のお夕飯を作らせてもらいますっ。タクミさん、使ってもいい材料を教えてくださいませっ。サバスさんもご相伴いただけますかっ?」
ぜひに、と応えるサバス。こうしてようやく、ナトルとタクミによる“両国の友好と発展に資するパト料理”の試作が始まったのだった。
―――――
それから数日後、営業を終えた『ツバメ』のキッチンにてタクミ、ニャーチ、ナトル、ロランドの4人がキッチンテーブルを囲んでいた。
テーブルの上に並べられているのは3種類の試作品、いずれもタクミとナトルが様々なアイデアを出し合って作った“この地方の伝統料理を融合させたパト料理”だ。
試作品のうち2つの調理を担当したナトルが一つずつ説明する。
「一番左は牛肉とアッホのパトですっ。牛肉と一緒にすり下ろしたセボーリャを入れることで甘みととろみをつけてますっ。真ん中は鶏肉とフディーアのトマト煮込みをベースにしたパト、こっちは煮込みスープの中にパトを入れて、味を染みさせていますっ」
「で、一番右の皿がパルタ入りのパトサラダ。茹でてから水に通して熱を取ったパトに、パルタを混ぜたマヨネーズを加え、セボーリャ、ペピーノ、サナオリアの千切りと一緒に和えたものです」
ナトルに続けてタクミも自分が担当した試作品の説明をする。ロランドが神妙な面持ちで二人の話を聞いている。
一方のニャーチはといえば、待ち遠しそうな表情を見せながら取り分け用のトングをカチカチと鳴らしていた。
「わかったから、早く食べさせるのなっ!もう取り分けていいかにゃっ?」
はいはい、とタクミがOKサインを出そうとするが、フライング気味でニャーチは既にパト料理を取り分け始めていた。ナトルが視線を上げると、両手の平を上に向けてやれやれといった表情を見せるタクミの姿があった。
そんなことはお構いなしとばかりに喜んで取り分けているニャーチは、手早く取り分けて全員に試作品を配ると、いただきますにゃっ、と元気な声を上げて、一人先に食べ始めた。
「じゃあ、私たちもいただきましょうか。いただきます」
「あ、は、はいっ。神様、今日も一日の糧をお恵み下さり、ありがとうございます。明日も一生懸命努めますので、良き糧をお与えくださいませっ」
タクミに促されたナトルは、両手を胸の前に組み、早口で神への感謝と祈りの言葉を捧げた。
ナトルはニャーチが配ってくれた小皿の一つを手に取る。最初に手にしたのは、タクミが作ったパトサラダだ。
マヨネーズの酸味がパルタのねっとりとしたコクで抑えられ、風味豊かな仕上がりだ。中に入れられた千切り野菜のシャキシャキ感や、上にかけられた粗挽きの黒こしょうがいいアクセントとなっている。
水で冷やされたパトの歯触りでもコリコリととても楽しく、これまで食べたパト料理とは一線を画すものであった。
「を、これ旨いっすね!シンプルな味っすけど、なんか懐かしい感じっす! 俺好きっす!」
ロランドが皿を掲げながらナトルに声をかけてきた。どうやら牛肉とアッホのパスタを気に入ってくれたらしい。
炒められた牛肉がボリューム感を演出し、牛骨で取ったスープの旨みをしっかりと吸ったセボーリャのすり下ろしが、パトとよく絡んで旨さを倍増させていた。
ロランドは、あっという間に小皿を空にすると、お代わりはないんすよねー、と残念そうな声を上げた。
「こちらも美味しいですね。チーズとの相性が素晴らしいです」
タクミが食べていたのは赤い色が鮮やかなトマトのパトだ。鶏肉とフディーアの旨みを隅々までいきわたらせたトマトソースが、煮込まれてやや柔らかくなったパトにしっかりと染みわたり、こちらも上々の仕上がりとなっていた。
タクミに美味しいと言ってもらえたナトルは、心が少しくすぐったくなる。
しかし、そう思えたのはほんの一瞬、タクミが続けた言葉にナトルは現実へと引き戻された。
「ただ、これでいいかと言えば……」
「うーん、普通……なのですよねぇ……」
タクミとナトルは、短いやりとりをして黙ってこんでしまう。
今日の3つのパト料理は、どれも素晴らしい味わいではあったが、単にこの地域の料理や材料をパトと合わせただけのものといえばそれまでだ。
その中でも、タクミの作ったパトサラダは少し目先が変わったものであったが、それでもメインとして出せる力のあるとまではいえなかった。
沈黙する二人の間に、ロランドが割って入ってくる。
「難しいもんっすねぇ。俺なんかだとこれだけ美味しければいいやって思っちゃいますけど……」
「もちろん、美味しいことは大事なことです。でも、今回は普段よりも“メッセージ”が強い料理になりますので、美味しいだけでは足りないのですよ」
ロランドに諭すように話をするタクミの言葉に、ナトルも改めて今回の課題の難しさを感じていた。
ただ美味しいだけではない、“友好と発展の象徴”としてのメッセージをどう伝えるか……取り組めば取り組むほど袋小路に入りそうな、非常に悩ましい課題だ。
重くなる場の空気。それを今日もニャーチが打ち破っていく。
「ふぅ、ごちそうさまなのなっ!どれもとっても美味しかったのなっ!でも、でもっ……」
「でもっ?」
