50 初めての小旅行と決意のバスケット(3/3パート)
※第2パートからの続きです。
「さて、到着だ」
リベルトは短くそう告げると、先に馬車から降りてソフィアに手を差し伸べる。
その手にそっと自分の手を重ねると、ロングスカートの裾が引っ掛からないよう軽く摘まみながらソフィアも馬車から降りた。
「ここって……ポートサイドの灯台ですわよね?」
目の前にそびえたつのは大きな石積みの塔を見上げながら、ソフィアが声を漏らす。
ハーパータウンのランドマークの一つとして良く知られているこの灯台だが、こうして間近に見るのはソフィアにとって初めての経験であった。
「ああ、今日はぜひここにソフィア殿を連れてきたいと思ってな。さてと……」
リベルトは灯台の脇にある小屋へと近づくと、扉につけられた輪を持ってコンコンコンと三度叩く。
中から現れたのは、この国の海軍服を身に纏った一人の青年であった。
「リベルトだ。本日は無理を言って申し訳なかった。何卒よろしく頼む」
「はっ! お話は伺っております。ただいま鍵を開けますので、少々お待ちください」
青年は額に右手を当てて敬礼をすると、小走りで塔の扉へと向かいいかにも頑丈そうな錠に鍵を差し込みガチャリと開く。
「それではどうぞお入りください」
再び敬礼をする青年に対し、リベルトもまた右手を額に当てて答礼する。
「ありがとう。では、ソフィア殿、どうぞこちらへ」
「え、ええ……」
リベルトはソフィアを先に塔の中へと通すと、馬車で運んできた大きなバスケットを手に下げて後に続いた。
吹き抜けになった塔の中はやや薄暗く、壁にそって螺旋階段が上へ上へと続いている。
ソフィアが物珍しそうに塔の天井を見上げていると、リベルトが声をかけた。
「その様子だと、こういうところは初めてのようだな」
「ええ。灯台の中ってこんな風になっているのですわね」
「うむ。では早速上へ参るとしよう……。っと、少々急だが大丈夫か?」
「これくらいなら大丈夫ですわ。でも、こういう場所と知っていたら、いつも履いている方の靴にしておけばよかったですわね」
そう言いながらくすっと微笑むソフィア。
今日は二人の“逢瀬”ということもあり、ソフィアは普段以上におしゃれな格好をしている。
靴もヒールのやや高いものを選んでおり、急な階段を上るには少々気を使わなければならなかったのだ。
「もしよろけたとしてもあの時のように支えてやるから安心するがいい。とはいえ、突き飛ばされるのはもう勘弁願いたいがな」
「もうっ! その話は忘れてくださいっ。さ、参りますわっ!」
リベルトの口からこぼれた昔話に、ソフィアが頬を膨らませる。
そしてそのままぷいっと顔をそむけると、くすっと笑みをこぼしてから階段を昇っていった。
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「うわーっ! これは素晴らしいですわーっ!」
塔の最上部である屋上へと着いたソフィアは、リベルトの手で開かれた扉の先にある景色に、思わず歓声を上げながら胸壁に駆け寄る。
左手には静かに波を浮かべる海、そしてそこから右に視線を向けていくと、ハーパータウンの街並みが大きく広がっていた。
商業港には大きな船のマストがいくつも立ち並び、工場区に目をやれば無数の煙突がモクモクと煙を上げている。
街道をたどって視線を動かせば、ハーパータウンの駅舎や鉄道の線路も目に入ってきた。
「うむ、これは予想以上に素晴らしいな。いや、お誘いして正解だった」
後に続いて屋上に上がったリベルトも、ソフィアの隣に並んで壁の手すりに手をつく。
「あら、てっきりリベルト様はお越しになったことがあったかと思ってましたわ」
「いや、この灯台は初めてだ。国にいる頃に、地元の灯台には何度か訪れたことはあったので、きっとここも素晴らしいとは予想していたのだが、いや、これほどとは……」
リベルトが言葉を紡いだ後、二人はしばし言葉を忘れて眼前に広がる光景を眺める。
しばらくの間風の音だけが二人を包み込んでいた。
しかし、その静寂は思わぬ形で終わりを告げる。
ソフィアの腹の虫が、少々かわいい声でくぅと鳴いたのだ。
「あっ!」
絶妙のタイミングで鳴いた腹の虫の声に、ソフィアが顔を真っ赤にする。
なんとか笑いを堪えようとしたリベルトだったが、耐え切れずにプッと吹き出してしまった。
「いやいや、やはりソフィア殿は、なかなかに面白いな」
「もう、リベルト様ったら!」
「まぁ、いいではないか。さて、それでは食事にしようではないか。っとそうだな……あれが良さそうだな」
ぐるりと辺りを見渡したリベルトは、木製の簡素なテーブルとベンチを見つけると、それを胸壁近くまで運んでいく。
そして、屋上まで抱えてきた大きなバスケットの中から白い布を二つ取り出し、それぞれテーブルとベンチの上にさっと被せた。
「さて、ソフィア殿、どうぞこちらへ」
