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異世界駅舎の喫茶店  作者: Swind/神凪唐州


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12/168

10 大きなニュースと夏のデザート(前編)

本日も当駅をご利用いただきまして誠にありがとうございました。本日の営業は終了いたしました。明日のウッドフォード行き一番列車は、朝9時の出発予定です。改札は、出発の10分前を予定しておりますので、ご乗車のお客様は、改札口横にございます待合室にてお待ちください。

―――なお、当駅は近日より一部で改装工事を行う予定です。ご迷惑をおかけいたしますが、ご理解ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。

===

6/18 23:00 大幅に改稿し、再投稿いたしました。

「改めましてこんばんわ。お元気だったかしら?」


 最終便が到着し、駅舎の終業点検を終えたタクミが喫茶店『ツバメ』へと戻ってくる。初夏を向かえてすっかり日は長くなり、空はまだまだ昼の明るさのままだ。普段であればすっかり静かになっている『ツバメ』だが、今日は特別にお客様をお迎えしていた。


「ソフィアさん、ご無沙汰しております。おかげさまで無事に暮らしております」


「お久しぶりなのなっ!とりあえず、お着きの珈琲をお持ちしましたなのなっ!」


 タクミとともに、珈琲を持ってきたニャーチも声をかける。カウンター近くの席に腰をかけたソフィアは、ニャーチに礼を述べて珈琲を受け取る。カップを口元に近づけまずは香りを堪能してから、こくりと一口飲むと、ふぅ、と長めに息を継いだ。


「やっぱりここの珈琲は美味しいわねぇ…って、落ち着いている場合じゃなかったわ。早速なんだけど…ここって、新聞あったかしら?」


「うん、もちろんあるのにゃっ。いつのが必要なのなっ?」


「そしたら、今日の分を持って来てもらえるかしら?」


「かしこまりなのにゃっ! ニャーチがとってくるのにゃっ!」


 ニャーチは右手をおでこにかざして敬礼の姿勢をとると、カウンターへと駆け出す。喫茶店『ツバメ』では、新聞や雑誌をカウンター脇のラックに置き、お客様に読んで頂けるようにしている。ニャーチは、ラックから新聞を取り出すと、一目散に戻ってきて、ソフィアに手渡した。


「今日の新聞なのにゃっ!」


「ニャーチちゃん、ありがとね。えっと…そうそう、これこれ、これなのよね」


 ソフィアはニャーチから受け取った新聞をテーブルに広げると、ペラペラとめくり、一つの記事を探し出す。タクミがその記事を覗き込むと、『マークシティ博覧会、開催迫る!』と書かれていた。


「このマークシティ博覧会に私のところも支援しててね、出展させてもらえる権利を持ってるのよね。でね、どうせ出展するなら、みんなをびっくりさせたいと思ってるのよ。で、あるモノの実用化が間に合いそうだから、それにしよっかなーて思ってるの。で、それの試作品がこの中に入っているんだけど……」


 ソフィアは足元に置かれた両手で抱え込むほどの大きさの木箱を指で指し示す。列車が到着した際にタクミが預かって運び入れたものだった。タクミが、木箱の蓋に打ち付けられた釘を外して蓋を開けると、中には、おがくずのような粉がたくさん詰められていた。タクミは、首をかしげながらソフィアに尋ねる。


「この粉のことでしょうか?」


 ソフィアは、違う違う、と顔の前で手をふり、言葉を返す。


「その中に入ってるの、手を入れて探ってみて」


 タクミはソフィアに言われるがまま、箱に入れられた粉の中に手をうずめていく。箱の中の方の粉はベッタリと濡れ、手に冷たい感触が手に伝わってきた。ただ単に濡れているだけでは説明のつかない冷たさだ。タクミは、もしかして…と思い、一気におがくずの中に手を突っ込むと、中から大きな白い塊を取り出した。


「これ、氷じゃないですか! 」


 思わずタクミが驚きの声を上げる。確かに、取り出した塊についた粉をそっと払うと、ガラスのように透き通った氷の塊だった。タクミは、手に伝わる冷たさに耐えかね、思わず箱の中の粉の上に氷を置いてしまう。タクミの驚いた表情が見られたソフィアは、とてもうれしそうに肯定する。

 

