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47 常連客のお連れ様とまろやかなしずく(2/2パート)

※第1パートからの続きです

 あれから半月ほどたったある日、サバスとベアートの二人は再び喫茶店『ツバメ』を訪れていた。

 先日と同じく午後下がりのこの時間は、客足も随分と落ち着いている。

 どこかまったりとした雰囲気の中、タクミはカウンターの一番近くの席へと二人を案内すると、いつものように微笑みを浮かべて頭を下げた。


「本日はご足労頂きましてありがとうございます」


「いやいや、こちらこそ今日は楽しみにしておりましたぞ。ベアート殿もそうじゃろう?」


「ええ、どんなものが頂けるのか、楽しみですわ。はい、これが頼まれていたもの。とりあえず、大小二枚ずつ作らせて頂きましたわ」


「ありがとうございます。大切に使わせて頂きます」


 ベアートから品物を受け取ったタクミが、再び頭を下げて礼を示す。

 タクミが受け取ったのはフラーネラで出来た大小二種類の袋であった。

 大小どちらの袋も、三角形にカットされた四枚のフラーネラを縫い合わせて作られている。

 生地の裏側にあたる毛羽立っていない側を見ると、生地の端と端はしっかりと縫い込まれており、さらに端がほつれたりしないよう細かくかがり縫いが施されていた。

 その出来栄えを丁寧に確認するタクミに、ベアートが声をかける。


「どうかしら? これなら使えそうかしら?」


「もちろんです。ここまで細かく縫ってもらえれば、何も問題なく使えるでしょう。これならイメージ通り……いえ、イメージ以上です」


「ありがとう。うちの人も『新しいマキナ・デ・コセール(ミシン)の本領発揮だ!』とかいっちゃって、やたら興奮していたわ。でも、満足頂いたみたいで何よりだわ」


「本当にありがとうございます。おかげ様で大変すばらしいものを作って頂けたとお伝えください」


「その言葉は、無事に“アレ”が出来てから預かるとするわ。早速見せて下さらないかしら?」


「そうじゃな、どうやってやるのか、ぜひ拝見したいものじゃ」


 ワクワクとして待ちきれないといった様子を見せるベアード。

 サバスもまた、ベアートの横でそわそわとしていた。


「では、早速始めさせていただきます。お手数ですが、カウンターのところまでお越し頂いてもよろしいでしょうか?」


 タクミの言葉に、二人は一も二もなくコクリと首肯する。

 そして二人がカウンターへとやってくると、そこには既にいくつかの器具が用意されていた。


「それでは始めさせていただきます。まず、この頂いたネルをこうして……」


 タクミはフラーネラで出来た袋の表側 ―― 毛羽立った側を内側にすると、袋の底の部分から木製のリングの中にそれを通していく。

 リングの大きさは両手を合わせて作った輪と同じぐらいだ。

 続いて、内側から折り返してリングに袋の端の部分をひっかけると、そこに先ほどの者よりも僅かに大きな木製のリングを、袋の端を挟むようにして被せていった。


 そしてポンポンポンと袋の内側を軽く叩いて整えると、木製のリングによって大きく口を開いた漏斗状のものが出来上がる。

 中を覗きこむと、フェルト風の毛羽立った生地の中央に、十字となった縫い目が見られる。


 まるで何度もやっているかのように滑らかな手つきで準備を進めるタクミの様子に、二人はほうと感心の声を上げた。


「なるほど、そうやって木枠で押さえて使うということか」


「表と裏の使い方が思っていたイメージと違いましたわ。すると、この内側にコーヒーを注がれるのかしら?」


 ベアートの質問に、タクミはにこっとだけ微笑むと、再び作業へと戻っていく。

 タクミが続いて用意したのは、取っ手の付いた陶製のポットと、木で出来た台の二つだ。

 やや背の高い木製台の上には丸く穴が開いた板が取り付けられている。

 その穴の中を上から潜らせるようにして木枠を取り付けたフラーネラの袋をセットすると、その下に蓋を外したポットが置かれた。


