Coffee Break ~ “駅長”の食べ比べ
間もなく2番線に、列車が到着します。安全のためホームの線より下がってお待ちください。この列車は、ウッドフォード方面、ハーパータウン行きです。
――― なお、乗車口付近は大変混雑いたします。降りられるお客様を優先いただけますよう、ご協力よろしくお願い申し上げます。
(ふぅむ、なかなか賑わっているではないか……)
ある日の正午前、“駅長”はにぎやかな広場の一角に立ち、広場の様子を見渡しつつ、顎に手を当てながらほくそ笑んでいた。“駅長”がいるのは、マークシティで行われている博覧会の会場。この博覧会を運送面でサポートしている鉄道会社の幹部として視察に訪れていたのだ。
普段かぶっている制帽こそ身につけていないが、金ボタンのついたダブルの詰襟スーツをピシッと着こなし、よく磨かれた濃い茶色の革靴で闊歩する“駅長”の姿は、混雑する会場の中でもひときわ目立っていた。
博覧会の会場には、この地域の様々な企業や、海外の主要な国々が趣向を凝らして出展していた。表向きには「にぎやかなお祭り」のように見える博覧会だが、出展している企業や国々にとっては、威信をかけて自らの技術や文化を競って発信する場であり、また、新しい取引先・取引国を拡大させるための壮大なマーケティングの場でもある。このため、どの展示やアトラクションも非常に熱がこもった演出がされており、会場のいたるところが大きく盛り上がっていた。
(しかし、この広場は何とも良い香りが漂っておる、これは腹が減ってしまうな……)
“駅長”は、腹をさすりながらもう一度辺りを見回す。間もなくお昼時であるこの広場には、さまざまな地域や国による屋台が出展されていた。ある屋台では肉が焼かれ、また別の屋台では魚介類を調理している。他にもデザートや飲み物を含め、それぞれの屋台が工夫を凝らした逸品を提供していた。
辺りに視線を送ると、ふとひときわ賑わっている一軒の屋台が目に入った。本来は呼び込み役であろうと思しき女性が、最後尾はこちらでーす、と列の整理をするために必死になって声を掛けている。列に並んでいる人たちだけではなく、屋台の周りにも何やら中の様子を覗きこんでいる人たちがたくさん取り囲んでいた。
(ふむ、あれはソフィア殿の屋台か。なかなかに繁盛しているようだの……)
屋台から出てくる人たちは、誰もがグラスの器を持っていた。屋台の前に並べられたベンチに腰を掛けると、グラスに盛られた白い雪のようなもの ―― かき氷にスプーンを差し入れ、美味しそうに頬張っている。一人で一つをペロリとたべているもの、家族やカップルで分け合うもの、それぞれにかき氷の味わいを堪能しているようであった。
真夏の盛りは過ぎたもののまだまだ暑い日が続いていることに加え、博覧会会場を包み込む熱気が体感気温をさらに上昇させていた。この暑い中、かき氷は何よりのごちそうであろう……“駅長”はタクミとソフィアの目論見が上手くいっていることを見届け、その場から離れた。
(さて、どれも興味深いものばかりだが……うむ?)
