54 外国からの賓客と非公式の昼餐会(4/5パート)
※前パートからの続きです
「ごっしゅじーん、ニャーチお掃除部隊、任務完了なのにゃー!」
昼餐会の当日を迎えた迎賓館、その別館に備えられた小キッチンに明るく元気なニャーチの声がこだました。
いつもと変わらない調子のパートナーの様子に、タクミは思わず苦笑いを見せる。
「あ、ありがとう。でもさ、今日はもうちょっと、こう、大人しい感じでお願いできないかな? ほら、今日はここのスタッフさんたちもいることだし……」
「うにゃ? そうなのな? じゃあ、ごっしゅじーん! お部屋のお掃除、終わりましたのなー!」
「う、うーん……?」
微妙に変わったような変わっていないようなニャーチの態度に困り果て、タクミは眉をハの字にする。
すると、タクミの横でセボーリャを細かく刻んていた料理長アウグストが声をかけてきた。
「まぁまぁ、緊張してギクシャクするよりもよっぽど頼もしいと思うぜ。っと、コイツはこんなもんで良いんか?」
「ええ、ありがとうございます。しかし、料理長にこんな下働きをさせてしまい、申し訳ないです」
「何、今はアンタが料理長なんだから、遠慮することはねぇ。それに、俺もコイツラもアンタの料理を直に学べるってんで、今日が来るのを楽しみにしてたんだ。ガンガンこき使ってやってくれ。なぁ、そうだろ?!」
「「「うぃっす!」」」
アウグストの言葉に続いて、三人のスタッフが気持ちの良い声を上げる。
テキパキと手を動かしながらも実に楽しそうなスタッフたちの表情に、タクミは改めて感謝の言葉を口にした。
「本当にありがとうございます。では、そろそろピッチを上げていきましょうか。前菜は仕上げに入ってください。あと、ニャーチはそろそろお部屋にそれを持ってってー」
「あいあいさーなのなーっ!」
ニャーチが元気のよい返事を残しながら、タクミに指示されたものを部屋へと運んでいった。
タクミはその後もキッチンの中央に陣取り、てきぱきと指示を飛ばす。
キッチンの脇から様子を伺っていた館主カルロスとソフィアは、その姿に満足げな笑みを浮かべた。
「どうやらこの分なら滞りなく進みそうだな」
「そのようですわね。まぁ、タクミさんのことですから心配ないと思っておりましたわ」
「それにしても、タクミ殿の発想には恐れ入るな。今日のメニューももちろんだが、まさか、アレをあのような形で使うとは……」
「ええ、アレには本当に驚きましたわ。今日のお客様たちも、びっくりすることでしょうね」
「確かにな。まぁ、ここまで舞台を整えてもらったんだから、あとはソフィア次第だぞ」
「もちろん、この館に恥じないおもてなしをさせて頂きますわ」
静かにほほ笑みながら、ゆっくりと頷くソフィア。
そしてもう一度だけタクミに視線を送ると、踵を返して長い廊下へと向かっていった。
―――――
「本日はお招き頂いてありがとう。今日が来るのを楽しみにしておりましたぞ」
「こちらこそ、ようこそおいでくださいました。今日の昼餐、どうぞ楽しんでいってくださいませ」
昼餐会の会場となった中広間では、主人役のソフィアと主賓であるトウリュウが向かい合うようにして席に着き、互いに挨拶を交わした。
真っ白な布がかぶせられた長テーブルの中央には、色とりどりの花が生けられた銅製の花器が置かれ、食卓を美しく彩っている。
花器を挟むようにして両側に置かれているのは、銀色の小さな皿を載せたブリキの缶筒。
ところどころに穴を開け、透かし彫りを施された筒の中では、蝋燭の炎がゆっくりと揺らめいていた。
しばらくその缶筒をしげしげと見つめていたトウリュウが、ゆっくりと口を開く。
「なるほど。“チャ”の香という訳か。いや、これはなかなか憎いおもてなしですな」
「気に入って頂けまして何よりですわ。こちらは先日の香木でのおもてなしをヒントにさせていただきました。爽やかな香りが立つよう、緑色の“チャ”を選んでおります」
「なるほど。となると、この後の食事にもいろいろ仕掛けが施されていそうだな。うむ、実に楽しみだ」
「キッチンでは料理人が腕によりをかけておりますわ。どうぞご堪能くださいませ」
ソフィアはそう言いながら、扉の傍らで待機していたカルロスに視線で合図を送る。
龍の姿をしているトウリュウの表情は分かりづらいものの、どうやらこの演出に喜んで貰えているようだ。
互いに数名ずつが出席するのみという小規模な昼餐会ではあるが、だからと言って気を抜く事は出来ない。