「そうよ。正真正銘、氷の塊よ?びっくりしたかしら?」


「ええ、びっくりしました。しかし、氷……ですか………」


 タクミは、どこまでも透き通り、表面が若干溶けて肌が濡れた氷に目を奪われていた。タクミが知る限り、“こちらの世界”において氷は大変入手困難なものであり、貴重なものであった。 ハーパータウンを含むこの地域は、温暖な気候に恵まれていることから、特に街場では冬場でも雪が降ったり氷が張ったりするようなことがめったにない。それ故に、氷を手に入れるためには冬の最も寒い時期に山の上から切り出して街場まで運んでおき、専用の氷室で保管をしておく必要があった。山から切り出して運ぶためのコストと、保管のための氷室を用意するコストを考えると、暑い夏場に氷を手にできるのは、本当にごくわずかな者に限られていた。タクミがこうして氷の塊を目の当たりにするのは“こちらの世界”に来てから初めての経験だった



 タクミの横に並んでいたニャーチも、耳をピーンとたてて興味深そうに氷を見つめている。


「うわぁ、きれいなのにゃぁ~~~~。ねぇ、触ってもいい?触ってもいい??むしろ齧ってもいい??」


 普段と変わらない調子のニャーチの自由な発言を、タクミが慌てて嗜める。


「ダメだよ。触るのもちゃんとソフィアさんの了解を取ってからでしょ? あと、齧っちゃダメだからね」


 ニャーチはニャーと残念そうな声で不満を口にする。タクミは、いつもの軽口とはわかってはいるものの、これだけ貴重なものを目の当たりにして、若干余裕を欠いていた。それでも、一連のやりとりで少し冷静さを取り戻したタクミが、ニャーチに指示を出す。


「とりあえず、キッチンにいって大きなバットを持ってきてほしいな」


 ニャーチは、かしこまりなのなーっ、と元気のよい返事を残し、キッチンへと走って行った。それを見送ったタクミは、改めてソフィアの方を向き直し、素朴な疑問を投げかける。


「しかし、博覧会にこの氷を出展というと、どういうことでしょうか? 確かに高価で珍しいものではありますが……」


 ソフィアは待ってましたとばかりに、腰に手を当て、胸を張ってタクミの質問に即答する。

「何を隠そう、その氷、今日出来たばかりの出来たてホヤホヤなのよね!」


「えっ、じゃあ、これは……?」


「そう、これは、蒸気機関を駆使して機械で作った氷なの。私の出資先に開発をさせていた蒸気機関で氷を作る機械がようやく完成したのよ。この機械があれば、夏の暑い時期でも氷を手に入れることができるのよ」


 そして、ソフィアはタクミに機械の仕組みを説明し始める。タクミの理解では、“小さいころに学習まんがで読んだ冷蔵庫の仕組み”と概ね同じような原理のようだった。ただ違うのは、冷媒を圧縮するための装置の動力が、電気モーターではなく蒸気機関であることと、蒸気機関であるがゆえに、大変大型の設備になっているという点であった。

 

 一通りの説明を聞いたタクミは、テーブルに膝をつき胸元で組んでいたソフィアの手を取った。


「夏場でも氷が手に入るなら、私はもちろん、みんな大助かりです! 本当に素晴らしいです!」


 タクミは手をブンブンと振りながら、やや興奮気味にまくしたてるようにして、ソフィアに素直な感想を告げる。ソフィアは、タクミの想像以上の反応にびっくりし、思わず頬が紅に染まった。ああ、やっぱりいい男だよねぇ、とソフィアが思った刹那、いつものように陽気さでいっぱいなのになぜか目の前の氷のような冷たさが含まれているような声がキッチンの方から響き渡った。


「うにゃっ、手が滑りつつあるのにゃっ。ごっしゅじーん、避けちゃだめにゃーよ?」


 タクミが振り向くと、キッチンから戻ってきたニャーチが”手を滑らせた”バットがタクミ目がけて飛んで来るところだった。そして、次の瞬間、ガキーンというやや甲高い衝突音が『ツバメ』のホールに響き渡った。






◇  ◇  ◇







「でもねぇ、実際のところ、コレをどうアピールすればいいかわからないのよねぇ」


 ややくぼみがついたバットの上に置かれた氷を見つめながら、ソフィアがつぶやく。


「ふにゃ?そうなのにゃ?」


 ニャーチの疑問符に同調するように、タクミも後頭部を抑えながら小首をかしげた。ソフィアが言葉を続ける。


「確かに氷ってなかなか手に入らない貴重品なんだけど、結局はエラード(アイスクリーム)ソルベーテ(シャーベット)みたいな冷たいデザート作るぐらいしか使わないなーって。これからの暑い時期のソルベーテは美味しいけど、そんなに毎日のように食べるものでもないのよねぇ……」