白布をかぶせたベンチにソフィアを座らせると、リベルトはバスケットの中から瓶や箱、布で包んだ平皿やグラス、カットボードなどを次々と取り出していく。
箱の中に納められていたのは色とりどりの食材。
鮮やかな橙色をしたサルモンの薄切りや、真っ白なセボーリャ、美しい緑色のレチューガ、柔らかい乳白色のテーゼ、白いクリーム状のソースらしきもの、そしてマイスブレッドだ。
そして最後にバスケットの中から一枚の紙を取り出すと、書かれている内容を確認する。
「ええと、順番はっと……」
カットボードにマイスブレッドを並べたリベルトは、その表面に白いソースを薄く広げ、レチューガ、テーゼ、サルモン、セボーリャを順に上へ重ねていく。
そして、その上に白いソースを少し多めにかけると、一番上にマイスブレッドをもう一枚重ねてから、手のひらで全体を軽く押さえた。
続いてリベルトは、懐から愛用のナイフを取り出し半分に切り分ける。
これをもう一度繰り返してからそれぞれを平皿の上に載せ、二人分の食事が完成した。
「待たせたな。サルモンの燻製を挟んだサンドイッチ……だ、そうだ」
小さな白布で手を拭ってから、サンドイッチを載せた皿を差し出すリベルト。
真剣な眼差しで調理をする想い人にじっと熱い視線を送っていたソフィアも、出来上がった料理の美しさに笑みをこぼした。
「うふっ、見事なお手並みでしたわ」
「とはいっても、下準備は全てタクミ殿がやってくれていたから、私は挟んで切っただけだがな。さて、ではこちらも……」
空のグラスをソフィアの前とその隣に並べると、リベルトは運んできた瓶のコルク栓をキュッキュッキュとひねっていく。
そしてポンという気持ちの良い音を響かせて栓を抜くと、淡い金色に色づいた美しい液体をグラスに注いだ。
「まだ昼だが、少しぐらい構わんだろう?」
「ええ、ありがとうございますわ」
スパークリングワインから立ち上るきめ細やかな泡に目を細めるソフィア。
そして、全ての用意を終えたリベルトは、うんと一つ頷いてからソフィアの隣に座り、グラスを持ち上げた。
「それでは、今日の素晴らしい日をソフィア殿と共に過ごせることを祝って」
「この美しい風景を見せて頂いたリベルト様に感謝して」
「「乾杯」」
二人が重ね合ったグラスから、チーンと澄んだ音が響き渡った。
―――――
「うーん! とっても美味しいですわぁ!」
サンドイッチを頬張るソフィアの口から飛び出たのは、シンプルながらももっとも喜ばしい言葉であった。
その言葉に内心でほっとしつつ、リベルトもサンドイッチにかぶりつく。
「うむ、これは旨い。サルモンの燻製の旨味とシャキシャキの野菜が良く合っておる。それに、この白いソース、いつものマヨネーズとは違って独特の辛みがあるが、これがまたいいではないか」
「きっとこの風味はラバーノ・ピカンテですわね。少しだけ鼻にツンときますけど、このサルモンの美味しさを存分に引き立てておりますわ。それに、この爽やかな風と美しい風景。本当に最高の贅沢ですわ」
サンドイッチを一口ずつ食べ進めながら、ソフィアはうっとりとした表情で風景を眺める。
リベルトもまた、時折グラスを傾けながら、手ずから作ったサンドイッチの味わいと目の前に広がる風景をじっくりと堪能していた。
風がゆったりとそよぐ中で、のんびりとした時間を過ごす二人。
やがて皿の上が空になると、くちくなったお腹をさすりながらリベルトがふぅと息をついた。
「ああ、食った食った。それにしても、『ツバメ』のサンドイッチは絶品だな」
「そういえば、リベルト様はサンドイッチに釣られて『ツバメ』にいらしたのでしたわね」
「おお、ソフィア殿もそんな話をよく覚えていたな」
「ええ、リベルト様のお話なら、どんなことでも自然に覚えられますわ」
くすっと笑みをこぼしながらリベルトの顔を見つめるソフィア。
リベルトもまた、ソフィアに眩しいばかりの笑顔を見せた。
しかし、次の瞬間、リベルトは表情を一変させる。
眉をキリット引締め真剣な表情を作ると、おもむろに口を開いた。
「さて、ソフィア殿。今日は一つ大切な話がある。とても大事な話だ。聴いてもらえるか?」
「は、はい……」
先程までとはうってかわり、重い雰囲気を醸し出すリベルトの態度に、ソフィアも慌てて居ずまいを正す。
大切な話とはなんだろうか、もしかして……。
淡い期待を抱きながら次の言葉を待つソフィア。
しかし、次にリベルトの口から発せられたのは、思いもよらない言葉であった。
「実は……、国へ帰らなければならないことになった」
「えっ……!」
リベルトが国へ帰る、それはつまり二人にとって『別れ』を意味するもの。
せっかくゆっくりと育んできた二人の仲が引き裂かれる、その残酷な現実を突き付けられたソフィアの頭の中は、一瞬にして真っ白になった。
「だから……」
「嫌ですっ! 聞きたくありません!!」
リベルトの言葉に耳をふさぎ、頭を振るソフィア。
そしてベンチを立ち上がると、慌てて階段を駆け下りていった。
(どうして、どうして……!!)
