表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/168

13 街を歩く若者と手に入らない軽食

本日も当駅をご利用いただきまして誠にありがとうございます。本日の二番列車は、この後13時30分の出発予定です。改札は、出発の10分前を予定しておりますので、ご乗車のお客様は、改札口横にございます待合室にてお待ちください。

――― なお、“喫茶店ツバメ”のランチメニューは一部数量限定のものがございます。あらかじめご了承ください。

 ある日の正午前、フィデルはセントラル・ストリートの駅馬車乗合所のそばにて店構えの準備を始めていた。フィデルは人と人が行き交う一角を陣取ると、いつものように裏返した箱を台にしてシーツをかぶせ、その上に先ほど仕入れたばかりの新聞とサンドイッチを並べていく。手早く準備を終えると、軽妙な掛け声で通りを歩く人々に声を掛け始めた。


「はーい、最新情報が満載の今日の新聞だよー!それに、最近巷で話題のランチボックス、今日は一番人気のテリヤキのサンドイッチ!!どっちも売り切れ御免の早い者勝ちだよーっ! ほら、そこのイケてるお兄さん、一つどうだい?」


 フィデルに呼びかけられたのは、ストリートを散策していた若者だ。その名をリベルトという。通りを歩く人々の中でも頭一つ抜けるほど背が高く、この地では珍しい褐色の肌を持ったリベルトは、ストリートを歩く人々の中でひときわ人目を惹きつける存在であり、フィデルはそこを狙って呼びかけていた。


 リベルトは、タイミングの良いフィデルの呼びかけに、ふと小腹がすいていることを思い出し、店の前で足を止める。そして、コーンブレッドに肉や野菜が挟まれた食べ物を指さしながらフィデルに話しかけた。


「ふむ、サンドイッチとはこれのことか?」


「そうだよ、喫茶店ツバメ謹製の特製サンドイッチ、このストリートで買えるのはうちの店だけ、限定20食の早い者勝ちだよ!」


 フィデルは、正面に立つと存外に迫力があったリベルトに臆することなく、胸を張って自慢げに答える。最初は10食分から始めたサンドイッチの販売だったが、評判が評判を呼び、今では20食があっという間に完売するほどになっていた。フィデルとしては今の売れ行きならもう少し仕入れたいところではあったが、ランチの準備とフィデル用のサンドイッチの仕込みをロランドとタクミの二人だけで並行してこなしている喫茶店ツバメの状況を思えば、無理を言うことはできなかった。


 リベルトは、フィデルの自信に満ちた表情を見て、そのサンドイッチがきっと旨い物だろうと確信する。そして、懐から革製の立派な財布を取り出しながらフィデルに声を掛けた。


「その顔が旨いって言ってるな。よし、一つもらおうか」


「毎度あり! 兄さん、どうせなら新聞も一緒にどうだい?サンドイッチは体の栄養、新聞は頭の栄養ってね!」


 フィデルがよどみのない口上でセット買いを誘うと、その言葉に、なるほど、旨いことをいう、とリベルトはすっかり感心し、その誘いに応じることとした。


「確かに新聞の知識は頭の大事な栄養だな。よし、そっちももらおう」


 フィデルはにんまりと満面の笑顔を浮かべ、2つの商品を差し出す。


「あざーっす!合わせて50ペセタっす!」

 

 リベルトは鷹揚に頷くと、財布を開き、1枚の紙幣を取り出してフィデルに渡す。すると、紙幣を受け取ったフィデルは、その紙幣に書かれた金額が見間違いではないかと何度も確認すると、頭を下げ、今受け取ったばかりの1000ペスタ紙幣をリベルトに差し返した。


「お客さん、申し訳ないっす! あいにくコイツだとお釣りが足りないっす。せめて100ペスタ紙幣は無いっすか?」


 フィデルの言葉に、リベルトは、ふむ、と一つ頷くと、さも当然かのごとく、鷹揚に言葉を返す。


「では、その釣りの分はチップということで取ってくれ。それなら構わんだろう?」


 その言葉に、フィデルの顔色が瞬間的に真っ赤に変わる。金持ちの気まぐれでからかわれて大通りで恥をかかされた…フィデルは、そう感じたのだ。フィデルは、半ば投げつけるようにリベルトに1000ペスタ紙幣を突き返す。


「悪いっすね。兄さんには売れないっす!」


「む?何か問題があったか?」

 