 ソフィアはそういってため息をつく。しかし、タクミはソフィアの言葉の意図を諮りかねていた。氷が簡単に手に入るのであれば、これからの時期の食材の保存がどんなに助かることだろうか……、タクミはそうした思いをソフィアにぶつける。


「うーん……いでも、氷があれば傷みやすい肉や魚、それに乳製品なんかも冷やして保存できるようになりますので、とても助かると思いますが……」


「え?どういうことかしら?」


 今度はソフィアに疑問符がついた。なぜ食材の保存と氷が結びつくのだろうか?ソフィアはタクミの言葉を呑みこむことができず、逡巡し始めた。 


 その様子を見たタクミは、はっとある事実に気づいた。“こちらの世界”では、氷は簡単には手に入らない貴重品、つまりは『嗜好品』の類なのだ。氷はごく一部の限られた資産家や上流階級の人たちが『ひと夏の楽しみ』のために使うものであり、その利用の幅もごく限られていた。タクミにとっては冷たくして保存することもちろん常識だったのだが、ソフィアを含む“こちらの世界”の人にとって『氷を使って食品を保存する』ということは思いもよらないことだとしても自然のことだった。


 そう思い至ったタクミは、出来るだけわかりやすくなるように一つずつ言葉を選びながらソフィアに説明を始めた。


「えっと、最近はどんどん暑くなって来ていますが、これからの時期は肉や魚、乳製品というのはどうしても傷みやすくなってしまいますよね?」


「ええ、そうね。でも、それがどうかしたの?」


「そうした食べ物が傷む ―― 腐ってしまうという一つの原因が『温度』にあるのです。たとえば、牛乳なんかはこれからの時期は朝に絞った新鮮な牛乳でも夕方には匂いがきつくなってしまうことがありますが、これも温度が高いところに置いておくことで、傷み始めてしまうということなのです」


 ソフィアは真剣な面持ちで頷きながら、タクミの説明を聞いている。ニャーチも、一緒になって並んで説明を聞いていた。タクミは、そのまま二人へ説明を続ける。


「でも、冬場の寒い時期などは翌日になっても牛乳の匂いがきつくならないですよね?こういった現象に温度が大きな影響を与えているんです。そこで、私どもが以前にいた場所では、氷…というか、冷気を使って食材を冷やして保存することが一般的でした。冷たさを利用すれば『生』のままある程度の期間保存することができます」


 ソフィアは、タクミの説明に、なるほどねぇ…、と大きく頷く。その横で、ニャーチが何か閃いたように声を上げた。


「わかったのにゃっ! ご主人は冷蔵庫のことを言ってるのにゃっ!ご主人、いつもながら回りくどいのにゃっ」


 タクミは、ニャーチの言葉に苦笑いを浮かながらニャーチの頭をポンポンと撫でる。そして、改めてソフィアの方へを向きなおし、話を続けた。


「まぁ、ニャーチの言うとおりです。氷を展示するのであれば、この『食材の保管』に使えることをアピールするのはいかがでしょうか? 冷蔵庫…つまり氷の冷気を利用して保存できる箱というか家具のようなものを作って、一緒に紹介すれば、皆さん喜んでもらえるのではないかと思います。確か、氷を使うタイプの冷蔵庫だとこんな形をしていたかと思いますが……」


 タクミは、冷蔵庫の形を説明するために、紙を一枚取り出してサラサラと四角形を書き連ねる。しかし、残念なことにタクミは決定的に絵が下手だった。何やら不思議な魔術絵にしか見えない絵が出来上がりそうな気配を察したニャーチが、横から紙を奪い取った。


「ごしゅじん……こんな絵じゃ、ソフィアさんはわかんにゃいのにゃ。ニャーチが描くから説明してなのにゃっ!」


 タクミはバツが悪そうに頭を書きながら、ニャーチに絵を描くのを任せる。二人のやりとりを見ていたソフィアは、クスクスと笑って見守っていた。ニャーチが描いたのは腰の高さよりやや高いぐらいをイメージした足つきのキャビネットのようなもの。上には高さの4分の1ぐらいのサイズの小さな扉、その下側には大きな扉がつけられていた。