何か失敗があったかと心配になってニャーチに尋ねるナトル。しかし、ニャーチから続けられた言葉は意外なものであった。
「さすがに毎日試食してるから、パトは飽きたのなっ!そろそろアロースが食べたいのなっ!ナトルちゃん、なんか作ってほしいのなっ!」
その言葉に、三人は脱力してしまった。試作はそれぞれ少量だったので、かえってお腹が空いてしまったのかもしれないが、それにしても旺盛な食欲だ。
しかし、試作を繰り返していたので、そろそろパト料理に飽きて来ていたのも確か。ナトルはニャーチの提案に頷きつつ、キッチンの主に許可を求める。
「タクミさん、このままだと頭の中が煮詰まってしまいそうですし、別の料理をお出ししてもよろしいですかっ?アロースで思い出したんですが、私の故郷にもよく食べられている料理があるんですっ」
「ふむ、それは楽しみですね。ぜひお願いします」
タクミの許可を得たナトルは早速料理に取り掛かる。材料は先ほど使ったセボーリャとアッホ、豚肉、アロース、それといくつかの香辛料だ。
ナトルは手早くセボーリャとアッホをみじん切りにすると、豚肉を包丁でたたくようにしてミンチにする。そして、下ごしらえを終えたところでタクミにある調理器具の所在を尋ねた。
「そういえば、このキッチンってパエージャ鍋はございませんかっ?」
ナトルの質問に、タクミが申し訳なさそうに答える。
「パエージャ鍋?あ、あの平たい鍋のことですね。すいません、ここには置いてないのですよ」
「そうですか……。あっ、そうしたら、こっちのフライパンを借りてもいいですかっ?ちょっと行儀悪い感じになっちゃいますけど……」
そうしてナトルが選んだのは、中型の浅いフライパンだ。ナトルの言葉が若干気になるタクミだったが、それでも変な風にはしないだろうとOKサインを出す。
ナトルはタクミに一礼で礼を伝えると、早速料理を進めていった。
そして30分もかからないうちに、その料理は出来上がった。
「どうぞ、召し上がってください。故郷の料理、パエージャです。おこげも美味しいので剥がして食べてくださいねっ。ちょっと行儀悪いんですけど、みんなで鍋をつっつきながら食べると美味しさ倍増なんですっ」
鍋敷き代わりの木の板を置いたテーブルの中央に、パエージャが入ったフライパンがドンと置かれる。ナトルの表情は、どこか楽しげで自信に満ちあふれているようだ。
余熱がアロースを焼いているのか、フライパンはチリチリと美味しそうな音を奏でている。そして、スパイシーさを含んだ香ばしい良い香りがフライパンから湧きあがっていた。
「ニャーチが最初にとるのなっ!」
「おこげの部分が超うまそうっす!俺も早速頂くっす!」
二人は先を競うように、フライパンの中でまだチリチリいっているパエージャを取り分け用の大きなスプーンで掬い、待ち遠しいとばかりに頬張っていく。
まだまだ熱いパエージャをハフハフと言いながら食べる二人の笑顔を見れば、その美味しさに満足していることは一目瞭然だった。
二人の口に合った様子にホッとしたナトルも、フライパンから自分の分のパエージャを取り分ける。その時、ふと視線が気になって顔を上げると、何か考え事をしながらじーっとフライパンを見つめているタクミの姿が目に入った。
「あっ、タクミさんっ、やっぱりこういうフライパンの使い方、良くなかったですかっ?」
粗相をしてしまったかと心配になったナトルがタクミに声をかける。
しかし、腕組みをしてすっかり考え込んでいるタクミからはすぐには返事が返ってこなかった。
そして、しばしの間の後 ―― 突然タクミが声を張り上げた。
「これですよ! これならきっと“友好と発展を示すパト料理”が出来ますよ!」
そういうと、タクミはナトルの肩をがしっと掴む。普段とは全く異なるタクミの態度にびっくりしたナトルは、タクミに何が起こったのかわからずそのまま固まってしまった。
「ごっしゅじーん、ナトルちゃんが大変なことになってるのなっ!何か思いついたみたいだけど、ナトルちゃんをいじめたらだめなのにゃっ!」
ニャーチはそういうと、タクミとナトルの間に割って入り、イーッと歯を見せてタクミを威嚇する。
そこで、ようやく我に返ったタクミは、興奮してしまいました、とナトルに謝罪する。そして、今度は冷静に、パエージャから思いついたメニューの説明を始めた。
「それ、面白いです!早速試作してみたいですっ!」
タクミの説明で、ナトルにも今回の課題の“ゴールのイメージ”が湧きあがった。
ナトルはいてもたってもいられず、取り皿をテーブルに置いて、早速準備にとりかかろうとする。
しかし、その動きはロランドの少し苦しげな声で制されることとなった。
「すいません、さすがにもう腹いっぱいっす……。あと、そろそろ俺は帰らないとマズいっすし、でも、試作品は食べたいし……できれば、明日にしてほしいんっすけど……」
そういってすっかりくちくなった腹を抑えるロランド。その悲鳴にも似た言葉に、三人は思わず笑い出してしまう。笑いごとじゃないっすよー ―― キッチンにはロランドの叫び声がこだましたのだった。
※第3パートに続きます。