色とりどりに飾り付けられた屋台を眺めながらゆっくりと歩を進めていた“駅長”は、隣り合う二軒の屋台の前で足を止めた。いや、止められたといった方が正しいかもしれない。なぜなら、左右から同時に詰襟の袖をつかまれたからだ。
「おじさまっ! うちのボラル牛の串焼き、ぜひ食べていってくださいなっ!」
左の袖を掴んできたのは、若い女性。ややふっくらとした体形で、ぴったりとした赤いエプロンを身に纏っていた。やや屈み気味の姿勢から上目づかいで“駅長”を見上げている。
「ちょいちょい、どうせ牛の串焼きを食べるんなら、こっちの、ほら、ピーノ牛を食べてってーな!こっちのほうが断然旨いっちゅーねんな」
やや語気荒く猛プッシュしてきたのは、右袖をつかんでいる、何とも調子が良さげな御仁だ。年の頃は30を超えた頃だろうか、こちらも黒いエプロンを身に纏い、頭から出ている丸い熊耳をピクピクとさせながら迫りよって来る。
“駅長”は、二人の声を聞いて、思い当たることがあった。ボラルもピーノも伝統的な食用牛の生産地で、高品質の牛肉で有名なところだ。一流のレストランに行けば、どちらも“普段の1週間分の食費”でようやく一人前が食べられるほどのコース等で使われるようなものだ。すなわち、隣り合ったこの二点はまさにライバル同士の直接対決。呼び込みに熱が入るのも頷ける話であった。
一方で、この状況は、ボラルとピーノという2つの有名産地の串焼きを食べ比べができるという、ある意味で絶好の機会ともいえた。レストランなどでもなかなか実現することが難しいであろう贅沢を、今この場、この瞬間なら味わうことができるということなのだ。
そう考えると、“駅長”の腹がグゥと大きな低い音で自己主張した。その音を聞きつけた二人の目が光り、自分の屋台へ引き込もうとする力がますます強くなる。“駅長”は、たまらず二人に声をかけた。
「まぁまぁ、分かりました。そうしたら、折角の機会ですので、一本ずついただくこととしましょうか。お二方、それぞれおいくらですかな?」
赤エプロンの娘が、とびっきりの笑顔で答える。
「うちのは50ペスタ、あっちの高いだけの肉よりも断然おいしいんだからっ!」
一方の黒エプロンの男も、負けじと言い返した。
「うちのは70ペスタとボチボチな値段や。ただ、超一等品やし、この値段じゃここでしか味わえへんでぇ!」
二人の圧力に苦笑しながら、“駅長”は財布から紙幣を取り出し、二人に支払う。
「そうしたら、私はあちらのベンチで頂きたいと思いますので、焼けたところで持って来ていただけますかな?あと、そちらの娘さんはビールを、そちらの御仁は…そうですな、あそこに書いてあるパタータのフライを一緒にお願いいたします」
二人は、“駅長”に一礼をして ―― 互いに向き合ってイーッと歯を見せ合ってから ―― 注文の品を取りに、屋台へ走っていったのだった。
―――――
広場中央のフリースペースのベンチに陣取った“駅長”は、2つの店から届けられた牛串と陶器のビアマグに入れられたビール、それに櫛切りにされたパタータのフライを脇に並べた。ちなみにビールは40ペスタ、パタータのフライは25ペスタだったとのことで、つり銭は二人へのチップとした。二人は驚いた様子であったが、何度も“駅長”に感謝をしつつ呼び込みへと戻っていった。
(さて、さっそく頂くとするかの……)
“駅長”は、最初に喉を潤すためのビールを手にする。陶器のビアマグの中には、真っ白できめ細やかな泡が、中のビールの旨さを閉じ込めるようにこんもりと載せられていた。
早速、地域によっては“命の水”とも評されるその液体を口に含み、ゴクリと喉を通す。特有のコクを持った苦味と口の中をサーッと流れていく泡、そしてアルコールの味わいが合わさり、何とも言えない旨さだ。“駅長”は一気に3分の1ほど飲むと、ぷはぁと息を継いだ。
(うーむ、昼のビールはなぜこんなに旨いのでしょうかな……っと、あまり飲みすぎてはいけませんな)
“駅長”は、本来の目的を思い出し、持っていたビアマグをゴトリと脇に置く。そして、二つの牛串のどちらから食そうかを一瞬考え、赤いエプロンの娘が持って来てくれた方 ―― ボラル牛の串焼き を手にした。
手にした串に刺されている肉は4枚。やや厚みをもってカットされ、中がわずかに赤みがかる程度に焼き上げられたその肉は、シンプルに塩と粗挽きの胡椒のみで味付けされているようだ。
“駅長”は、まだ湯気の立つ肉に豪快にかぶりつき、先端の一枚をんぐっ、んぐっと咀嚼した。
(うむ、丁寧に香ばしく焼き上げられておる。そして、なかなかに柔らかい……)
普段の食事で使われる牛肉は主に赤身であり硬いイメージが強い。脂分の少ない肉は、ともすればパサついて口の中の水分を奪ってしまい、飲み下すことに難儀することもある。しかし、今日のボラル牛は、丁寧に育てられた牛の、それも骨に近い良い部位を使っているのであろう。適度な弾力がありながらも柔らかいその肉は、噛み締めるたびに中からジュワッ、ジュワッと肉汁が溢れてきた。
ゆっくりと味わうように咀嚼を続けると、溢れ出る肉汁とともに一枚目の肉が自然と喉を下っていった。そこで間髪を入れずビアマグを傾けると、口の中の肉汁がビールによって一気に流されていく。思わずクハーーッっと声がでてしまうほどの旨さだった。
(旨い肉に、ビール、この暑さの中では何よりの馳走となっておるな。さて、こちらはいかがかな)
”駅長”はもう一つの方 ―― 黒エプロンの御仁が用意したピーノ牛の串焼きを手にした。先ほどとは異なり、やや大きめのサイコロ状にカットされた肉が丁寧に焼かれ、3つほど串に刺されている。味つけはボラル牛同様塩、胡椒のみ。恐らくは、素材の味を知ってもらうために、どちらもあえてシンプルな味付けにしているとうかがえた。
(では、こちらも一口……、むむっ!これはっ!!)