「私の記憶では、氷を使った冷蔵庫はこんな上下2段の木の箱だったと思います。上下の仕切りは金属の板か網になっていて、上の段には氷を入れ、下の段に入れた食材を冷やす構造だったのではないかと。あと、内側はトタンのような金属の板で覆っていた気がします」


 ソフィアは、ニャーチから冷蔵庫の絵が描かれた紙を受け取り、ふむふむと見つめる。


「なるほど。直接氷に乗せるわけじゃなくて、氷が生み出す冷たい空気を利用するのね。なんか、うちの職人も『冷たい空気は下に降りる』って言ってたわ。

しかし、ニャーチちゃん、絵がうまいわねぇ。とってもわかりやすいわ」


 ニャーチは、ありがとなのにゃっ!と、得意満面といった様子でソフィアに応える。タクミは、軽く咳払いをしてから、話を続けた。


「あと、氷が溶ければ水が出てしまいますので、それを排水する仕組みが必要なはずです。とはいえ、どういう風にそれを実現していたかまでは覚えはなく……」


 ソフィアは、親指を立ててタクミにOKサインを出す。


「水を抜く仕組みね。その辺は工夫でなんとかなると思うわ。冷蔵庫の便利さが伝わってみんなが食材の保存を冷蔵庫でするようになれば、氷がたくさん必要になるわけだし、商売としてとっても面白そうね」


 タクミは、自分の話がきちんと理解してもらえたとほっと一息をつく。


「冷蔵庫が完成したら、うちもすぐに採用させていただきたいです。ぜひお願いしますね」


「もちろんよ。予約第1号として承りましたわ。ただ、でもね……」


「でも?」


 ソフィアの反応に、タクミは思わず聞き返す。


「んー、なんというか、すっごい良いモノだと思うし、きっとみんな喜んでくれるとは思うんだけど、冷蔵庫が博覧会の“目玉”になるかというと…ねぇ…」


 ソフィアの指摘はもっともなものだった。冷蔵庫がいかに優れていたとしても、所詮は保管庫の一種であり、使ってみてもらって初めてその効果が体験できる類のものだ。単に肉や魚を入れておいたものを並べて置いたとしても、『見た目』の面白みにはかけてしまう。すなわち、博覧会の“見世物”としては、インパクトに欠けてしまうのだ。ソフィアの指摘の意図を理解したタクミは、頭を下げる。


「そうですか……。いや、申し訳ございません、そこまで考えが至っておりませんでした」


 そんなタクミに、ソフィアは慌てて顔を上げるように促す。


「いや、それは全然いいのよ。これはこれでビジネスとしてとっても面白そうだから、ちゃんと検討させてもらうわ。とってもいいヒントを頂いたわ」


 タクミは、再びほっと一息ついて

「それなら何よりです。では、ぜひ楽しみにさせていただきますね」

と言葉を返した。ソフィアも、タクミの言葉に微笑みで応える。


 一瞬の間があり、ソフィアは本題を思い出す。ソフィアは、手元の新聞を見つめてつぶやいた。


「うーん、でも、そうなると振り出しになっちゃったわね。なんか“博覧会”向けに、インパクトのあるものは無いかしら?」


 ソフィアの言葉を待つ前に、タクミも、天井を見上げながらあれこれ考えていた。しかし、答えが出るよりも先に、ニャーチが能天気な声を上げた。


「というより、この氷、溶けちゃう前に食べていいかにゃっ?」


 タクミがすかさず

「ニャーチ、今はそっちじゃないでしょ? それに氷は貴重品なのです。我儘いっちゃいけません」

と、嗜める。


 しかし、ニャーチも負けていない。不服そうに頬を膨らませてこう反論した。


「でも、どうせこのままでも溶けちゃうのな。だったら食べたいのにゃー」


 ダメです、我慢しなさい、とタクミが再び嗜める。そんな二人の様子を微笑ましく見つめているソフィアが二人に声をかけた。


「どうせ溶けてしまうものですし、持って帰るのも大変なので、こちらはタクミさんとニャーチさんに差し上げますわ。もともと差し上げるつもりでしたしね」


 タクミは、それは申し訳ない、こんな貴重なものは受け取れないと、いったんは断るが、ソフィアも「このまま置いておいても溶けるだけだし、せっかくだから受け取って」と再度申し出る。タクミもこれ以上断るのは失礼と判断し、感謝して受け取ることとした。


