11 大きなニュースと夏のデザート(後編)
乗客の皆様、長時間のご旅行お疲れ様でした。この列車は当駅が終点となります。改札口にて乗車券を拝見いたします。到着いたしました列車は、整備点検の上、折り返し、ウッドフォード行き最終列車となります。お手荷物などお忘れ物がございませんよう、ご注意をお願いいたします。
――― なお、当駅は近日より一部で改装工事を行う予定です。ご迷惑をおかけいたしますが、ご理解ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。
営業を終えて静まり返った喫茶店『ツバメ』の店内に、シャーッ、シャーッ、シャーッ、シャーッっと規則正しいリズムで繰り返される独特の音がこだましていた。その音は、ランプの灯りでほのかに照らされたカウンターで奏でられている。タクミが今日の昼に届けられたばかりの氷の塊を丁寧に削っているところであった。
氷を削るために使われているのは幅広の鉋だ。土台代わりに立てた太い角材の上に、刃のある側が上になるようにして鉋が載せられていた。タクミが右手でしっかりと持った氷を鉋の上をなでるように滑らせると、シャーッという音とともに氷が削られ、鉋の下側からはらりと落ちていく。それを左手で持った足付きのガラスの深鉢で受け止めていくと、削られた氷が器の中にふんわりと積もっていった。
「とても素晴らしい切れ味です。ありがとうございます」
タクミがカウンター前に座っている男性に器を差し出すと、頭に熊耳を付けた小柄な口髭の男性 ―― 機械工ギルド長のグスタフが感嘆の声を上げた。
「ほう、これは美しいもんだな」
グスタフは、器を受け取りつつしげしげと眺める。鉋で削られた氷はガラスの器の中でふんわりと積まれており、その姿はまるで白い雪が降り積もったようであった。ランプの灯りの揺らめきが削り氷やガラスに映り込み、幻想的な雰囲気を醸し出している。
「どうぞ、溶けないうちにお召し上がりください。最初の一口は、氷そのものでお楽しみください」
グスタフはタクミの勧めに頷きで応えると、そっと銀色のスプーンを白い雪山へと差し入れた。わずかにサクッとした音が鳴り、ふんわりと柔らかな削り氷が掬い取られる。グスタフはが削り氷を口の中へと含むと、氷は口の中であっという間に溶け、わずかな水とともにひんやりとした心地の良い感触が口の中に残された。
「これは……目の前で見ていなければ、とても氷とは信じられんな。エラードともソルベーテのどちらとも違う、非常に素晴らしい感触だ」
グスタフの言葉に、タクミは一礼で応え、今度は涙型をした小さな器をグスタフへと差し出す。中には少し茶色く色づいたややとろみのある透き通った液体が入れられていた。
「砂糖で作ったシロップです。今度はこちらをかけてお召し上がりください」
グスタフはタクミの言葉に従い、涙の先端の部分からかけまわすようにして、削り氷の山へとシロップをかける。シロップを賭けられた山肌はわずかに溶けていき、スーッと音もなく沈んでいった。グスタフは、ほんのりと色づいた削り氷に再び匙を差し入れ、口の中へと含む。すると、冷たさと共にシロップの少しコクのある甘みが口の中いっぱいに広がった。
「ぬぅ、コイツはすごい。冷たさと甘みが相まって、なんとも旨い。エラードほどのくどさはなく、ソルベーテよりもさっぱりしているかもしれん。いや、マスター、こりゃ参った」
「ありがとうございます。これも、グスタフさんが素晴らしい道具をご提供いただいたからこそです」
グスタフの最大級の賛辞に対し、タクミは心のこもった丁寧な感謝で応え、ほっと一息をついた。氷を削る鉋の制作を依頼した際に聞いた話では、グスタフは仕事の付き合いの関係でエラードやソルベーテを食した機会があるとのことだった。そのグスタフが高く評価してくれるということは、“こちらの世界”でもこの氷菓子 ―― かき氷が受け入れてもらえる余地がある一つの安心材料となった。
