Coffee Break ~ ロランドの賄い飯
乗客の皆様、長時間のご旅行お疲れ様でした。この列車は当駅が終点となります。改札口にて乗車券を拝見いたします。到着いたしました列車は、整備点検の上、折り返し、ウッドフォード行き2番列車となります。お手荷物などお忘れ物がございませんよう、ご注意をお願いいたします。
――― なお、ポートサイド地区へお越しの方は、駅舎正面から出発する駅馬車のご利用が便利です。
「親父ーっ!兄貴ーっ!おかえりーっ!」
ある日の早朝、ロランドは朝日が水面を照らす小さな港で、沖から帰ってきた小型の船に大きく手を振っていた。船の上では日に焼けた三人の屈強な男が、ロランドの声を聞き逃さまいと頭から生える長い耳をピンと伸ばし、手を振っている。近くの沖合まで漁に出かけていた父親と二人の兄を港で出迎えるのがロランドの毎朝の日課だった。
ポートサイドのアルバレス一家といえば、代々続く漁師一家として有名だった。父親のディエゴ・アルバレスは投網漁と素潜り漁の達人として、これまでに何度も大物を仕留めてきた。二人の兄も父親の後を継ぐべく、父とともに出漁して日々精進を続けている。毎日のように漁に出てはたくさんの海の幸を持ち帰ってくる父や兄たちのことを、ロランドはとても誇りに思っていた。
もちろん、ロランド自身も小さい頃は漁師を目指していた。しかし、父親に似て逞しい筋肉に身を包む二人の兄とは異なり、どうやら母親に似たらしいロランドはいつまでたっても華奢な体格のままだった。さらに、大きな問題点が一つ。ロランドは漁師が自らの命を守るために大切な技術である“泳ぎ”を全く身につけることができずにいたのだ。
その原因の源は、10年ほど前の出来事だ。いつものように兄たちと浜辺で遊んでいた幼き頃のロランドは、突然押し寄せてきた高波に足を取られてしまったのだ。泳ぎを身に着けていなかったロランドは、当然のごとく溺れ、どんどんと沖へと流されていってしまう。幸いこの時は、一緒にいた兄たちと近くで漁具の手入れをしていた父親の手によってすぐに助けられ、事なきを得た。しかし、この一件の後、しばらくの間は水を見ることさえも怖がるようになったロランドは、浜や港で遊ぶことを親から禁じられてしまうこととなる。これが後々尾を引くこととなり、水に親しむ機会を失ったロランドは“泳ぎ”を覚えることができなかったのだ。
その代わりに覚えたのが“料理”だ。兄たちが浜や港で遊んでいる間、もっぱら母親を手伝うことでその寂しさを紛らわせていたロランドは、徐々に料理の楽しさに目覚めていった。最初のころは、水を加えた粉を粘土のように捏ねて遊んでいただけだったが、母親の手伝いを通じて見よう見まねで調理技術を身に着け、10歳のころには簡単な料理なら一人で作れるまでになっていた。少年ロランドにとって、自分が作った料理を家族や周りの人たちが美味しいと言って食べてくれることが何よりの喜びだった。
そして現在 ―― ロランドは、“一人前の料理人”をめざし、喫茶店『ツバメ』にて修行の日々を送っている。ただし、成人になるまでの間は家の仕事もきちんと手伝うことが『ツバメ』で働く上での条件だった。朝起きてから喫茶店『ツバメ』に向かうまでの間、漁に出る前の準備の手伝いと投網などの漁具の手入れ、そして、素潜り漁から帰ってきた父や兄たちを含めた家族全員の美味しいご飯を用意するのがロランドに任せられた”仕事”として割り当てられていた。