もし主賓の気分を害するようなことがあれば、国益に関わる可能性すら考えられるのだ。
この昼餐会が持つ意味とホステス役として自分に課せられた責任をじっと胸に秘めながら、ソフィアは食事が運ばれるまでの一時の間も会話という形でトウリュウをもてなしていた。
部屋に最初の一品が運ばれてきたのは、互いの国の食文化について話が盛り上がり始めた頃であった。
カルロスと部下が順に皿を並べていく中、ソフィアが口を開く。
「本日は昼餐ということもあり、軽めのコースにさせていただきました。前菜にはこの国を代表する料理を三種ご用意しておりますわ」
「おお、これは見事。どれも色彩豊かで、実に食欲をそそられるな」
目の前の料理に、トウリュウがペロリと舌なめずりをする。
いかにも待ち遠しそうなその様子に、ソフィアが微笑みながら杯を上げる。
「それでは、本日の良き出会いに」
「そして良き食事に」
儀礼としての乾杯を終え、いよいよ昼餐会が始まった。
前菜としてタクミが選んだのは、ランゴスティノのセビチェ、クリーク鶏のソテー、そして、野菜がいっぱい詰まった小さなタコスロールの三品。
どれもクレイグ国で親しまれている料理ばかりだ。
トウリュウが最初に手を伸ばしたのはセビチェ。
刻んだトマトやセボーリャ、ペピーノなどと共にそれを頬張ると、ランゴスティノの甘味とさわやかなリモーネの酸味が口いっぱいに広がってきた
「これはまた新鮮なランゴスティノだ。身もプリプリとしているうえ、一切臭みを感じない。海から離れたこの場所でこれほどの鮮度のランゴスティノを食べることができるとは、いやはや、素晴らしいな」
「お褒めの言葉、ありがとうございます。こちらは海で上がったランゴスティノを氷で冷やしながら運ばせたもの。低温にして眠らせた状態にすることで、ある程度長い時間でも鮮度を保つことができるのですわ」
「なるほど。そして、それができるのは『製氷工場』のおかげという訳か」
口元へセビチェを運びながらも鋭い視線を放つトウリュウ。
ソフィアもまた、それをしっかりと受け止めてコクリと頷く。
「百聞は一見に如かず。私の投資先でよろしければ、いつでもご案内させていただきますわ」
「それはありがたい。後で早速日程を調整させてくれ」
「かしこまりましたわ」
早速一つの約束を取り付けたソフィアがうれしそうに微笑んだ。
セビチェのさわやかな酸味により食欲に火が付いた二人は、残る二つの料理にも次々とフォークを伸ばしていく。
クリーク鶏のソテーにかけられているのは、この国伝統のモーレ。
アウグストが最も得意とする黒茶色のカカオソースは、甘味とほろ苦さ、そしてスパイシーな風味が重厚に重なり合っている。
この深みのある濃厚な味わいが、クリーク鶏自身が持つぎゅっと詰まった旨味と出会うことにより、複雑かつ極上の味わいを生み出していた。
そして、食べやすいように斜めにカットされたタコスロールには、こちらもこの国の伝統的なソースであるサルサが添えられている。
トマトの酸味と旨味、リモーネの酸味、そしてカイエナをベースと辛みが、トルティーヤで巻かれた挽き肉や野菜の美味しさを何倍にも引き上げていた。
列席した参加者たちも、セビチェが美味しい、いや、モーレのコクが素晴らしいと口々に感想を言い合っている。
そんな中、トウリュウが実に満足げに頷きながら口を開いた。
「どれも素晴らしい美味だ。それに、この前菜の取り合せ、実に理にかなっているな」
「あら、と、おっしゃいますと?」
「うむ、我が国では、食事には“五味五色”が必要であるという教えがあるのだ。五味とはすなわち甘味、辛味、酸味、苦味、塩味。そして五色とは、赤、緑、黄、白、それに黒のこと。これらをバランス良く食すことによって、体内の調和が保たれ、健康に暮らすことができると言われておる。その視点から見ても、この前菜の盛り合せは完璧と言ってよいであろう」
「そういわれてみれば確かにそうですわね。色の方はトマトの赤、ペピーノの緑、マイスで作られたトルティーヤの黄、ランゴスティノやセボーリャの白、そしてモーレの黒がございますし、味わいもランゴスティノの甘味、サルサの辛味、リモーネの酸味、モーレの苦味、それにクリーク鶏の塩味と揃っていますわね」
「左様。料理人がこのことを意図していたかどうかまでは分からぬが、この料理からは我々のことを歓待しようと言う気持ちが伝わってくる。いや、実にすばらしい」
