47 常連客のお連れ様とまろやかなしずく(1/2パート)
本日も当駅をご利用いただきまして誠にありがとうございます。この列車は当駅が終点となります。到着いたしました列車は車庫に入ります。お手荷物などお忘れ物がございませんよう、ご注意をお願いいたします。
―― なお、本日も大変暑くなっております。体調がすぐれない際には、お近くの駅員までお申し付けください。
「久しぶりじゃな、席は空いておるかね?」
ある日の昼下がり、本日三度目のピークをようやく過ぎようとしていた喫茶店『ツバメ』に一人の老紳士がやってきた。
この店開店以来の常連客、サバスである。
ホールを所狭しと動き回っていたニャーチがその声を聞きつけると、いつものように元気よく呼びかけた。
「あ、サバスさんいらっしゃいませなのなーっ! えーっと、今日もお一人でよかったのなっ?」
「いや、今日は後で連れが来ることになっておっての。できれば広いテーブルの席でお願いできるとありがたいのじゃか……」
「かしこまりなのなっ! それでは、こちらのお席へどうぞなのにゃーっ!」
ホールの中をぐるっと見渡したニャーチが、少し奥まった場所にあるテーブルを指さす。
壁際にあるその席であれば、確かに他の客もあまり気にならずゆっくりと過ごすことができるだろう。
サバスはニャーチの気遣いに感謝しつつ、案内された席へと腰を下ろした。
額に流れてくる汗をぬぐいながら、椅子に深く腰を掛けたサバスがふぅと一息をつく。 すると、サバスとも顔なじみである、もう一人の店員の少女が水とナプキンを運んできた。
「いらっしゃいませっ、ご注文はお決まりですかっ?」
「そうだねぇ、とりあえずは先にアイスコーヒーを一つ頂けるかね。あとで、もう一人来るから、残りの注文はその時にさせてもらうね」
「かしこまりましたっ! それではアイスコーヒーをお一つですね。すぐにお持ちしますので少々お待ちくださいませっ」
ルナはペコリと頭を下げると、すぐさまカウンターへと向かっていく。
はつらつと明るく振る舞う少女の姿を、葉巻の煙をくゆらせながら眺めるサバス。
すると、横から不意に声がかけられた。
「あら、サバスさんって小さな女の子がお好きだったのかしら?」
「なんだ、ベアートも来ておったのか。いやいや、彼女がここに来た頃に比べて、すっかり明るく元気になったなーって思っておっただけじゃよ」
「分かってますって。ホンの冗談ですわ」
ベアートと名乗る女性が、くすくすと微笑みながらサバスの前に腰を掛ける。
妙齢の美しい女性は、ふぅと一息つくと、くるりと体をひねってカウンターに向けて手を挙げる。
それに反応したのは、ちょうどアイスコーヒーを運んできたルナであった。
「お待たせしましたっ、アイスコーヒーです……って、あっ! ベアートさん! こんにちわーっ」
「こんにちわ。この間はありがとうね。おかげで助かったわ」
「なんじゃ、お主、ルナと知り合いだったのか」
ルナにウィンクを送るベアートの様子に、サバスは目をぱちくりとさせる。
そんなサバスの疑問には、ルナが答えた。
「実はこの間、ベアートさんにお世話になりまして……」
「あらあら、お世話になったのは私の方よ。ひょんなご縁で美容師の仕事のお手伝いをルナちゃんが手伝ってくれたんだけど、もう、すっごく助かっちゃったわ!」
「そ、そんな、私なんててんてこ舞いになってただけで……」
「そんなことないわよー。すごくテキパキ動いてくれてたし、ほんと、これからずーっとお手伝いして欲しいぐらいだわ」
「ほほー。ルナちゃんはすっかり人気者だな。しかし、これで合点がいった。わざわざこの店を指名したのはそういう理由であったのか」
白い口ひげをいじりながらサバスが語りかけると、ベアートもまたコクリと頷いた。
一方のルナは、頬をほんのりと紅色に染め、持っていたトレイで顔を半分隠しながら口を開く。
「あ、あのっ、ベアートさん、ご注文はどうしますかっ?」
「あ、そういえば注文がまだだったわね。そうねぇ……、この間話していたのはできるかしら?」
「ピザトーストですね、もちろん大丈夫ですっ! えっと、具はブルストとボニートからお選びいただけますが、どちらにいたしましょうかっ?」
「そしたら、ボニートでいただけるかしら? あと、飲み物はサバスさんと同じ冷たいコーヒーでお願いね」
「かしこまりましたっ! ボニートのピザトーストにアイスコーヒー、出来上がるまで少しお待ちくださいませっ」
