Coffee Break ~ ロランド家からの贈り物(2/2パート)
※前パートからの続きです。
それから二週間余りがたち、再び喫茶店『ツバメ』のキッチンにディエゴがやってきた。
「いや、言われた通りにやったんだが……こんなんで、本当にいいのか?」
試作品をテーブルに並べながら不安げな表情を見せるディエゴ。
しかしタクミはボニートを手に取ると、その重さや香りを確かめながら満足そうに微笑んだ。
「素晴らしい出来栄えです! いや、ここまでうまくいくとは思いませんでした」
「でも師匠、こんなに真っ黒じゃあ……」
横から覗き込んでいたロランドも不安げな声を上げる。
それもそのはず。タクミの指示通りに加工して出来上がったのは、まるで『焦げた木の塊』にも見えるもの。とても『食べ物』とは思えなかったのだ。
それでもタクミの様子は変わらない。ご機嫌なままナイフを手に取り、真っ黒に固まったボニートの表面にナイフを当てる。
「いや、これくらいでイメージ通りです。ほら、黒い表面を削ればこうしてきれいな身が出てきますよね?」
表面を削ると、その下からは少しくすんではいるものの、枯れたピンク色にも似たきれいな身が現れた。
タクミはそのまま身の部分も削りとると、小皿の上に乗せて差し出す。
「今回作って頂いたのは鰹……ボニートの荒節というものです。こうやって削って使うのですが、まずはこのまま召し上がってみてください」
半信半疑といった様子のディエゴとロランド。しかし、タクミが勧めるのだからとそろって削りくずに手を伸ばした。
やや厚めに削られたそれはパリッとした食感。
口に含めば焼き魚にも似た香ばしい香りが一気に広がってくる。
そしてしばらくゆっくり噛みしめていると、じわっとボニートの風味 ―― それも脂を感じさせない純粋な『旨味』が溢れ出てきた。
「ほほー! こりゃ確かにうめぇな! 酒が呑みたくならぁ!」
「燻してるんでちょっと香りが独特っすけど、うん、こりゃいいっすね! あ、もう一つ……」
二人ともその味わいが気に入ったようで、ボニートの削りくずに次々と手を伸ばしていく。
その様子に、タクミもまたほっと息をつく。
「お口に合いましたようでなによりです。ただ、この荒節、実はそのまま食べるよりも料理に使ってこそ真価を発揮するものなのです」
「ほほう! 料理に使うとな?」
「やっぱりさっきみたいに削って使うんっすか?」
「料理に使う場合にはもっともっと薄く削って使う方が多いですね。ということで、実はこんなのを用意していまして……」
そういってタクミが取り出したのは、一つの木の箱。
ふたの部分の真ん中には金属がはめ込まれいる。
ロランドは、これとよく似た道具に心当たりがあった。
「あれ? これって氷を削るやつっすか? にしてはサイズが小さいっすけど……」
「そういえば、アレともよく似ていますね。これは『削り器』といって、節を削る専用のものです。いいですか、見ててくださいね……」
タクミはそういうと、ボニートの荒節を木箱の上部に当てる。
そしてそのまま箱の上を滑らせていくとシャーシャーッシャーと小気味の良い音が響いてきた。
角度を変えながらしばらく荒節を削ると、箱を開けて中身を取り出す。
「おお、これはまた素晴らしく薄いな……」
「向こう側が透けるくらいきれいっす! それに香りも一段とすごいっすね」
「上手くいって何よりでした。グスタフさん謹製の削り器様様ですね。それはさておき、このような形『削り節』にすることで、たとえばサラダに振りかけたり、ケッソやトマトと和えたりと、とにかく色んな料理に使うことができます。ということで、早速一品作ってみましょう」
タクミはそういうと、削り節を持ってガスコンロの前へと移動する。
他に用意しているのは、炊いたアロースに卵、セサモ、プエーロのみじん切り、それに塩こしょう。
タクミの手元を見ようと後ろから覗きこんだロランドが、疑問めいた声を上げる。
「これはピラフっすか? でも、肉が無きゃちょっとシンプルすぎる気が……」
「ピラフといえばピラフですが、どちらかと言えばチャーハンですかね。まぁ、見ててください」
タクミはやや多めにコルザ油を入れたフライパンを強火にかけると、手際よく卵を溶く。
やがて十分に熱されたフライパンから煙が上がったのを合図に卵を流し入れれば、高熱で焼かれた卵がぶわっと一気に膨らんだ。
間髪を入れず炊いたアロースを入れ、卵とよく混ぜ合わせていく。