「本当に恐縮です。では、ありがたく頂戴して、大切に使わせていただきます。ほら、ニャーチもお礼をいいなさい」


「ソフィアさん、ありがとなのなっ!大好きなのなーっ!」

 

 タクミは感謝のお辞儀をしつつニャーチにも頭を下げさせようとしたが、その手をするりと抜けだしたニャーチがソフィアに飛びついて抱きしめた。ソフィアはちょっとびっくりしながらも、ポンポンとニャーチの背中を叩く。タクミは、やれやれといった様子で、ニャーチの首元を猫掴みして引きはがした。


 折角だからお礼に何か氷を使ったものをご馳走しよう……タクミはそう考えたところで、ふと、ソフィアに一つ確認が必要なことがあると思い出した。


「ところで、この氷のお水って、そのままのものを凍らせたものですか?」


「え、ええ、確か井戸水をそのまま凍らせてますわ。でも、それがどうかしまして?」


 半ば予想通りのソフィアの答えに、タクミは考え込む。最初はアイスコーヒーでもお出ししようと考えたのだが、生水をそのまま凍らせたこの氷では、残念ながら直接口にすることになる使い方には適していないと判断せざるを得なかった。タクミは、ソフィアに先ほどの質問の理由を説明する。


 「やっぱりそうでしたか。実は、汲んだだけのそのままの水の場合、状況によってはお腹を壊す原因になってしまうことがあるのです。この辺りの水はきれいなのでよほどのことがない限り大丈夫かとは思いますが、氷にして直接口にするのであれば、やっぱり一度煮沸した水を使った方が安心なんですよね」


「へぇ、そんなことがあるのねぇ。そしたら、この氷は使えない…ってことになっちゃうのかしら?」


 ソフィアが不安そうにタクミを覗き込む。横で話を聞いていたニャーチも、

「えー、そんにゃぁぁぁ……」

と弱弱しい声を上げて、耳をしょぼんと垂らしていた。そんな二人に、タクミは大丈夫ですよ、と優しく声を掛けた。


「氷をそのまま口にしなければ大丈夫です。つまり、“冷やす”という用途で使う分には問題ございません。せっかく貴重なものを頂きましたので、お礼にこの氷を使って作ったデザートを召し上がっていただきたいと思うのですが、お時間はまだ大丈夫ですか?」


「ええ、今日はこの後宿に行くだけですから、全然問題ございませんわ」


 ソフィアは、こくりとうなずき、タクミの提案に答えた。タクミは、いつものような穏やかな笑みを浮かべる。


「ありがとうございます。では、少しお時間を頂いてデザートを作ってまいりますね。ニャーチも手伝ってもらえるかい?」


「あいあいさーなのなっ! じゃあ、ソフィアさん、少々お待ちくださいませなのなっ」


 いつも変わらないニャーチの様子に、ソフィアもつられて笑顔になる。


「ええ、出来上がりを楽しみにしておりますわ」


 タクミとニャーチはソフィアの言葉に一礼し、少し溶けかけた氷が載ったトレイを持って、キッチンへと向かっていった。






◇  ◇  ◇






「さて、ニャーチはコーヒーを淹れてもらいますか?シナモンはなしで、濃いめでお願いします」


「かしこまりなのなっ!」


 タクミはニャーチに指示を出すと、自分も早速準備にとりかかる。用意した材料は今朝届いた牛乳と卵、砂糖、塩とシンプルなものだった。


(さすがにバニラはありませんから、今日のところは昔懐かしい感じでいきましょうか。)


 タクミは、牛乳を金属製のボウルに注ぎ、その中へ卵の殻を使って器用に取り分けた卵黄をそっと入れる。そして、卵黄をつぶすように泡立て器で混ぜていく。


(余った卵白は、またメレンゲクッキーにでもしてしまいましょう。)


 卵黄と牛乳がなじんで全体がカスタード色になったところで、砂糖を少しずつ加えていく。しっかりとかき混ぜて十分に砂糖を溶かしこんでいったところで、味を確認する。


(んー、こんなもんですかね。さて、ここからが大変ですが……。)