 一方のリベルトは、目の前の少年が何を怒っているのか全く理解できていない。紙幣ももちろん本物だ。金が足りないわけではない。しかし、そのような思いとは裏腹に、フィデルは強い口調でリベルトにさらなる文句をぶつける。


「オレは物乞いじゃなくて商売人っす! 商売としてお代をいただくならともかく、見ず知らずの人からこんな施しを受けるのは心外っす!さぁ、商売の邪魔っす!呼び止めて申し訳なかったっす!」


 リベルトは、ここでフィデルの怒りの原因を理解し、そして、自分の配慮に欠けた言動が彼のプライドを傷つけてしまったことを悔いた。リベルトは、フィデルに深く頭を下げ、詫びる。


「君の商売への熱意に感じ入ることができていなかった。本当に申し訳ない。このリベルトの不徳、どうか許してくれ」


 リベルトの行動に、今度はフィデルが固まってしまった。見栄えのする相手で客を引き付けようとしたのが裏目に出て、からかいの対象とされてしまったと思ったが、どうやら見立て違いだったらしい。相手は、本当に小銭がないので、ごく当たり前にそうしただけだったようだ。そもそも、このような身なりの良い ―― おそらくはどこかの金持ちの子息だろうと思しき相手が、簡単に非を認め、露天商売を営む自分のような者に頭を下げることがあるなど信じられなかったのだ。フィデルは、拳を振り上げていたのも忘れ、素の表情でリベルトに言葉を返す。


「いや、オレの方こそきつい言葉で申し訳なかったっす。でも、今は渡せる釣りが無いんで、お売りできないのは理解してもらえるっすか?」


「もちろん。しかし、一度食べたい気持ちになってしまうと、どうも腹が減ってしまうな…」


 リベルトは、腹をさすりながら、やや恨めしそうな表情でサンドイッチを見つめる。その様子を見かねたフィデルが、リベルトにある提案を持ちかけた。


「だったら、駅にある喫茶店ツバメまでいって食べて来るといいっす! 駅だから、さっきの大きなお金で払っても何とかなると思うっす!」


「ほう。駅に店があるのか。それは珍しいな」


 フィデルの言葉に、元来の新し物好きなリベルトの好奇心が刺激される。駅とは列車が発着するための場所であり、そこに飲食店を併設することは、少なくともリベルトがこれまで利用してきた駅ではなかったことだった。リベルトは言葉を続ける。


「では少年、今日のところはその喫茶店ツバメへお邪魔することにしよう。また、次の機会を必ず作るので、そのときはお主からそのサンドイッチを買わせてもらうぞ」


「じゃあ、その時は、お釣りの出ないように用意をお願いするっす!」


 笑顔で言葉を返すフィデルに、リベルトは、もちろん、と短く応え、右手を差し伸べる。フィデルも手を差し出すと、がっちりと握り合う。男と男の固い約束を交わした後、リベルトは、すっかりと空いたお腹を軽く抑えながらその場を辞した。






◇  ◇  ◇






「申し訳ございませんなのなっ、すぐに席をご用意できますので、少しだけこちらでお待ちくださいなのなっ」


 喫茶店ツバメは、本日最初の便で到着されたお客様たちの食事が概ね終わり、ランチタイムのピークをようやく越えようとしていたところだった。ニャーチがテキパキと席を片付けながら、席が空くのを待っているお客様を順番に案内している。リベルトも、店員と思しきネコ耳のウェイトレスの言葉に従い、店の入口に置かれた椅子に腰を掛けて席が空くのを今か今かと待っていた。


(ふむ、皆なかなかにいい表情をしているな…。)


 リベルトは、順番を待ちながら、一組、また一組と店を後にしていく者の表情を観察する。席を立つ者たちは皆一様に満足げな笑顔を浮かべていた。やはり自分の目に狂いはない、きっと美味しいサンドイッチを食べさせてもらえるだろう……案内を待つリベルトの期待は膨らむ一方であった。


「大変お待たせいたしましたなのなっ! 一名様、ご案内いたしますなのなっ!」


 席の片づけを終えたニャーチが、リベルトに声を掛け、店の中へと案内した。店内は、まだまだ多くのお客様でにぎわっていた。それぞれのテーブルを見渡すと、様々な料理や飲み物が並んでおり、その中にはお目当てのサンドイッチも見かけられた。リベルトは、思わず喉がゴクリとなりそうになるのを抑え、素知らぬ顔で席に着いた。


