53 二人のエキスパートと食卓の意味(1/5パート)
本日も当駅をご利用いただきまして誠にありがとうございます。
この列車は当駅が終点となります。到着いたしました列車は車庫に入りますので、お手荷物などお忘れ物がございませんよう、ご注意をお願いいたします。
―― なお、“駅長代理”は出張のためしばらくの間不在にしております。ご用件のある方は“駅長”または駅のスタッフまでお申し付けください。
ローゼス-ハーパー線を順調に走ってきた蒸気機関車が、いつものようにポーッと一つ汽笛を鳴らす。
そしてそのまま速度を落としながらゆっくりと入線すると、やがて所定の位置に寸分違わず停車した。
ホームにいた駅員が停車を確認するとー、ピュルルーと笛が鳴らされる。
それを合図に列車の扉が開かれ、乗客たちが次々とホームへ降り立ってきた。
「ふー、やっと到着なのなーっ!」
ローゼスシティ駅に到着した四両編成の列車の中ほど、二等客車から真っ先に降りたニャーチが、うーんと気持ちがよさそうな声を上げながら背を伸ばす。
そして今度は全身の力を抜きながらうにゃーんと気の抜けた声を上げると、未だ降りてこないパートナーをせかすように呼び寄せた。
「ごっしゅじーん、こっちなのなーっ! 遅いのにゃーっ!
「はいはい、こっちは荷物が多いんだから、ちょっとは待ってなさいね」
他の乗客たちに続いて降りてきたタクミが、眉間にしわを寄せながらニャーチをたしなめる。
もちろん、そんな言葉はニャーチにはお構いなしだ。
「ご主人もお疲れなのなーっ! 早速改札へ向かうのにゃっ」
「だから待ちなさいって、切符持ってないと出られないよ?」
「むぅ、そうだったのな。じゃあ、こっちの荷物はニャーチが持っていくのなっ」
「だーかーらー、ちょっとは待ちなさいってー」
やれやれといった様子を見せながら、タクミは胸ポケットに手を入れて二人分の切符を手早く取り出す。
そして荷物を持ちなおすと、ニャーチの後を追いかけるようにして改札へと向かっていった。
クレイグ国の首都ローゼスシティの中心駅とあって、その規模はハーパータウン駅とは比べ物にならないほど大きい。
方面ごとに並んだホームには次々と列車が出入りし、それに呼応するように乗客たちがひっきりなしに行き来している。
これほど多くの人たちで溢れている駅を見るのは、タクミが“こちらの世界”にやってきて初めてのことであった。
タクミは、先を急ごうとするニャーチの背中を猫掴みしつつ、乗客の列が少し落ち着いた頃合いを見計らって改札を抜ける。
するとそこには、タクミたちを出迎える一人の女性の姿があった。
「お久しぶりね。長旅お疲れ様でした」
「あ、ソフィアさんなのなーっ!」
久しぶりの再会に心が弾んだのか、ソフィアの胸元目がけてニャーチが飛びつく。
そんなニャーチの様子に思わず苦笑いを浮かべながらも、タクミは改めてソフィアに一礼をした。
「ご無沙汰しております。お出迎えありがとうございます。それにしても、言葉がどうも普段と反対ですね」
「そうね。でも、これも新鮮な経験でいいんじゃないかしら?」
「全くです。改めてうれしさを実感し、これから益々励まなければと思わされました」
「相変わらず真面目ねぇ。えっと、迎えの人たちが来るまではまだ少し時間があるから、いったんホテルに荷物を置いて、その後待ち合わせの時間までどこかでお茶でもしましょうか」
「ニャーチはお腹ぺこりんなのなっ! 何かたべたいのにゃーっ!」
ソフィアの言葉に、ニャーチが耳をピクンとたてて反応する。
「もうお腹すいたの? 列車の中でお弁当食べてきたでしょ?」
「でも、おなかペコリンさんなのは仕方がないのにゃっ! べつばらがうずいてるのにゃー!」
「それ、単に甘いモノが食べたいってだけじゃ……」
呆れ顔でニャーチをたしなめるタクミ。
相変わらずの二人の様子に、ソフィアはくすっと笑みをこぼした。
「ニャーチさん、大丈夫ですわよ。お二方の『ツバメ』とは違った趣ですけど、そのお店ならちゃんと甘いモノもございますわ。タクミさんも、せっかくの機会ですので、ぜひローゼスシティの味をお試し下さいな」