 サバスとベアートの二人がまじまじと見つめる中、タクミはフラーネラの袋の中に、普段よりも粗く挽いた珈琲豆をスプーンですくい入れる。

 そして、トントントンと木枠を叩いて軽くならしてから、中央を凹ませた。


「なるほど、豆だけをそこに入れるという訳か」


「でも、これではコーヒーを煮出すことが出来ませんわよね?」


 珈琲と言えばシナモンや砂糖を入れて沸かしたお湯の中に挽いた豆を入れて煮出すものというのがベアートの理解であり、“こちらの世界”の常識でもあった。

 いったいここからどうやって珈琲を入れるのか……。

 ベアートが興味深く見つめていると、タクミは作業台横にある小型のオーブンストーブで火にかけてあった鍋を手に取る。

 そして、鍋の中でぐらぐらと激しく湯気をたてていた熱湯を銀製のポットに移しかえると、すぐさまそのお湯を先ほど珈琲豆の上へと落とし始めた。


 真剣な表情で慎重にポットを傾けるタクミ。

 静かに少しずつ注がれるお湯が珈琲豆へと染みこんでいく。

 そのままお湯を注いでいくのかとベアートが見つめていると、タクミはすぐにポットを戻した。


「えっ? お湯はたったこれだけなのです?」


「いえいえ、これは“蒸らし”といって、珈琲豆の美味しさが十分出るよう少しだけ間を開けるのです。っと、そろそろ良さそうですかね」


 ベアートが再びタクミの手元に視線を戻すと、話しをしているうちに水分を含んだ袋の中の豆がゆっくりと膨らみ始めていた。

 その様子を確認したタクミが、ポットをゆっくりと傾けて再びお湯を注ぐ。

 先ほどと同じぐらいの量を注いで、また一呼吸。

 すると、袋の下に受けている陶製のポットから、ポツン、ポツンと音が響いてきた。


「なるほど、珈琲豆の中にお湯をゆっくりとくぐらせていくというわけじゃな」


「はい。こうして時間をかけて蒸らすことで豆が開きますので、あとはこうして……」


 サバスの言葉に応えながら、タクミは三度ポットを傾ける。

 今度は渦を描くようにしながら、内に外にお湯を回していった。

 時折休みを挟みながら、数度に分けてお湯を落としていく。

 そして三杯分の珈琲が入った頃合いを見計らうと、タクミは木枠ごと袋を持ち上げ、用意しておいた長細い瓶に移しかえた。


 二人が見つめる中、淹れたばかりの珈琲がいつものコーヒーカップに注がれる。

 その色合いは普段のシナモン・コーヒーよりもいっそう深く、いっそう艶やかにも見えた。


「お待たせしました。ネルドリップで淹れたコーヒーです。立ったままでは何ですので、どうぞお席に」


 タクミに促されるまま席に戻る二人。

 ほどなく、淹れたての珈琲が二人の前に運ばれてきた。

 一緒に運んできた砂糖入りの壺と牛乳が入った小さな入れ物をテーブルに並べながら、タクミが説明をする。


「よろしければ最初の一口はどうぞそのままでお召し上がりください。その後、お好みでこちらの砂糖やミルクを加えて頂ければと存じます」


「うむ、では早速頂くとしようかの」


 サバスの言葉に、ベアートもコクリと頷く。

 タクミが言う通り、まずはそのまま口元へと運ぶ。

 すると、カップに注がれた珈琲から立ち上る湯気が鼻孔をくすぐった。


「あら、随分と香りが立っているわね」


 淹れたてのせいか、普段のシナモン・コーヒーに比べてこの珈琲は香りがいっそう豊かに膨らんでいるようにも感じられる。

 それもただ強いだけではなく、上質の香りだ。

 シナモンを使っていない分、若干香りが弱まるのではと予想していたベアートにとって、これは新鮮な驚きであった。


 目を閉じてしばし香りを堪能した後、いよいよ口へと含む。

 口の中に広がるのは、珈琲そのものの味わい。

 甘味と酸味、苦味、そしてコクが複雑に混ざり合い、喉の奥へとするすると降りていく。

 混じりけのない純粋な味わいに、ベアートはふぅと息をついた。


「シナモンも砂糖も入っていないコーヒーは初めての経験ですが、こんなにも素晴らしいのですわね。砂糖の甘みが無い分少し苦味を感じますが、粉っぽさもありませんし、とても美味しいですわ」