ルナはぺこりと頭を下げてから、とてとてとカウンターへ戻っていく。
目を細めてその後姿を見送ったベアートは、改めて居住まいを正してからサバスに話しかけた。
「で、サバスさん、今年はどんなのが入荷したのかしら?」
「うむ、今年もなかなか面白いものが出ておるぞ。早速見るかね?」
店まで運んできた大きなトランクを開くと、サバスはその中からいくつかの布の束を取り出した。
一枚一枚はハンカチ程度の大きさであるその布は、素材や色、織り方など、様々な違いがあるものばかりである。
バリエーションに富んだ布の束を順番に手に取り、風合いや手触りを確認するベアート。
その表情は、まるで少女が見せるそれのように、なんとも楽しそうな笑顔であった。
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サバスとベアートがしばし商談に花を咲かせていると、再びルナが二人の下へとやってきた。
手に携えた銀色のトレイの上からは、ほのかに湯気がたなびいている。
ルナはぴょこっと軽く頭を下げると、にこっと微笑みながらトレイで運んできた料理をベアートの前へと差し出した。
「お待たせしましたっ! アイスコーヒーとピザトーストですっ」
「ありがとう。 うーん、お話に聞いていた以上においしそうだわ」
運ばれてきたピザトーストを見て、ベアートがうっとりとした表情を浮かべる。
薄手の四角い木皿に載せられているのは厚めにスライスされたマイスブレッド、そしてその上にはこんがりと焦げ目がついたテーゼが白い湯気を挙げている。
ブレッドとチーズの間に挟まれているのは、千切りにされたセボーリャやピミエント、トマトのスライス、そして恐らくはボニートと思われる魚のフレークだ。
ブレッドの上には白いソースが塗られ、チーズのすぐ下には赤いソースも見られる。
ピザトーストとともに運ばれてきた小皿の中には、やや粗めに挽かれた赤と緑の粒が入っていた。
「こちらの小皿はカイエナと香草を細かく砕いたものです。お好みで、少しずつかけてお召し上がりくださいっ。ただ、とーーーっても辛いので、お気を付けくださいねっ。それでは、どうぞ温かいうちにお召し上がりくださいっ」
「ありがとう。じゃあ、早速いただくわね。サバスさんもお一ついかがでして?」
「うーむ、この香りの前では抗えんの。では、一切れだけご相伴にあずかろうかの」
「それでは、どうぞごゆっくりっ」
ペコリと頭を下げたルナが再びカウンターへと戻っていく姿を横目にしながら、ベアートとサバスがピザトーストを一切れずつ手に取る。
トーストを持ち上げれば熱でとろけたテーゼがトローリと糸を引き、いっそう香ばしい香りが鼻孔をくすぐった。
テーゼがこぼれないよう慎重に持ち上げるベアート。
そして、あーんと大きな口を開けて一口目を頬張った。
最初に歯を立てたときに感じられるのは、サクッと心地よい食感。
そしてアツアツのチーズや具材が、口の中へ一気に熱を広げてくる。
(ハフッ、ホッ……、ううーんっ!)
熱を逃がすように息を継いでいたベアートが、やがて身悶えしはじめた。
とろけたテーゼのまったりとしたコクのある味わいと、恐らくはトマトを煮詰めて作られているのであろう僅かな酸味を伴った赤いソースのスパイシーな味わいが口の中で混ざり合り、極上の旨味が口いっぱいに広がってくる。
少し熱が落ちついてくると、今度は具材の味わいが輪郭を浮かび上がらせてきた。
ボニートは生臭さを一切感じさせることなく、ホロホロとしたその身からたっぷりと旨味を溢れさせている。
そのややこってりとした味わいに、セボーリャの甘みとピミエントの苦味、そしてトマトのさっぱりとした酸味が加わることで、全体の味わいが引き締められていた。
そして味わいの決め手となるのが土台となるマイスブレッドだ。
厚めにスライスされたマイスブレッドは、裏側はサクッと焼き上げられている一方で中はふんわりと柔らかく、立ち上る香ばしい香りがアクセントとして鼻孔をくすぐる。
ブレッドの表面に塗られた白いソースにより、味が染みすぎることなく、内側の柔らかさがしっかりと保たれている。
それ自身は決して強い味わいではないものの、上に載せられたテーゼや具材をしっかりと受け止め味のまとめ役としてしっかりと食材の個性を引き出していた。
「……噂通り極上の味ね。これならサバスさんが足しげく通うのも分かりますわ」
「そうじゃろそうじゃろ。気に入って頂けて何よりじゃ」