「そうですね。めったにない機会ですし、ぜひいろいろ勉強させていただければと存じます。お手数ですが、ご案内をお願いできますでしょうか?」
「もー、今は“駅長代理”でも“マスター”でもないから、そんな堅苦しくしなくていいのよ。まぁ、それがタクミさんらしいんだけどねー。いいわよ、じゃあ早速参りましょう」
楽しげに声を弾ませながら、ローゼスシティの駅舎の外へと向かってソフィアが颯爽と歩き始める。
タクミは、痛い指摘にポリポリと頭をかきながら、その後ろを付いていった。
―――――
ソフィアが手配していた馬車でこの街での仮住まいとなるホテルへと到着したタクミたち一行は、部屋に荷物を置いた後、ローゼスシティーの街中へと繰り出していた。
石畳がきれいに敷き詰められた路の両側には、大きな建物がいくつも立ち並んでいる
壁一面に広がる少し煤けたレンガや渋い色あいをした木製の扉を見ると、この街の歴史が伝わってくるようだ。
そうした街並みの雰囲気を肌で感じながら歩いていくと、ソフィアが一軒の店の前に立ち止まる。
どうやら、ソフィアお勧めの店のようだ。
「ここよ。さ、お先にどうぞ」
「ありがとなのなーっ! 一番乗りなのにゃーっ」
新しい街並みに気持ちが弾んでいるのか、普段以上にはしゃぐニャーチ。
タクミがちょこちょこ嗜めてはいるものの、どうやら聞く耳はパタンと閉まっているようだ。
ニャーチに続いて室内に入ると、そこに広がっていたのは街並みと同じように歴史を感じさせる佇まい。
黒光りする木の床に使い込まれたカウンター、しっかりとした造りのテーブルやソファもまた年代を感じさせた。
その素晴らしい室内にタクミが目を奪われていると、後ろからソフィアが声をかけてくる。
「ここは、ローゼスシティでも有数の『サラ・デ・カミノ』。タクミさんたちがやってるような“喫茶店”と夜の集いの場である“バル”が合わさったようなお店ね」
「なるほど、さしずめカフェバーといったところでしょうか……」
そう呟きながら改めて店内を見渡すタクミ。
店内には多くのお客様が集っており、テーブルに並べられた飲み物や食べ物を楽しみながらワイワイと談笑している。
そのくつろいだ雰囲気は、まさにサラ・デ・カミノという表現にぴったりのものであった。
「さて、じゃあこちらにどうぞ。せっかくだから手元が見えたほうが良いでしょ?」
ソフィアはくすっと微笑みながら、タクミたちをカウンターの席へと案内する。
その正面には、この店の主と思しき白髪交じりの年配の男性が小さく頭を下げているのが見えた。
タクミは、ニャーチを先に席へと座らせつつ、自分もその隣に腰を掛ける。
「注文は任せてもらっていいかしら?」
「ええ。ただ、この後の予定もあるので軽めにしていただければ助かります」
「ニャーチはお腹ぺこぺこぺこりんだから甘いものがたべたいのにゃーっ!」
「もちろんわかってますわ。じゃあ、マスター。いつもの飲み物を3つと、アレグリアを二つ、それにコリナ・ブランカも1つ頂けるかしら?」
「かしこまりました。それでは少々お待ちを」
店の主はぺこりと頭を下げると、キッチンがあると思われる扉の向こう側へと声をかけてから、作業へと取り掛かった。
水差しのような形をした陶器の壺を用意すると、その中に牛乳を注いでから、カウンター脇にある中央に穴が開いた石造りの台 ―― おそらくはかまどの類であろう ―― の上に置く。
しばらくして壺から湯気が立ち上ると、その中に何か茶色い塊を数個入れ、先が加工された木の棒でグルグルとかき混ぜ始めた。
主は、壺の中身をしっかりと棒でかき混ぜてから並べて置いたカップに注ぎ、三人の前へと差し出す。
「お待たせしました。残りのご注文も間もなくお出ししますので、どうぞ温かいうちに」
カップの中に注がれていたのは、たくさんの泡が乗った褐色の暖かな飲み物。
その説明は、ソフィアの口から発せられた。
「ありがとう。これがローゼスシティ、いえこの国で愛されている伝統の飲み物、チョコラテですわ。」
「とってもいい香りなのなっ! 早速いっただっきますなのにゃーっ!」
「たぶん熱いから、よーくふーふーしてからの方がよさそうかな。それでは、私も頂きます」
