52 見守るマスターと日替わりランチ(3/4パート)
※前パートからの続きです
「なるほど、それで今日は師匠がいないんっすか」
『ツバメ』へと出勤してきたロランドは、タクミ不在の理由についてナトルから説明を受けると、愛用のエプロンを身に纏いながら言葉を返した。
あの後もしばらくタクミと押し問答をしていたナトルであったが、ちょうどそこに顔を出した“駅長”からの説得もあり、結局タクミの代理を引き受けることとなった。
ロランドは兎耳をぴょこぴょこと動かしながら、いつものように手早く身なりと道具を確認すると、モーニング営業の対応をしているナトルに声をかける。
「じゃ、今日はナトルマスターっすね! よろしくお願いするっす!」
「マスターだなんてそんな……。ロランド君、こちらこそよろしくお願いしますっ」
「そしたら、今日は何からやればいいっすか? いつもなら売店の分の仕込みと、ランチの仕込みを始める感じっすっけど……」
「そ、それなんですけど、実はまだランチのメニューが決められてなくて……」
「えっ!? マジっすか?」
ナトルから返された思わぬ言葉に、売店用のサンドイッチ作りを始めようとしていたロランドが兎耳をピンとたてて顔を上げた。
朝の『ツバメ』のキッチンはさながら戦場のような忙しさである。
モーニングの営業をしながら売店で販売する商品やランチの仕込みを同時並行で進めていかなければならない。
少しの時間も無駄にできないことは、ロランドは十分に身に染みていることであった。
もちろん、そのことは当然ナトルも理解している。
しかし、予め用意していたモーニングとは違い、タクミに代わってランチのメニューを決めなければならないとなると、何を出せばいいのか全く思いつけなかったのだ。
「とりあえず、ランチに必要なアロースやパトの仕込みは先に進めています。でも、タクミさんなら今日のランチで何を出すんだろうって考えたら、何を作ればいいかわかんなくなっちゃって……」
「うーん、師匠が作りそうなものすっか……、といっても、師匠は山のようにアイデアがある人っすからねぇ……」
喫茶店『ツバメ』で提供しているランチメニューは『ご飯もの』の“Aランチ”、サンドイッチなど『軽食系』の“Bランチ”、メインの料理と副菜を合わせた『プレートセット』の“Cランチ”、そしてパトをメインに据えた“パトランチ”だ。
普段のタクミであれば、その日の気候や予測されるお客様の流れ、直近で提供していたメニュー、そして四種類それぞれの味わいの変化なども考慮しながら、メニューと仕込み量を決定する。
これと同じ水準を期待されているとなると、ナトルが戸惑うのも無理はなかった。
「と、とりあえず今できることをやりながら考えましょう! えっと、『メアウカ』用のメニューは決まってるんですよね?」
「うぃっす、今日は久しぶりに原点に戻ってジンジャーポークサンドにするつもりっす。あとは焼き菓子の補充っすね」
「じゃあ、私もそっちを手伝います。手を動かしながら、アイデア出し合っていきましょう!」
「了解っす!」
その後二人は、手を動かしながらランチのアイデアを出し合っていく。
しかし、いろいろとメニューを並べてはみるものの、数日前のランチで出してしまっていたり、仕込み時間が足りなかったりと、なかなかこれといったものが出てこない。
その間にも時間は過ぎていき、ナトルの表情に焦りの色が濃くなってきた。
するとそのとき、キッチンの裏口から“駅長”がひょこっと顔を出した。
「どうじゃね? 準備は進んでおるかね?」
「“駅長”さんっ! そ、それがまだメニューが決まらなくて、やっぱり私じゃ……」
いったん手を止めて顔を上げるナトル。
その眼がうるんでいるのは、刻んでいたセボーリャのせいなのか、はたまた別の理由か。
ロランドもまた、不安げな声で“駅長”に話しかけた。
「師匠の凄さを改めて感じてるところっす。でも、『ツバメ』のランチって自信を持って出せそうなものを考えると、どうしても師匠のモノマネになっちゃうんっすよね……」
「そうなんです。タクミさんが作るような独創性あふれたランチを考えてるんですが、どうしても思いつかなくて……」
「ふむ……。しかし、何もタクミ殿と同じようなメニューにしなくても良いのではないか?」
顎を撫でながら二人の言葉を聞いていた“駅長”が、ゆっくりと口を開く。
その言葉にはナトルもロランドも「えっ」と驚きを見せるが。
「何も無理をしてタクミ殿と同じにしようとする必要はない。ナトル殿が自信を持って出せる料理をランチとして出せばよいと思うのじゃよ」
「し、しかし、それではタクミさんが培ってきた『ツバメ』らしさが……」
