48 困った老人と身体を整える料理(2/2パート)
※前パートからの続きです。
※後書きに重要なお知らせがあります。
「よぉ青年。元気でやっておるかね?」
あれからしばらくたったある日の夕方、最終の到着便の集札を終えたテオが片づけをしていると、ふと後ろから声が掛けられた。
自分を呼ぶ声に、テオはずれた制帽を被り直しながらすぐさま振り向く。
そこにいたのは、先日小さな騒ぎを起こした老人であった。
「あ、えーっと、ブルトさんでしたね。もうお元気になられたのですか?」
「ああ、おかげさまこの通りじゃ」
ブルトはそう言いながら、片足を上げて膝をポンと叩く。
日に焼けた肌も先日に比べて張りがあり、確かに元気になったようにも見えた。
「いや、あのときは世話になった。おかげで命拾いをしたぞい」
「そんなそんな、命拾いだなんて大げさですよー。でも、お元気になられたようで何よりです」
「何も大げさではないぞ。実際、あのままだと死にかけておったかもしれんと医者に言われた位じゃしな」
先日、タクミの診立てにより急ぎ病院に連れて行かれたブルトは、すぐさま医師による診察を受けていた。
診断の結果は「暑気あたりと栄養失調」。
不摂生により体力が落ちているので、身体の機能が元に戻るまで休息と加療を要するとのことであった。
通常であれば自宅での静養となるところだが、行商人であり旅の身の上であるブルトの状況を考慮した医師は入院しての加療を勧める。
いったんは渋ったブルトだったが、医師とタクミの二人がかりの説得を受け、何とか入院することとなった……と、ここまでがテオの知っている話であった。
「でも、随分回復が早かったじゃないですか。やっぱり根っこはお元気という証拠ですよ」
「そんなもんかのぉ。まぁ、おかげで今じゃ入院する前よりピンピンしてくらいじゃ。ということで、今日はもう仕事は終わりそうかね?」
「え? まぁ、ボチボチ終わりますが……」
「ならちょうどいい、世話になったお礼もあるし、今晩、いかがかな?」
ブルトはそういうと、グラスを持つように丸めた手を口元に近づけ、クイッと傾ける仕草をする。
まだ暑い盛り、テオは思わず喉を鳴らす。
「い、いいっすねぇ……。でも、病み上がりではしんどいのでは?」
「なぁに、酒なんて水みたいなもの。平気じゃて」
「ブルトさん、そんなことをしているとまた病院に戻らなきゃいけなくなりますが、よろしいですかな?」
突如後ろから声をかけられたブルトが慌てて振り向くと、そこには大きな鞄を抱えた男性の姿、そして駅務用の制帽を被ったタクミの姿があった。
入院期間中ずっと世話になっていた医師の姿を見て、ブルトは思わず頭を掻く。
「オスワルド先生、そりゃ殺生というもの。ほら、もうピンピンしてますわ」
「それは何よりです。でも、ブルトさんの場合、お酒が過ぎるとすぐにまた元通りになってしまいますから、もう少しだけ辛抱しましょうか。タクミ殿、そうですよね」
オスワルドから話しを振られたタクミがゆっくりと頷く。
「お話をお伺いする限り、暑いからといって食事をとらずにお酒ばかり呑んでいたのが一番の原因です。調子が良くなったと言っても、油断は禁物ですね」
「お二人は厳しいですなぁ。まぁ、それでも助けてもらったんだから、感謝感謝ですわな」
手を組んで額の前で軽く振りながら、二人に対し感謝を捧げるブルド。
するとタクミが、いつものようににこっと微笑みながら声をかけた。
「では、今日は快気祝いということで、私から夕食をご馳走させてください。オスワルドさんも一緒にいかがですか?」
「それはありがたい。ぜひご相伴させていただこう」
タクミからの誘いにオスワルドがふむふむと頷く横で、テオがそーっと手を上げる。
「えーっと、俺は……」
「もちろんいいですよ。どちらにしろ夕食食べていきますよね?」
「うぃっす! あざーっす!」
タクミからの答えに満面の笑みを浮かべるテオ。
一方、肝心の主役であるブルトは何やら心配そうな表情を浮かべていた。
「えーっと、確かタクミさんだったな。心遣いは嬉しいんだけど、儂はじゃな……」
「ええ、お肉が召し上がれないのですよね? オスワルドさんからお伺いしております。大丈夫です、お肉を使わない料理をちゃんとご用意させて頂きます
「うむ、病院で出した食事も、実はタクミ殿にレシピを教わって作ったものなのだ。それなら安心であろう?」
「へぇ! そりゃびっくりじゃ! それでは、ご馳走になるとしよう」
ようやく安心した表情を見せるブルドに、タクミはもう一度ゆっくりと頷く。
そして、改札口周りの片づけと二人の案内をテオに任せると、一足早く『ツバメ』の厨房へと戻っていった。
―――――
「お待たせしました。ツバメ特製の“インディアンパト”です。どうぞ、ご賞味下さい」
ブルトとオスワルド、そしてテオの下にタクミが運んできたのは、ジュージューと音を立てている鉄板であった。
