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60 異国からの便りと決意の会食(2/5パート)

※前パートからの続きです


 翌日、ソフィアとサバスが『ツバメ』へとやってきたのは、ランチのピークが落ち着いた頃であった。

 私学校の休みに合わせてホールを手伝っていたルナが、入店してきた二人に声をかける。


「いらっしゃいませっ。サバスさん、お久しぶりですっ」


「おー、ルナちゃんか。元気そうでうらやましいのぉ」


「ありがとうございますっ。お席をご用意してありますので、こちらへどうぞっ」


 ルナの元気な声に目を細めながら、案内された席に腰を掛けるサバス。

 懐からハンカチを取り出して額の汗を拭うと、ふーっと大きく息をついた。


「っと、失敬。しかし、こうも暑いと老体には堪えますな」


「いえいえ、これだけ暑いと体調を崩すのも無理ありませんわ。でも、今日はタクミさんが夏バテに効く特製ランチをご用意してくれるそうですから、しっかり食べて元気をつけましょう。」


「ほほう。しかし、どうにもこの暑さで食が細くなってしまってのぉ。タクミ殿の料理は楽しみなのじゃが、果して食べきれるかどうか……」


「タクミさんのことですから、きっとその辺りもちゃんと考えていらっしゃいますわ。ね、ニャーチさん」


 ちょうどテーブルへとやってきたニャーチにソフィアが声をかける。

 ニャーチもまた水とナプキンを二人の前に並べながら、コクコクと頷いた。


「ごっしゅじんのご飯を食べたら元気百倍なのなっ! すぐにお持ちしますので少々おまちくださいませなのにゃーっ」


 ニャーチがぺこりと頭を下げてキッチンへと戻っていく。

 いつもと変わらぬ元気な後ろ姿が、今日のサバスには少し眩しく感じられた。

 ふぅともう一度息を突くと、僅かに水滴のついたグラスをくいっと傾ける。


「おお、これはよく冷えておりますな。それに僅かな酸味が何とも心地いい……」


「これはリモン(レモン)の香りね。料理の前から驚かせるなんて、タクミさんったら本当に油断なりませんわ」


「いやいや、これもタクミ殿の気遣いの現れなのでしょう。うーん、実にうまい」


 サバスはもう一度グラスを傾けると、リモン水を一気に飲み干す。

 喉をするすると通り抜ける冷たさが、体にたまった熱気を逃がしてくれているようだ。 そうすると不思議なもの、窓から入ってくる風にも涼しさが感じられる。

 少し動き始めたお腹をさすっていると、ルナが最初の料理を運んできた。


「最初に前菜とスープをお持ちしましたっ。えっと、前菜は『夏のヘラティーナ(ゼリー)寄せ』、スープは『マイス(とうもろこし)のポタージュ』だそうですっ」


「ありがとう。そうそう、お水もお変わりいただけますかな?」


「はいっ、少々お待ちくださいませっ」


 ルナがペコリと頭を下げてから、急ぎ足でキッチンに戻っていく。

 テーブル並べられていたのは、中に色とりどりの具材が散りばめられた美しい前菜と、中央に僅かに緑が散らされた淡黄色のスープ。

 そのあまりの美しさに、ソフィアは思わず息を呑んだ。


「また今日もすごいのが出てきたわね……」


「本当に、こちらのヘラティーナ寄せなど、まるで宝石のようではございませんか。中はプルポ(タコ)カマロン(エビ)、それと……」


「赤や黄色のはピミエント(パプリカ)ね。それに緑のはオークラ(オクラ)かしら?」


「おそらくは。さて、この美しさを崩すのは少々もったいない気もしますが……」


 といいつつも、サバスはわずかに色がついた透明な塊にスプーンを入れ、口元へと運ぶ。

 すると、その食感に思わず目を見開いた。


「おお、これもなんとも冷たくて心地良い。それに、このフルフルとした食感がまた実に楽しいですな」


「へーっ。思ったよりしっかりとした味わいね。これは……、そう、鶏のスープをヘラティーナに仕立てたんだわ」


「ですな。うむ、これは何とも癖になりそうな……。おほーっ、具と一緒に食べるとまた格別ですな」