グスタフがタクミと談笑しながらかき氷を食べ進めていると、入口の扉のベルがカランカラーンと鳴りひびいた。駅舎の窓ふき当番を終えたニャーチがご機嫌な声をあげながら入ってきた。
「あ、グスタフさん、お久しぶりなのなーっ、いらっしゃいませなのにゃーっ」
「おー、ニャーチちゃんかぁ。相変わらず元気そうでなにより。ほら、マスターがいいもの作ってくれてるぞーい」
グスタフがニャーチの方へと振り返ってかき氷のグラスを高く掲げると、ニャーチは目を爛々とさせて一目散にカウンターへと駆け寄った。その様子を見たタクミは、やれやれといった表情を見せながらも、手早く2杯目のかき氷の準備にとりかかる。カウンターに陣取ったニャーチは、シャーッ、シャーッと薄く削り落とされる氷をうっとりとした表情で見つめていた。ほどなく、2杯目のかき氷も完成し、シロップを添えてニャーチへと渡された。
「わーいっ、かっきごおりーっ、かっきごぉりーっ♪ いただきますなのなーっ」
ニャーチは羽衣のようにふんわりと削られた氷の上にシロップをくるっとかけ回すと、サク、サク、サクと何度か匙を差しこんでから、勢いよく食べ始める。あっ、とタクミが声を掛けようとするが、その前にニャーチはこめかみに手を当て、眉の間に皺を寄せて苦悶の表情を浮かべた。
「ふぉぉぉぉ……、頭痛がいたいのにゃぁぁぁぁ」
突然顔をゆがめたニャーチを心配そうに覗きこむグスタフに対し、タクミは大丈夫ですよと笑って伝える。原因は明白、冷たいものを急いで食べすぎたことによるアイスクリーム頭痛だった。ニャーチは、キーンとくる頭痛に耐えながら、それでも、嬉しそうにかき氷を掻き込んでいった。それを横目に、タクミがグスタフに話しかける。
「そういえば、もう一つのタイプの方はいかがでしょうか? 何とか目途がつきそうでしょうか?」
タクミの質問に対し、グスタフはニヤッと笑みを見せ、自信に満ちた表情で応える。
「おう、あっちも何とか間に合いそうだ。構造はシンプルなものだし、試作レベルなら有りモノの組み合わせで何とかなりそうだ。あと、何よりニャーチちゃんの図がとてもわかりやすかったから、イメージもすぐに湧いてきたさ。ニャーチちゃん、助かったよ」
「わーいっ、役に立ったみたいなのにゃっ!」
あっという間にかき氷を食べ終えていたニャーチが、グスタフの言葉を受けて小躍りして喜びを表す。タクミは、そんなニャーチの様子を優しい表情で見つめながら、グスタフに改めて頭を下げた。
「短期間でご無理を申し上げますが、何卒よろしくお願いいたします」
「おうよ、任せとけ!」
グスタフが力強く胸を叩き、ドンという音がホールにこだました。
◇ ◇ ◇
翌日から、本格的なかき氷の試作が始まった。
ソフィアは、先日の約束通り、毎日のように氷をタクミの下へ届けてくれていた。タクミは、ソフィアの気遣いに感謝をしつつ試作に取り組む。最も力を注いだのは氷にかけるシロップ作りだ。タクミは、喫茶店と駅舎での営業を終えた後のキッチンで、シロップの試作を繰り返した。
試作初日に取り組んだのは、最も基本となる“氷みつ”の作成だ。タクミは、普段使っている少し茶色味がかかった砂糖のほか、糖蜜を多く含みコクのある味わいが特徴の黒砂糖や、よく精製された高級品である白砂糖も用意する。それぞれの砂糖を配合しながら水に溶かし込み、じっくりと煮詰めていくと、とろみのある透き通ったシロップが出来上がった。
氷みつ自体は材料も作り方も非常にシンプルであり、それほど手間がかかるわけではない。しかし、シンプルであるがゆえに使う砂糖の種類や量の加減ひとつで味わいが全く異なる。白砂糖を多くすればさっぱりとした味わいに、黒砂糖を多く配合すればコクと香ばしさを含む味わいとなった。タクミは、砂糖の配合や量を少しずつ変えながら試作を繰り返した。その結果、今回は凝ったことはせずに、普段の砂糖のみで作ったものを採用することとした。これは、最も基本の味だからこそ、食べて頂く方々に口なじみの味わいが好まれるであろうとのタクミの思いからの選択であった。