 ニャーチは、銀色のお盆で運んでいた水とおしぼり、そしてメニューを差し出しながら、いつものようにオーダーを伺う。


「それでは、ご注文をお伺いしますなのなっ。えっと、今日は…」


「うむ、サンドイッチという物をこちらの店で出していると聞いたのだが、それをお願いしたい」


 リベルトは、ニャーチの言葉が終わるのを待たず、そしてメニューも開かずに、心に決めていたメニューを告げた。しかし、その言葉を受けたニャーチは、眉の間に皺をよせ、困った表情を見せる。


「ごめんなさいなのなっ、サンドイッチは、今日は売り切れになっちゃいましたのなっ…。今できるのはAランチかCランチのどっちかになりますなのなっ」


「なんと!それは……」


 何と縁がない日なのだろう、リベルトは思わず天井を仰ぐ。普段であれば已む無しと思えるのだが、二度目の肩透かしにリベルトは諦める気持ちにはどうしてもなれなかった。


「うーむ、サンドイッチはどうにもならないのか?時間とお金ならなんとかなるので何とかしてもらうことはできないだろうか?」


 リベルトは、何とか希望をかなえてもらおうとニャーチの目を覗きこむ。その様子に、ニャーチは少したじろぎつつも、そこまで言ってもらえるなら……と、店主に確認を取ることにした。


「うーん、一度ごしゅ・・・店長に確認いたしますなのなっ。少しお待ちくださいませなのなっ」


 ニャーチはリベルトにそう告げると、小走りでキッチンに向かう。ピークを越えて少し落ち着きを見せ始めていたキッチンでは、タクミとロランドが手分けをして洗い物や片付けを始めようとしているところであった。ニャーチは、カウンターとキッチンを繋ぐ覗き窓から首をひょいっと出し、タクミに声をかけた。


「ごっしゅじーん、サンドイッチって今日はもう全然無理なのにゃー?」


 いつもとトーンが違うニャーチの言葉に、タクミは片付け作業の手を止めてニャーチの方を振り返る。そして、ニャーチから先ほどのやりとりを聞き取ると、腕組みをして考え込んだ。


「なるほど、サンドイッチですか…うーん……」


 タクミはもう一度今日のランチ用の食材を確認する。お客様がそこまでご希望されているのであれば、出来ればサンドイッチをご提供したいのはタクミの気持ちだった。しかし、具材は何とかなっても肝心のコーンブレッド(パン)を切らしてしまっている現状では、如何ともしがたい。Cランチ用に別途ブレッドを用意している時もあるのだが、今日に限ってはメインの料理をBBQとしていたこともあり、茹でてから焼き上げたマイス(とうもろこし)パタータ(じゃがいも)としていたため、Cランチ用のブレッドを流用することもままならなかった。


 材料がないということで断るのは簡単なことだ。しかし、そこまで期待頂いて来店していただけたお客様の思いには出来る限りこたえていきたいと、タクミは思う。幸いなことにランチのピークはいったん落ち着いている。タクミは、手持ちの食材をもう一度思い返しながら、サンドイッチの代わりにお出しできそうなメニューを考える。すると、先日試作した一つの料理を思ついた。少し準備に時間はかかるが、これなら提供が出来そうだ。タクミは、清潔な布で手をぬぐってからホールへと向かった。




「お客様、店主のタクミでございます。こちらのニャーチからご希望をお伺いしておりましたが。本日はあいにくサンドイッチの材料であるブレッドを切らしてしまい、何ともすることができません。大変申し訳ございません」


 タクミは、席にてお待ちいただいていたリベルトにお詫びの言葉を述べる。やはり無理だったか、よほど縁がないものなのだろう……リベルトはとても残念に思いながらも、丁寧な気遣いを見せるタクミに感謝をしつつ、席を立とうとした。しかし、タクミの次の言葉にその動作を止めることとなった。


「そこで、もし宜しければ、サンドイッチに代わる、別のメニュー…当店オリジナルのピザをご提供させていただけませんでしょうか? ただ、少しお時間がかかってしまいますので、お時間に余裕があるのであればということになってしまいますが……」


