16 異国のお連れ様と広めたい食材(3/3)
※2015.8.18 更新 3/3パート
※前話からの続きです。まだお読みでない方は前話よりお読みください。
サバスやルーデンドルフ夫妻が案内されたキッチンは、既に日が傾き薄暗さを増していた。ニャーチは、慣れた手つきでマッチを擦り、ランプに火を灯していく。普段はホールで使っているランプもキッチンに運び入れたおかげで、作業に必要な明るさが確保できた。タクミは、ヴルストを瓶詰から取り出しながら、先ほど供した飾り切りヴルストの作り方の説明を始めた。
「では、先に早速飾り切りからご紹介させていただきます。といってもコツさえ覚えれば簡単ですよ」
タクミの横に並んだニコルは、借り受けた包丁を手にして真剣な表情で頷く。その向かい側にはヨハンがペンと紙を持って立っていた。ニコルは自らの体験として、ヨハンは記録という形でタクミの教えをしっかりとものにしようとしていた。サバスとニャーチも、キッチンの傍らにある椅子に腰を掛け、その様子を見守る。
「では、最初にタ……花の形からやってみましょう。といっても、これはすごく簡単でして……こうしてヴルストの半分に切り込みを入れるだけなのです」
使っているヴルストは今日持参したものの中でも一番細く短いもの。太さは親指程度、長さは親指よりも少し長い程度といったところだ。ニコルは、タクミの説明と実演通りに。ヴルストの縦半分ほどの長さに包丁を入れていく。まずは半割になるように1回。そして少しずつ回転させて2回、3回。こうして、全体の半分だけが6つに割られたヴルストが出来上がった。ニコルは、練習としていくつか同じように切り込みを入れていく。
「でも、この状態では先ほどのようにきれいに花が開いたようにはなっていないですね」
切り込みが入ったヴルストを見ながらヨハンがつぶやく。ヨハンの指摘の通り、ヴルストには切れ目が入っているものの、切れ目はわずかに隙間が空く程度で“花が咲くようには”開いていなかった。その疑問にタクミは頷きながら応える。
「花を開かせるのはもうひと段取りあるんですよ。ただ、包丁を使う作業は先にやってしまいたいので、先に飾り切りだけやってしまいましょう。次は魚の飾り切りです。これは先ほどよりはちょっと手間がかかります」
タクミはそう告げると、手順を説明しながら実演を始めた。ニコルもタクミの動きに続けて包丁を動かす。縦半分に切ったヴルストの片方の端に小さな切り込みを作ると、切り込み側を右にして横向きに置く。そして、右三分の一ほどの場所に少しだけ斜めに包丁を入れ、その左側には斜めの格子状に軽く切れ目を入れていく。包丁を入れる深さは厚みの半分ほどまで。深く包丁を入れすぎないようにするのがタクミの注意点だ。そして、左側に大きな切れ込みを入れれば、魚の飾り切りの完成だ。先ほどと同じように、ニコルはいくつか反復して練習する。
「そして、この切り込みを入れたものを、油をひいたフライパンで熱してあげれば完成です」
タクミは、予め火を入れておいたオーブンストーブの天板の上に鋳物製のフライパンを置き、コルザ油を薄く引いてなじませる。そして、適度にフライパンがあたたまったところでニコルと入れ替わり、先ほど飾り切りをしたヴルストをそっと入れさせる。
「ポイントとしてはあまり激しくかき混ぜすぎないことですね。特に花の形のものは花びらの部分が千切れやすいので、そっと転がしながら火を通してください。フライパンに蓋をして蒸し焼きみたいにするのも一つの方法です」
タクミの説明に頷きながら、ニコルはフォークでそっと転がしながらヴルストに火を通していく。すると、先ほど切れ目を入れた箇所が徐々に開いていき、茶色がかった皮の下から薄いピンクをした中身が現れてくる。
「なるほどですわ。熱を加えることでヴルストが膨張して、切れ目のところから広がってくるということなのですわね」
ニコルは、ヴルストが花や魚になっていく様を楽しそうに見つめながら、コロコロと転がしていく。そして、軽く焦げ目がつき十分に火を通った頃合いを見計らって、出来上がった花と魚のヴルストを皿へと並べていった。
「ふむ……これは飾り切りを作っている様子を見せるというのもいいかもしれません。子供たちが喜びそうです」
記録を取り終えたヨハンがインク瓶の蓋を閉めつつニコルに話しかける。その言葉に対し、ニコルは複雑な表情を見せた。
「私もそう思いますわ。ただ、これはタクミさんの技術ですから、私たちがあまり勝手に見せるわけには……」
そのやりとりを横で聞いていたタクミは、朗らかな笑顔でニコルの懸念を取り払う。
「全然問題ないですよ。複雑な技術というほどのものでもないですし、私が以前いたところではどこの家庭でもごく当たり前にやっていたようなものですからね。むしろ、お子さんや、その親御さんたちにぜひ見せてあげてください。きっと喜んでいただけると思います。」
タクミの思わぬ申し出に、ニコルは驚きつつ歓声をあげる。
「本当ですか!?それが許されるのなら、本当に望外の喜びですわ!」
ヨハンも、横で深々と頭を下げ、ありがとうございますと感謝の言葉を述べる。タクミは、それに対し、あくまでも謙遜しながらこう応えた。
