56 悩み深き女性たちとヘルシーランチ(1/2パート)
本日も当駅をご利用いただきまして誠にありがとうございます。
この列車は当駅が終点となります。到着いたしました列車は車庫に入りますので、お手荷物などお忘れ物がございませんよう、ご注意をお願いいたします。
―― なお、喫茶店『ツバメ』ではただいまデザート祭りを開催中です。お気軽にお立ち寄りください。
慌ただしい日々を過ごしていると、季節はあっという間に廻っていく。
気づけば、陽射しは暖かさを増し、春の足音は着実に近づいていた。
車窓から見えるのは一面に敷き詰められた黄色い花の絨毯。
一面に咲くコルザの美しさに目を細めながら、ソフィアはいつものように一等車の豪華な椅子に身をゆだねていた。
やがて列車がポーッと汽笛を鳴らしながら終着駅のホームへと入線する。
ガチャリと開いた扉の先で待っていたのは、いつものように制服をピシッと身にまとった白髭の老人であった。
「いやはや、お久しぶりですの」
「“駅長”のオジサマ、お久しぶりですわ。やっとこちらまで足を運べましたわ」
「例の“会合”が無くなってしまい、口実が減ってしまいましたからなぁ」
「ホント。もう春だというのに、まだ今年初めてなのですわよ」
「ははは、でもまたこうしてお越しいただけましたし、どうぞ存分に楽しんで行ってくだされ。さて、それでは出札口へ」
“駅長”の言葉にニッコリと微笑むソフィア。
出札口へと向かう足取りはとても軽やかであった。
―――――
「にゃーっ! ソフィアさん、お久しぶりなのなーっ!」
『ツバメ』にて出迎えてくれたのは、この店の看板娘ことニャーチであった。
迎賓館以来となる久しぶりの再会に、ソフィアもまた胸を弾ませる。
「本当にご無沙汰になってしまいましたわね。お元気そうで何よりですわ」
「ニャーチはいつでも元気なのなっ! あ、どうぞこちらへなのな」
ニャーチに案内された窓際の一段高い席に腰を掛け、店内をぐるりと見渡す。
初めてこの店を訪れた時はまだ静かだった店内も、今ではずいぶんと賑やかになった。
料理はもちろんのこと、この居心地の良い雰囲気に引かれているのであろう。
目を細めながらホールをぼんやりと眺めていると、ソフィアはふとあることに気付いた。
それは、店内が妙に華やいでいるということだ。
店内のほとんどの席は女性たちが占めている。それも比較的若い人たちが多い。
駅舎内という立地の関係から、列車を利用する客が多い『ツバメ』としては異例ともいえる光景だ。
そんな彼女たちのテーブルを見ると、そろって同じメニューが並んでいる。
おそらくはこのメニューが街の噂になって、女性たちが押しかけてきたというところであろう。
そんなことを考えながら店内を観察していると、テーブルに水と濡れナプキンが運ばれてきた。
「ソフィアさん、ご無沙汰しております」
「こちらこそお久しぶりですわ。タクミさん、また何か面白いことやってらっしゃるようですわね」
「いえいえ、暖かくなってきたので春らしい新メニューをと思っておりましたら、妙に評判を呼んでしまいまして……」
「相変わらずタクミさんらしいわね。見た感じ、フランと果物の盛り合わせ、といったところかしら?」
「ええ。私が以前に暮らしていた所で『プリン・アラモード』と呼ばれていたデザートです。ソフィアさんもいかがですか?」
「もちろん。そうすると、飲み物はどうしようかしら……?」
「珈琲にもテーにも合いますが、甘いデザートになりますので砂糖は入れない方が良いかもしれませんね。もしよろしければ、無糖のアイステーなどはいかがでしょうか?」
「あ、それはいいわね。じゃあ、それでおねがいね」
「かしこまりました。それではどうぞごゆっくり」
タクミはそういうと、一礼をしてからキッチンへと戻っていく。
迎賓館で纏っていたコックスーツも似合っていたが、やはりタクミには白いシャツにカフェエプロンを纏った姿が良く似合う。