 リベルトは、聞き慣れないメニューの名前に戸惑い、タクミに尋ね返す。


「そのピザというのは、どのような料理なのだ?」


 タクミの横に控えていたニャーチが、タクミに代わって説明を始める。


「んっと、丸くて薄くて熱くてさくとろでおいしいご飯なのにゃっ!」


 タクミはニャーチの簡潔すぎる説明に苦笑いしつつ、改めて説明する。


「薄く延ばした即席のブレッド生地に、具材やソース、チーズ等を載せて焼き上げたものです。ある意味ではサンドイッチやトルティーヤの遠い親戚みたいな料理ともいえます。サンドイッチと違って出来たてが美味しいので、お店限定でお出しできるメニューともいえますね」


 リベルトは、ふむ、ふむ、と頷きながらタクミの説明を聞き、イメージを膨らませる。トルティーヤなら心当たりがある。薄く焼き上げたトウモロコシの生地に様々な具材を巻いた料理だったはずだ。あれと似たようなものなら、確かにサンドイッチの親戚と言えなくもない…タクミの説明に、リベルトはそう思うことが出来た。それに、何よりここでしか食べられないというのも、リベルトの心をくすぐる。未知の料理である“ピザ”ではあったが、リベルトが出した結論は簡単なものだった。


「では、そのピザとやらをお願いしたい。時間はあるので、その間ここで待たせていただいても良いか?」


 タクミは、リベルトの言葉に深々と一礼し、感謝とともにこう応えた。


「畏まりました。それでは、特別ランチ、ピザをご用意させていただきます。時間がかかりますので、先に前菜代わりのサラダとスープをご用意させていただきますね。では、しばしお待ちください」






◇  ◇  ◇





「ロランド、特別メニュー行きます。Cランチのバーベキュー用ソース、あとどれくらい残っていますか?」


 キッチンに戻ったタクミは、早速ロランドに指示を飛ばす。ロランドは、タクミの言葉にすぐに反応すると、ソースを温めているオーブントップ上の小鍋を確認する。


「まだ十分残っています。これ、そのまま使いますか?」


 すっかり勘が良くなったロランドの先読みした返事をタクミは頼もしく思いつつ、一気に作業指示を出す。


「いえ、レードルで3杯分ほど別の小鍋に移して温めておいてください。それと、セボーリャ(玉ねぎ)は薄くスライス、ピミエント(ピーマン)は緑の大きな方の種をくりぬいて薄い輪切りに、それにマイスは軸から削いで粒をバラバラに、腸詰も斜めにスライスで。あと、トマトも皮を剥いて摩り下ろしておいてください」


「ソースは小鍋に、セボーリャ、ピミエント、腸詰はスライス、マイスは粒をばらして、トマトは摩り下ろしっすね! 了解っす! 」


 タクミは戸惑うことなく指示を復唱するロランドに頷いて応えると、食料庫に入り、追加の材料を用意する。食料庫から取り出したのは、とうもろこし粉とアロース(コメ)の粉、氷を入れた冷蔵箱で保存しておいた卵、パタータ、それにニャムと呼ばれる芋だ。ニャムは黄土色をした少し長めのサツマイモのような見た目をしているが、山芋に似た味わいと粘り気を持っている。タクミの感覚では大和芋と長芋の中間的なイメージを持っていた。


 キッチンに戻ったタクミは、まずパタータを汲み置きの水でよく洗って土を落とし、皮を剥いて摩り下ろしてボウルへと入れる。ニャムも同様に水でよく洗ってから土を落としてから皮を剥いていく。


(うーん、この感覚はやっぱり手がかゆくなりそうですね。)


 長芋や大和芋と同じように、皮を剥いたニャムは真っ白な素肌にぬめり気を纏わせていた。タクミは、皮を剥いたニャムを手を滑らせないように注意しながら摩り下ろしていき、パタータが入ったボウルの中に合わせていく。さらに、そのボウルの中に卵を割り入れて全体をざっくりとかき混ぜてから塩を足し、とうもろこし粉とアロース粉を1:1程度の見当で合わせた粉を入れ、しっかりと捏ねはじめた。


(生地の固さはニャーチの耳たぶぐらいでしたね……。)


 タクミは、試作の際に最も上手く出来た時の生地の状態を思い出しながら粉の配合を調整し、生地が手に着くのを構わずに捏ね続けていく。そして、少し表面に粘り気が残る状態で生地がまとまったところで、表面に仕上げ用のアロース粉をまぶしてから、生地を握りこぶしの半分ほどの大きさにちぎり分けて丸める。こうして出来上がった生地は、打粉代わりにとうもろこし粉を打ったバットに並べられた。