一粒一粒が卵にコーティングされ、黄金色に輝くアロース。
全体がパラりとしたところで塩こしょうを加え、プエーロとセサモを炒める。
「そして最後にコレです」
ロランドとディエゴが固唾を飲んで見守っている中、タクミは先ほどの削り節を一つかみ、二つかみとたっぷり入れていった。
仕上げに軽く炒め合わせてから一気に皿に盛りつけ、最後にもう一度削り節をふわっと載せる。
「削り節のチャーハンです。どうぞ熱いうちにお召し上がりください」
黄金色のチャーハンの上では、薄く削られたボニートの荒節がくねくねと踊っていた。 香ばしい香りも辺り一面に広がっている。
「ケズリブシのチャーハンと……これはまたすごく旨そうな……」
ディエゴがゴクリと喉を鳴らしながら、握りしめたスプーンでチャーハンを掬う。
そしてそれを口へと運び、目を閉じて何度も咀嚼。
一瞬、キッチンがシンと静まりかえる。
すると、ディエゴはカッと目を見開き、黒い兎耳をピンと立てて、ガッツガッツと勢いよく掻きこみ始めた
「ちょっ!? 親父っ! オレの分も!!」
「うっせぇ!! これは誰にもやらん! オレのもんだ!!!」
漁師の証である太く逞しい腕でガッツガッツと掻きこむディエゴ。
ロランドがなんとか奪おうとするが、筋骨隆々の大きな背中に阻まれてはなかなか皿の上にまでスプーンを伸ばすことができない。
その光景に微笑みながら、タクミは二枚目の皿をロランドに差し出した。
「ご安心ください、ちゃんとロランド君の分もありますよ」
「あざーっす! さすが師匠っす!!」
ロランドはぺこりと頭を下げると、すぐさま皿を受け取ってスプーンを差し入れる。
よく見るとアロースの一粒一粒に玉子がまとい、普段のピラフよりもパラりとした仕上りだ。
期待に胸を膨らませながらチャーハンを口に運ぶ。
一回、二回、そして三回噛みしめたところで、ロランドもまたかっと目を見開いた。
「うんめーーーーっす!! これ、ヤバいっす!」
最初に感じるのは玉子を薄くまとったアロースの香ばしい香り。それを幾度も噛みしめていると仲から甘味や旨味がじんわりと口の中に広がってくる。
それとともに広がってくるのが魚介系の香ばしさ。おそらくこれがボニートの燻製であろう。
長い間燻製されているものの、表面を削っているせいか嫌な煙臭さは一切ない。それでも焼いたボニートよりもいっそう深い、香ばしく芳醇な香りが鼻をくすぐっていた。
そして何より驚くべきは、ボニートの純粋な旨味だ。
ごく薄く削られたボニートの燻製のどこにこんなにも旨味が隠れているのであろうか? ぎゅっと凝縮された純粋な旨味が次々と口の中に溢れだし、それが炒められたアロースと出会うことでその旨味が何倍にも膨れ上がっていた。
ブエーロにも適度に火が入り、わずかに辛みを残した旨味と特有の香味が口の中を洗い流す。
小さなセサモは口の中でプチプチとはじけ、食感と香ばしさが良いアクセントだ。
アロース、玉子、ブエーロ、セサモ、そしてボニートの燻製のそれぞれの旨味と香ばしさが存分に引き立った極上の五重奏。
それがまさにタクミの作ったチャーハンであった。
瞬く間に空っぽになった二人の皿には、アロース一粒とて残っていない。
親子そろってふぅと息をつくと、カランとスプーンの音が響いた。
「いかがでしょう、お口に合いましたでしょうか?」
「いやー、これはスゴイ! この味は海に暮らすものにはたまらん味だ!」
「肉が入ってなくてもこんなに旨いなんてびっくりっす! きっとこれをツバメで出したら大行列間違いないっすよ!」
「それは良かったです。私も初めての経験でしたので上手くいくかどうかは不安も大きかったんですが、なんとかなったようですね」
ディエゴとロランドの絶賛に、タクミがほっと胸をなでおろす。
するとディエゴが、残ったボニートの荒節を手に取りながら、しみじみとつぶやく。
「しかし、これは本当に凄い。まさかこんな木みたいになったヤツにこれほど旨味が詰まってるとはなぁ」
「何度も燻製を繰り返すことで旨味だけが閉じ込められているってことです。水分はほとんど飛んでいますので涼しくて風通しの良いところに置いておけば日持ちすると思われます」
「それはありがたいな。日持ちさえすれば獲れすぎたボニートも無駄にしなくて済むし、なによりこれだけ旨いモノになるんだったらみんな喜ぶだろうよ」
ニカッと笑みを浮かべるディエゴに、タクミも頷いて答える。