基本の“氷みつ”が出来たところで、タクミは改めてかき氷のバリエーションを考える。かき氷といえば、イチゴやメロン、レモン、ブルーハワイ、宇治金時などが思い浮かぶ。果物や、粒あんや白玉が添えられたものも思い出される。しかし、“こちらの世界”では、抹茶や小豆などは手に入りそうにないし、白玉についてもこちらのアロース粉で上手く作られるかどうかはわからない。すると、やはりここはシンプルに果物系のシロップで味わいの広がりを出すのが良いだろうと、タクミは考えた。
とはいえ、残り数日間で準備をすることを考えれば、今手に入る材料で、しかも短時間で作れる方法を考えなければならない。果物系のシロップ作りでよく行われる、「果実と砂糖を合わせて漬け込み、果汁を砂糖に浸出させながら寝かせる方法」を用いることはできなかった。そこで、タクミは、果物のジャムをベースとして、濃度を調整してシロップを作ることとした。
幸いなことに、タクミの手元には何種類かのジャムが用意できていた。喫茶店のモーニングやランチで出すコーンブレッドに添えるために、季節ごとに取れる果物を使って作り置きしていたのだ。タクミは、食料庫に保存している瓶詰のジャムの中から、在庫の量とも相談しながら濃い赤色のジャムが入ったビンを選び出す。
(やはりこれがないと始まりませんね。)
タクミが選んだのは、フレッサのジャムだ。タクミは、フレッサのジャムを鍋にあけ、そこに適量の水を加えて濃度を調整し、一煮立ちさせる。すると、果物内のペクチンと砂糖の糖分、そして一緒に入れられたレモン汁の作用でゼリー状に固まっていたジャムが解け、ちょうどジャムとして煮詰める前に用意する果肉が入った液体の状態へと戻る。タクミは、この液体をザルに空けて木べらで濾していき、滑らかなフレッサシロップを完成させた。
(そうすると、もう一味はやはりコレでしょうね。)
残りわずかな日数となった期間の最後にチャレンジしたのは、フレッサ味のかき氷には欠かせない“練乳”作りだ。とはいえ、少なくともタクミが知る限りにおいて“こちらの世界”には練乳に相当するものは無く、また、タクミもさすがに練乳の作り方を把握しているわけではなかった。
(さて、どうしましょうか…水と牛乳を置き換えてみればいいんでしょうかね。)
タクミは“氷みつ”を作る要領で練乳を試作してみることとした。水の代わりに牛乳を手鍋の中へ注ぎ、たっぷりの砂糖を溶かしこむと、火を入れたオーブンストーブの天板の上に置いてゆっくりと温める。しばらくするとフツフツとしてくるので、焦げ付かないように天板の上で火との距離を測りながらゆっくりとかき混ぜて煮詰めていくと、水分が飛んでいくにつれ、たっぷりと入れた砂糖の力でとろみがついてきた。そして、ある程度のとろみとなったところで火から下し、ゆっくりと冷ましていくと、艶めかしい白さを持ったシロップが出来上がった。
タクミは出来上がった牛乳のシロップをスプーンで掬い、上から静かに垂らしてみる。タクミがイメージしていた”練乳”ほどの粘り気はないものの、糸を引くように滑らかに垂れていくのは練乳を思わせるものであった。味わいを確認すると、少しアッサリ目ではあるものの、牛乳のコクと砂糖の甘さを併せ持つ独特の風合いは練乳そのものであった。
(かえってこのくらいの濃度の方が練乳よりも果物の風合いも生かせそうですね。)
こうして“練乳”に変わる牛乳シロップも完成させることができたのは、ソフィアと約束をした日の前日のことであった。グスタフからの連絡によれば、明日には“もう一つのタイプの氷を削る機械”も出来上がるとのことであった。タクミは、試作を終えたキッチンの後片付けを終えると、大きく息をついた。
「ごっしゅじーん、お疲れ様なのなっ!珈琲どうぞなのなっ」