父親と兄たちを出迎えたロランドは、水揚げされた獲物の仕分けを手伝いながら、今朝の賄い飯に使えそうな材料を見繕っていた。“朝の賄いで使う獲物は、型が小さかったり傷が入ったりと商品にするには難があるものに限ること”というのが、家長である父親との取り決めだ。ロランドが今日の水揚げをざっとみた感じでは、型落ちのカバージャと小ぶりなメヒジョン、そして赤い殻が特徴的な親指ほどの大きさのカマロンは使っても問題ないと思われた。そしてもう一つ、ロランドが目を付けたのは、黒い斑点がちりばめられた銀白色の肌がひときわ目を引く立派な大きさの魚。ロランドは、目当ての魚を指さしながら父親に確認を取った。
「オヤジ、コレもいいか?サイズは申し分ないけど、この傷じゃあ商品にはならんのじゃねーか?」
ロランドが手にしていたのは、二尺を超える大きなローバロだった。このローバロは素潜りの漁の途中で仕留めたものだが、銛で仕留める際にわずかに手元が狂い、片身に大きな傷をつけてしまっていた。父ディエゴは、この“優良物件”を目ざとく見つけたロランドの成長に感服しつつも、親の威厳を保つという名目でわざと苦々しい表情を作りながら了解の意思表示をした。
「てめぇ、よくも見つけやがったなぁ! まぁ、半身はどうせ商品にはならねぇ。いいぜ、そのかわり、とびっきりのを頼むぜ!」
「もちろん! 目ん玉が飛び出るようなのを作ってやるから、腹を減らして待ってな!」
ロランドは、二カッと笑ってから、ローバロの尾に近い部分をしっかりと握ってよいせっと持ち上げる。ずっしりと重量感のあるローバロは、今の時期がまさに旬の魚だ。旨く料理してやらなければ申し訳ない。ロランドは、その他の魚や貝・エビ等も木箱に入れて小脇に抱えると、急ぎ足で釜場へと向かっていった。
◇ ◇ ◇
「おーい、今日は何を作るんだーい?」
「アンタの料理はホント勉強になるんだよ!また、少しでいいから味を見させてくれな!」
釜場に入ったロランドに声を掛けてくるのは、同じ港を拠点とする漁師の女将やその娘たちだ。このあたりの漁師の家では、男手は海に出て漁を行い、女衆が陸で家を守るというのが一般的なならわしであり、釜場も本来は女衆の領域であった。しかし、小さい頃から母親に連れられて釜場に出入りし、料理の手伝いをしていたロランドにとっては、この場所こそが自分の原点となる場所であり、周りもそれを自然のこととして受け入れていた。
(もっとも、これはロランドが眉目秀麗の少年であることも大きなポイントだった。最近では、一部の女将や適齢期を迎えた娘たちから“釜場のアイドル”として熱を帯びた視線で見つめられていることもあるのだが、ロランドはまだそれを敏感に察知するだけの機微を持ち合わせていなかった。)
「まぁ、とりあえず見ててくださいっす! 興味があればまたレシピを教えるっす!」
釜場の一角を陣取ったロランドは、女衆に笑顔で応えると、早速料理の段取りに取り掛かった。まず手始めにメヒジョンとカマロンはきれいな海水で水洗いしてそれぞれ別のザルに入れて水切りする。やや小さめのサイズのカバージャは、包丁の背で軽く表面をなでて残っているうろこを取ってから頭を落とし、腹に包丁を入れて内臓を取り出してから三枚に卸す。もちろん、腹骨を漉き取ることも忘れなかった。
次に、今日一番の大物であるローバロの下処理だ。初めに包丁の背で隅々までなでつけ、鱗をはがす。その後、水で軽くすすいでからエラ蓋を開き、根本の部分に包丁を入れてから腹に包丁を入れる。この時、内臓をつぶさないよう注意が必要だ。こうした後でエラごと引っ張れば、きれいに内臓を抜くことができる。最後に、腹の中の皮を丁寧に剥がし、皮目に数か所切れ目を入れてからもう一度しっかり水洗いした。その手際の早さと美しさは、周りで同じように調理をしている女衆たちの視線を引き付けるものであった。
