52 見守るマスターと日替わりランチ(2/4パート)
※第1パートからの続きです
明くる日の朝もまた、『ツバメ』のキッチンには仕込みにいそしむナトルの姿があった。
柱時計の針が真下を差すとともに、ポーンと一つ鐘の音がなる。
それを合図にするように、ニャーチとルナの二人がぴょこっと顔を出した。
「おっはようなのなーっ!」
「ナトルさん、おはようございますっ。何かお手伝いすることありませんかっ?」
「あ、ニャーチさんもルナちゃんもおはようございますーっ。もう、朝食の準備もできますので運ぶのだけ手伝ってもらっていいですかっ?」
「はーいっ。じゃあ、先にこのトースト運んじゃいますねっ」
「そしたら、ニャーチは先に飲み物を用意するのなーっ」
そう言い残してパタパタっと駆け出していくニャーチ。
ナトルもルナも、その嬉しそうな後ろ姿にクスリと笑みをこぼした。
今日の朝食プレートは、普段のゆで卵の代わりとして、白と黄色のコントラストが鮮やかな半熟の目玉焼きが用意されている。
これは、ナトルがタクミにお願いし、ガスコンロでの調理に慣れるための練習を兼ねて作ったものだ。
そのままシンプルな目玉焼きでも十分美味しいが、せっかくならと今日の目玉焼きにはトシーノを下に敷いて焼いている。
焼けた順番から皿に盛り付けると、手早く片付けを済ませてキッチンを後にした。
ホールでは、すっかり朝食の準備が整っていた。
テーブルの上に並べられた朝食と共に、シナモン・コーヒーやホットミルクの入ったカップが並べられている。
「あれっ? そういえばごしゅじんどこいったのなっ?」
飲み物を温めていたカウンターの片づけを終えたニャーチが、キョロキョロと辺りを見回しながらテーブルへとやってくる。
「えっと、何か駅舎の方で作業があるそうです。もし戻って来なかったら先に朝食も始めていてほしいって言ってました」
「そっか! それなら仕方がないのな……」
ここ最近の朝支度は、ほとんどナトルが任されている。
モーニング営業の準備はもちろんのこと、朝食の準備も『賄い』の一環としてナトルが率先して行っていた。
一方のタクミは、空いた時間を使って駅舎の仕事をすることが増えてきている。
「これまでテオさんに任せきりでしたからね」と言いながらも、駅舎の隅々まで掃除したり、駅舎で使う資材を整理整頓したりと、“駅長代理”として朝から忙しく働いていた。
とはいえ、普段であれば朝食が始まる頃には『ツバメ』に戻ってきて、ナトルと一緒に支度をしたり、ニャーチやルナも交えて全員で朝食のテーブルを囲むのが日常である。
今日のように朝食の準備が整ってもタクミが戻って来ないというのは、これまでに例がないことであった。
耳をペタンと倒し、少しすねたような表情を見せるニャーチ。
しかしその時、ニャーチの腹の虫が「くぅぅ」と声を上げた。
「にゃにゃっ!? お腹の虫さんが、は、早く食べたいって言ってるのなっ! 仕方がないから、先に食べるのなーっ! いっただっきますなのなーっ!」
耳をピンと立て、頬を赤く染めながらニャーチが食前の短い祈りを捧げる。
その様子に、ナトルもルナも思わず笑みをこぼした。
「じゃあルナちゃん、私たちも頂きましょうか?」
「そうですねっ。 今日もとっても美味しそうです。 それでは……」
ナトルとルナもまた、胸の前で手を組み、食前の祈りを大地の神に捧げる。
そして三人は、それぞれ思い思いに朝食へと手を伸ばした。
「うーん! 今日もとってもおいしいですーっ!」
一口大に切り分けたトシーノの目玉焼きを頬張ったルナが、満面の笑みを浮かべる。
「大丈夫でした? 焦げてたりしませんでしたっ?」
「ぜーんぜんっ! トシーノの塩気が目玉焼きの卵の味を引き立ててますよーっ!」
「良かったーっ。 実はまだ火の強さの加減に慣れてなくて、ちょっとだけ不安だったんですよね」
舌をペロッと出しながらも、ナトルが喜びの表情を見せる。
トシーノの上で焼かれた片面焼きの目玉焼きは、白身はどこまでも白く、そして中央の黄身は太陽を思わせるほど鮮やかに輝いていた。
その黄身の中心にナイフですっと切り込みを入れると、中からトロリと黄色の雫がわずかに流れ落ちる。
生でもなく、さりとて固焼きにもなっていない、半熟よりほんの少しだけ火が通ったタイミング ―― 本来の主であるソフィアが最も好む焼き加減の目玉焼きを口に含めば、しっとりと、そしてまったりした濃い黄身の味わいが口の中いっぱいに広がった。
その理想の出来栄えに、ナトルは何度も頷く。
「本当においしいのなっ! そうにゃっ! いっぱいおいしいから……こうしてこうするのにーゃっ!!」
中央に置かれた籠に手を伸ばしたニャーチは、トーストされたマイスブレッドを二枚取り出すと、そのうちの一枚にレチューガサラダを載せ、さらに半分残しておいた目玉焼きをトシーノとともに重ねた。
そしてその上にもう一枚のマイスブレッドを載せると、軽く手で押さえてから大きな口でパクリとかぶりついた。
しばらくもぐもぐとした後、にゃはーっと声を上げながらニャーチが満面の笑みを見せる。
するとそれを見ていた二人から、同時に大きな声があがった。
「あーっ! それ美味しそうですーっ!」
「目玉焼きとトシーノとサラダ……、それ、絶対アリな組み合わせです!」
「うんうん、二人ともまねっこするといいのなっ! ナトルちゃんだとちょっとだけモスターサつけてもいいかもなのなっ。きっと味がひきしまるのなっ」