「ああ、ありがとう。ニャーチも何日もお手伝いと試食、お疲れ様でした」
タクミは、いつものようにニャーチの頭をなでてから、珈琲が入ったグラスを受け取る。ニャーチは、少し照れくさそうにしつつも、目を細めて笑みを浮かべる。タクミにとって、その笑顔こそがこの数日の試作疲れを吹き飛ばす何よりもの癒しであった。
◇ ◇ ◇
「先日振りですわね。今日は本当に楽しみにしてきましたの。よろしくお願いいたしますわ」
前回訪れてからちょうど10日後、ソフィアは再びハーパータウン駅のプラットホームへと降り立っていた。最終の到着列車の一等車から降り立つソフィアは、“駅長代理”であるタクミの出迎えを受ける。
「こちらこそ、ご期待に添えるよう準備して参りました。後程お披露目させていただきます」
いつものように柔和でありながらも、しかし、どこか自信を秘めたタクミの眼差しに、ソフィアの胸は高鳴った。ソフィアは、思わず頬が紅潮するのを隠すように一つ咳払いをしてから、さりげなく次の言葉をかけた。
「そうそう、今日は連れがいますのよ」
そう告げたソフィアの後ろからは、顔を隠すようにチェック柄の大きなハンチング帽を目深にかぶり、オドオドとした様子の小柄な女性が下りてきた。その姿に、タクミは見覚えがあった。恐らく二人分であろう大きな荷物を携えた彼女にタクミは近寄り、声を掛ける。
「ナトルさんじゃないですか!ご無沙汰しています。お元気でしたか?」
「あ、タクミさん!えっと、そのっ………、本当にご無沙汰していますっ」
ナトルが勢いよく頭を下げると、ハンチング帽が頭からするりと落ちてしまう。タクミはハンチング帽を拾い軽くほこりを払うと、荷物を両手で持ったまま拾えないといった様子で慌てるナトルに優しくかぶせる。恥ずかしそうに頬を赤らめるナトルを横目に、ソフィアは改めて紹介する。
「実はね、ナトルはうちの使用人で、屋敷での料理を任せているの。で、この間夜食を作ってもらっている間にいろんな話をしてたら、なんか聞き覚えのある二人の話が出てくるじゃない? で、いろいろ聞いてみたら、間違いなくタクミさんとニャーチちゃんだったのよ。で、折角だから今日連れてきたわけ。これから、いろいろ手伝わせたいしね」
ソフィアは、最後の言葉とともに、ウィンクで意図を込めてタクミに伝える。タクミは、その言葉を理解して相槌を打つ。
「なるほど、かしこまりました。それでは、ナトルさん、改めてよろしくお願いいたしますね。それでは、まずは改札口へご案内いたします」
タクミは、ナトルから荷物を受け取りつつ、改札口へと二人を案内していった。
営業を終えた喫茶店ツバメでは、ニャーチとグスタフの二人が待っていた。ニャーチは、タクミやソフィアと共に店へと入ってきたナトルの姿を見つけると、一目散に駆け寄り、両手を取ってぴょんぴょんと飛び跳ね、再会の喜びを爆発させていた。タクミはお客様をカウンターに一番近いテーブルへとご案内するようニャーチに告げると、自分もカウンターへと向かってカフェエプロンを腰に纏い、モードを一気に切り替えた。
「では、改めて本日はお越しいただきましてありがとうございます。ソフィアさんと先日お約束させていただきました『“氷”を美味しく食べてもらうデザート』、この後お披露目させていただきます」
タクミはテーブルの前でソフィアとグスタフ、そしてナトルの三人に挨拶をすると、今回のデザートの制作にあたって尽力いただいたパートナーであるグスタフをソフィアとナトルに紹介した。ほどなく、ニャーチが飲み物を運んできた。
「まずはこちらのアイスコーヒーでお疲れを癒してくださいなのなっ。お好みで、こちらのシロップと牛乳をお入れくださいなのなっ」
ニャーチが運んできたのは、銅製のカップに入れられた珈琲だった。珈琲には小さく砕かれた氷が浮かんでおり、グラスの周囲には少し水滴がついている。横には小さな白い陶器の器が2つ添えられており、片方には少し茶色がかった透明の液体が、もう片方には真っ白の牛乳が入れられていた。