続いては野菜の下ごしらえだ。今日持参したのは小ぶりだが真っ赤に熟したトマトと、セボーリャにアッホ、それに独特の風味を持つ濃い緑色のペレヒールだ。ロランドは、手際よく作業を続ける。トマトはざっと洗ってから四つに割り、セボーリャは皮を剥いてから、繊維に沿ってスライス。セボーリャの半分はやや厚めに刻み、もう半分はごく薄めにスライスして塩水にさらしておいた。アッホも皮を剥いて2片ほどをみじん切りにし、ペレヒールの葉の部分を細かく刻んだ。
(材料の準備はこれでよしっと。さて、お次はっと……。)
材料の下ごしらえを終えたロランドは、包丁やまな板をざっと洗ってから、二つ並んだレンガ積みのかまどの前に座り、乾いた藁や細い木切れをくべる。空気が取り込まれるよう、ある程度隙間を残しながら藁や木切れを並べると、ふぅ、と一息ついてから、真剣な眼差しで自分の人差し指を見つめ始めた。この姿こそが、ロランド流の“火起こし”だった。
“こちらの世界”に住む人間や亜人の中には『特別な能力』を持つものが生まれてくることがあった。とはいうものの、その力はほんの些細なものである。例えば『離れたところから物を浮かべて、動かすことができる力』であればせいぜい指一本が入るかどうかの高さをようやく浮かべることが出来る程度、『傷をふさぐことができる力』であれば10ペスタ銅貨程度の大きさの軽い擦り傷なら治せる程度……といった具合だ。“こちらの世界”で生きる人々は、こうした“かくもささやかな特別な能力”を、贈り物を意味する『レガーロ』と呼び、神様からのちょっとしたプレゼントとして楽しく親しんでいた。
ロランドもまた、レガーロを持つ者の一人である。ロランドが与えられたレガーロは発火能力、指先に集中して力を込めることで何もないところで火を起こすことができる能力だ。起こせる火の大きさは指の爪ほどであり、10秒ほどたつと消えてしまう。さらに、火を起こせる指は利き手である右手の人差し指から小指に限られるうえ、それぞれの指ごとに1日1回しか使えないという、やはり非常に“ささやかな能力”であった。
ロランドが人差し指の先に意識を集中させてからおよそ10秒、その指先に小さな火が灯された。その火が消えないうちに急いでかまどの口に入れておいた藁に火を移すと、日照りが続いて乾燥していた藁は簡単に燃え上がり、木切れにその炎が移っていく。そして、ある程度火が大きくなった頃合いを見計らってからかまどの口に大きめの薪をくべていくことで、十分な火力を得ることができた。
かまどの炎が十分に大きくなったところで、薪の一部を火鋏でつかみ、隣に並んでいるもう一つのかまどにも移す。先に火をつけて置いた左側のかまどには薪を足して強めの火力としたうえで、大きな鉄皿状の浅い鍋を置いた。もう一方の右側のかまどは、火力を抑え気味にしたうえで深い鍋を置き、その中にたっぷりとコルザ油を入れた。これで、複数の料理を同時進行で仕上げる準備が整えられた。
(なお、この火を起こすときの様子、特に指先を真剣に見つめて集中するときの表情は、一部の女将や娘たちの間で非常に好評を博している。これももちろんロランドがあずかり知らぬことである)
―――――
(さて、ここからは勝負どころだぞ…。)
ロランドは強い火力で先に温まった左側の大きな鉄皿に手早くオリバの実から採った油をひくと、みじん切りにしたアッホを投入する。ジュワーっという音ともに、アッホ特有の強い香りが辺り一面に漂った。周りの女衆たちも、匂いにつられてロランドの方を振り返る。アッホに軽く色づいたところで、下処理しておいたローバロを皿の中へ。先ほどよりも一層激しい音とともに、鉄皿から勢いよく湯気が立ち上った。胡椒を軽く振りながら両面を焼き、軽く焦げ目がついてきたところでメヒジョンとトマト、白いヴィーノを投入。そして、すぐに蓋をすると、火鋏で薪をたたき、立ち上る炎を消してしまう。熾火にして火勢をぐんと弱めることで、このままじっくりと蒸し焼きにするのだ。