「いえいえ、大したことではないですし、全然かまいません。それに、今日お見せしたのはあくまで私で出来る範囲の基本形です。結局は包丁の入れ方一つの話ですし、まだまだいろんな可能性があると思います。ぜひニコルさんもいろいろ工夫してみてください。」
ニコルはタクミの言葉に頷く。博覧会が始まるまでは残りわずかだが、それでもいろいろと試してみよう…ニコルはキッチンの後片付けをしながらヨハンとアイデアを話し合っていた。その姿を横に見ながら、タクミは皿の上に盛り付けられたヴルストに木製のピックを刺し、話し合っている二人にサバスを加えた三人に声をかけた。
「さて、折角作りましたので、冷めないうちにみんなで味見しましょうか。早く食べないと、またニャーチに全部食べられちゃいそうですしね」
タクミがチラリと見やった先にあるのは、抜き差し差し足で忍び寄ってきていたニャーチの姿があった。目が合った瞬間とぼけたような顔を見せたニャーチだったが、タクミが手招きすると大人しく近づいてくる。そしてタクミはニャーチの背中を掴み、本日三度目の反省を促した。ニャーチのうにゃーんという声に、キッチンが笑い包まれた。
―――――
翌朝、サバスとルーデンドルフ夫妻は再び喫茶店『ツバメ』を訪れ、モーニングを堪能した三人は、食後のコーヒーを堪能しながら列車の出発時刻となるのを待っていた。
「昨日は遅くまでお疲れ様でした。今日からご出発ですか?」
ホールにやってきたタクミは、三人に挨拶する。昨晩は、試作したヴルストの飾り切りを全員で味わってから、ピラフやマイスドッグの作り方も伝授していた。もともと料理の素養があったニコルはあっというまに手順を覚え、博覧会でのお披露目が十分可能なレベルに達していた。
「ええ、この後の始発便で。昨日は本当に世話になった。改めて感謝させていただきたい。」
改めて礼を述べたサバスに、タクミは、お役にたてて何よりです、と短く返す。サバスは、いつもこうして周りを気遣い惜しげもなく力を貸してくれるタクミに、どのようにすれば恩を返せるのか思案していた。一晩かけて考えた結果、一つの案に思い至ったサバスは、タクミに一つの質問を投げかける。
「時に、タクミ殿は博覧会に行かれるのかね?」
「うーん、行ってみたいとは思いますが、博覧会へ向かわれるお客様が増えて、駅舎の業務もますます忙しくなりますし、ちょっと難しいかなと思っています。残念ですけどね。」
タクミは苦笑いを見せながらサバスに応える。その答えはサバスが予想した通りだった。サバスは、タクミに対し、昨晩考えた提案を持ちかける。
「では、もし博覧会で見てみたいと思っていたものがあれば、持ち帰れるものであれば私に手配させていただきたい。私の商売のついでみたくなるので申し訳ないがな」
お気遣いいただかなくても大丈夫ですよ、とやんわりと断ろうとするタクミに、サバスは、その目利きの力を借りたいということでもあるんじゃよ、と続けて説得する。そしたやりとりを通じて、タクミはようやく折れて、サバスの申し出を受け入れることにした。
「では、お言葉に甘えまして……。そうですね、この店の営業を考えると、できれば“お茶”と“麺類”が手に入るとありがたいですね」
続けてタクミは、“お茶”と“麺類”について説明をする。どちらも“こちらの世界”に来てからはまだ見かけていないものだ。サバスに理解してもらえるよう、言葉を選びながら丁寧に説明していく。すると、そのやりとりを聞いていたヨハンが、横から声をかけてきた。
「”お茶”というのは、“テー”のことでしょうか?」
タクミはヨハンにいくつか質問をし、自分がイメージしている“紅茶”とヨハンの言う“テー”が概ね同じものであることを確認した。サバスは、ヨハンにも協力を求め、これらの現物が手配できるよう努力することをタクミに約束した。
「それで、“メンルイ”というのはどういうものですかな?」
サバスは、もう一つの聞き馴染みのない食材についてもタクミに尋ねる。タクミは、麺についてなんとか苦心しながら説明をする。一言で言えば、粉を練って作った生地を細長く加工した食品だ。そして、多くの麺は小麦粉で作られること、また、もしあるとすれば、打ったその場で調理することを前提とした生の麺と、日持ちがするように加工された乾麺の2つの種類があると想像されることを告げる。
「生の麺だと“小麦粉”が簡単には手に入らないこの辺りでは、再現が非常に難しいと思われます。ですので、もしあればで結構ですので、乾燥させた麺……乾麺を探していただけるとありがたいです。」
サバスは、心得たと一言告げ、同意の意思を表す。ヨハンとニコルも、心当たりはないものの、探すのに協力すると申し出てくれた。タクミは、三人の申し出に感謝を表す。
この他、タクミは、調味料の類についてもこの近くで見かけるもの以外で面白そうなものがあれば、同じように手に入れてほしいとの話を伝え、もちろんサバスもこちらも快諾した。
タクミは壁の柱時計を確認すると、三人に声をかける。
「さて、もう少しで出発のお時間となりますので、失礼いたします。それではまた後程。」
“駅長代理”の仕事に向かうタクミを見送った三人は、早速博覧会に出展する人々の情報を交換し、タクミの依頼に応えるための準備を始めるのだった。