「はい、そうしてみますーっ! はい、ルナちゃんもどーぞっ」
「ありがとうございますっ! あ、そしたら私はこうしよっとっ」
粒モスターサを薄く塗るナトルを見て、ルナは自分の大好きな美味しいソース ―― 『ツバメ』特製のケチャップをブレッドに塗っていく。
あとは同じように挟み、軽く押さえてからパクッと一口。
プリンとした白身に滑らかでコクのある黄身、トシーノの旨味に塩気、シャキシャキとしたレチューガ、そして特有の甘味とスパイシーさを兼ね備えたケチャップの味わいが口の中で混然一体となる。
そこにマイスブレットの香ばしい香りとパリッとした食感が加わり、極上の味わいを生み出していた。
やがて朝食を食べ終えた三人は、お互いに顔を見合わせクスクスと笑い始める。
サンドイッチ仕立てにしてかぶりついたことで、それぞれ口のまわりにソースがついてしまっていたのだ。
手元に用意しておいた濡れナプキンで口元を拭きながら、ナトルが声を上げる。
「ふぅ、今日もこれで一日頑張れそうです。そういえば、タクミさん随分と遅いですね……」
「確かに、もうすぐ開店の時間ですよね……」
ルナが柱にかかった時計を見上げると、長い針が九から十へと移ろうとしているところであった。
どうしたんだろうと、三人がそろって首をかしげる。
すると、駅舎側へと続いている『ツバメ』の扉から、カランカランカラーンと音が鳴り響いた。
扉から入ってきたのは皆が待っていたタクミである。
その姿をいち早く見つけたニャーチが笑みを浮かべながら、席を立ちあがった。
「ごっしゅじーん、珍しく遅かったの……にゃ!?!? ど、どうしたのなっ!?!?」
いつものように駆け寄ろうとしたニャーチの足が不意に止まり、そして再び慌てて駆け寄っていく。
なぜなら、ホールへと入ってきたタクミの様子が、明らかに尋常でなかったからだ。
左手で右手首を押さえたタクミの額には、じんわりと汗がにじんでいるようにも見える。
そのただならぬ様子に、ナトルとルナも慌てて駆け寄った。
「タ、タクミさんっ! どうしたんですかっ!?」
「すいません、ちょっと階段を踏みはずした拍子に変な風に手をついてしまったようで……。ナトルさん、キッチンからナプキンを冷たい水に濡らして持って来てもらえますか?」
「あ、は、はいっ!」
タクミの指示に、ナトルが慌てて駆け出していく。
目を潤ませて心配そうに覗きこむニャーチ。
するとタクミは、パートナーを安心させるように寄り添うと、ゆっくりとささやき始めた。
「大丈夫。ちょっと捻っただけだから。幸い折れてはなさそうかな」
「にゅー……」
とはいえ、タクミの様子を見れば、すぐに安心できるものではない
ふにゃーと弱弱しい声を上げるニャーチの横で、ルナもまた固唾を呑んで見つめていた。
「持ってきました、これでいいですか?」
「ええ、ありがとうございます」
ナトルが持ってきた濡らした白布を右手首に当て、左手で巻きつけていく。
とはいえ、利き手ではない左手一本ではなかなか上手く行かないようだ。
それを見かねたニャーチが、タクミに声をかける。
「ニャーチがやるのなっ、これをこうでいいのなっ?」
ニャーチはそう言いながら、畳んだ濡れ布をタクミの手首に巻きつけていく。
締め付けすぎないように軽く巻き終えると、最後に端を織り込んで落ちないように止めた。
「うん、ありがとう。とりあえずこれでいいかな」
その言葉に、ニャーチはもちろんナトルとルナもほっと一息をつく。
しかし、タクミの表情は相変わらず険しいままだ。
「とはいっても、これでは包丁も握れそうにないかな……」
「えっ?」
その言葉に、ナトルがハッと顔を上げる。
するとタクミは、眉を下げて申し訳なさそうな表情でナトルに話しかけた。
「この手の状態ではどうにも調理の作業をするのは難しそうです。申し訳ないですが、病院で診てもらってきます。ナトルさん、今日の『ツバメ』営業、お任せしてもよろしいですか?」
「え、ええ!? そ、そんなの無理です!! そもそもランチのメニューもまだ決まっていませんし……」
慌てて首を横に振るナトル。
しかし、タクミの表情は真剣だ。
「それも含めてナトルさんにお任せできればと思っています。ナトルさん、お引き受け頂けませんか?」
タクミは右手首を押さえながら、ナトルに向かって頭を下げる。
痛みをこらえているのか顔をしかめながら話すタクミの姿を見て、ナトルがポツリと言葉をこぼした。
「……わ、私が……『ツバメ』を……」
状況を呑込むことが出来ず迷うように呟いたナトル。
それを見たタクミは、大きくゆっくりと頷いてから口を開いた。
「ナトルさんならきっと大丈夫です。モーニング営業の準備は先日からほぼお任せしていますし、間もなくロランドも来るでしょう。彼ならここのキッチンのことは隅々まで分かっていますし、お二人であれば私も安心してお任せできます」
「で、でも……」
「こうなってしまった以上、ナトルさんが頼りです。申し訳ないですが、『ツバメ』のピンチを救っていただけませんでしょうか?」
再び真剣な眼差しを見せたタクミが、深々と頭を下げる。
(ど、どうしよう……)
突然の話に、ナトルの顔には不安がありありと浮かんでいた。
※第3パートへと続きます。11/28(月)22時頃の更新予定です。
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