「へぇ、冷たい珈琲なのね。でも、珈琲は冷めると味が落ちるっていうけど……」
ニャーチがから銅製のカップを受け取ると、ソフィアの手のひらに冷たく心地よい感触が伝わってきた。夏の暑い盛りであれば、この冷たさだけでも“ごちそう”となりそうだった。ソフィアは、カップの縁に唇をつけ、まずはそのままの味を確かめた。
「おいしい!」
ソフィアが堪能するよりも早く、横に座ったナトルが声を上げた。ソフィアはびっくりして横を振り向くとナトルが口元を抑えて、恐縮そうにしていた。気にすることないわよ、とソフィアは微笑むと、改めて冷たい珈琲を口に含んだ。
氷で冷やされた珈琲は喉をするりと通り、気持ちの良い冷たさがソフィアの身体を内側から冷ましていった。そして何より驚きだったのが、酸味や渋みの少なさだ。普通の珈琲であれば、冷めてしまうと酸味や渋みが強くなってしまい、美味しさが減ってしまうことは多い。しかし、今日出された“冷たい珈琲”には、これらの酸味や苦味をほとんど感じることがなかった。ソフィアは、不思議に思い横に控えていたニャーチに作り方を尋ねる。
「これは、お湯で煮出すのじゃなくて、一晩かけて水出ししたコーヒーなのなっ。ゆっくりコーヒーになっていくから、苦味とか酸味が少ないのにゃっ」
ニャーチは得意げにこう答える。せっかく氷があるのだからアイスコーヒーでおもてなししようといったタクミに対し、ニャーチはそれなら水出しにしたいと主張した。そこで、かき氷の試作と並行してニャーチを中心に試作を進めた。その結果、二度挽きすることで普通の珈琲用よりも細かく砕いた珈琲豆を一晩漬け込むことで、非常に柔らかな味わいの水出し珈琲が出来ることを発見したのだった。
ニャーチの説明を、ナトルは一生懸命に聞き取り、手元に用意していた帳面にメモをとる。そして、今度は白い容器で出された茶色がかったシロップを少し手に取って、舐めてみる。味わいそのものは砂糖ほぼ同じだ。一瞬、これなら砂糖でもいいのではないかと思えたが、すぐにナトルは理由に行き当たった。砂糖は温かいものの中には溶けやすいが、冷めたコーヒーのように熱が少なくなればなるほど溶けづらくなる。だから、冷たい珈琲にも馴染みやすいようにシロップを添えたと理解できた。ナトルは、タクミやニャーチの細やかな心配りに感心しきりだった。
「俺はこのシロップと牛乳、入れた方が好きだな。甘くて旨いっ」
グスタフは、たっぷりとシロップと牛乳を入れたコーヒーを、いつものように豪快に笑いながら堪能していた。ソフィアは何も入れないブラックが好みのようだ。二人は、お互いのお気に入りの味わいについて言い合っている。二人の間に挟まれたナトルが、どちらの味方をすればいいかとオロオロと首を振っていた。
「さて、お待たせしました。こちらが氷を美味しくいただけるデザート、“かき氷”です」
タクミの呼びかけに、声のする方向へと視線を移したソフィアとナトルは、タクミが手にするお盆に乗せられているものに驚愕した。お盆の上にあったのは、小さなガラスの鉢に入れられた3つの“雪山”だった。ソフィアは思わず手をついて席を立つ。
「それ、雪じゃないの!!! なんでこの季節に雪があるのよっ!?」
もちろん、この季節に雪なんてあるわけがない。だとすると、これはタクミが作り出した雪であるというところまではソフィアにもすぐ理解できた。しかし、どのようにしてこの目の前の雪を生み出したのか、ソフィアには皆目見当がつかなかった。横にいるナトルなら、料理人として何か気づくことかも…とちらりと見てみるが、ナトルにもあまりの大きな衝撃だったのか、口をポカンと開けて見据えていた。答えを知っているグスタフだけが、落ち着いた様子で二人の驚くさまを楽しんでいた。