 プルポやカマロンを噛みしめれば、ギュッと中に詰め込まれた海の幸の旨味が口いっぱいに広がっていく。

 角切りのピミエントはシャキシャキとしており、粘りのあるオークラとの食感の対比が面白い。


「いや、何とも不思議な料理ですな」


「本当ね。そうすると、こちらもきっと……」


 そう言いながら、ソフィアが今度はマイスのスープにスプーンを伸ばす。


「えっ!? これも冷たいのっ!?」


 マイス色のクリーミーなスープを口の中に含むと、予想もしなかった冷たさが舌の上を転がっていく。

 少し塩気を含んだスープはどこまでもまろやかであり、夏の太陽の陽射しをいっぱいに浴びたマイスの自然な甘さが実にうれしい。


「ほほー。これまた美味ですな! 温かいマイスのスープはこちらでも何度か頂いたことがありますが、この冷たいスープもまた格別ですな」


「まさか冷たいスープとは思ってもいませんでしたからびっくりしましたわ。でも、本当に優しいお味で、とっても美味しいですわね。んっ、これもいいわね……」


 スープに浮かべられていた角切りのマイスブレッドはカリッと香ばしく、甘くなった口にちょうど良いアクセントだ。

 甘くまろやかなスープに、さっぱりとしながらも旨味がギュッと詰まったヘラティーナ。この二つの妙なる味わいの対比が実に楽しい。

 そして、この暑い日の中で、二つの料理の程よい冷たさが何よりのご馳走である。

 気づけば、二人ともあっという間に皿を空っぽにしていた。


「いやはや、これだけ食が進んだのは久しぶりですじゃ」


「私もあっという間でしたわ。でも、不思議ね。食べれば食べるほど食欲が沸いてくるみたい」


「本当ですな。まるで魔法にかかったようじゃ」


「お気に召していただいたようで何よりです。さて、本日のメインをお持ちしました」


 ニャーチを連れ立ってやってきたタクミが、二人の前に皿を並べる。

 出された料理は、赤いソースがたっぷりとかかったパト(パスタ)

 具材は拍子切りにされたトシーノ(ベーコン)に乱切りのなす(ベレンヘーナ)、大ぶりにざく切りされたセボーリャ(玉ねぎ)、そして上からはアルバカ(バジル)も散らされている。


 一方のニャーチが運んできたのは筒に入れたれたガラスのボトルであった。

 筒の中は氷水で満たされており、ボトルには水と共にリモンのスライスが入っている。

「お水のお替りはこちらからどうぞなのにゃっ! あと、ごしゅじんこっちもどうぞなのなーっ」


 別に運んできたカゴの蓋をニャーチが開け、その中からタクミが二つのものを取り出す。

 手にしたのはケッソ(ハードチーズ)とおろし金。

 タクミが改めて二人に声をかけた。


「本日のメイン、『カポナータのパト』でございます。こちらにケッソをおかけしてもよろしいですか?」


「ええ、お願いしますわ」


「ワシにも頼む」


 二人からの答えに頷くと、タクミが皿の上でシャッシャッシャとケッソを削る。

 僅かに黄色がかった乳白色の粉が赤いソースの上に散ると、パトがいっそう輝きを増した。

 二人はたまらず、ゴクリと喉を鳴らす。


「後ほどデザートをお持ちいたします。どうぞ、ごゆっくりお召し上がりください」


 いつものように会釈をしてからキッチンへと戻るタクミ。

 二人はフォークを手にすると、くるりとパトを巻き込んで口へと放り込んだ。


「ほほう、トマトの酸味が実に美味し……おおっ!? こ、これは……!?!?」


「か、辛いですわっ!!」


 思わぬ刺激に、ソフィアが慌てて口を押さえる。

 サバスもまた、急いでリモン水を注ぐと、舌を洗うように口に含んだ。


「あー、驚きました。いや、でも、これは……」


「ええ、後を引きますわね」


 二人は辛さを想像しながら、改めてパトを口に運ぶ。

 今が旬のトマトをふんだんに使ったソースには、トシーナの旨味がたっぷりと溶け込んでいる。

 その芳醇な旨味の奥からやってくるのがピリリと刺激的な辛み。

 どうやらカイエナ(とうがらし)アッホ(にんにく)ヘンヒブレ(しょうが)がしっかりと使われているようだ。

 この辛みが胃の腑をいやおうなく刺激し、食欲を掻き立てる。

 