“マスター”として生き生きと働くタクミの姿を見送ると、ソフィアはスケジュールがびっしりと書き込まれた手帳へと目を落とした。
―――――
「お待たせしました。アイステーとデザートのセットです」
「ありがとう。んー、やっぱり近くでみるといっそう素敵ですわね」
タクミが運んできたデザートセットは、まるで宝石がちりばめられているような美しさであった。
楕円形の大きな足つきグラスの上には、所狭しとばかりに果物が並べられている。
真っ赤に熟したフレッサの隣には半円状にカットされたキビス。
皮の部分をVの字に飾り切りにされたマンサナは兎のようにも見える。
ナランハやアランダノも色鮮やかだ。
そして、中央にあるのがカスタード色をしたフラン。
カラメル色に染まった天辺の上には白い生クリームが添えられ、まるで帽子をかぶっているようだ。
そっとあしらわれているメンタの緑もまたかわいらしい。
「それでは、どうぞごゆっくり」
タクミの言葉に会釈で応えると、ソフィアは再び美しきデザートへと視線を戻す。
しばらくこのまま眺めていたいようにすら思えてしまうが、それではせっかくのデザートを味わうことができない。
ソフィアは、意を決したようにスプーンを手にすると、中央に陣取るフランにそっと差し入れた。
(ん~っ! 甘くて、滑らか……、それにとっても濃厚ですわ)
少し硬めのフランを舌先で押しつぶすと、プルンと弾みながら口の中を撫でていく。
何とも官能的なその食感とともに広がってくるのは、幸せな甘さ。
ふんだんに使われているであろう玉子とミルクの濃厚なコクが重なり、一口だけでも身が蕩けそうになるほどだ。
一口だけでも満足感にあふれるフラン。しかし、口の中で溶けてなくなってしまうとまた味わいたくなるから不思議だ。
次はカラメル色の天辺の部分も一緒に一口。
甘くまろやかな味わいに、カラメルの香ばしさと苦みが加わることで、フランの味わいがいっそう引き立つ。
(このちょっとほろ苦いところが、またいいのよね)
一口食べてはうっとりとした表情を浮かべるソフィア。
その幸せそうな笑顔は、およそ『氷のソフィア』のイメージとは真逆のもの。
凄腕の若手銀行家も、フランの前では一人の乙女に戻っていた。
続いて手を伸ばしたのはナランハ。
それをかじると、今度はきゅっと口がすぼまってしまった。
この時期にしては思いのほか強い酸味、しかし、その酸っぱさのおかげで甘くなった口の中が爽やかになり、またフランへとスプーンを伸ばしたくなってくる。
カラメルが甘味と苦みの競演であれば、果物は酸味と甘みのハーモニー。
それに、食感の違いも何とも楽しい。
(なるほど、これは女性が集まるはずね)
宝石をちりばめたような美しい見た目。
プルンとした舌触りと濃厚なコクと甘さを楽しめるフラン。
そして春の美味しさがギュッとつまった果物の数々。
幸せが全部詰まっているこのデザートは『自分へのご褒美』に選びたくなる珠玉の一品だ。
今しばらくこの幸せに浸っていよう。ソフィアもまた、華やいだ空気の中に身を任せるのであった。
―――――
「追加のシナモン・コーヒー、お待たせなのにゃーっ」
運んできたコーヒーをテーブルに置きながら、ニャーチが声をかける。
ソフィアは早速カップを傾けると、ほぅ、と粋を突いた
「アイステーも爽やかだけど、タクミさんのシナモン・コーヒーはまた格別よね」
「ごしゅじんのシナモン・コーヒーはとっても美味しいのにゃっ! ……でも、ごしゅじんはニャーチのだからあげないのなよっ?」
「はいはい、ちゃんとわかってますわ。でも、今日のデザート、『ぷりんあらもーど』でしたっけ? 本当にすごく美味しかったわ」
「ありがとなのなっ! あれはごしゅじんの自信作なのなっ。ニャーチもいっぱい試食してお手伝いしたのなっ」
まるで自分の手柄のように胸をはるニャーチ。
すると、プチンという音と共に、何かが弾け飛んだ。
そしてそれは、ソフィアの胸元でポンと弾むとコロコロとテーブルの上に転がった。
