56 悩み深き女性たちとヘルシーランチ(2/2パート)
※前パートからの続きです
「こんにちわ。もうよろしいかしら?」
ソフィアが再び『ツバメ』へとやってきたのは明くる日の十一時前のことであった。
第一便が到着する前ということもあり、『ツバメ』の店内には落ち着いた空気が流れている。
店頭のボードには「本日、スペシャルヘルシーランチ(限定十食限り)」の文字。
その横に描かれたかわいらしい似顔絵にくすっと笑みをこぼしていると、その本人から声がかかった。
「いらっしゃいませなのなっ! お席ご用意しておりますなのにゃーっ!」
「ありがとう。もう、昨日から楽しみで楽しみで、ワクワクがとまりませんでしたわ」
「ごっしゅじん、すっごいの作ってたのな。きっとソフィアさんも気に入るのにゃっ! それではこちらへどうぞなのなーっ」
昨日と同じ、見晴らしの良い窓際の特等席へと案内されるソフィア。
注文はもちろん『スペシャルヘルシーランチ』である。
「お待たせなのなっ! ご注文の『スペシャルヘルシーランチ』、ほっぺたが落ちないようにおきをつけくださいなのにゃっ!」
ニャーチが運んできた料理は思ったよりも素朴なもの。
少し大きめのスープ皿と小鉢、そしてサンドイッチと一品が載ったプレートだ。
「どんなものが出てくるかと楽しみにしてましたけど、思ったより普通かしら? でも、タクミさんの事だからきっと仕掛けがあるのですわよね?」
「ふっふーん、それは後のお楽しみなのな。 それではどうぞごゆっくりなのにゃー!」
トコトコとカウンターへと戻っていくニャーチを見送ってから、ソフィアはフォークを手に取った。
まず最初に目を付けたのは小鉢。どうやら、一口大にカットしたパルタやトマトに、柔らかいケッソが和えてあるようだ。
緑、赤、白と色とりどりの組み合わせは、見た目にも美しい。
上からは、ほんのりと緑色をしたドレッシングのようなものがかけられていた。
(でも、ケッソがこんなに使われているとヘルシーとは言い難いのではないかしら……?)
ソフィアは疑問に想いながらも、まずは一口目を口に運ぶ。
すると、予想とは違う味わいに、思わず目を見張った。
(これ、ケッソではないですわ!)
アボカドのコクのある味わいと、少し酸味がかったトマトの旨味、それらがほのかに苦みを感じるドレッシングと一体となり、絶妙なハーモニーを奏でている。
そして、ケッソと思っていた白いもの。
コクのあるまろやかな味わいを想像していたそれは、ひんやりとしていて、しかも実にさっぱりとした味わいであった。
食感もケッソより柔らかで、舌で押しつぶせば簡単にホロホロと崩れていく。
どちらかと言えばフランに近い食感、しかし味わいは似ても似つかない。
感じられる風味はどこかで味わった覚えがあるものの、ソフィアにはこれが何か思いもついていなかった。
(と、とりあえず次ですわね)
気を取り直したソフィアは、今度はスープ皿を手元に引き寄せる。
注がれた赤いスープには、数種類の野菜とともに挽き肉を丸めたような具材がゴロゴロと入っている。
こちらもはた目から見るとなかなかのボリューム感だ。
ソフィアはスプーンに持ち替えると、スープとともにミートボールらしきものを掬い、口へと運ぶ。
(うーん、こっちもとても美味しいですわ!)
スープの赤色はトマトのもの。その旨味がたっぷりと詰まったスープは、『ツバメ』では馴染みの味だ。共に入れられた香辛料の香りも、ソフィアの鼻をくすぐってくる。
そして、ミートボールらしきもの。じっくりと煮込まれたそれにもスープの旨味はしっかりと染みわたっており、噛むほどにじゅわっ、じゅわっと美味しいスープが溢れ出てきた。
しかし、不思議なのはその“軽さ”。挽き肉で出来たミートボールであれば脂や肉の旨味がたっぷりと感じられるはずである。
それに比べると、このスープのそれは味わいが軽い。さっぱりとしたその味わいは、どれだけでも口に出来てしまうかのようにすらソフィアには思えた。
(不思議よねぇ……。まるでお肉ではないみたい。そうすると、これも何か仕掛けがあるのかしら?)