タクミはニャーチにも手伝わせながら三人の目の前に小さめのかき氷を提供する。小さなガラス鉢の上にこぶし大ほどの“雪山”が乗せられていた。そして、先ほどアイスコーヒーの横に添えていたその甘いシロップをまんべんなくかけて、試食を促す。
「種明かしは後程させて頂きます。では、まずはこちらをお試しください。スプーンを差し込むようにして少しかき混ぜて頂くと、全体に味がなじむかと思います」
ソフィアとナトルは、促されるままシロップがかけられた雪山にデザートスプーンを差し入れる。サク、サク、サクとなる音が、二人の期待を膨らませる。そして、二人は、おもむろに雪山を掬い取り、口の中へと含む。
「ひゃっ!」「うーんっ!」
二人がそろって驚きの声を上げる。口の中に含んだ瞬間、ふんわりとした雪のような氷の冷たさが口の中を刺激する。そして、すぐ後から氷で冷やされたシロップの甘さが口全体に広がった。味わい自体はシロップそのもので非常にシンプルだ。しかし、この冷たさ自身が独特の味わいとなり、これまでに体験したことがない美味しさが二人に強烈なインパクトを与えた。二人とも無我夢中で食べ進め、あっという間に器が空になった。
「どうだ、コイツはすごいだろう?」
グスタフは、自分の分のかき氷を堪能するようにゆっくりと味わいながら、声をかける。ソフィアは、やられたという表情を隠さないまま、グスタフに答える。
「ええ、これは参ったわ。これ以上ないほどの強烈なインパクトね。ナトルはどう?」
ナトルも、首を縦に振りながら答える。
「本当にすごいですっ。これっ、本物の雪……じゃないんですよねっ?」
グスタフが、頷いて肯定を示す。タクミも、2杯目の用意をしながら答えを返す。
「正真正銘、ソフィアさんからご提供いただいた氷で作ったものです。さ、2杯目はこちらをどうぞ」
次にタクミが差し出したのは、先ほどとはうって変わって、目にも美しい鮮やかな赤色のシロップがたっぷりとかけられたかき氷だった。ソフィアは先ほどの衝撃的な体験を思い出し、喉がごくりとなる。先ほどと同じように軽くかき混ぜてから口の中へと運ぶと、今度は果物特有の甘酸っぱい味わいが、冷たさとともに押し寄せてきた。
「これは…フレッサの味がしますっ!!」
シロップの正体を見抜いたナトルが声を上げる。タクミは、ナトルの言葉に頷きながらその通りですと答えた。
「なるほど、言われてみればフレッサだわ。甘くて、少しだけ酸っぱくて、これもすごく美味しいわ。先ほどのシロップ味のよりも少しさっぱりとしてるかしら?」
ソフィアは、ようやく落ち着いて食べられるようになったのか、ビジネスモードの真剣な面持ちを取り戻していた。シロップを変えられるだけでここまで味わいを変えられるのであれば、博覧会でも出しやすい。あとは簡単に作れるかどうかか…、ソフィアは出展した場合のシミュレーションを頭の中で巡らせていた。
「3つ目はコレなのにゃーっ。どうぞ、召し上がれなのなーっ」
3種類目のかき氷は、ニャーチが用意してサーブしていった。先ほどと同じ赤色をしたフレッサシロップの上から、さらに白いシロップがかけられている。試作にも何度か付き合っていたグスタフが声を上げる。
「ん?これは初めて見るな……」
先ほどまでと同じように軽くかき混ぜてから口の中に運ぶと、氷の冷たさ、そして赤いシロップのフレッサの味わいとともに、濃厚なコクを持った甘さが口の中へと広がった。フレッサの持つ果物特有の酸味が、白いシロップのコクと甘みで包まれ、よりまろやかに仕上がっている。しかし、このコク、どこかで食べたことがある味わいだ……グスタフが何とか思い出そうとしている横で、ナトルが正解を導き出していた。
「これっ……牛乳……ですかっ?」
「正解です。水の代わりに牛乳を使って作ったシロップです。練乳の代わりですね」
タクミがナトルに返事をすると、ソフィアが聞き馴染みのないその言葉を口の中で繰り返し始めた。