黒く丸い鉄皿の上には薄焼きの卵が敷かれており、その上にはスパイスで黄色く色づいたパトが載せられている。
そしてパトの上にかかっているのは“茶色のミートソース”のようなものだ。
出された料理を見たブルドは、興味深そうにしげしげと料理を眺める
「これが噂のパトってやつかな。しかし、この上に載っているのは見覚えが……」
「ふむ。これはどうやら病院で出していた“キーマカレー”の上にかかっていたものと同じもののようだが……、タクミ殿、合っているかね?」
オスワルドの問いかけに、タクミが微笑みながら首肯する。
「その通りです。キーマカレーのアロースの代わりパトを使ったものになります。鉄板は熱くなっておりますので、どうぞお気を付けください。では、冷めないうちに」
「どれどれ、楽しみじゃな……。はて、これはどうやって食べればよいのだろう?」
「ああ、それはこうするんです」
フォークを手にして戸惑いを見せるブルトの様子に気づき、テオが実演をしてみせる。
キーマカレーとパトを和えるようにして軽く混ぜ合わせると、慣れた手つきでくるくるっとパトを巻き取り、そのまま口の中へと放り込んだ。
そのまましばらく咀嚼していたテオだが、だんだんと顔が赤く染まっていき、慌てるようにホフホフと息を継ぎ始めた。
「あちっ、あちっ! あっつーーーいっ!」
「それはそうでしょうねぇ……。皆さんはどうぞお気を付けくださいね」
慌てる癖が抜けないテオの様子にやれやれといった表情を見せながら、タクミが改めて二人に声をかける。
すると、ブルトが微笑みながらうんうんと頷いた。
「いや、よーくわかった。では、今度こそ頂くとしようかの。ええと、こうじゃったかな……」
先ほどテオが行ったのとおなじように、ブルトもまたキーマカレーとパトを和えてからフォークで巻き取る。
自分が思っていたよりも大きな塊になってしまったものの、それに息を吹きかけて少し冷ましてからそのまま口へと運んだ。
最初に感じられるのは、キーマカレー特有のスパイシーな刺激。
香りと辛さの競演に、一気に食欲が刺激される。
しかし、ただ辛いだけではない。
一緒に入れられたセボーリャやサナオリアから生まれる甘みや、ピミエントのほのかな苦みが、おいしさをぐっと引き立てている。
旨味の中心になっている“ひき肉のようなもの”もコリコリと楽しい歯触りだ。
そして噛み締めるたびにプチプチプチと千切れていくパトの美味しさと絡まり、アロースを添えたキーマカレーとはまた一味違った味わいを生み出していた。
「なるほど、このパトというのは実に面白い。噛んでいくと口の中で踊りよる」
「確かに独特の食感ですね。私も何度か頂いておりますが、このプリプリとした食べ味は癖になりそうです」
揃って賛辞を贈るブルトとオスワルド。
、その横では、テオが不思議そうにキーマカレーのソースだけをすくって味わっていた。
「しっかし不思議ですねぇ。これ、肉じゃないんですよね?」
テオの質問に、タクミはコクリと頷いた。
タクミがひき肉の代わりに使ったもの、それは“ソハ”である。
水で戻してから蒸し上げたソハを包丁で粗く刻み、すり鉢で軽くあたってから油で炒めるとひき肉のような食感が生まれることを、タクミは知識として持っていた。
それを応用したのがこのキーマカレー。
ソハで作った“ひき肉もどき”と刻んだ野菜、セタ、アッホ等をスパイスミックスと共に炒めてある。
肉が食べられないブルトだが、卵や乳製品は大丈夫とのことであったため、炒める際にはバターを少し多めに使ってコクを加えていた。
「私の生まれ育ったところでは、ソハのことを『畑の肉』と呼ぶこともありました。もっとも、これは食感よりも栄養的な面でのお話が中心ですけどね。肉を召し上がらないブルトさんが不足しがちな栄養素を補うのは、このソハが一番いいとされていました」
「うむ、先日もそのように教わったな。しかし、食事でここまで効き目があるとは……。いや、想像以上であった」
医師であるオスワルドが、改めて感服を示す。
先日ブルトに起きていた“膝を叩いても、足が上がらない”という状況、これは医師ではないタクミにとっても『脚気』を疑うのに十分な材料であった。
特に“肉が食べられない”上に“アルコール好き”なブルトの場合、普段通りであっても脚気を引き起こす主因である『ビタミンB1の欠乏』が非常に起きやすい状況にある。
それに加えて暑気あたりで食欲が落ち、毎日僅かなマイスブレッドや野菜しか食べていない状況では症状が重くなるのは容易に想像できた。
しかし、“こちらの世界”では『脚気』という病気があることは知られておらず、それは医師とっても同様である。
実際、オスワルドの診立てはあくまでも栄養失調による体力の低下というものであった。