ソフィアが最後に手を伸ばしたのはサンドイッチ。普段よりも薄切りのマイスブレッドに、ずいぶんと分厚い玉子焼きが挟まれている。
こちらもなかなかのボリュームだ。
ブレッドと玉子焼きの間には赤いソースが垣間見える。おそらくはケチャップであろう。
ソフィアは上下を軽く抑えると、豪快にパクリとかぶりつく。
「ふわぁぁぁぁ……!」
思わず言葉を飛び出させてしまい、ソフィアが慌てて口元を押さえる。
玉子焼きはふわふわでやわらかく、さっぱりとした軽い味わい。
もちろん、トーストされたブレットとの相性も抜群だ。
その味わいをケチャップの美味しさがいっそう引き立てている。
ソフィアが目を閉じて、もう一口パクリとかじりつく。
黄色い柔らかな羽毛布団に包まれながらうつらうつらしていると、どこからともなくソフィアを呼ぶ声が聞こえてくる。
まだ眠い目を擦りながらそちらに向かうと、テーブルの上には色とりどりのご馳走。
休日のブランチのお相手は、もちろんあの人……。
(ああ、リベルト様……)
まだ戻らぬ想い人のことを脳裏に浮かべながらうっとりと笑顔を見せるソフィア。
すると、その横から声が割り込んできた。
「ソフィアさん、いかがですか?」
「ふえっ!? は、あっと……タクミさん! と、とっても美味しいですわ!!」
不意に声をかけられたソフィアが、慌てて居住まいを正しながらタクミに言葉を返す。
普段とは少し違う様子に一瞬戸惑うタクミであったが、すぐに気を取り直した。
「お口に合いましたようで何よりです。ソフィアさんのお墨付きを頂ければ、きっと他のお客様にも喜んで頂けるでしょう」
「いえいえ、タクミさんの料理ならどれも素晴らしいってわかっていることですわよ。ところで、今日の料理、見た目にはすごくボリュームがあるように見えましたけど、これが本当に『食べても太らない料理』なのでして?」
「ええ。栄養のバランスを考えながら、余分な脂や糖質を控える様な形のメニューとしてみました。その意味ではある程度しっかり食べても『太りにくい料理』とは言えると思います。もちろん、食べ過ぎては駄目ですけどね」
「なるほどね。その仕掛けはもしかしたらコレかしら?」
ソフィアはそう言いながら、アボカドとトマトの小鉢に入っていた白い塊をフォークですくい取る。
それを見たタクミは、ゆっくりと頷いた。
「ご明察です。こちらは“豆腐”というものになります。今日の献立は、全てこの“豆腐”を使っているのです」
「えっ? これ全部にトーフが?」
「ええ。例えばサンドイッチの玉子焼きにも豆腐を入れております。それと、そのスープに入っているミートボールですが、実はこれお肉は全く使っておらず、代わりに豆腐と、豆腐を作るときに出る“おから”というものを混ぜたものだったりします」
今日のメニューで一番苦心したのがミートボールもどきは、おからと豆腐を合わせた所に卵を繋ぎにして団子にしたものを、軽く油で上げてから煮込んだもの。
タクミの中では“がんもどきもどき”のイメージだ。
タクミの説明に、ソフィアがコクコクと頷く。
「へー、だから味わいが軽くてさっぱり食べられたってわけね。でも、お肉が入ってないなんて言われるまで全然わからなかったわ! 材料は何なのかしら?」
「豆腐はソハから取った豆乳が主な材料になります。作り方は以前ご紹介したカッテージチーズ作りに似ています。温めた豆乳に“にがり” ―― 塩を作るときの煮汁の上澄みを入れ、しばらく固めてから水切りをすれば完成です」
「うーん、それだけだと簡単そうに聞こえるけど……本当のところはどうなのかしら?」
ソフィアが顔色を覗きこむと、タクミは苦笑いを浮かべていた。
「確かにおっしゃる通りですね。まず、豆乳を絞るためにはソハをすりつぶさなければならないのですが、これが結構大変です。一晩水につけたソハをすり鉢で潰していくのですが、なにせ量が必要なのでロランドやルナちゃんにも手伝ってもらいながらの人海戦術になりました」
「やっぱりねー。そうでないと、タクミさんのことだからもっと早くこの店でランチに出していると思ったのよ。でもすごいわよねぇ。これがソハからできているなんて、言われてもまだ信じられませんわ」
「以前暮らしていた所では本当に日常の食材で、実は自分たち用にはこちらに来てからすぐ作っておりました。ただ、先ほども言った通り、量を作るのが大変でしたのでお店にはこれまで出せなかったというのが正直なところです」
「そっかー。ねぇ、それなら協力させてよ。ソハで作ったトーフ、これ、きっとみんな気に入ってもらえると思うわ!」
「ははは、相変わらずですね。分かりました。私も豆腐が手に入るなら嬉しいですし、こちらこそお願いいたします」
ソフィアの申し出に、タクミが深々と頭を下げる。
『ツバメ』に来るといつも新しいチャンスがある ―― ソフィアは満足そうに頷きながら玉子焼きサンドの最後の一口をパクリと頬張った。
なお、それからしばらくの後、ハーパータウンの街の若い女性を中心に空前の“トーフ”ブームがやってくるのであるが、それはまた後のお話である。
【後書き】
お読みいただきましてありがとうございました。
今回はシンプルに2パートでまとめさせていただきました。
さて、前回の更新から10日あまり、書籍版続巻&コミックス版についてもろもろ新しい情報が出ております。
また、W発刊を記念した『コラボ企画』の開催も決まりました!
詳細はぜひ活動報告をご覧ください。
それでは、引き続きご笑読頂けますようよろしくお願い申し上げます。