 タクミは、ボウルをいったん脇においておき、先ほどソフィアから受け取った氷を用意する。表面のおがくずを丹念に払った後で大きな鍋に、いったんきれいな布で覆う。そして、包丁の柄尻や峰でゴンゴンを叩いていくと、サイズは不ぞろいながらも徐々に小さく砕かれていった。


(ふぅ、なんとかうまく割れました。確か、塩はたっぷり入れないとダメなんでしたっけね。)


 しばらく氷と格闘した後かち割りとなった氷は、大き目の木の桶へと移された。タクミは、氷の入った桶の中に少しだけ水を注ぎ、さらに溶かしきれないほどの大量の塩を入れてかき混ぜる。すると、先ほどまでよりも強い冷気が桶の中から立ち上ってきた。タクミは、先ほどかき混ぜて置いたカスタード色の液体が入った金属ボウルを桶の中に入れられた塩入り氷水の上にそっと載せ、泡立て器を使って泡立てるようにしてかき混ぜていく。

 

(っと、水が入らないように気を付けないといけませんね。)


 しばらくの間ボウルの中の液体をかき混ぜていくと、少しずつ気泡が出来てくる。気泡をたくさん作るようにして数分の間かき混ぜ続けていくと、ボウルの中の液体が冷やされ、ボウルの縁に少しずつ固まり始めた。タクミは、いったんボウルを桶からはずすと、泡立て器をヘラに持ち替えて、ボウルの縁に張り付いている塊をはがしてざっくりと液体と合わせていく。冷たい塊と混ぜられた液体は、ややもったりとしたクリームのような硬さになった。


(あとはこれを繰り返すだけですね。)


 タクミは、ボウルを塩入り氷水の入った桶の上に戻してかき混ぜては、桶から外してボウルの縁にくっついた塊をヘラで混ぜ合わせるという作業を繰り返す。そして、数回この作業を繰り返すと、先ほどまでの液体はふんわりとした淡いカスタード色のアイスクリームへと変わっていった。タクミは、出来上がったアイスクリームをヘラで少しだけ掬い、硬さと味を確認してから、最後にもう一度大きくかきまぜて、全体をなじませた。


「ごっしゅじーん、コーヒーの準備ができたのなっ!」


「了解ー。じゃあ、小さ目のコーヒーカップに注いで、このお皿と一緒に運んでもらえるかな?こっち一緒に運ぶね」


 タクミは、棚の中からやや深さのある陶器のお皿を3つ取り出し、コーヒーと一緒に運ぶようニャーチに指示を出す。そして、タクミ自身は、出来上がったアイスクリームの入ったボウルを木桶ごとそっと持ち上げ、揺らして氷水がこぼれないように慎重にソフィアの下へと運んで行った。







◇  ◇  ◇






「お待たせいたしました。カスタード風のアイスクリーム…エラードでございます。こちらでお取り分けさせていただきますね」


 タクミは、氷水の上にボウルを浮かべた木桶をテーブルの真ん中に置いて、中のボウルからアイスクリームを取り分ける。ソフィアは、興味深そうにボウルの中のエラードを見つめていた。塩をかけられた氷によって冷やされた金属ボウルの縁には空気中の水分が凍り付いていた。


「ありがとう、エラードってこうやって出来るのねぇ。初めて知ったわ」


 取り分けている間にタクミからエラードの作り方の説明を受けたソフィアは、受け取った器の中をまじまじと見つめる。真っ白な器に、黄色みがかった柔らかいカスタード色のアイスクリームが良く映えていた。出来たてのとても柔らかいアイスクリームは、盛り付けた端から少しずつ溶け、白いソースのように周囲を濡らしていた。


「コーヒーもどうぞなのなっ。でも、先にエラードが溶けないうちにお召し上がりくださいませなのなっ」


 ニャーチはこう言いながらコーヒーをソフィアに差出した。ソフィアは、ありがとうね、とお礼を述べてから、短く食前の祈りを捧げた。


 ソフィアは、エラードを一さじ掬い、口の中へと運ぶ。空気をたっぷりと含んだカスタード風味のエラードの口当たりは大変柔らかく、ふわっとした心地の良い冷たさが舌の上を優しくなでる。同時に、ミルクと卵黄、砂糖が織りなす甘くコクのある味わいが、口の中いっぱいに広がった。ソフィアは、思わずため息を漏らしながら、最上の表現でタクミに感動を伝える。