サバスはまるで自分のことのように喜びながら、ベアートから分けてもらった一切れを頬張る。
味わいを確かめるようにゆっくりと噛み締め、そして満足そうに何度もうんうんと頷いた。
しばらくの後、ピザトーストを食べ終えてゆっくりしていた二人の下に、一人の男性が挨拶にやってきた。
「ご挨拶が遅れました。本日もご来店ありがとうございます」
「おお、これはわざわざ申し訳ない。っと、ベアート殿にも紹介しておこうかの。この喫茶店のマスターであり、この駅の“駅長代理”も務めておるタクミ殿じゃ」
サバスはすっと席を立ちながら、ベアートにタクミを紹介する。
その言葉に続けて、タクミも頭を下げながら挨拶をした。
「初めまして、タクミと申します。先ほどルナから伺いましたが、先日は何やら大変お世話になったとのことで、誠にありがとうございます」
「いえいえ、私の方こそルナちゃんには大変お世話になりましたわ。改めまして、美容師のベアートと申します」
タクミの挨拶に、ベアートもまた席から立ち上がって丁寧に返礼する。
「ベアート殿は一流の美容師でな。単に髪を結うだけではなく、それぞれの時と場所に応じて頭のてっぺんから足の先まで、きっちり整えてくれるのじゃ」
「その人の人となりをきちんと表現するために必要なことをしているだけですわよ。タクミさんも、もしご入り用がございましたらいつでもお声掛けくださいね」
「ありがとうございます。その時にはぜひ。では、どうぞごゆっくり……ん? これは?」
一礼をして二人の下を離れるそぶりを見せたタクミが、テーブルの上に並べられていた布の束を見て動きを止めた。
珍しい様子を見せるタクミの姿に、サバスが小首を傾げながら声をかける。
「ああ、これはベアート殿が仕事で使う衣服用の布地のサンプルなのじゃが……」
「あら、タクミさんもこういうものに興味がおありなのかしら? どうぞお手に取ってご覧くださいませ」
ベアートから促されたタクミは、コクリと頭を下げて礼を示すと、早速一枚の布地を手に取った。
タクミが手にしたのは、色とりどりの色物や柄物の中にあってひときわ目立つ一枚の白い布。
おそらくは生成りのままと思われる僅かに黄色がかったその布の表側は毛羽立っており、フェルトにも似た風合いとなっている。
一方裏面は、細かな織り目がしっかりと密になっており、こちらはキャンバス地を彷彿とさせていた。
タクミは、その一枚の生地をそして明かりに透かすかのように上に掲げたり、表と裏を何度もひっくり返しながら確認する。
その仕草に、よほどの興味を示したと見たサバスが生地について説明を始めた。
「それはフラネーラという生地を綿で作ったものじゃ。これまでのフラネーラといえば毛織物じゃが、綿で出来ればまた違った風合いのものが出来るかと思ってな。まだ試作品じゃが、なかなか面白い生地じゃろう?」
「丈夫そうだし、いろんな使い方が出来そうですわよね。私としてはこれを染めて帽子にしてみたいかしら。その様子だと、タクミさんも何か思いついたのかしら?」
ベアートの言葉を耳にしつつ、生地をじっくりと確認するタクミ。
そして、ようやく顔を上げると、大きく一つ頷いてから口を開いた。
「サバス様、この生地をもっと大きなサイズ手に入れることは出来るのでしょうか?」
「ああ。試作品とはいえある程度の量は作っておるから、何反かは用意出来ると思うが…」
「それはありがたいです。もし可能なら、これと同じ生地を少し分けて頂ければと存じます。一つ作りたいものがありまして……」
「それくらいお安いご用じゃよ。縫製職人の手配も必要かね?」
「あら、それならうちの旦那にやらせるわよ。ちょうどこの間、最新式のマキナ・デ・コセールを入れたところだし、いろいろ試すことが出来ると思うわ」
「それはありがたいです。ベアート様、ぜひお力を借りられると嬉しいです」
「良い笑顔見せるわねえ。分かったわ。で、作るのは服? それとも帽子か何かかしら?」
「いえ、実はこういったものを作って頂けないかと思いまして……」
タクミはそういうと、エプロンのポケットに入れておいたメモ用の紙を取り出し、同じくエプロンに忍ばせておいた鉛筆で絵を描きはじる。
その手元を覗き込むサバスとベアート。
しばらくすると、二人はうーむと唸り声を上げながら、しきりに首をひねるのであった。
※第2パートへと続きます。
※書籍版に着いて、発売日&イラストレーター様情報が発表になりました!
詳しくは活動報告にてお知らせしておりますので、ぜひご覧いただければ幸いです。