「その言葉、料理人に伝えたらきっと喜びますわ」
手放しで褒め称えるトウリュウの言葉に礼を示しながら、ソフィアは内心で驚いていた。
なぜなら、トウリュウの指摘は、昼餐会のメニューを決めるための打合せの席上でタクミが発した言葉に他ならなかったからだ。
本来であればメインディッシュであってもおかしくないクリーク鶏のソテーをあえて前菜としたのもそのため。
モーレの色合いと味わいは、『黒』と『苦味』という欠けがちな部分を補うのにぴったりのモノだったからだ。
(でもこれって本当に偶然なのかしら? それとも……? いえ、今はそれを考えている場合じゃありませんわね)
心の中に湧き上がった疑問を振り払うソフィア。
いずれにしても、「この国の伝統的な料理をベースとしながらも、“五味五色”という考え方を加え、長旅で疲れているであろうゲストの方々をいたわりたい」という意図はしっかりと伝わり、そして最大級の賛辞で受け入れられたのだ。
場が盛り上がるような素晴らしい前菜を生み出したタクミに感謝をしつつ、ソフィアは再び自らの役目へと意識を戻すのであった。
―――――
「うめーっ! これ、すごいっすね!」
調理作業が一段落したキッチンでは、スタッフたちがスープの試食をしていた。
今日の昼餐会の二品目として用意したのは、スパイスを利かせた具材たっぷりのスープ。
ランゴスティノの殻から取った上質の出汁をベースに、刻んだセボーリャやトマト、パタータなどを合わせ入れ、最後に『ツバメ』から持ってきたスパイスミックスで風味をつけて仕上げたものだ。
そしてメインの具材として入れられたのが、牛挽き肉とテーゼを合わせたものをアロース粉で作った皮で挟み、ピタッと口を閉じるようにして切り分けたもの。
スタッフとともに試食をしていたアウグストは、旨味をたっぷりと吸い込んだその具材を口にすると、唸り声を上げた。
「こりゃまた面白い。つるんとした口当たりで、いくらでも食えそうだ。これがホウライ国の“バオ”ってやつなのか?」
「“アロース粉の皮で包んだものという点では共通点がありますが、具材の中身やスープの味はおそらく異なるかと。これは私がかつて暮らしていたところの料理をアレンジしたものになります」
バンジョウからの“バオ”の話を聞いた時に、タクミが真っ先に思い浮かべたのは“水餃子”。
小麦粉がない“こちらの世界”であれば、アロース粉で作った皮で包む水餃子があっても全く不思議ではない。
しかし、一方で気になったのが、見本市の会場で目の当たりにしたホウライ国の品の数々。
タクミからすると、それらの一つ一つはかつて暮らしていた世界の“アジアの国々”を思わせるものの、どこかに違いを感じさせるものでもあったのだ。
それを考えると、“バオ=水餃子”であるという確証はどこにもない。
むしろ、そうであると決めつけてしまえば、“ただ似せようとしただけの料理”と捉われる可能性があった。
そこでタクミが出した結論は、“ラビオリ”仕立てのミネストローネ風スープ。
“バオ”を思わせる要素を取り込みながらも、トマトやテーゼ、スパイスといったこの国を思わせる食材をふんだんに使うことで、両国の融合した姿を示そうと考えたのだ。
「本当に美味しいです! 初めて食べるのに、なんか懐かしい味です」
「俺、この味をしっかり覚えて、自分でも作れるように練習します!」
「ありがとうございます。お客様たちにもこうして喜んでもらえているといいのですけどね」
スタッフたちから上がる賛辞に礼を述べつつも、タクミは謙虚な姿勢を崩さない。
それに言葉を返したのは、中広間から戻ってきたカルロスであった。
「ご心配なく。皆さん大変喜んでおられますよ。トウリュウ様もこんなに斬新で美味しい“バオ”は初めてだって随分興奮されておりました」
「そうですか、それを聞いてほっとしました」
伝えられた部屋の様子に、タクミがようやく安堵の表情を見せる。
すると今度は、オーブンストーブの見張り番を務めていたニャーチが声を上げた。
「ごっしゅじーん、そろそろいい感じっぽいのにゃー!」
「あ、ありがとう。さて、じゃあ最後の仕上げですね。アウグストさん、皆さん、もうひと頑張りよろしくお願いします」
「「「「うぃっす!!」」」」
タクミの掛け声に、スタッフたちも力強く答える。
キッチンは再び凛とした空気に包まれるのであった。
※次パートへと続きます(さらに1パート追加となりました)