「いやいや、それは気になさらず。今日のマスターはタクミ殿ではなくナトル殿なのですから、ナトル殿ご自身の店として考えて下され」
「そういえば、前に俺がテラスの営業を任せてもらったときも師匠が同じこと言ってたっすね……」
“駅長”の言葉に、ロランドは以前の出来事を思い出していた。
以前、駅舎が工事の関係で『ツバメ』がお休みを取った時、タクミとニャーチに休みを取らせることを兼ねて、駅前広場を使ったテラス営業を任せてもらったことがある。
その時に師匠であるタクミに言われたのが「自分の店と思って、自分が思うようにやりなさい」ということ。
それは初めて店を任されるロランドへの励ましであるとともに、何があっても自分自身で責任をとらなければならないという覚悟を示したものであった。
そのことを思い出し、じーっと考え込むロランド。
すると、“駅長”がナトルに対して再び言葉をかけた。
「今回は急なことじゃったが、それでも長く助手を務めてきたロランド殿ではなくナトル殿にこの店を任せたということは、タクミ殿にとっても何か思うところあったのだと思いますぞ」
「そうっすよね……。俺だとどうしても師匠のモノマネになっちゃうっすから、ナトルさんの力でまた違った『ツバメ』にしてほしいと思ったんっすよ!」
「で、でも、タクミさんがそう思ってても、お客様はいつものタクミさんの味を期待してるんじゃ……」
まだ踏ん切りがつかない様子のナトル。
しかし、その言葉には“駅長”もロランドも首を横に振った。
「それは心配しすぎじゃよ。ナトル殿が出した皿なら『ツバメ』に相応しいと考えたから、タクミ殿は店を任せたのじゃからな」
「それに、うちの常連さんたちも『新しいこと』が好きな方が多いっすしね。むしろナトルさんが中心になってランチを出してるって聞いたら、興味を持って足を運んでくれるんじゃないっすか?」
「おお、確かにそうじゃな。そしたら、後で看板でも書いて出しておくかの。『本日、ナトル氏のスペシャルランチあります』とな」
「そ、そんなー!」
話がどんどん大きくなり、ナトルが首をフルフルと横に振る。
その慌てっぷりが面白く、“駅長”もロランドもくすっと笑い声をこぼした。
しかし、それもつかの間。“駅長”が真面目な顔でナトルに話しかける。
「ナトル殿はタクミ殿ではないのじゃ。ナトル殿の持ち味をしっかり生かせばそれでよい。ソフィア殿の下で働いている時と同じように、今日この場に来ていただいたお客様をナトル殿ならどうもてなすか、それをしっかり見つめれば自ずと答えは出ると思いますぞ」
「自分ならどうもてなすか……」
“駅長”の言葉に、ナトルはキッチンテーブルに手をついて食材に視線を落とす。
ロランドも『メアウカ』用のサンドイッチを包みながら、ナトルの次の言葉を待っていた。
そして少しの間目を瞑っていたナトルが、ぱっと顔を上げてうんと頷く。
「分かりましたっ。 やっぱりタクミさんみたいな料理は出来ないので、とにかく私に出来るものでやってみます! ロランドさん、そっちが終わったら仕込みの手伝いお願いしますっ!」
「それを待ってたっす! じゃ、こっちすぐ終わらせるっすー!」
ナトルの言葉に、ロランドも元気よく応える。
ようやくエンジンがかかったナトルの様子に、“駅長”は満足げな表情でうんうんと頷いた。
―――――
「お次の注文入りましたっ! Cランチが二つと、パトランチも二つですーっ!」
「はーい! 先にAランチでまーすっ!」
「Bランチもすぐ出るっすー! ドリンクは大丈夫っすかー?」
「そっちはニャーチさんが対応してくれてますっ! じゃ、これ運びますねーっ」
ランチのピークを迎えた『ツバメ』は、キッチンもホールも慌ただしさを増していた。
次の注文を伝え終えたルナが、そのまま出来上がったランチを運んでいく。
「お待たせしましたっ。ご注文のAランチとBランチですっ。ドリンクは食後でしたよねっ?」
「ええ、ありがとう」
ドロップイヤーの犬耳をした婦人がルナに微笑む。
正面に座るお連れの若い女性も、笑顔で軽く頭を下げた。
二人の笑顔に、つられてルナの顔もほころぶ。
「それではどうぞごゆっくり」
パタパタとカウンターに戻っていく小さな看板娘を見送ると、婦人がくすっと笑みをこぼした。
「貴女もあのくらいの頃はかわいらしかったわねぇ」
「何よー、今でも十分かわいいでしょ? それよりも、早く食べましょ? ここ、母さんのおススメなんでしょ?」
「そうよ、この街に来た時にはいつもここって決めてるの。今日もまたおいしそうねぇ」
婦人の前に運ばれてきたのはBランチ。
どうやらトルテイーヤ生地に具材を挟み、折りたたんで焼いてあるようだ。