ピーノ牛の先端に刺さる一つ目の塊を頬張った“駅長”は、驚愕のあまり目を見開いた。歯を立てた瞬間、何の抵抗もないがごとく、スルッと肉に歯が入っていったのだ。舌先でも潰してしまえそうな牛肉とは思えないほど柔らかい感触に驚きつつ、今度は奥歯で噛み締める。すると、中に閉じ込められていたであろう熱い肉汁が一気に口の中に押し寄せてきた。
ハフッ、ハフッ、っと“駅長”は息を継ぎ、口の中を冷ましていく。そして目を瞑り、じっくりとその味わいに集中する。肉に含まれる脂の旨さが次から次へと口の中を暴れまわっていた。
(うーむ、こちらも唸るほど旨い、いや、これも素晴らしい……)
肉の全てを味わい尽くすかのように、“駅長”はゆっくりと咀嚼していく。そして、一つ目の塊を食べ終えたところでビールを一口。泡の爽やかさとビール特有の苦味により、口の中に残された暴力的な脂の味わいがリセットされた。ふーっ、とため息が出てしまうのは、それだけ旨さに満足した証拠でもあった、
その後も“駅長”はボラル、ビール、ピーノ、ビール、ボラル、ビール…と交互に繰り返して味わっていく。そして、最後のボラル肉を食べ終えたところで、ほんのわずかに残ったビールで舌を新しくし、最大級の満足を込めて、ほーーーっ、と大きく息を吐いた。
(なるほど、こうして食べ比べてみるとよく分かるな。ボラル牛の肉は“肉の旨さを味わいたい”ときに、ピーノ牛の肉は“脂の旨さを味わいたい”ときに向いておるな。)
舌休めとしてペピーノのフライを口に運びながら、“駅長”は、二つの牛肉の違いを考える。赤エプロンの娘の話によれば、この国でも有数の高地であるボラルは、夏は涼しい一方で冬の寒さが厳しく、飼料となる牧草の確保が大変だということだった。
このため、ボラル牛は、牧草を飼料の中でも補助的な役割とし、主にはデントと呼ばれる最も硬質の部類のマイスと、粒が欠けていたり小さかったりするアロースを主な飼料として肥育されているとのことだった。栄養に富んだマイスとアロースの資料のおかげで、肉質が軟らかく、かつ、適度に脂がのった牛肉となるとのことだった。
一方のピーノ牛は、近くの海に暖流が通っているという海に面した地域という恵まれた気候により、十分に牧草を確保することができていた。一方、海風によりほんのわずかに塩分を含む牧草ばかりを食べさせていると、牧草の香りが肉に移ってしまったり、栄養価が足りずなかなか大きく育てることが難しいということも考えられた。
そこで、ピーノ牛の生産者が行っているのが、牛に『ビール』を飲ませるということ。黒エプロンの御仁の説明では、ビールを飲んだ牛は牧草飼料への食いつきが非常によく、結果として大きく育ちやすいとのことだった。また、ビールを飲んだ牛は、なぜか肉質が非常に柔らかくなるとの話も出ていた。肉質を良くするための作業は徹底的にこだわられており、週に2度ずつ丁寧に牛の身体をマッサージするなど、牛の肥育に十分に愛情がこめてられていた。それが、先ほどのような驚きの肉質の体験へとつながるのであろう……“駅長”はそう考えるのであった。
ボラル牛もピーノ牛も、どちらも本当に旨いものだった。しかし、適度な弾力とともに肉っぽさがある程度表に出てくるボラル牛と、柔らかさと脂の旨さを前面に押し出したピーノ牛は、“美味しさ”のベクトルが異なっている。これは、どちらが上と序列をつけるものではないだろう。料理との相性や食べる人の好みによっても左右してくるところが大きいと思われた。このごく当たり前ながらも、さりとて普段は気付くことが少ない事実を、駅長は改めて噛み締めるのだった。
―――――
「で、どっちが旨かったのです?」
「いや、どちらも本当に素晴らしかった。これは、引き分け……いや、両者ともに勝利じゃな」
