53 二人のエキスパートと食卓の意味(4/5パート)
※第3パートからの続きです
そして二日後、迎賓館を再び訪れたタクミたち一行は、別館にある小キッチンへと入っていた。
アウグストから厨房機材の使い方や注意点などの説明が行われる。
「今日はこっちの厨房は使わないから、自由に使ってくれ。何か足りねぇもんがあったら本館のメインキッチンまで来てくれりゃあ何でも手配すっぜ。それにしても、本当に手伝わねぇで大丈夫か?」
「ええ、ありがとうございます。少し時間をかけた料理にはなりますが、手数がかかるものではございませんし、ニャーチもおりますので……」
「いっぱいお手伝いするのなーっ!」
「ということだから、大丈夫そうですわよ? 私もついてますし、何かあったら呼びにいきますわ。というより、どんな料理を作るのか気になるんでしょ?」
アウグストの丸い虎耳がぴょこぴょこと踊っていることに、ソフィアはしっかり気づいていた。
頭の後ろに手をまわしながら、アウグストが頬を緩める。
「なんだ、バレバレだったか。まぁ、その分、食べるときの楽しみが増えるってもんか。じゃ、タクミ殿、任せたぞ」
「ご期待に沿えるよう頑張ります」
虎耳をぴょこぴょこと動しながら退室するアウグストを、タクミは一礼で見送った。
そして持参してきたいつものエプロンを纏うと、きっと表情を切り替えた。
「さてと、頼まれていた材料は用意できましたけど……、タクミさん、本当にこんなのでいいでして?」
籠のふたを開きながら、ソフィアが声をかける。
籠の中に入っていたのは、 セボーリャやサナオリア、レチューガ、トマトといった基本的な食材。
そこに大きな白い粒のマイス、シエントロやリモーネ、さまざまな種類のカイエナといったこの地域ではなじみの食材が並んでいた。
ただ、この先が不可思議である。
これらとともに用意されていたのは、葉っぱばかりのアピオやプエーロ。
それに加え、肉を取り終えたあとのクリーク鶏の骨や皮、羽根の先の部分まで用意を頼まれていた。
ソフィアから見れば、“捨てるようなもの”ばかり。タクミに頼まれていたとはいえ、食材といわれるとクエスチョンマークがつくようなものが並んだ籠の中に、ソフィアが不安げな表情を見せる。
しかしタクミは、籠の中の食材を一つずつ確認しながら笑顔で頷いた。
「ありがとうございます。これなら十分イメージ通りのものが作れそうです。さて、ニャーチ、ちょっとめんどくさいこと頼んでいい?」
「うにゃ? なんなのなっ?」
「えっと、この金串を使って、鶏ガラについてるお肉を全部きれいにほじってほしいんだ。手間がかかるけど頼んでいい?」
「了解なのなっ! ニャーチお手伝い部隊出動なのにゃーっ!」
タクミからクリーク鶏の鶏ガラと金串を受け取ると、ニャーチは作業台の一角に陣取り、ちまちまと作業を始めた。
どう見ても手のかかる作業、ソフィアは思わずタクミに疑問を投げかける。
「この骨についた身を使うってことでして? それなら胸肉なりもも肉なり用意しましたのに……」
「いえいえ。こちらの身も大切に使いますが、むしろ本命はこちらだったりしますし」
タクミはそういいながら、ニャーチが掃除をしてきれいになった骨を手に取る。
何のことかさっぱりわからず、ソフィアは小首をかしげた。
「ええと、骨は硬くて食べられないですわよね?」
「もちろん骨そのものを食べるわけではないです。これはスープを取るために使います」
「で、でも、スープを取るなら、なおのことこんな風に肉を取ってしまわない方がよいのではないのです? ナトルが以前にそんなことを話していた気がするのですが……」
「確かに肉の旨みと骨から出る旨みを合わせるものもございます。ただ、今日は違ったスープの取り方をしようかと思っています。まぁ、ソフィアさんも楽しみ待っていてください」
野菜の下処理を進めながら、いつもの穏やかな笑顔で話すタクミ。
その様子に、ソフィアはどこかに疑問を残しながらもコクリと頷いた。
タクミが作業する横で、ニャーチがご機嫌に歌いながら、ちまちまと骨から肉を外してく。
普段キッチンの様子を見る機会が少ないソフィアは、タクミやニャーチの作業の様子を興味深げに見守りながら、時折質問を重ねていた。