「確かにベアート殿の仰る通りじゃな。いつものシナモン・コーヒーも十分美味しいのじゃが、この珈琲を味わってしまうと少しざらっとした印象がぬぐえぬな」


 同じようにネルドリップの珈琲を味わっていたサバスも、ベアートに同意する。

 二人の言葉に、タクミは小さく頭を下げて礼を示した。


「ありがとうございます。粉っぽさがないのは、まさに作って頂いたネルのおかげですね。隙間なく縫い合わせて頂けたことで、理想的な状態で淹れることができました」


「確かにフラーネラの生地なら細かい粉もきれいに捕まえてくれそうよね。じゃあ、次は……」


 続いてベアートは砂糖を一杯すくって珈琲に加える。

 そしてスプーンでゆっくりとかき混ぜてから先ほどと同じように口に含んだ。

 甘さが加わった珈琲はいっそう豊かな味わいとなり、ベアートの心をとろけさせる。


「うーん、私はこれが好きね。珈琲の香りと、この甘い味わい。絶妙のハーモニーだわ」


 うっとりとした表情を浮かべるベアート。

 しかしその横では、サバスが何やら難しい顔を見せていた。


「あら、サバスさん。眉間に皺なんかよせちゃって、どうしたんです?」


「いや、確かにこの珈琲は素晴らしいと思うのじゃ。しかし、ワシのような古い人間はどうしても珈琲と言えばシナモン・コーヒーでな。あの甘く爽やかな香りがないとどうにも物足りなく感じてしまうのじゃよ」


「確かに、シナモン・コーヒーとこの珈琲は別のものって感じはするわね。珈琲そのもの味わいを純粋に楽しむにはいいけど、これでは物足りないって感じる人がいてもおかしくないかも。ねぇ、タクミさん、この淹れ方だとシナモン・コーヒーは難しいのかしら?」


 サバスの言葉に頷きつつ、ベアートが質問を投げかける。

 すると、タクミはその言葉を待っていたかのようににっこりと微笑みながら口を開いた。


「この淹れ方に合わせると少々難しいかもしれませんね。それよりも、普段通り煮出してからこのネルで濾す方が、粉っぽさもとれてより美味しく仕上がると思います。他には、これと合わせるというのも出来るかなと……」


 そう言いながらタクミは、手元に用意しておいた小皿を二人に差し出す。

 皿の上には、小さなマイスブレッド、それもいわゆる端の部分がそれぞれ二切れずつ載せられていた。

 普段のマイスブレッドとは異なり、バターがたっぷりと浸みこんだその表面には、たっぷりと砂糖がまぶされ、さらに茶色の粉が振りかけられている。


「ふむ、これを一緒に食べればよいのかね?」


「ええ、どうぞお試しください」


 サバスは勧められるがままにマイスブレッドを手に取り、そのまま口に運んだ。

 すると、歯に伝わるのは、まるでビスケットのようなサクッとした心地よい食感。

 どうやら水分を抜くようにしてしっかりと焼き上げられているらしい。

 二口三口と噛み進めれば、砂糖の甘みとバターのコクが口いっぱいに広がってくる。

 そして、その後を追いかけるように、シナモンの香りがふわっと鼻の奥から広がってきた。


 たっぷりの砂糖とバターで仕上げられているせいか、まったりとしたその味わいは舌の上に留まり続ける。

 するとサバスは、自然と珈琲へと手が伸びた。

 さっぱりとした味わいであるネルドリップの珈琲が、舌を新しくしてくれる。

 そしてサバスは、タクミの意図を理解してうんうんと何度も頷いた。


「なるほど、そういうことか。このブレッドの味わいと香り、そして珈琲の味わいと香りが口の中で合わさることで、シナモン・コーヒーと同じような満足感が得られるという訳じゃな」


「ご推察の通りです。お気に召して頂けたようでほっとしました」


 タクミは微笑みを浮かべたまま頭を下げる。

 同じようにブレッドと珈琲のハーモニーを楽しんでいたベアートも、満面の笑顔だ。


「うーん、このブレットのサクッとした感じがまたいいわね。これならお食事というよりお菓子感覚よね」


「そうですね。これはラスクというもので、ブレッドを使ってはおりますが、私が以前に暮らしていたところではお菓子として楽しまれておりました。やはり珈琲にはシナモンの香りが不可欠という方も多いでしょうから、ネルドリップの珈琲をお出しするときにはこれを添えようかと考えております」