「野菜と腸詰はこんなもんでいいっすかー?」


 手際よく下ごしらえを進めていたロランドがタクミに確認を求める。タクミは、水で手をすすぎながら切り分けられた食材を確認し、OKのサインを出す。


「それくらいでOKですね。あと、チーズも刻んでおいてください。多めでお願いしますね」


「了解っす!」


 ロランドの返事を確認したところで、タクミも次の作業に取り掛かる。小鍋に移して温めてさせていたCランチ用のバーベキューソース ―― ロランドが開発し、サンドイッチにも使っている甘辛の“テリヤキ”味のもの ―― に、トマトの摩り下ろしを加え、調味料で味を調える。そして、オーブンストーブの天板でも最も温度が高い中央部分に小鍋を近づけて熱を加えると、小鍋の中のソースがフツフツと音をたて、甘さを含んだ良い香りがキッチンに広がった。


 続いてタクミは、チーズを刻み終えたロランドにソース鍋を渡し、濡らした布巾の上でソースの粗熱を取るように指示し、自身は薄手の丸い鉄皿を用意した。タクミは、鉄皿の表面に薄く油をなじませると、先ほど作っておいた生地の状態を確認する。一時の間休ませた生地は表面がつややかになっていた。タクミは、自分の手と生地の表面に軽くアロース粉を振ってから手に取り、手のひらで少し押さえて軽く延ばす。そして、油を引いた丸い鉄皿に軽く延ばした生地を載せ、握りこぶしで押し広げるように真ん中から外側へと伸ばしていった。


 全体は概ね一定の厚みに、そして縁だけがやや厚めになるよう、鉄皿のサイズよりもほんのわずか小さく伸ばされたところで、少し熱がとれた特製のトマトソースを生地の表面にたっぷりと塗る。その上にはスライスした白いセボーリャ、緑のピミエント、そして腸詰をまんべんなく載せ、さらに、マイス(とうもろこし)の黄色い粒を散らしていく。そして、刻んだチーズをたっぷりとかけると、中央にそっと卵を割り入れた。


 タクミは、オーブンの上、網になっていて直火で炙ることができる部分に、生地と具材を載せた鉄皿をそっと置く。そして、覗き窓から火加減を確認した後、鉄皿にボウルをひっくり返したような形の金属製のフタをかぶせ、中サイズの砂時計をひっくり返した。砂時計の砂が落ち切ったところで、オーブン下部のグリルに移して表面を軽く炙れば、ピザの完成だ。


 作業が一段落したタクミは、残った材料や生地を確認しながら、ロランドに声をかける。


「私たちも今日の賄いは、コレにしましょう。練習にロランドが作ってみますか?」


「了解、やってみるっス!」


 まな板や包丁の片づけを済ませていたロランドは、その言葉を待っていたかのように手早く鉄皿を取り出し、早速見よう見まねで生地を伸ばし始めた。






◇  ◇  ◇






「大変お待たせしました。ご注文の特製ランチ、ピザでございます」


 焼き上がったピザは白い陶器の皿に移され、タクミ自身の手によってサーブされる。焼きたてのピザからは湯気が立ち上り、熱で溶けたチーズがまだフツフツとしていた。リベルトは、思わずゴクリと喉を鳴らす。タクミは、ピザが載った皿の横に、赤色や緑色が混ざり合った粉末の入った小皿を並べた。


「こちらの小皿は、乾燥させたピミエント(とうがらし)や香草を砕いて混ぜたものです。ピザにかけて頂ければピリッとした味わいとなります。辛くなっておりますので、お好みでお使いください。それでは、どうぞ熱いうちにお召し上がりください」


「うむ、熱いものは熱いうちに、が美味しい食事の鉄則だな」


 リベルトは、フォークとナイフを手にし、焼き上げられたピザの表面をフォークで抑え、ナイフを刺し込む。しっかり焼き上げられたピザの土台からサクッとした感触がリベルトに伝わってきた。フォークで刺して切れ端を持ち上げると、焼き上げの熱により十分にとろけたチーズが糸を引くようにトローリと伸びる。


(おお、これは………。)


 その様は、昔良く食した故郷の料理を思い起こすものであった。大きな硬いチーズの表面を、専用の器具に入れた炭火で炙り、溶けた部分をヘラで削って芋や腸詰にかけて食べる地元の伝統料理だ。溶けたチーズが糸を引く様は、リベルトにとって懐かしさを覚えさせるものであった。


 チーズが糸を引く様子を眺めていたリベルトは、一呼吸の後、切り取ったピザを口へと運んだ。歯を立てると、ナイフで切り分けた時に感じたのと同じサクッとした食感が伝わってくる。同時に、溶けたチーズや熱せられた具材、ソースが、口の中じゅうを熱で満たす。


(あちちっ!しかし、これは……旨いっ!)