「ごっしゅじーん! 作業完了なのなー!」
作業を済ませたニャーチが、耳をピーンとたてて声を上げる。
数羽分用意してあったクリーク鶏は、見事なまでに骨と身に分けられていた。
「おー、ここまでやってくれれば十分十分、ありがとねー。」
「集めてみるとこんなにも身がついているものなんですね。ちょっと驚きました」
椅子に腰を掛けて作業を見守っていたソフィアも、作業台を覗き込んで息をつく。
ボウルは骨から丁寧に外された細かな鶏肉で満たされ、隣のバットの上にはきれいに身を外された鶏の骨がうず高く積まれていた。
ニャーチは自慢気な表情でタクミに声をかける。
「いっぱい頑張ったのにゃっ! だからほめるのにゃっ!」
「はいはい、頑張りました。でも、なでなでは後でね。手汚れてるし。それより、ニャーチも手をすすいでおいで」
「にゅー、タイミングが悪かったのにゃっ……。んじゃ、お手々ごしごししてくるのなっ!」
ニャーチはそう言い残すと、ぴゅーっと水場へと駆けていった。
二人の様子に、ソフィアが思わず肩をすくめる。
「もう、ずーっと当てられっぱなしの私の身にもなってくださいな」
「ははは、申し訳ないです。ついついいつもの癖が出てしまいまして……」
「でも、本当にいつも仲睦まじくてうらやましいですわ。あー、早くリベルト様帰ってらっしゃらないかしら……」
そういいながら机の上に突っ伏すソフィア。
仕事に対する厳しさは変わらないものの、最初に会った時よりもどことなく柔和さが感じられるようになった彼女の様子に、タクミはにこやかな微笑みを見せていた。
―――――
タクミの料理が完成したのは、すっかり日が暮れた後であった。
シャンデリアとランプが灯された別館のダイニングには、仕事を終えたカルロスとアウグスト、そして一足先にキッチンを離れたソフィアもすでに卓についている。
カルロスは、普段は腰を掛けることがない主賓席に座り、タクミの料理を今や遅しと待っていた。
「どんな料理が来るか楽しみだな。ソフィアは途中までは見ていたのだろう?」
「ええ。でも、お昼前に下ごしらえをした後は、随分とのんびり料理を進めていたように思いますわ」
「ほほう。しかし、傍からはのんびりしているように見えても、存外繊細な気遣いを必要とすることもあるしな」
カルロス同様、にこやかな表情を見せるアウグスト。
しかし、二人とは異なり、ソフィアは若干頬をひきつらせていた。
ひときわ気になっているのが、タクミが仕込んでいたスープ。
その材料というのが、驚くべきものであったからだ。
水を張った寸胴鍋にタクミが入れたのは、オーブンストーブで焼き上げたクリーク鶏の骨。
それに、同じくクリーク鶏の皮の部分を少しとサナオリアの皮、アピオの葉、プエーロの青い部分なども一緒に入れられている。
香味野菜として加えられているアッホやヘンヒブレこそ普通のものを使っているが、それ以外のものは普段口にしないものばかりだったのだ。
(やっぱり、仕事を入れずに最後まで見届けるべきだったのかしら……)
仕事絡みの会食と打ち合わせのため、昼時にいったん迎賓館を離れたソフィア。
その結果、料理の過程を中途半端に見ることとなってしまい、かえってもやもやが募っていた。
もちろんタクミの料理の腕を信用していないわけではない。
しかし、この材料からどんな味が生まれるのか、ソフィアには皆目見当がつかなかったのだ。
不安そうな表情を何とか押し留めようとするソフィア。
すると、扉がコンコンコンと三度ノックされた。
「お待たせしたのなっ! 料理をお持ちいたしましたなのにゃーっ!」
ニャーチの明るい声が室内に響く。
その後ろからタクミがワゴンとともに入室し、各人の前に皿を並べた。
白いプレート皿の上に並べられているのは、赤いソースが絡められた揚げ物と、橙色が美しい千切りのサナオリア、それにほんのりピンクががったパテ。
三種類の料理が並んだ皿を前に、カルロスが口を開いた。
「ほほう。何やら既にいい香りがするな」
「ありがとうございます。こちらは三種の前菜をもりあわせたものです。揚げ物はクリーク鶏の“チューリップ”。手前のパテは鶏肉のテリーヌ。そして奥は、サナオリアのサラダ。こちらはすでに味を絡めてありますのでどうぞそのままお召し上がりください。」