急な階段を駆け下りていくソフィアの視界が涙で滲む。
そんな状態で不安定なヒールの高い靴のせいで駆け下りるのは、普段から活発に動くソフィアにとっても危険な行為であった。
とうとうバランスを崩してしまったソフィアが、悲鳴を上げる。
「きゃっ!!」「危ないっ!!」
階段から転げ落ちそうになる寸前、ソフィアの左腕がしっかりと掴まれ、そのままぐいっと引き寄せられる。
危ないところを助けたのは、もちろんリベルトであった。
自信の左腕を背中に回し、リベルトがしっかりとソフィアを抱き寄せる。
しかしソフィアは、半狂乱になりながらそれを振りほどこうともがき始めた。
「何をするんですか! 私のことなんてほっといてくださいっ!!」
「何をそんなに慌てておる、少し落ち着け」
「いやです! もう、離してくだんんんっ!?!?」
涙を目にいっぱい浮かべながら取り乱していたソフィアの動きが突然止まる。
大きく見開いた目の前にあるのは、すっと閉じられたリベルトの瞼。
そして、彼の唇は、まるで言葉を奪うようにソフィアの口元をふさいでいた。
一瞬とも永遠とも思える時間が流れる。
やがて重なり合っていた唇が離れると、リベルトはふぅと息をついた。
「……全く、これで落ち着いたか?」
「えっ? いまのって……? まさか!?!?」
階段にへたりこんで、クエスチョンマークを浮かべるソフィア。
余りの衝撃に、どうやら何が起こったのか処理しきれなくなったようだ。
「話はちゃんと最後まで聞いてほしいぞ。」
「で、でも、さっき……、帰るって……」
「確かに、本国の方の事情が変わって、いったんは国へ帰らなければならない。しかしだ、何も二度とこの地に来ないとは言ってはおらぬではないか。必ずやソフィアの下へ戻ってくる、そう言いたかったのだ。ほら、これを……」
リベルトは懐から小箱を取り出すと、まだひっくひっくとしゃっくりを立てるソフィアにそっと手渡す。
丁寧に布が貼られた小箱を開くと、その中央に真っ白な宝石がついた指輪が納められていた。
「こ、これって……、もしかして……!?」
その指輪の意味するところは、もちろんソフィアも十分理解している。
ようやく何が起こっているのかを把握したソフィアが、リベルトの顔を見上げるようにして覗き込んだ。
「正式な婚約は、私がこの国へ戻った後になろう。それまで、待っていてくれるな?」
「も、もちろんです!!」
地の底まで落とされたかと思ったら、今度は天にも昇るような気持ちに包まれるソフィア。
今度はその眼にうれし涙をたたえながら、しっかりとリベルトに抱き着くのであった。
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「おかえりなさいませ。ただいま珈琲をご用意いたしますので、少々お待ちください」
夕暮れ迫る喫茶店『ツバメ』、その二階の個室に戻ってきたリベルトとソフィアにタクミが声をかける。
いつものように一礼をしてから部屋を辞すると、階段辺りから猫耳がぴょこんと飛び出しているのを見つけた。
「こーらっ! 覗いちゃだめでしょ?」
「にゃぁ……。でも、上手くいったみたいで良かったのなっ!」
前の日の晩、寝る前にニャーチが話した“推理”はどうやら見事的中していたようだった。
この店ではなくわざわざ灯台まで二人で出向くことにしたのは、二人きりの時間を過ごすと共に『記念すべき思い出』とするため。
食材としてサルモンを選んだのは、ソフィアに故郷の味を伝えると共に『再び戻ってくる』という意思を示すため。
そして、完成品のサンドイッチではなく“自分で仕上げをする”ことにこだわったのは、『気持ちも、味わいも全てを満足させてもらう料理』を作るというソフィアとの約束を果たすためであった。
立場のある二人であるがゆえに、これからも幾度の困難は訪れるかもしれない。
しかし、それでも、リベルトとソフィアの二人であればきっと乗り越えてくれるであろう。
心の中でそう固く信じながら、階段を下りてゆくタクミであった。
お読みいただきましてありがとうございました。
今回もラストパートの更新が一日遅れとなり、申し訳ございませんでした。
さて、これまで「8の日」ごとに一話完結で更新を続けてまいりました本作品ですが、今後の更新につきましては少しペースを変えさせて頂きたいと存じます。
詳しくは活動報告に掲載いたしますので、ご覧いただけましたら幸いです。
次回の更新は10/8。楽しみにお待ちいただけましたら幸いです。