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12 改装工事とスタミナご飯

本日も当駅をご利用いただきまして誠にありがとうございます。本日の最終列車は、この後16時30分の出発予定です。改札は、出発の10分前を予定しておりますので、ご乗車のお客様は、改札口横にございます待合室にてお待ちください。

――― なお、当駅は現在改装工事を行っております。ご迷惑をおかけいたしますが、ご理解のほどよろしくお願い申し上げます。

「お疲れ様です。差し入れを持ってまいりました」


 ある日の午後、ランチ営業のピークを過ぎた頃合いにタクミはプラットホームの端で声を掛けた。隣に並んでいるロランドは、両手いっぱい抱えた桶に真っ赤に熟したトマトと濃い緑色のペピーノ(きゅうり)を山盛りにして運んでいた。


 タクミが声を掛けた相手は、筋骨隆々としたいかにも力強そうな壮年の男性 ―― ケイヴァンだ。大工の棟梁であるケイヴァンは、現在、部下を率いてハーパータウン駅舎のホーム延伸工事を請け負っている。“駅長”の話によれば、今後、博覧会の開催などで今までよりも長い列車を運行する予定があるので、その対応に向けた工事を各駅で行っているとのことだ。


「おお、ありがとう。おーい、一息入れるぞー」


 ケイヴァンは、タクミの呼びかけに応え、部下たちを呼び寄せる。部下たちは、棟梁の一声ですぐに集まり、タクミの持ってきたポットの中身 ―― リモン(レモン)を絞った果汁と砂糖、塩を溶かし合わせた特製のリモンドリンクを手元のカップや椀へと注ぎ、一気に呑み干していく。ロランドが持ってきたトマトやペピーノも部下たちの間で競うように分けられ、各々が豪快に齧り付いていた。


「ふぅ、ごっそさん。いつも悪いな」


 ケイヴァンもタクミから受け取ったリモンドリンクを呑み干し、タクミに感謝の言葉を述べる。


「いえいえ、これくらいのことしかできませんので。炎天下でのお仕事ですから、暑気あたり予防になるものと思いまして」


 タクミが見上げた空は晴れ渡っており、強い日差しが地面を照りつけていた。特に今年の夏は早くから暑さを感じる日々が続いている。タクミは、ケイヴァンやその部下たちが熱中症などで倒れないよう、塩分と糖分が補給できる差し入れを毎日提供していた。


「いや、コイツを呑むようになってから、確かに暑さに眩むってことが減った気がするんだよな。それに、アイツらもいつもより元気に仕事をしてくれているし、おかげで予定よりも早く作業が進んでるくらいさ」


「それは何よりです。それでは、またお困りごとがあればいつでもお声掛けください。あと30分ほどすると列車が到着しますので、その際はくれぐれもお気を付けくださいね」


 ケイヴァンは真っ黒に日焼けした顔にニマッと白い歯を浮かべ、了解の意図を示す。タクミは、すっかり空になったポットと桶を持ち、ロランドと共にその場を辞した。その後ろからは、休憩終わりだー、そろそろ取り掛かるぞー、との声が聞こえてきた。


「マスター、今晩はカレーでしたっけ?何から仕込みやっておきましょうか?」


 隣に並んだロランドが、声を掛けてきた。工事期間中、ケイヴァン一行が駅舎2階の宿泊スペースに泊まっている関係で、普段よりたくさんの夕食を用意する必要があった。このため、ロランドにも遅くまで残って手伝っていてもらっていた。ロランドの申し出に、タクミはこの後の作業の指示を出す。


「そうですね。そうしたら、今日はセボーリャ(玉ねぎ)サナオリア(にんじん)、それにアッホ(にんにく)ヘンヒブレ(しょうが)を全部摩り下ろしておいてもらいましょうか。あ、あとトマトもお願いします」


「え?全部摩り下ろすんです?」


 ロランドは、予想外の指示の内容に聞き間違いじゃないかどうか、思わず聞き返す。タクミは、コクリと頷いてから、こう続けた。


「ええ、今日は夏スペシャルの栄養たっぷりカレーに仕立てたいと思います。細かい説明は後程伝えますね」


 了解っす、とロランドは短い返事で応えた。ランチ営業で疲れがたまっているロランドであったが、今日もまた新しい料理を見せてもらえると思えると、不思議と気力が湧いてくる。キッチンに戻ったロランドは、早速タクミから指示された仕込み作業に取り掛かった。






◇  ◇  ◇





 最終の到着便の改札を済ませた後、駅舎の終業前点検を終えたタクミがキッチンへと戻ってくると、

ロランドがボロボロと涙をこぼしながら作業を続けていた。うるんだ瞳でタクミの姿を見つけたロランドが、片手にはセボーリャを、もう片手にはおろし金を持ったまま訴えてくる。


「これ、マジできついっす!なんか目に染みない方法ってないんっすか?」


「んー、残念ながらこればかりは如何ともしがたいのですよね。ほら、もう少しなので頑張って終わらせましょう」


 ロランドの訴えに、タクミはつれなくこう応える。実際は、鼻栓をすれば目に染みるのを随分抑えることができることを、タクミは聞いたことがあった。しかし、料理人たるもの、五感をしっかりと働かせながら料理に取り組むことが必要である…タクミはそう考えるからこそ、“楽が出来る方法”をロランドに教えることはしなかった。