 リベルトがハフハフと熱さに耐えながら食べ進めると、サクっとした土台の香ばしい味わいに、やや甘目に味付られたトマトのソースの味わいがピタッと収まっていることに気づく。そして、少し歯触りが残る程度に火が通ったセボーリャやマイスの粒の甘み、緑のピミエントのかすかな苦み、さらに腸詰からにじむ脂のコクが複雑に混じりあう。これらの味わいが、溶けたチーズのまろやかさに包まれ、混然一体となった重厚な美味しさを奏でていた。


(そういえば、好みでこの粉をと言っていたな……。)


 二切れ目を切り分けたリベルトは、小皿の粉を少しだけ降りかけてから口に運ぶ。するとどうだろう、先ほどまでの複雑な旨さの中に、ピリッとした刺激のある味わいが加わり、一本芯が通った味わいへと変化した。


(なるほど!これは、この辛みあってこそだな!)


 一口目の味わいも確かに美味しかったが、それはあくまで一口の味、食べ進めればやや重さを感じるかもしれないとリベルトは考えていた。それが、この小皿の粉に含まれる赤いピミエントの辛みと香草類の香りにより、味わいにアクセントがつき、重さを吹き飛ばしたのだった。リベルトは、残りのピザ全体に小皿の粉をふりかけると、次々に切り分け食べ進めいていった。


(む、これは…卵か…?)


 半分ほど食べ進め、中央部にナイフを入れると、火が通って半熟になった卵の黄身が皿の上へトロリと流れ出す。リベルトは、黄身をナイフで掬い取ってピザに載せなおすと、改めて口へと運ぶ。ピザの複雑な味わいと半熟の黄身の味わいが口の中で一体となった瞬間、リベルトは体中に電撃が走ったかのような衝撃を受けた。


(これか!これが狙いか!)


 卵の黄身が持つまったりとした味わいが、辛みの刺激でやや疲れ気味の舌に新たな優しさをもたらしていた。チーズとは異なる、舌の上を包み込むような新鮮なコクの風味が、リベルトを虜にする。気づけば、リベルトは一口ずつ切り分けるのも面倒といわんばかりに、ナイフで大き目に切り分けたピザを手でつかむと、夢中になって次々と口へと運んでいた。


「おしぼりをお持ちしましたなのなっ。あと、新しいお水と、サービスの珈琲ですにゃっ」


 リベルトは、ニャーチの声にはっと我に返る。あっという間に空になってしまった皿の前で、不作法なことをしてしまったと反省しつつも、これまでに全く味わったことがないピザの美味さを反芻していた。リベルトは、ニャーチに渡されたハンカチ大の濡れ布で手の汚れを拭くと、すっかり満ちたお腹をポンポンと軽く叩く。


「お口に合いましたでしょうか?」


 キッチンの片づけを終えたタクミが、リベルトに挨拶にきた。リベルトは、タクミに最大級の賛辞を贈る。


「とにかく旨かった。これは、実に稀なる味わいだ」


 タクミは、その言葉に照れながら応える。


「いや、実はこのピザというのは、私が以前に住んでいたところでは特に珍しい料理ではないんです。ただ、こちらでは手に入らない材料があってなかなか作れなかったのですが、いろんな組み合わせを試しながら、最近ようやく満足のいくものが出来るようになったんです」


 リベルトは、ふむ、ふむ、とタクミの言葉に頷く。


「それでも、手元の材料でこれだけの料理を仕上げることができるのは、主の才の賜物に間違いないな。いや、実にいい経験ができた。礼を述べさせてもらおう」

 

 そう言うと、リベルトは席を立ち、タクミに手を差し伸べる。タクミも、それに応えて手を差し伸べ、がっちりと握手を交わす。すると、リベルトはふと何かを思い出したように、タクミに話しかけた。