「ありがとう。それでは冷めぬうちに頂くとしようか」
「ああ。熱いものは熱いうちに、が鉄則だしな」
タクミの解説を静かに聞いていたカルロスとアウグストが、顔を見合わせて頷く。
そしてタクミの着席を待ってから胸の前で手を組み、食前の祈りを捧げた。
かくして、タクミからの答礼宴が始まった。
「これだけ色とりどりの料理が並ぶと、どれから食べようか目移りしてしまいますね。そうですね、まずはこちらから……」
カルロスが最初にフォークを伸ばしたのは、サナオリアのサラダ。
柑橘系の酸味と、オリバ油の豊かな風味、そしてピリッと聞かせた黒こしょうがシャキシャキとしたサナオリアの甘味を十分に引出している。
シンプルながらも、素材のおいしさを存分に感じられる一品だ。
一方のアウグストは、“チューリップ”と呼ばれた揚げ物をしげしげと見つめている。
「なるほど。これは手羽の部分をくるりと裏返してまとめているのか」
「ご明察です。いわゆる骨付きから揚げの類ですね。見た目の形状が“チューリップ”という花に似ていることから、私が以前にいたところではそう呼ばれていました」
「ほほう、花の名か。確かに形で例えるならブロクリみたいないい方もできるかもしれんが、この愛らしい形は花の名前の方が似合いそうだな」
そういいながらアウグストはチューリップを一つ摘み、歯で引っこ抜くようにして食した。
カラリと香ばしく揚がった手羽は、中に包まれた皮目が肉にいっそうのジューシーさを加えている。
肉の柔らかさとサクサクとした衣の食感が口の中で合わさり、とても賑やかな楽しさが生まれていた。
そして衣に絡められた赤いソースは、旨味と酸味、そして辛みが一体となっている。
サルサを思わせるようななじみ深さもありつつ、しかしカイエナだけではない、黒こしょうをしっかりと効かせた辛みの競演は、新鮮な驚きも感じさせるものだ。
「これはいいな。見た目も楽しく、味わいも抜群。普段はあまり使わない手羽だが、こうすればまた美味しく味わえるというものなのだな」
「大勢の立食パーティーのときに、これが並んでいたら目を引きそうですね」
「飾りと摘みやすさを兼ねて、骨の部分にリボンを巻くのもよさそうだ。いや、いいアイデアを頂いた」
「過分なお言葉、恐縮でございます」
カルロスやアウグストからの賛辞に、タクミはいつものように微笑みながら頭を下げる。
その横では、ソフィアが驚きの表情を見せていた。
「このテリーヌというお料理……。すごいですわ……」
「ん? どうしたソフィア?」
「え、ええ。テリーヌが本当に美味しくて……。カルロス従兄さんも、ぜひ味わってみてくださいな」
ソフィアの言葉にコクリと頷き、カルロスもテリーヌを一口大に取り分けて口に運ぶ。
少し冷たさを感じるテリーヌは舌で押しつぶせるほど柔らかい。
わずかに粒感の残る食感を楽しみながら咀嚼をしていけば、中にギュッと詰まった鶏肉のうまみが溢れだしてくる。
味付けは塩コショウ、それに香草や香辛料の香りが微かに鼻孔をくすぐる。
非常に上品な味わいに、カルロスは思わず息をついた。
「……すごいなこれは。鶏の旨味が尋常じゃないほど凝縮されている」
「ああ。この味わいは一つの部位からだけでは生まれない。おそらく様々な部位を掛け合わせて作られているのだろう。タクミ殿、そうではないか?」
テリーヌの味わいがよほど衝撃的だったのか、アウグストが真剣な表情でタクミに質問を投げかける。
それに対するタクミの答えは、少し謎めいたものであった。
「確かに、結果的には様々な部位を使っていることになるでしょうか……」
「んむ? 結果的には、というと……?」
「その答えは、この後のメイン料理までお待ちいただいてもよろしいでしょうか? そろそろいい頃合いのようですので、少し失礼いたします。ニャーチも手伝いよろしくね」
「あいあいさーなのな!」
タクミはそう言い残すと、ニャーチを連れていったん部屋を後にする。
カルロスとアウグストタクミの言葉をあれこれと解釈しようと議論を交わし始める。
午前中の作業の様子からその意味が何となく理解できたソフィアは、会話の成り行きを静かに見守っていた。
※第5パートに続きます。
次パートは明日29日か、明後日30日のお昼に臨時更新する予定です。