カビ付けしてさらに加工すれば何年も持つ「本枯れ節」にすることも出来る。
しかし、肝心のカビ付けに使うカビを手に入れる術はない。こればかりは、さすがのタクミと言えどもどうしようもなかった。
とはいえ、この辺りの気候は日本に比べて湿度が低い。普段の食材の傷み方を鑑みるに、きちんと保管すればカビの発生は相当抑制されるであろう。
実際にはこれからの実験にはなるものの、カビがついていなくても数ヶ月は持つ可能性があるとタクミは考えていた。
タクミが思いを巡らせていると、今度はロランドから声がかかる。
「でも師匠、これってこうやって使うだけっすか? これだとそんなに量を使えないと思うんっすけど……」
「ああ、それは大丈夫。たとえばこの削ったものを沸かしたお湯の中に入れて、軽く煮立たせるだけで、簡単に出汁 ―― スープを取ることができます。ここにある食材ならパタータやサナオリア、トマト、それにトシーノなんかを入れて一緒に炊いてやるといいかもですね。オムレツを焼くときに牛乳の代わりに出汁入れても美味しく出来るでしょうし、もちろん肉や野菜の炒めものに加えればぐっと味が引き立ちます。使い方はとっても幅広いですよ。何せ旨味の塊みたいなものですしね」
「なるほど、めっちゃすごいっす! ぜひ教えてくださいっす!」
「もちろんです。ディエゴさんにもいろいろレシピを提供させていただきますね」
「そりゃありがてぇ! 簡単にスープが取れるって話なら、母ちゃん連中も大喜び間違いなしだ!」
その可能性の大きさを感じ取ったディエゴが、タクミの手を取ってぶんぶんと縦に振る。
タクミも苦笑いを浮かべてはいるが、内心では「鰹節」が手に入った嬉しさで一杯であった。
しかし、ロランドが不意に声を上。
「あれっ? ここにあった残り、片付けちゃったっすか?」
「えっ? そのままにしていたはずですが……」
気づけばキッチンテーブルの上に置いてあったはずの削り箱が見当たらない。
もちろん勝手に足が生えて逃げる様なものではない。
顔を見合わせ、首をかしげるタクミとロランド。
すると、テーブルの下からかすかに声が聞こえてきた。
「にゃふふ……、これこれ、これなのにゃー……」
タクミが覗くと、その視線の先にいたのはニャーチ。
いつのまにかテーブルの下に潜り込み、削り箱をしっかりと抱え込んでいた。
中に入っていた削り節を一口ずつ口の中へ放り込んでは、とろけるような満面の笑みを浮かべている。
よほど削り節が美味しいようだ。
その様子をしばらくじーっと見詰めていたタクミ。
頃合を見計らうと、ニャーチの背中をむんずと掴み上げた。
「はいはい、その辺にしておきなさい」
「にゃーっ!? み、みつかったのにゃっ!?」
「いや、めっちゃ声出てたっすよ……」
思わずポツリとつぶやくロランド。
やがてキッチンは、いつものように賑やかな笑い声で包まれるのであった。
お読みいただきましてありがとうございました。
前後編でのコーヒーブレイク。これでようやく“こちらの世界”にも鰹節登場です!
ちなみに今回作ったのは「荒節」と呼ばれるカビ付け前のもの。一般には花かつおや削り節パックの原料としてよく使われています。
カビ付けした本枯節に比べると少し癖は強いですが、さっと煮出せば香りの立った出汁が、じっくり煮出せば旨味の濃い出汁がとれます。
昆布出汁や醤油を多用する和食以外でも、グルタミン酸が豊富なじゃがいもや完熟トマト、グアニル酸が豊富な干しきのこ類と合わせることで『旨味の相乗効果』が発揮され、極上の味わいに。
個人的なお勧めは「鰹出汁のカレー」。顆粒出汁でも構いませんので、ぜひカレーに鰹出汁をプラスしてみてください。いつものカレーが何倍にも美味しくなること請け合いです!
……おでんの後のカレーも美味しいですよね?w
さて、もろもろの都合で更新ペースが空いてしまっていて申し訳ございません。
年内はあと1回更新したいと思っておりますので、のんびりお待ちいただければ幸いです。
また、お知らせがございます。
コミックス第2巻が12/22にめでたく発売となります!コミックス1巻も4度目の重版が決まりました。
明日はComicWalker版の10話も更新予定。
関連情報は活動報告に詳しく掲載しておりますので、ぜひ↓のリンクからご覧いただければ幸いです。
それでは、引き続きご愛読いただけますようよろしくお願い申し上げます。