 素揚げされたベレンヘーナからはしっかりと甘さが引き出されており、歯ごたえが残るように炒められた大ぶりのセボーリャもまたさっぱりとした味わい。

 それらがトマトソースと出会うことで、甘味と辛み、そして旨味が何重ものハーモニーを奏でていた。


「最初はびっくりしましたが、いや、これはなかなかどうして……んぐ、んぐっ」


「本当に美味しいですわ。ちょっと病み付きになりそうですわね……んんっ」


 言葉少なにパトを頬張る二人。額にはじんわりと汗がにじんでいる。

 舌が辛くなったところでリモン水を一口含むと、また次の一口が食べたくなる。

 言葉も忘れ、黙々と食べ勧めていけば、ボリューム満点だったパトがあっという間にお腹の中へと納まった。


「いやはや、すっかり食べきってしまいましたな」


「本当にあっという間でしたわ。でも、ちょっと汗をかいてしまいましたわね」


 ソフィアがそういいながら、ナプキンで胸元をポンポンとはたく。

 サバスもまた、額に浮かんだ汗をぐいっとふき取りながら、ふぅと息をついた。


「いや、でも不思議ですな。身体はポカポカしていますのに、妙に涼しさを感じますぞ」


「そういえば……。タクミさん、これもあなたの狙いってことでいいのかしら?」


 ちょうどテーブルへとやってきたタクミへと声をかけるソフィア。

 運んできたソルベーテ(シャーベット)を二人の前に並べながら、ゆっくりと頷く。


「ご明察の通りです。今日のパトに使いましたカイエナやアッホ、ヘンヒブレの辛みには食欲を増進する効果がございます。それに、この辛みが発汗を促しますので、涼をいっそう感じて頂けるかと考えました」


「確かに言われてみたら、夏の暑い時こそサルサたっぷりの辛ーいトルティーヤとか食べたくなるわ。カーッと汗をかくと、意外と気持ち良かったりするのよねー」


「しかし、それも組み立ての妙があってこそじゃな。前菜とスープの二つがなければ、フォークが進まなかったかもしれんの」


「サバス様はここ最近あまり食が進んでいなかったようですので、口当たりの良いものを先にご用意させて頂いておりました。実はにこご……ヘラティーナ寄せにも食欲が湧いていただけるようヘンヒブレを少量使っております」


「そしてトドメがこのリモン入りのソルベーテってわけね。さっぱりと冷たくて、火照った身体を冷やしてくれる……もう、本当に素敵すぎるわ!」


 白いソルベーテを口へと運びながら、ソフィアが身じろぎする。

 サバスもまた、同じように口へと運びながらうんうんと何度も頷いた。


「いや、おかげさまで久しぶりに食事を堪能できました。タクミ殿、本当に感謝いたしますぞ」


「いえいえ。お口に合いましたようでなによりです。それでは、私はこの辺で。何かありましたらお声掛け……」


 タクミがキッチンへ戻りかけたところで、入口からカランカランカラーンと大きな音が響いてきた。

 ホールに飛び込んできたのはフィデル。

 タクミの姿を見つけるや否や、いつになく大きな声を張り上げる。


「大変です! ビックニュースですーっ!!」


「こらこら、営業中ですよ。お静かに」


「っと、すいません。いや、ちょっと大変なニュースが……!」


 そう言いながら、フィデルが手元に抱え得ていた紙束をタクミに差し出す。

 それはいつもフィデルが扱っている新聞、日付を見ると、どうやらつい先ほど到着したばかりの第二便の列車で届けられたもののようだ。

 その一面には、ひときわ大きな見出しの文字。

 それに目を落とすと、タクミが大きく目を見開いた。


 珍しく焦りの表情を見せるタクミの様子に、ソフィアは妙な胸騒ぎを覚える。


「タクミさん、どうかされまして?」


 その言葉にタクミは答えず、代わりに先ほどの新聞を手渡した。

 素早く一面の記事に目を通すソフィア。

 そして、一瞬の間の後、ソフィアの手元から新聞がバサリと床へと落ちた。


 何事かと思いながらサバスがそれを拾い上げ、同じ記事を見る。


「なんと……」


 サバスが唸り声をあげながら、新聞を握りしめる。

 

 そこに書かれていたのは、海外からの急報。

 

 曰く、『テネシー共和国で政変発生、守旧派が政権を奪取』と ――。


※次パートへと続きます

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