「とっても美味しいわ。 エラードは何度か食べたことがあるけど、今日のはまた格別だわ。何か秘密でもありまして?」


 タクミは、ありがとうございます、と一礼してからソフィアの質問に答える。


「工夫というほどではないのですが、今日は卵黄を使ってカスタード風に仕上げてみました。その分、コクのある味わいになったかと思います。お気に召していただけましたでしょうか?」


「もちろんよ!優しい味わいで、なんか、タクミさんらしいって感じね」


 タクミは、ソフィアの言葉に再び頭を下げる。そして、自分のエラードに匙を入れ、久しぶりの冷たい甘さを堪能した。


「せっかくなのでもう一つの食べ方もお勧めしたいのですが、大丈夫ですか?」


 タクミは、ソフィアの器が空になる頃合いを見計らい、声をかけた。ソフィアは、ぜひお願いしますわ、と頷く。すると、横で自分のエラードを堪能していたニャーチも、ニャーチにもー、と元気な声を上げた。


 タクミは、空になった二人の器を受け取ると、もう一度エラードを取り分けた。器が少し冷たくなったせいか、一杯目よりもエラードの縁が溶けはじめるのが遅いようだ。タクミは、ソフィアに2杯目のエラードが入った器を渡しつつ、言葉を添えた。


「では、次はコーヒーを半分ほどエラードにかけて召し上がってみてください」


「このコーヒーを……です……?」


 ソフィアが首をかしげながら手元のコーヒーカップを指さす。タクミは、いつものように笑顔でこくっと頷いた。ニャーチが元気のよい声を上げる。


「えーと、そうそう、アホなんとかなのなっ!」


「アホ何とかじゃなっくて、アフォガード、ね。ちょっと変わり種の食べ方ですが、個人的にはこれも好きなんですよね。いい機会なのでお試しください」


「え、ええ……、わかりましたわ」


 ソフィアは正直半信半疑ではあったものの、せっかくのお勧めだから…と冷たいエラードに温かいコーヒーを注いでいった。すると、コーヒーの琥珀色の中に、溶けていくエラードの白が混ざりあっていく。ソフィアはあっという間に溶けてしまうのではないかと心配したが、掬い取れるぐらいのエラードの塊は残っていた。


 ソフィアは、半分溶けかけたエラードを一さじ掬い取って口の中に入れる。すると、エラードのコクのある甘みにコーヒーの苦味が加わり、複雑な味わいとなっていた。今まで体験したことがない新しい味わいに、ソフィアは驚きを隠せなかった。


「これ、美味しいわね!こんな食べ方があったのは知らなかったわ。そのまま食べるより、こっちの方が好きかもしれないわね」


「エラードが溶けたコーヒーも美味しいのなっ! 冷たいカフェオレなのなっ!」


 ニャーチはあっという間に2杯目のアイスも食べきり、器を口に付けてアイスが溶け込んだコーヒーも飲んでいた。その様子を見たソフィアは、ちょっと行儀が悪いかな……と若干ためらいつつも、ニャーチの幸せそうな笑顔に釣られ、同じように飲んでみた。アイスクリームで冷やされたコーヒーに、カスタード味のエラードが適度に溶け込んで、普段呑んでいるコーヒーとはまったく別の味わいを見せていた。冷たく、甘く、そして柔らかい味わいに、ソフィアはすっかり虜になっていた。