「ふむ、それは良いとおもうのじゃが、それでは材料費や手間がかかってしまうのではないかね?」


「ご心配ありがとうございます。このラスクですが、上手に作れば作り置きが出来ますので手間の面はなんとかなるかと。それに、材料費も商品にしづらいブレッドの端を利用できますので大丈夫だと思っております」


「うむ、それなら良いな。いや、タクミ殿はいつもサービス満点じゃから、ちゃんと儲けるつもりがあるかどうか、つい心配になってしまうのじゃよ」


「お気持ち痛み入ります。まだまだ精進が必要ですね」


 常連であり商売人としての大先輩であるサバスの心遣いに、タクミも笑顔で応える。

 すると、今度は、ベアートが声をかけてきた。


「ねぇ、手間と言えば、これって忙しい時間は大丈夫なの? さっき見ていた限り、一杯入れるのに結構手間がかかりそうなんだけど……」


「ええ、それも考えております。というより、そのためにこちらの大きなネルを作ってもらったのですよね」


 タクミはそう言いながら、大きい方のネルを手に取る。


「この大きさなら一度に二十杯分程度は淹れられると思います。忙しい時間帯でもこちらを使えばお待たせしなくて済むでしょう。少量を淹れるよりも味が安定しやすいですし、何よりたくさん豆を使って入れられますので、より深い味わいに仕上げることができます」


「なるほど、それで大きいのもって話だったのね。あー、でもそれを聞いちゃうとそっちも飲んでみたくなっちゃうなー」


「そうしましたら、ぜひまたお越し頂ければと存じます」


「あら、意外と商売上手じゃない。わかったわ、今度は旦那とぜひ寄らせていただくわね」


 意外としたたかな一面を見せるタクミに、ベアートもくすりと微笑んだ。 

 そして、ふぅと息をつくと、ほっとしたような表情を見せる。


「でも、満足いくようなものを作ることが出来て良かったわ。これも分かりやすい絵を描いて頂いたおかげね」


「そうじゃな、これはニャーチ殿にもしっかり礼を言わねばならぬかもな」


「申し訳ございません。どうにも絵だけは苦手でして……」


 二人からの言葉に、タクミは苦笑いを浮かべながらポリポリと頭をかく。

 最初の段階でタクミが描いた絵では、どんなものを作ればいいのか全くと言っていいほど伝えられていなかった。

 そこに助け船を出したのがほかならぬニャーチである。

 タクミの説明をニャーチが上手に絵に表してくれたことで、このネルを作ることができたと言っても過言ではなかった。


 三人がそろって視線を送ると、それに気づいたニャーチがとてとてと近づいてくる。


「うにゃっ? どうしたのなっ?」

 

「いーや、何でもないよ。後でネルドリップの珈琲のむ?」


「うんっ! 欲しいのにゃっ! せっかくだからクリーム一杯載せるのなっ!」

 

「へぇ、そんな飲み方もあるのねぇ。どんな味わいなのかしら?」


「もしよろしければ一緒にお作りいたしますよ。サバスさんもいかがですか?」


「うむ、ぜひ頂くとしようか」


「わーいっ! じゃあ、早速クリームまぜまぜしてくるのなーっ!」


 そういうが早いか、元気一杯の様子でキッチンへ駆け出していくニャーチ。

 その後ろ姿を見送りながら、心の中で静かに感謝をするタクミであった。


 お読みいただきましてありがとうございました。

 ようやくネルドリップの導入です。


 本格的なコーヒーというとついつい“一杯ずつハンドドリップ”がイメージされますが、淹れ方に適した豆をきちんと選んで、丁寧に淹れた“ネルドリップ”もまた素晴らしい味わいを生み出します。

 深入りの珈琲豆を粗挽きし、ゆったりと時間をかけてたっぷり抽出したネルドリップ珈琲は、苦味が少なく珈琲の深いコクと香りが楽しむことができます。

 ということで、ぜひ皆様も『喫茶店の珈琲』をご堪能いただけましたら幸いです。


 書籍化に関する情報は随時活動報告にてお知らせ中しておりますので、合わせてご覧いただけましたら幸いです。

 (下のリンクからご確認いただけます)


 それでは、引き続きご笑読いただけますようよろしくお願い申し上げます。


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