小さな白いボタンだ。
それに気づいたニャーチが自分の胸元へ視線を移す。
そして事態を理解すると、手にしていたトレイで慌てて胸元を隠した。
「にゃ、にゃ、にゃーっ!」
顔を真っ赤にしながら、大慌てでパタパタとかけていくニャーチ。
すると、入れ違いにタクミがソフィアの下へとやってきた。
「おっと、ニャーチが何か粗相を?」
心配そうなタクミに、ソフィアが先ほどのボタンを手渡しながら口を開く。
「いえいえ、そうじゃありませんの。ちょっとしたはずみで胸のボタンが取れてしまったらしくって」
「ああ、そうでしたか。それは失礼しました」
ボタンを受け取りながら、タクミが頭を下げる。
するとソフィアが、すこし意地悪そうな笑みを浮かべながら話を続けた。
「こんなにおいしいデザートを一杯試食したって言ってましたから、そのせいでちょっと服がきつくなってたかもしれませんわよ?」
「うーん、いつも一緒にいるせいか気づかなかったのですが……」
「もー、そういうところは鈍感なんですわね。そう言うところは、ちゃんと見てあげてないといけませんわよ」
「そ、そうですね……。失礼いたしました」
ソフィアの迫力に、思わずタジタジとなるタクミ。
その様子がおかしかったのか、ソフィアがくすっと微笑んだ。
しかし、それも一瞬のこと。今度はふぅとため息をつき始めた。
「あー、でも私も人のこと言ってられないのよね。ここのところパーティ続きで流石にちょっとお腹周りが気になるのよね」
「そうですか? 全然そのようには見えませんが……?」
「これがそうでもないのよね。もしここにリベルト様がいたら『なんだ、しばらく見ないうちに随分丸くなったじゃないか』って言われそうですもの」
「う、うーん……」
何と答えてよいか分からず、タクミは言葉を詰まらせる。
すると、そこに、服を着替えたニャーチが戻ってきた。
「……ごしゅじんのせいなのな! 責任をとるのにゃーっ!」
「えっ? ど、どうしたの急に?」
「こんなにおいしいデザートを作るごしゅじんがいけないのにゃーっ! 一杯食べてたらいっぱいまんまるになっちゃったのにゃーっ!」
タクミの背中をポカポカと叩くニャーチ。
すると、にわかに客席がざわめき始めた。
「こらこら、お客様の前だよ。やめなさい、ね」
「むー。でもちゃんと責任は取ってもらうのなっ。食べても太らない料理、いっぱい作るのなっ!」
「うーん、そんなこと急に言われてもなぁ……。あ、そうか。アレならいいのか」
「えっ? 『食べても太らない料理』なんてあるんです!?」
その言葉にいち早く反応したのはソフィアであった。
そしてその反応はホール全体にも伝わったようで、再び客席がざわめく。
「え、ええと。正確には『食べても太りにくい料理』といった方が正しいかもですね。脂分や糖分を控えた料理ということなら、いくつかできそうですが……」
「それ、明日のお昼に予約してもいいかしら?」
ソフィアがいつになく真剣な表情でタクミを見つめる。
すると、ニャーチもその横に並んでぐいっとタクミに迫る。
「ニャーチもそのご飯がいいのなっ。そうだ、いっそのこと、それをランチにしちゃうのなっ! お客さんもきっと大喜びなのなっ!」
ニャーチの宣言に、客席のざわめきが一層大きくなる。
『ツバメ』のホールを包むただならぬ気配に、タクミは背中に冷たいものを感じながら口を開いた。
「わ、わかりました。では、ソフィアさんの分を含め、明日は特別なランチをご用意いたしましょう」
「ありがとう。タクミさん、期待しているわね」
ころっと笑顔を見せるソフィア。しかし、その目の奥は鋭さを保ったままだ。
それは横に並ぶニャーチも同じ。客席の女性たちからの視線も痛い。
これはいつも以上に気合を入れて取り組まねば……、思わず息を飲むタクミであった。
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