そこでタクミは、自分の生まれ育ったところでの“民間伝承”という形をとり、豆類、特にソハを多く食べさせるよう依頼した。
オスワルドも最初は少々驚いたものの、以前から一目を置いているタクミが言うのであればと二つ返事で引き受ける。
ちょうどタイミングよく夏季休暇の交代要員としてオスワルドが赴任していたことも、タクミにとって、そしてブルトにとって幸運なことであった。
二人のやりとりを横目に、ブルトがキーマカレーの部分を掬いながらポツリとつぶやく。
「今までは食事なんてテキトーでいいって思ってたが、これだけ違いが出るとなったらやっぱりちゃんとしないとダメですのぉ……」
「そうですよ! あんなインチキ薬に頼ってちゃダメですからねー」
耳ざとく聞きつけたテオが、口角を持ち上げながら視線を送る。
しかし、それに対してブルトも負けずに言葉を続けた。
「まぁ、あれはちょっとした演出じゃ。一応それなりに効果はあるんじゃよ。ま、頼り過ぎは良くないってのは分かりましたがな」
「じゃあ、これからもうあんなことはしないですね?」
「ああ、わかったわかった。ココでは迷惑かけないと約束しましょう。ところで、別口でちょっといいモノがあるんじゃが……」
ブルトは懐に手を入れると、ごそごそと何かを探り出してテオに見せる。
それは細長い数本の鞘のようなものであった。
「え? これはいったい?」
「これはじゃな、お主がきっと今求めておるものじゃ。ほら、耳を貸しなさい」
ブルトに言われるがまま、耳を寄せるテオ。
そしてしばらくゴニョゴニョと話を聞いていると、だんだんと表情が明るくなり、やがて猛烈に声を上げ始めた。
「マジっすか! これがあれば最強じゃないっすか!」
「ほれ、声が大きい。まぁ、そう言うことで貴重なものじゃ。通常だと一本で二千ぺスタもする貴重なものじゃが、お主なら特別に三本で千二百ペスタに分けてやろうじゃないか」
「買います! 俺、買いますっ!」
意気揚々と財布を取り出そうとするテオ。
しかし、それを見ていたタクミがフルフルと首を横振りながらその手を止めさせた。
「それに頼っても意中の女性を夢中にさせるのは少々難しいですよ。ブルトさんも、テオをからかうのは勘弁してやってください」
「え、なんでさっきの話の内容が……?」
タクミの言葉に、テオがきょとんとした表情を見せる。
一方のブルトは、まるでタクミの言葉を予期していたかのように語りかけた。
「うーむ、さすがにすぐ分かってしもうたか」
「一応料理人ですので。特徴的な形をしていますしね」
「ど、どういうことです?」
タクミとブルトのやりとりが全く見えずおろおろするばかりのテオ。
そこにオスワルドが助け船を出した。
「テオくん、どうやら君は一杯かつがれたようだな」
「え、じゃあこれは……?」
まだ状況をつかみ切れていないテオに、タクミが説明をする。
「これはバニラ、デザートに使う香料の一つです。確かに高価なものではありますが、媚薬としての効果があるのかというと……」
「なぁに、コイツを使ったデザートを女性と食せば、雰囲気も良くなって、仲睦まじくなれるじゃろうて。嘘は言っておらん、少々“演出”をしただけじゃよ」
「え、そしたら俺、騙されそうになってたってこと……?」
何が起こったのかようやく理解したテオがポツリとつぶやくと、残る三人が一斉にコクリと頷いた。
「もー、勘弁してくださいよー。俺、こういうのに弱いんっすからーっ!」
「いい勉強になったじゃろ? まぁ、これからも目を磨くことじゃな。 ほれ、コレは世話になったお礼としてお前さんにやるから、タクミさんに旨い甘味でもつくってもらいなされ」
ブルトはそう励ましながら、先ほどのバニラの鞘をポンとテオに渡す。
「あ、ありがとうございます。でも、これを思い出しながら食べると、なんか苦い味がしそうですね……」
頭を下げながらも、ついぼやいてしまうテオ。
その言葉に、ブルトはニヤッと微笑んだ。
「ならちょうどいい。良薬は口に苦しじゃよ」
お読みいただきましてありがとうございました。何とか更新間に合いました。
夏の疲れが出る頃ですが、皆さんもビタミンB1を積極的にとって疲れを吹き飛ばしてください。
にんにくと一緒に採ると効果が高いそうですよー!
さて、昨日の活動報告にて既にご報告させて頂きましたが、
この度本作『異世界駅舎の喫茶店』がコミカライズすることになりました。
書籍発売前のコミカライズ決定は異例中の異例とのこと。
正直全く予想もしていなかった事態に作者自身が目玉が飛び出るほど驚いております。
コミカライズの詳細につきましては、今後活動報告などでお知らせして参りますので
ぜひチェック頂けますようお願い申し上げます。
次回は9/8(金)からの定例更新、書籍版発売日に合わせたスペシャルバージョンでお届けする予定です。
それでは、引き続きご笑読いただけますようよろしくお願い申し上げます。