 2杯目のエラードもすっかり食べ終えたソフィアは、タクミとニャーチに礼を述べた。


「本当に美味しかったわ。やっぱりどうせ出展するならこういうのよね。胃袋に直撃する感動、これが一番強烈だわ」


 タクミも、喜んで頂けてなによりです、とお礼を返しつつ、ソフィアに一つの注意点を示す。

「しかし、これも手作業で作るとなると結構人手がかかるのですよね。量を作るのは大変かもしれません」


 ソフィアは、頷いてと同意を示す。


「あと、やっぱりこれも『氷』じゃないのよねぇ。できれば氷を直接見せられるような風にしたいんだけどねぇ…」


 再び仕事モードに切り替わってしまったたソフィアは、ため息をついてしまう。その悩みの深さを知ってか知らずか、ニャーチが呑気に話し始めた。


「そしたら、やっぱり氷を作って、食べてもらうのが一番なのにゃっ!」


 タクミは、うーん、と困った表情を見せ、ニャーチに言葉を返す。


「まぁ、一度煮沸すれば氷そのものを食べても問題ないかと思いますが、そのままじゃ味気がないので、あまり喜んでもらえないのではないでしょうか?」


 ソフィアも、頷いて同調する。しかし、ニャーチの思いは違うところにあったようだ。


「ちがうのなっ、そっちの氷じゃなくて、”喫茶店の氷”なのなっ!夏の風物詩なのにゃっ!さっきから氷食べたいっていってるのにゃーっ!」


 若干興奮した感じでまくしたてるニャーチの言葉に、タクミははっと気づかされた。タクミが“こちらの世界”に飛ばされる前にいたところでは、確かに夏場の喫茶店で”氷”を提供していた。すっかり肝心なことを忘れていたのだ。


 タクミは、ニャーチの意図していたところをようやく理解し、こちらも興奮を隠さず、一人ブツブツ言い始めてしまった。


「そうか、あの”氷”か。でも、アレを作るには機械が……。それに、シロップも…うん、よし。何とかなりそうです。えっと、ソフィアさん!」


「は、はひっ!?」


 独り言をつぶやいていたタクミから突然呼びかけれたソフィアは、思わずびっくりして変な声が出てしまう。その声に自分自身で驚いてしまい、ソフィアの頬が少しだけ紅色に染まってしまった。


「博覧会で皆さんに喜んでもらえそうな、“氷”を美味しく食べてもらうデザートを思いつきました。ただ、それを作るには専用の道具が必要となりますので、今日お見せすることはできません。そこでお願いがあるのですが……」


 タクミは、ソフィアに2つの頼みごとを伝える。一つ目は、機械工ギルドに頼んで専用の道具を用意してもらうために、いったん10日ほどの期間の猶予を頂きたいこと。そしてもう一つは、思ったデザートが出来るかどうか試作するために2~3日に1個で構わないので『煮沸した湯冷ましの氷』を提供してほしいということだった。


 タクミの真剣な目をした頼みは、銀行家として日ごろから相手の真意を見抜くことを繰り返しているソフィアにも十分に信頼に足るものだった。ソフィアは、一瞬の間の後、タクミに信頼を示すかのように頷いた。


「わかったわ、何かよく分かんないけど、それくらいはお安いご用よ。そしたら10日後にその成果が見せてもらえるのかしら?」


「ありがとうございます。10日後、ぜひもう一度お越しいただければと思います。ギルドの力も借りて、ぜひ成功させて見せます」


 タクミが席を立ち、ソフィアに深々と頭を下げる。その後ろでは、ニャーチは、かっきっごおりーっ、かっきっごおりーっと奇妙な踊りをしていた。真剣なタクミとご機嫌なニャーチのコントラストにくすくすっと笑いながら、ソフィアはタクミの申し出を了解した。


「氷は準備が出来次第、2~3日に1個とはいわず、毎日送らせてもらいますわ。ただ、今のところは、溶けないように運ぶにはたっぷりのおがくずを入れた箱に入れるぐらいしか手が無いから、そこは許してくださいね」


 その言葉に、タクミは、自信に満ちた表情でソフィアに笑顔で応える。


「もちろんです。氷を運搬するための箱も工夫できないか、ギルドに相談してみます。10日後、ぜひお越しください」


 ソフィアは、やっぱり今日ここに来てよかった…と改めて思った。先日この店を訪れた際、タクミには『何かある』と感じ取っていた。そして、今日も予想通り素晴らしい体験させてもらうことが出来た。これなら10日後に再訪したときも、きっと有益なアイデアを頂ける、何より、私を驚かせてくれるに違いない……ソフィアは、そう確信していた。

 

 いつしか外の日は大きく傾いており、店内も暗くなってきていた。ソフィアは、すっかり長居してしまいたわ、とつぶやきつつ席を立つ。


「では、お願いしますわ。10日後、楽しみにしてますわよ」


「こちらこそ、またよろしくお願いいたします」


「ありがとうございましたなのなっ! またお越しくださいませなのなっ!」


 タクミの丁寧なあいさつと、ニャーチの元気な声に見送られ、ソフィアは扉へと向かった。10日後はどんな感動が待っているのだろう……、今から再びこの場所を訪れるのが待ち遠しいソフィアであった。


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