焼きたてのトルティーヤ生地からは、おいしそうな湯気が立ち上っている。
付け合わせには『ツバメ』ではすっかり定番となったパタータのサラダ、それに櫛切りにしたトマトも添えられていた。
母親の手元に出された皿を興味深げに覗き込んでいた娘は、納得いかないとばかりに首をかしげる。
「ねぇ、それってケサディーアじゃないの? 中もテーゼっぽいし。これじゃあ、割と普通じゃない?」
「そうねぇ。でもきっと何か仕掛けがあるはずよ。ほら、あなたも冷めないうちに召し上がれ」
母親がそうやって促すと、娘も渋々スプーンを手に取った。
娘が頼んだAランチは、『フーディアとひき肉のカレー』とメニューに書かれていた。
カレーという聞きなじみのない料理にワクワクしていた娘だが、出てきたそれは炊いたアロースに豆とひき肉が煮込まれたソースがかかったもの。
普段よく見慣れた“チリコンカーン”を思わせるその見た目に、内心でがっかりとしていたのだ。
(まぁ、母さんの言うことなんてそんなもんだよね……。でも、なんかすごく香りがいいわね……)
父親に似たピックイヤーの犬耳をぴょんと立て、しげしげと見つめる。
よく見れば、チリコンカーンに比べると随分と茶色い。
期待と不安をないまぜにしつつ、まずはソースの部分を少しだけすくい、口に運んだ。
「うわっ! かっらーっ!」
「でしょー? びっくりした?」
予想通りの娘の反応に、母親が嬉しそうに微笑む。
娘は慌てて水を口に含むと、コップをドンと机に置いた。
「これ、チリコンカーンっぽいけど、全然違うじゃん! なにこれ? 超辛いんだけどー!」
「だから『カレー』だって書いてあったでしょ? 最初はちょっと辛くて驚くかもしれないけど、慣れてくるとこれが病みつきになるの。たくさんスパイスを使っているから、健康にもいいわよ」
「確かに後を引く美味しさよね。じゃあ、もう一口……」
再びスプーンを手にした娘が、今度はアロースとソースを一緒にすくって口に運ぶ。
先ほどと同じ刺激的な味わいが口に広がるが、一緒にすくったアロースの甘みで中和される。
するとどうだろう、辛いカレーソースの中に含まれた味わいがくっきりと浮かんできた。
よく煮込まれたカレーソースには、肉や野菜の旨みがたっぷりと詰まっている。
欠片が少し浮かんでいるところを見ると、刻んだセボーリャやサナオリアを一緒に煮込んでいるのであろう。
そして具材として入れられたフーディアはホコホコと柔らかく、ひき肉にもカレーソースの旨みがたっぷりとしみ込んでいる。
なじみの料理を思わせながらも、今まで体験したことがない味わいだ。
そのギャップに新鮮な感動を覚えつつ、一さじ、また一さじと堪能していった。
「どう? こっちも一口食べてみる?」
なんとも楽しそうにカレーを食べ進める娘に、母親が声をかける。
その手元には、すでに一口大に切り分けられたトルティーヤが用意されていた。
「いいの? ありがとーっ!」
満面の笑顔で母親からトルティーヤを受け取ると、一口でぱくっと頬張る。
しばらく口をもぐもぐとさせてその味わいを堪能すると、うんうんうんと何度もうなづいた。
「これもすごいねっ! ケサディーアっぽいんだけど、中身がすっごい豪華だし、こっちの方が断然おいしいや! この甘辛いソース、私これめっちゃ好きなんだけど!」
「そうでしょー? このソース、きっとサンドイッチとかでもたまに使ってるジンジャーソースね。今日は焼いた鶏肉に絡めて挟んであるみたいだわ」
「そうそう、お肉がすっごい美味しいの! あと、セボーリャやピミエント、トマトも入ってるようね。 あー、これ、どっちもおいしくて困るー!」
「それならもう少し食べる? その代わり、私にもそっちのカレーを一口頂戴ね」
「うんっ! じゃあ、取り皿もらおっか? すいませーん!」
娘が店員を呼ぶと、カウンターからはーいっと元気な声が返ってくる。
その奥では、猫耳の店員が珈琲をカップに注いでいた。
そのなんとも愛らしい姿に、娘がくすっと笑みをこぼす。
「ねぇお母さん、こっちを出る前にもう一度この店を寄りたいんだけど……、だめかな?」
「ええ、もちろんそのつもりよ。また寄りましょうね」
すっかり『ツバメ』のとりことなった娘の様子に、母親は目を細めて何度も頷いた。
※次パートへと続きます。明日29日(火)12時頃の臨時更新予定です。普段と異なるペースとなりますが、ご了承ください。
※新作短編『明治あやかし美食奇譚 ~ 鬼姫様はおいしいご飯を所望します』本日~明日29日(火)にかけて連続投稿しております。
和モノ×テンプレ企画参加の“あやかしモノ”のグルメファンタジー作品。本作と合わせてお楽しみいただけましたら幸いです。