猫舌のニャーチに気を付けるように促しつつ、タクミもカップを手にとり口元へと近づける。
鼻孔をくすぐる香り、そして牛乳のまろやかさに包まれた独特の風味は、タクミにとってもなじみ深いモノであった。
まずは一口口に含んでゆっくりと堪能していたタクミが口を開く。
「なるほど、これはカカオを使った飲み物でしたか」
「そゆこと。どう? タクミさんの口にはあうかしら?」
「ええ、甘さ控えめで少しざらっとした感じはありますが、とても美味しいです。もしかして、少しシナモンを合わせていますか?」
「ほう、よくお分かりで。先ほど入れたチョコラテのタブレット、あちらを作るときに少量の砂糖とともにシナモンを加えております。さて、それではこちらも……」
感心した様子のマスターが、残りの注文の品も差し出す。
タクミとソフィアの前には何やら粒を固めたような板状のもの、そしてニャーチの前に出されたのは上にシナモンの粉が散らされた白い粥状のものだ。
「お二方のものがアレグリア、そしてそちらの白い方がコリナ・ブランカです」
「にゃっ? これもなんかおいしそうなにおいがするのにゃっ! 食べていい? 食べていいよねっ?」
「はいはい、でも、それも気になるなぁ……後で一口分けてもらっていい?」
「先にとらないと無くなるのなよっ?」
二人のやりとりを見守っていた店の主が、タクミにそっと声をかける。
「よろしければ、取り皿をお使いになりますか?」
「あ、申し訳ございません。ではお言葉に甘えて……。ニャーチ、これに少し取り分けてもらっていい?」
「あいあいさーなのなっ! そのかわり、そっちも少しよこすのなっ!」
「分かってるって。はい、じゃあこれ置いておくね」
タクミは手元のアレグリアを少しちぎると、ニャーチの手元にあるカップの皿に添えた。
見た目は“雷おこし”によく似たアレグリアだが、感触はずっと柔らかく、そしてやや粘り気がある。
ねっとりとしたその感触は、むしろキャラメルに近い印象だ。
取り分けついでにもう一口分ちぎり、口の中へと放り込む。
すると、口いっぱいに砂糖の甘さが広がると共に、中に入っている小さな粒が舌の上をコロコロと転がっていった。
甘い味わいと独特の触感との対比がなんとも楽しい。
そして甘くなった口に先ほどのチョコラテを含むと、お互いの味を引き立て何ともほっとする味わいを生み出していた。
「こっちもおいしいのなよーっ! ごっしゅじんも早く食べてみるのなー!」
コリナ・ブランカが気に入ったらしく、次々とスプーンですくっては頬張るニャーチ。
タクミもまた、取り分けてもらったそれを口へと運んだ。
「へぇ、これはアロースですか」
その味わいはいわゆる“牛乳粥”の類、それも砂糖でかなり甘く味付けされているものであった。
“こちらの世界”に来てからずいぶん経ったとはいえ、コメに慣れ親しんだタクミにとっては驚きの味わいである。
しかし、リモーネを思わせるような爽やかな香りと、シナモンの甘さを含んだスパイシーな風味により絶妙なバランスが保たれており、素晴らしい美味しさとなっていた。
「私の故郷ではアロースを良く食べるのですが、このように牛乳で甘く炊くというのは初めての経験でした。いや、いい勉強をさせて頂きました」
「ありがとうございます。これがこの国で受け継がれてきた伝統の味わい。少々甘さが多いのも含め、広く愛されてきたものでございます。お気に召していただけたのなら何よりです」
「まぁ、私にとっては二人のいちゃいちゃ加減の方が甘かったんですけどねー」
ゆっくりとチョコラテを楽しんでいたソフィアが、チクリと言葉を刺す。
きょとんとするニャーチを横目に、タクミは苦笑いを浮かべるしかなかった。
※次パートに続きます。 12/18(日)の更新予定です
※活動報告にファンアートを2点掲載させていただきました。ぜひ合わせてご覧くださいませ!
※今回の料理に関する補足
今回登場した料理や飲み物はメキシコ周辺のものを参考としております。
『コリナ・ブランカ』は、“アロス・コン・レーチェ”と呼ばれる甘いミルク粥がモデルです。
ご興味のある方はぜひ「メキシコ料理 (料理名)」にて検索してみてください。