続いて右側のかまどに置いたコルザ油の入った鍋に手をかざし、油温を確認する。1、2、3と数えたところで手に熱さを感じた。鍋の中の油が丁度よい油温となっている証左だ。ロランドは、塩コショウ、そしてタクミに分けてもらったスパイスミックスで味付けし、アロースの粉をまぶしたカバージャの身を油の中に入れていく。最初に奏でられたシャーっという激しい音がすぐさまポコポコという落ち着いた音となり、その後少しずつパチパチと高くはじけるような音へと変わっていく。ロランドは長い耳を鍋の中の音に集中させ、カバージャの揚がり具合を見極める。パチパチという乾いた破裂音が大部分となった頃合いで、鍋の中からカバージャを引き上げる。きつね色に香ばしく揚げられたカバージャは、鍋の上で軽く油が切られた後、重ならないようにしてバットの上に並べられた。
カバージャを揚げ終わると、今度はカマロンの調理だ。殻つきのままのカマロンと、厚めにスライスしたセボーリャが同じボウルの中に入れられる。そして、トウモロコシの粉とアロース粉がそれぞれ同じぐらいの分量を見当に投入され、全体に粉がまぶされるようにさっくりと混ぜられる。途中で、細かく刻んだペレヒールも追加された。ほどよく混ざった頃合いで、卵、塩コショウ、そして水を少々足されてさらにかき混ぜられる。すると、カマロンとセボーリャがクリーム色の衣でつながれた。こうして出来たものをロランドは、大き目のスプーンで掬い取り、温まった油の鍋に投入し、先ほどと同じように揚げていく。全神経を長い耳に集中させて音を聞き分け、ここぞというタイミングで引き揚げれば、カマロンとセボーリャのかき揚げの完成だ。
かき揚げが出来上がると、調理台の上には家から持参したトルティーヤの皮が並べられた。ロランドは、水気を切っておいたセボーリャの薄切りをトルティーヤの上に敷き、さらに自宅から持参した手製のマヨネーズとスイートチリソースを載せる。そして、先ほど揚げたカバージャをそれぞれの上に一つずつ載せてくるりと包めば、手でつかんで手軽に食べられる主食代わりの一品、揚げカバージャのトルティーヤ包みの完成だ。
そしてロランドは、弱火で蒸し続けていた鉄皿の蓋をとり、中の様子を確認する。しっかりと蒸されたローバロの身は火がしっかりと通っていた。一緒に入れたメヒジョンも口がしっかりと開き、オレンジ色をしたプリプリの身を覗かせている。蓋をする前に入れたヴィーノにはローバロやトマトから出た旨みが合わさり、極上のスープとなっていた。ロランドは、スープを一匙分すくって味を確認してから、かるく塩を足してから鉄皿の両脇についている取っ手にフックをひっかけ、棒で持ち上げて火から外した。
「こんなでっかい魚を丸ごとアクアパッツアにするなんて、豪快だねぇ!」
きっと昔は美しかったであろうと思われる、体格の良い女将がお腹をさすりながら話しかけてきた。ロランドは、少しはにかみながらこう答える。
「たまたま、売り物にならないローバロがあったので、どうせなら豪快にって思ったんすよ。あ、こっちの小さく切ったトルティーヤは、味見代わりにもしよければ皆さんでつまんでくださいっす!気に入っていただけたら作り方教えるっす!」
「そりゃいいねぇ。じゃあ、いつものように後片付けは任せときな!」
先ほどの女将がロランドの背中をドーンと叩く。重みのあるその一撃は、ロランドをつんのめらせるのに十分な威力だった。その衝撃をなんとか持ちこたえたロランドは、いてーなオバチャン!と言葉をぶつける。そのやりとりはあまりにもおかしく、釜場全体が笑い声に包まれるのだった。
◇ ◇ ◇