「レンニュウ、レンニュウ、レンニュウ……なんか可愛い響きね。よし、この牛乳のシロップ、今日からレンニュウって呼ぶことにするわ!タクミさん、良いわよね?」
いつしか食べ終えていたソフィアは、一番気に入った牛乳のシロップをそう命名した。タクミは、若干苦笑いをしながらも、ええ、お任せします、と応える。そして、この“雪山”のようなかき氷の作り方を説明するために、ソフィアとナトルをカウンターへと案内した。グスタフとニャーチも後へと続いた。
「これが、今日つかったかき氷を作るための機械です。グスタフさんの機械工ギルド謹製です」
タクミは、氷鉋の構造を説明しながら、実際に氷を削って見せる。右手でしっかりと持った氷を鉋の上で滑らせるたびに、シャーッという音が響き、鉋の下がから薄い羽衣のような氷が削り落とされていく。何度か繰り返すと、あっという間に小さなグラスの鉢いっぱいに氷が降り積もった。
「へぇ、こんな風に作っていたのねぇ。でも、手は冷たくないの?」
ソフィアの素朴な質問に、タクミも素直に笑顔で応える。
「ええ、とっても冷たいです。今日お出しした分を作るだけならまだしも、数をこなすのは正直大変です」
タクミの言葉にソフィアが難しい顔を見せる。今日見せてもらう約束をしたのは、“博覧会で出展できる”氷のデザートだ。どれだけ美味しいものであっても、数が出せないとなると博覧会への出展そのものが難しい。それに、そもそも博覧会に氷を出展するのは、季節を問わず氷が機械で作れることを世の中に広く知らしめ、これから多くの人に氷を求めてもらうためである。その点においても、数が作れないことは障害になってしまう可能性が高かった。
その表情から、ソフィアが何を考えているか察したグスタフが、しばし続いた沈黙を打ち破るようにガハハハと一笑する。
「心配ねぇよ。このマスターはそんなことに気づかないタマじゃねえよ」
その言葉を合図とするかのように、タクミがソフィアとナトルをキッチンへと案内する。キッチンの作業台の上には、木材で組み上げられた土台に、金属で出来たハンドルや歯車などで出来た部品が合わせられた機械が置かれていた。中央の部分には、大きな氷の塊が金属の板で押さえつけられており、その下の空間にはガラスの器が入れられている。機械の横にニャーチが立ち、自慢げに説明を始めた。
「これが、かき氷機なのなっ! このハンドルを回すと、こうしてらくらくかき氷ができるのにゃっ!」
ニャーチがハンドルを回すと、中央の氷が勢いよく回り始めた。そして、先ほどの氷鉋で削った時と同じように、シャリシャリシャリシャリといった軽快な音を立てながら、薄い氷が勢いよく飛び出した。あっという間にガラスの鉢は削られた氷で一杯になる。ニャーチは、機械で作ったかき氷の入った器をソフィアとナトルに差し出した。
「なるほど、これなら手は冷たくないし、それに、すごく早く作れるってわけね」
ソフィアは、差し出されたかき氷と機械を交互に眺めながら、満足そうにつぶやいた。この機械があれば、どれだけでもかき氷を出すことが出来るだろう。機械の制作はグスタフに依頼するとして、必要な氷の確保はソフィア自身の宿題だ。それともう一つ、かき氷の出展に向けて決め手となる大切な部分の準備が必要だ。ソフィアは、ナトルに言葉をかける。
「ナトル、シロップ作りはあなたに任せるからよろしくね」
「へ!わ、私が、ですかっ!!!!!」
ナトルは思わず裏返った声で返事をしてしまう。ソフィアは、当然よ、といった表情で話を続ける。
「実際、そのために連れてきたようなものだしね。タクミさん、ナトルにシロップ作りの指導、お願いできるかしら?」
「お安いご用です」
ソフィアの申し出に、タクミも気軽な雰囲気で応じる。ただ一人、ナトルだけがオロオロとしていた。
「そ、そんな大役、だ、だって、は、博覧会ですよ!」
そんなナトルに、タクミが優しく声をかける。
「シロップの材料もシンプルですし、それほど難しくはありませんから、ナトルさんならすぐに覚えてもらえると思いますよ。一度覚えればアレンジもできますしね」