借り受けた食器を返しにきた“駅長”は、エプロンを纏った二人からされた質問にこう答えた。すると、いつの間にかどちらの牛肉の方が旨いか、その判定を“駅長”に委ねることで合意していた二人は、その言葉に納得がいかないような表情を見せ、口々に不満を言い始めた。
「えーっ、ホントはこっちの方が旨いでしょ?」
「ほやから、うちの方が旨いって!」
“駅長”の言葉もむなしく、先ほどまでと同じようにいがみ合う二人。そんな二人の様子に苦笑いしながら、駅長は、そんなこともあろうかと用意しておいた二本の串焼きを、それぞれ一本ずつ二人に差し出した。
「それはともかく、どうぞ、これは旨い物を食べさせてもらったお二人へのお礼の品じゃ。どうぞ召し上がってくだされ」
二人はそろって串を受け取ると、どのような肉か分析するようにしげしげと見つめる。見た目にはずいぶんと筋張って硬そうな肉だ。何かで味付けされているらしく、良い香りがしている。赤エプロンの娘が渡された串に刺さった肉の一切れ口にすると、大きく目を見開き、ガツガツと食べ始める。
その様子を怪訝な顔を見せながら見つめていた黒エプロンの男性も、意を決したように一口。すると、こちらも同じように目を見開いて、大きな口で一気に頬張った。
「なにこれ、硬いかと思ったら、すごくプルプルしてて美味しい……」
「それにしっかりと染み渡ったスープの味わいもめっさうまい……いったいどうしたらこんな出来るねん……」
二人の様子を微笑みながら見守っていた”駅長”が、そっと口を開く。
「これは、あちらの海外から出展された屋台で販売されていたものですな。牛のスジ肉をじっくりと煮込んでから、最後に炙ったものと聞いております。お味はいかがですかな?」
“駅長”の質問に、二人はうーんと唸りながらも、これはこれで旨い、硬いスジをこれだけ柔らかく調理する技術は並大抵ではない……と賛辞を口にする。“駅長”は、二人の話をじっくりと聞くと、さらに言葉を続けた。
「どうですか? お二方、牛肉という食材一つとっても、博覧会で戦う相手はまだまだたくさんいるということですな。近隣同士、切磋琢磨するのは良いことですが、あまり近くで喧嘩ばかりしておりますと、ヨソに足元をすくわれてしまいますからな」
“駅長”の忠告に、思わず二人は黙り込む。しばしの間、周囲の喧騒だけが耳に響き ―― 先に口を開いたのは赤エプロンの娘だった。
「うーん、確かに隣の黒エプのことばっかり気にしてて、他のところまで全然気をまわしてなかったわね……」
続いて黒エプロンの男性も声を上げる。
「そうやなぁ。海外の連中に負けるわけにはいかへんもんなぁ……うっし、決めた!まずは一時休戦や! なぁ、嬢ちゃん、ここはひとつ共闘といこうやないか!」
「そうね、私もそう思ってた。両方食べ比べてもらって、うちらの国の自慢の牛肉をしっかり知ってもらおうじゃないの!でも、うちの方が旨いってところは譲らないからね!」
「なんの、こっちもそこは譲りまへんで! でも、どっちにしても……」
「『うちら』が一番旨いちゅーねん、って言いたいんでしょー?」
「こら、嬢ちゃん、人のセリフとったらあきまへんでぇ!」
二人のやりとりで一気に場は和み、“駅長”の顔にも笑みがこぼれた。この調子であれば大丈夫であろう……二人の元気なやりとりを見つつ、“駅長”は次の屋台を探しに、再び歩み始めるのであった。
お読みいただきましてありがとうございました。ランキング急上昇 & 20万PV突破 & ブックマーク4桁突入 & 総合評価 2500ポイント突破 その他もろもろのお礼を込めまして、2本目の特別編 ~ Coffee Breakを書かせていただきました。
今回は相変わらず謎の多い“駅長”のお話にしました。なお、お話の一部は充実した取材の結果に基づいております(笑)
本編につきましては、今後も“毎月8の付く日”の更新を目途に連載を続けてまいります。引き続きご愛顧いただけますようよろしくお願い申し上げます。