(さて、こちらも調理開始ですね。)


 タクミは、ロランドに作業を続けるよう指示すると、自分は他の料理の仕込に取り掛かった。まず取り出したのはサルディーナと呼ばれる小魚の塩漬けとレポーリョ(キャベツ)、それにアッホ(ニンニク)を一かけらと干して赤さを増したピミエント(とうがらし)だ。


 最初に、タクミはレポーリョの葉をざく切りにしてざっと水洗いし、ザルにとって水切りをする。 次いで、アッホは細かいみじん切りにして小皿に取り置き、ピミエントも輪切りにして種を取り除いておく。サルディーナの塩漬けはボウルに移し、軽くつぶしておいた。


 続いてタクミはロケットストーブに火を入れ、フライパンを置いてよく熱する。そこへ、オリバ(オリーブ)の実から取った油を入れ、刻んだアッホと輪切りのピミエントを入れて、香りを移す。しばらくして、アッホとピミエントの芳しい香りがフライパンから立ち上ってきたところで、サルディーナの塩漬けを投入する。そのまま木べらで軽くつぶすようにして炒めると、香ばしい香りがキッチンを包み込んだ。


「う~ん、魚の焼ける良い香りっす! 今度作り方教えてくださいっす!」

 

 摩り下ろしを終えた野菜を鍋に移しながらロランドが声を掛けてくる。タクミは、また今度一緒に作りましょう、と目で合図をしながら、フライパンの中で踊るサルディーナに意識を戻した。サルディーナ全体に軽く火が通ったところでフライパンを火から外し、間髪を淹れずに、先ほど刻んでおいたレポーリョのざく切りをフライパンの中へ投入。そのまま軽くあおるとフライパンの余熱でレポーリョに火が入っていき、同時に魚の旨みがたっぷりと詰まった熱いオイルソースが絡んでいった。これを平皿に豪快に盛り付ければ“サルディーナとレポーリョのペペロンチーノ風”の出来上がりだ。


「さて、そちらはどうですか?」


 タクミは鋳物で出来たフライパンを流し台に入れて軽くすすいで汚れを落としてから、ロランドが木べらでかき混ぜ続けている鍋の様子を確認する。煮込み用のストーブの上に置かれた鍋の中は、摩り下ろされた野菜 ―― 主にセボーリャとトマト ―― からたっぷりと水分が染み出ていた。赤みがかったオレンジ色の野菜スープは、時折ポコポコと泡を立てながら鍋の中で温められていた。


 タクミは、スプーンで一掬いして味を確認すると、ランチの時に残してあったチキンスープをレードル(おたま)で2杯ほど掬い入れる。そして、焦げ付かないようにゆっくりかき混ぜながら煮込み続けるようロランドに指示をしてから、次の作業に取り掛かった。


 タクミは食料庫へ向かうと、まだ新しい木の香りがする縦長の木箱に取り付けられた金属の留め具をパチン、パチンとはずし、蓋を開く。隙間はできないよう少しきつめに誂えられた蓋を開くと、厚手の木地の内側に木箱の半分ほどの深さの金属の箱が入れられていた。金属の箱の中は少し水が溜まっており、その中央には大きな透明の冷たさを持つ塊 ―― 氷が入れられていた。


(これからの季節、これがあると本当に助かりますね。ソフィアさんに感謝です。)


 木箱は、先日の“かき氷”のお礼にとソフィアから贈られた“冷蔵箱”だった。先日のソフィアとの話し合いで、博覧会の場にて今回の人工氷を大々的に発表しサプライズを起こしたいとのソフィアの意向を受け、喫茶店ツバメでは、かき氷を含めてお客様へ提供する料理やデザート、ドリンクに氷を使うことは控えることとしていた。その代わり、タクミのアイデアを形にした“冷蔵箱”がソフィアから贈られたのだ。


 タクミは、氷の入った金属箱の内側につけられた取っ手を持つと、ゆっくりと引き上げる。その下に置かれたいくつかの金属のトレイには、卵や肉、魚といった傷みやすい食材が入れられていた。氷の入っている空間の大きさに対して食材が入るスペースは半分ほどしかなく、多くの食材が入れられるわけではない。氷も一晩でほとんど溶けてしまうことから、元の世界で使っていた冷蔵庫のようには使えない。それでも、今までは昼ごろには傷み始めていた食材をこうして夜までもたせることが出来るようになったのは大きな進歩であった。


 箱の中から豚肉を取り出したタクミは、キッチンへと戻ると手早くその豚肉を細かく刻み始める。トトトトトンと小気味の良いリズムが奏でられ、あっというまに豚肉は粗挽きのミンチといえるほどの大きさまで細かく叩かれた。