「そ、そうですかぁ……」
タクミから優しい言葉をかけてもらっても、ナトルまだ自信なさげに不安そうにしている。そんな様子を見て、ソフィアはナトルのお尻をピシッと叩いた。
「もう、もっと自信を持ちなさいっ!私が見込んだんだから間違いないのっ!」
「は、はひっ!」
ソフィアの突然の行動に、ナトルは驚いて奇妙な声で返事をしてしまう。その声に、その場の全員が顔を見合わせ、笑ってしまった。場が和んだところで、まぁ、とりあえず一度頑張ってみましょうと、タクミが誘うと、ようやくナトルも納得して首を縦に振った。既に夕暮れを過ぎていたので、具体的なことは明日相談するということになったところで、ニャーチが声を上げる。
「で、コレ、もったいにゃいからみんなで食べるのにゃっ!!」
再び場が笑い声に包まれる。タクミは、はいはい、とニャーチに答えながら、先ほど削った氷を受け取り、小鉢へと取り分ける。すると、取り分けたかき氷に、キッチンの脇に置いてあった幅広のビンの中に入っていた液体を注ぎかけた。
「これは、大人のかき氷…とでもいいましょうか、こちらもお試しください」
タクミの勧めに応じて、三人がそろって第4のかき氷に口をつける。すると、シロップの甘さをイメージしていた三人が、そろってびっくりした表情を見せた。ソフィアが、口を開く。
「これ、お酒じゃない!」
タクミが、いつものように微笑みをたたえながら、頷く。
「はい、シルエラをラム酒と砂糖で漬け込んだ果実酒です。私とニャーチの晩酌用に作っていた自家製ですね。昨年からちょうど1年漬け込んでありますので味も馴染んできている頃かと思います」
タクミは、せっかくかき氷を作るなら…と、大人向けのかき氷も試作していた。最初はシロップにアルコールを合わせたり、甘さを抑えて作ったりとしていたが、今一つしっくりと来ていなかった。そんなある日の夜、ナイトキャップ代わりにシルエラ酒を飲んでいる際に、以前に旅行先で頂いた“梅酒のかき氷”を思い出した。翌日、かき氷を試作するさいに一緒に作ってみると、想像以上の素晴らしい出来栄えだったのだ。
「うーむ、これはいかん」
突然、グスタフが難しげに声を上げた。他の4人が一斉にグスタフを見ると、苦々しく渋い表情を見せていた。全員が固唾を呑んでグスタフの言葉を待つ。
「これは………旨すぎるじゃないか!一気に掻き込みたくなるではないかっ!」
タクミとニャーチが顔を見合わせ、クスクスと笑い始める。ソフィアも理由を察したようで、頭が痛くなるのを我慢するという手もありますよ、と意地悪く声を掛ける。ただ一人、ナトルだけがその理由がわからなかったようで、キョトンとしていた。それに気づいたニャーチが、ナトルに声を掛ける。
「うん、かき氷はいっぺんに急いで食べると、こうなるのにゃっ!」
ニャーチは、そういうや否や、勢いよく氷を掻き込んだ。当然のごとく、ニャーチのこめかみにはキーンと強い痛みが走る。ふぉぉぉぉぉぉぉ、と声を上げ、眉間にしわを寄せてこめかみをおさえるニャーチを、ナトルが心配そうに覗きこむ。ニャーチは、大丈夫、大丈夫、と言いながら、突然歌い始めた。
「こっめかみいったいの耐えるのもーっ、おいしく氷をたっべるためーっ♪」
これには場の全員がポカンと口を開く。そして、一時の間の後に三度キッチンが笑い声に包まれた。
◇ ◇ ◇
後日、ソフィアの手紙を携えたナトルが、再び喫茶店ツバメを訪れていた。タクミが提案したかき氷は『ニエベ・フロール』と名付けられ、博覧会に出展することが決定した。ナトルは、博覧会に向けて、改めてタクミの指導を受け、シロップ作りを覚えることになった。ナトルは、タクミの下で修業が受けられるよう計らってくれた主人であるソフィアに感謝をしつつ、いっそう気を引き締めて取り組もうと決意していた。
その修行の成果が出るのは、また後日のお話である。