「そういえば、こちらは少年にサンドイッチを卸しているのか?」


「え、ええ。新聞売りの少年に毎日卸していますが……」


 タクミは、小首を傾げながらリベルトの質問に応える。すると、リベルトは、満足そうに微笑み、言葉を続けた。


「では、明日、その少年に頼みたいことがある。言伝をお願いできるだろうか?」


 そしてリベルトは、固い握手を交わした少年宛てに一つの注文を依頼した。


「確かに承りました。それでは、明日、改めてよろしくお願い申し上げます」


 タクミは、その注文の内容にやや驚きつつ、フィデル宛ての注文を紙にしたためる。明日は朝から忙しくなりそうだ…、タクミは今から気を引き締めていた。






◇  ◇  ◇





「なんで、オレまでこんな…早くいかないと場所が取られるかもしれないのに……」


 次の日の朝、フィデルはハーパータウンの駅舎にてVIP向けのスタッフグリーティングの列に並んでいた。タクミの話では、今日は“特別なお客様”のための臨時列車が出発するとのことで、グリーティング(お出迎え)の列に加わってほしいとのことだ。数日前の新聞でどこかの王族がこの街を通って新大使として赴任するとの記事を見た記憶があったフィデルは、きっと“特別なお客様”とはその王族だか新大使だかのことなんだろうと感づいていた。よほど偉い人なのだろうが、まぁ、自分にはあんまり関係ないや……フィデルはお世話になっているタクミの頼みなので渋々列に加わっていた。ほどなく、予定の時刻通りに豪華な装飾が施された馬車が駅舎前の広場に到着する。


「クレイグ国駐箚テネシー共和国新特命全権大使、リベルト・デ・ラウレンティス閣下、本日は当駅をご利用いただきましてありがとうございます」


 タクミの合図で、列に並んだスタッフ ―― といっても、機関士や整備士を含めた10名程度である ―― が一斉に頭を深く下げる。全員の動きに合わせ、フィデルも同じように頭を下げる。そのままの姿勢でしばらく時が過ぎるのを待っていると、突如上の方から声を掛けられた。


「よう、少年。再会できたな」


 その言葉にフィデルがふっと頭を上げると、メダルやバッヂをつけた制式の装いに身を包んだ若い男が立っていた。フィデルは、その男のことをよく覚えていた。昨日の昼前、ちょっとしたトラブルの後、“男と男の堅い約束”を交わした相手その人であった。新任大使ことリベルト・デ・ラウレンティスは、一人の若者“リベルト”として、フィデルに声をかける。


「さ、少年との約束を果たそうか。タクミに託した言伝は届いているな?」


「あ、は、はいっ!」


 フィデルは、慌てて用意しておいた荷物をリベルトに渡す。サンドイッチと新聞のセット、それも10人前だ。リベルトは、両手で抱えるようにサンドイッチと新聞を自らで受け取って付き人に渡すと、懐から財布を取り出し、500ペスタの紙幣をフィデルへ渡す。


「今日はちゃんと釣りが出ないように用意しておいたからな。これで構わんだろう?」


 フィデルは、驚きのあまり、紙幣を掴んだまま勢いよく頭を下げた。まさか、自分がタンカを切った相手が、こんなにも偉い人だとは思わなかった。もしかして自分は大変なことをしてしまったのではないだろうか……、そう思うと、紙幣を受け取る手の震えを止めることができなかった。


「た、確かに頂戴いたしました! あ、ありがとうございますっすっ!」


 その様子を見たリベルトが、フィデルの肩をポンと叩き、顔を上げるように促す。フィデルがようやく顔を上げると、リベルトが手を差し伸べていた。


「これからこの街も時折は訪れることになる。少年よ、その時はまたサンドイッチを売ってくれ」

 

 リベルトのにこやかな笑顔に、フィデルはようやく緊張が解ける。そして、やっとのことで、いつもの調子を取り戻した。


「はいっ! その時もお釣りが無いようにしてもらえると助かるっすっ!」


 リベルトは、勿論、と短く応える。再び堅く握手を交わす二人。その様子を、タクミはしばらくの間見守り、そして折り合いを見てリベルトに声をかける。


「閣下、そろそろ出発のお時間となります。どうぞ、ホームの方へ」


 タクミの案内で改札を通っていくリベルトの後ろ姿を、フィデルは心からの敬礼で見送っていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
作品更新情報・書籍化・コミカライズ・新作に関する情報は活動報告をご覧ください

■■■ 読者の皆様へ ■■■
お気に召していただけましたら、ブックマーク・評価・感想・読了ツイートなどなど頂ければ幸いです。
大変励みとなります
(評価・感想は最新話の下部にフォームがございます)

― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