「じゃあ、この肉も鍋に入れて、合わせてください」


 タクミは、ロランドに短く指示を出すと、さっと手を洗って、今度は今日のメイン作業ともいえる“ルウづくり”に取り掛かった。


 “こちらの世界”に来るまで、タクミはカレールウを自分で手作りしたことはなかった。しかし、喫茶店ツバメを始めるにあたって、出来れば“喫茶店の定番メニュー”であるカレーはメニューに入れたいと考えていた。


(それに、ニャーチから何度もリクエストされましたしねぇ……。)


 タクミはこちらに来たばかりの頃のことを思い出し、思わずクスリと笑う。ロランドが不思議そうにこちらを見てきたが、なんでもないですよ、と返した。タクミは、食料庫に向かうと、試行錯誤の上で作り出した自家製のスパイスミックス(カレー粉)が入った瓶を取り出す。辛みを出すための赤いピミエントの他、色づけに使うクルクマの粉末やアザフラン、それに香りづけとしてコミノやコエントロの粒と胡椒に似た辛みがない種類のピミエンタの乾燥種を粉にしたものを配合していた。“こちらの世界”でもある程度の香辛料が手に入ったことは、タクミにとってありがたいことであった。


 食料庫から戻ったタクミは、新しいフライパンを取り出し、火が入っているオーブンストーブの上に載せる。そこに、食料庫から運んできたバターを載せ、焦げないようにゆっくりと溶かしていく。バターが溶けたところに、ロランドが煮込んでいるスープを一掬い入れ、細挽きのトウモロコシの粉とアロース(コメ)の粉を合わせる。このまましばらく弱火で加熱していくと、粉に油とスープがなじんでいきしっとりと粘り気のあるルウとなっていった。ほどよい頃合いを見計らってフライパンを天板の中心へと移動させ加熱の速度を上げてスパイスミックスを混ぜると、先程まで魚の香ばしい香りに変わって、スパイスの攻撃的な香りが一気にキッチン中へと広がる。こうして出来上がったルウは、ロランドがかき混ぜている鍋の中へと入れられた。


 「じゃあ、こちらの鍋は私が見ていますので、アロースの用意をお願いしますね」


 タクミの短い指示に、ロランドは了解っすと元気よく応え、アロース炊きを始めた。アロースが炊き上がるまでにはおよそ30分かかる。ゆっくり煮込んで行けば、カレーもちょうど良い具合に仕上がるだろう。タクミは鍋の中の様子に注意しながら、ランチの仕込みの時に一緒にヨーグルトに漬け込んでおいた鶏の手羽元をオーブンストーブのグリルへと放り込んだ。






◇  ◇  ◇






 日が傾き、薄暗くなった喫茶店ツバメの食堂にランプの灯が灯されていた。2つ並べたテーブルを囲むように、ケイヴァンと部下たちが座っている。それぞれの前には楕円型の深めの皿によそわれた野菜たっぷりのポークカレー、そして、中央には手羽元のグリルに、“サルディーナとレポーリョのペペロンチーノ風”が置かれている。タクミが、いつものように一礼をして挨拶をする。


「今日も皆様お疲れ様でした。ささやかではございますが、どうぞお召し上がりください」


 タクミのあいさつが終わるか終らないかのうちに、部下たちが一斉にスプーンやフォークを手に取り、ガツガツと食べ始めた。ケイヴァンも、部下たちに負けじとかっ喰らうようにカレーを食べ進めていた。ケイヴァンは、タクミに礼がわりの言葉をかける。


「うーむ、今日も旨い。この肉がたっぷりと入っているところが何とも言えずたまらんな! それに、辛さの中に秘めたこの独特の甘さ、これが疲れた身体になんとも染み渡るな」


 タクミは、その言葉ににこっと微笑み、ありがとうございますと一礼で応えた。ケイヴァンは手羽先のグリルとカレーを交互に食べ進めているが、“サルディーナとレポーリョのペペロンチーノ風”は最初に取り分けた一口だけしか手を付けない。聞けば、野菜類全般が苦手とのことだ。しかし、肉や炭水化物に偏った食事では、栄養バランス的に難がある。まして炎天下の作業が続く中では、なおさら心配だった。タクミは、なるべく野菜を取ってもらえるよう、形がわからないようにして忍ばせることを心掛けていた。


(とはいえ、今日のカレーではさすがに気付かれると思ったのですが……。)


 タクミがそう思いつつケイヴァンを見ると、今度はケイヴァンがにやっと返した。その表情は、騙されておいてやるよと言わんばかりのものであった。タクミは、その表情に、恐れ入りますと頷く。


 「カレーのお代わり、たくさんあるっすよー!」


 「欲しい人はお皿を空にしてから挙手するのにゃーっ!」


 カウンターでお代わりの対応をしていたロランドとニャーチが、そろって声を上げた。その言葉に、ケイヴァンの部下たちはスプーンを進める手をさらに加速させ、まるで飲み物のようにカレーを食べ終えると、次々に挙手していく。タクミは、ケイヴァンにアイコンタクトを送ると、ケイヴァンもこくりと頷く。


 「ニャーチ、ロランド、棟梁にも一つよろしくお願いします」


 ケイヴァンのお代わりを頼みながら、みんなが満足いくまで一杯食べてもらえることの幸せを改めて噛み締めるタクミであった。


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