アルバレス一家は釜場の隣の食事スペースでテーブルを囲んでいた。中央に据えたローバロを豪快に丸ごと蒸し上げたアクアパッツアをロランドが器用に取り分けると、正面に座る父親の鼻先にずいっと差し出す。
「オヤジ! さぁ、たべてくれっ!今日のはいつも以上に自信作だぜ!」
フンッ、と鼻息で返事をした父ディエゴは、ひったくるようにして皿を受け取り、静かに自分の前に置いた。そして、そのまま重々しく口を開くと、家長として感謝と祈りの言葉を捧げる。
「では、竜神に礼を捧げよう。竜神よ、今日もこうして生きる糧として海の恵みを分け与えてくださったことに、感謝する」
家長の言葉とともに、その場の全員が胸の前で手を組み、短く黙祷する。ひと時の沈黙が場を包み ―― その後はいつものごとくにぎやかな食事の風景が繰り広げられた。父ディエゴは、まずは豪快に樽の形をしたジョッキに入ったエールを一瞬で呑み干すと、掻き込むようにアクアパッツアを頬張っていく。皿はあっという間に空となり、無言でお代わりを要求するように器がロランドに突き出された。
「ったく、ちっとは俺にも食わせるヒマを与えやがれっ!」
ロランドは、悪態をつきながらも笑顔でお代わりの要求に応じた。ディエゴはこれまで一度たりともロランドの料理を“言葉で”ほめたことがない。しかし、多めに作った料理であっても必ず残さず平らげ、また、家族のだれよりも多く食べようとしてくれる。これが不器用なディエゴなりの愛情の示し方であった。
その心が伝わっているからこそのロランドの笑顔であった。
「このトルティーヤ、ちょっぴり辛いけど、おいしいねぇ。これがまよねーず?ってやつだっけ?大したもんだねぇ」
母親は、つい最近までは未知の味であったマヨネーズの入ったトルティーヤをとても気に入ったようで、次々と手を伸ばしてはパクパクと食べ進めていく。美味しそうにたくさん食べてくれるのはうれしいのだが、最近なんとなく釜場の女将さんたちに体型が近づいて行っているのが、息子ロランドとしては気がかりであった。
「私はこっちのかきあげ?が好きーっ。香ばしくて、甘くておいしいのっ! おにーちゃん、また今度も作ってねっ!」
まだ幼い妹は、どうやらかきあげがお気に入りのようだ。普段は生意気ばかり言ってくる妹も、この時ばかりは殊勝な態度を見せる。いつもこの態度ならもっとかわいいんだけどなぁ…とロランドは思いつつも、目尻が微妙に下がるのを二人の兄は見逃さなかった。
「ったく、いつもお前はレイナには甘いな……」
「レイナ、ロランドに頼みごとをするときは、朝食の時がいいぞ。きっと何でも聞いてくれるぞ」
「こらーっ! 兄貴たちなにいってんの!」
頬を膨らませて抗議するロランド。しかし、二人の兄は全く動じず、どこ吹く風だ。その様子にこらえきれなくなった妹レイナが最初に笑いだせば、テーブル全体が笑い声に包まれる。
普通であれば多すぎると思えるような料理の数々もあっという間に残り少なくなっていた。そんな中、ふと空を見上げた母親が、ロランドに声をかけてくる。
「そういえば、そろそろ時間じゃないの?」
母親の言葉に、ロランドは懐にしまってあった懐中時計を取り出して時刻を確認した。正面に座る父親から『ツバメ』への就職を記念して贈られた大切なものだ。そしてその時計の針が指し示す時間は、ロランドが出発しなければならない時間を告げていた。
「あ、いっけねっ! じゃあ、ひとっ走り行ってくるっす!」
ロランドは既に残りわずかとなったトルティーヤをつまんで一口で頬張ると、手元の水桶で急いで手をすすぎ、荷物を背負って大慌て駆け出した。今日も頑張るんだぞーっ、転ばないように気をつけろよーっ、と背後からかけられる兄妹からの声援に、片手を突き出して応える。早く一人前になれるよう頑張ろう、ロランドは今日も気分を新たに喫茶店『ツバメ』へと向かうのだった。




