45 揺れる乙女心と涼を呼ぶスープ(3/3パート)
※第2パートからの続きです。
「お二方ともご準備はよろしいですか?」
翌日、喫茶店『ツバメ』のキッチンには、リベルトとエルナンドの二人が顔を向き合わせていた。
タクミの呼びかけに、二人はコクリと首を縦に動かす。
二人の首肯を確認すると、タクミもまたゆっくりと頷いてから再び口を開いた。
「リベルト様にはルナを、エルナンド様にはロランドをサポートとしてお付けいたします。二人ともこのキッチンの勝手は良く分かっておりますので何なりとお申し付けください。それでは、どうぞ、始めてください」
タクミの宣言を受けて、リベルトは傍らにいるルナに早速声をかける。
「ルナ殿、よろしく頼む」
「はいっ! こちらこそよろしくお願いしますっ! 最初は何からやりますかっ?」
「最初は、このパタータを茹でるところから始めたいな。湯を沸かしてもらえるか?」
「分かりましたっ! では、あちらのガスコンロでやりますねっ」
ルナはガスコンロの下へとリベルトを案内すると、傍らに備え付けてある長マッチを箱から取り出し、手慣れた様子でシュッと火をつける。
そして、コンロのコックを開きながらその火を近づけると、ボワッという音と共にあっという間に青みがかった炎が立ち上った。
その様子を横で見ていたリベルトが、改めて感嘆を漏らす。
「うむ。昨日も見せてもらったが、これは素晴らしく便利なものだな。我が国でも早速普及をさせたいものだ」
「火力の調整も簡単なので、とっても料理がしやすくなりましたっ。きっとリベルト様の作るものも美味しく出来ますよっ!」
「それは楽しみだな。さて、ではここに鍋を載せてと……」
リベルトとルナがコンロの前で作業を続ける一方、エルナンドとロランドはキッチンテーブルにて食材の下ごしらえを進めていた。
手際よくトマトを摩り下ろしていくエルナンドの手つきに、ロランドが驚きながら声をかける。
「すごいっすね! 料理やってたんすか?」
「ああ、航海士の下っ端の頃は料理も一つの仕事だったからね。専属の料理人がつく大きな船ばかりではないし、そもそも料理は嫌いな方じゃなかったからね」
「そうなんっすね。でも、海の上の料理っすか……。想像するだけで大変そうっす」
「を、ロランド君も海の上を知っているのかい?」
「自分の家は漁師一家っすからね。自分は泳ぎが苦手だったから料理の道を選んだんっすが、漁を手伝ってたこともあるんで、海の上のことは身を持って経験してるっす。その怖さを含めてっすけどね。っと、これくらいでいいっすか?」」
話しながらも作業を一段落させたロランドが、エルナンドにセボーリャの摩り下ろしが入ったボウルを見せる。
中身を確認したエルナンドは、満足そうに頷きながらロランドに次の指示を出した。
「それくらいで良いだろう。そうしたら、次はそのなかにこのアッホも摩り下ろしてもらえるか?」
「了解っす! ちゃちゃっとやっちゃうっす!」
気持のよいロランドの返事を耳にしながら、エルナンドが顔を上げる。
視線の先には、リベルトがサポートの少女とともに鍋から何かを取り出していた。
色目からすると、恐らくはパタータだろう。
『暑い日でも食が進むようなもの』というテーマに対して、奇しくも同じスープを用意することとなったようだ。
しかし、リベルトが用意している材料は、先ほどのパタータに、セボーリャ、ペレヒール、牛乳、鶏ガラのスープ、それに塩胡椒と、非常にシンプルである。
それに対し、エルナンドはトマトにセボーリャ、ペピーノ、赤と黄色のピミエント、リモンとふんだんな材料を準備していた。
さらにエルナンドが切り札として持ち込んでいるもの、それが硬く栓をした一本の瓶だ。
この中には、朝のうちに仕込んでおいたアルメハのスープが入っている。
たっぷりのアルメハを白ワインで蒸すことにより作られたそのスープは、アルメハの旨味が凝縮した珠玉の一品だ。
(これがあれば、きっと……。いや、きちんと仕上げをせねば台無しだな)
瓶の中からスープを少し味見して傷んでいないことを確認したエルナンドは、『勝てる勝負』を手抜かりで落とすことが無いよう、いっそう気を引き締めて、調理作業を再開した。
―――――
「お待たせいたしました。お二方の料理が出来ましたので運ばせて頂きます」
『ツバメ』の二階の個室へとやってきたタクミが、部屋の中で一人待っていたソフィアに声をかける。
その後ろからは、エルナンドとリベルトが、それぞれ銀色の蓋をかぶせたトレイを手に部屋へと入ってきた。
二人の姿を確認したソフィアが、労いの言葉をかける。
「ありがとうございますわ。では、早速料理を見せて頂けるかしら?」
「では、先に私から。トマトと野菜をふんだんに使った故郷のスープ『ガスパチョ』をご用意しました」
テーブルに置いたトレイの蓋を開けると、そこには鮮やかな赤色のスープが白磁の皿に注がれていた。
真っ赤なスープの上には、角切りにされたピミエントの赤と黄色、そして細かく刻まれたペピーノの緑がにぎやかに踊っている。
隣に添えられているのは、軽くトーストされたマイスブレッドだ。
夏の眩しさを彷彿とさせるような赤いスープをしばらく見つめていたソフィアは、ふとあることに気づく。
それは、スープからは湯気が立ち上っていないということ。
その代わりに目に留まったのは、スープを注いである白磁の皿がうっすらと汗をかいているということであった。
それが意味するところに思い当たったソフィアが、エルナンドに視線を送って声をかける。
「これって、もしかして……」
「ご推察の通りです。せっかくこちらのお店で料理させて頂きましたので、氷で冷やした『冷製スープ』として仕立ててみました。どうぞ、冷たいうちにお召し上がりください」
朗らかな表情で勧めるエルナンドの言葉に従い、ソフィアがまずはスプーンで一口掬い、味を見る。
良く冷やされたスープからは、甘酸っぱさを感じさせるトマトの味わいが口いっぱいに広がってくる。
夏の太陽をいっぱいに吸い込んだその味わいの中には、セボーリャが複雑さを与えており、リモンの爽やかな香りと酸味もまた美味しさを引き立たせている。
カイエナのピリッとした辛みとしっかりと利いているアッホの風味も、食欲を存分に刺激してくれていた。
具材として入れられたピミエントやペピーノもシャキシャキとした歯ごたえが心地よい。
もちろん、マイスブレッドとの相性も抜群だ。
そして、半分ほど食べ進めたところで、ソフィアはふとあることに気づく。
それは、スープの味わいの一番土台となっているベースの部分、そこにほんのわずかだが『海の香り』が感じられたのだ。
「本当に素晴らしい、大変美味しゅうございますわ。ところで、このスープには何か海の幸を使っていたりされますか? 何かこう、ほんのわずかですが海の香りがしたような気がするものですから……」
ソフィアの言葉に、我が意を得たり、とばかりにエルナンドが大きく頷く。
「その通りです。ガスパチョのスープのベースとしては、水か、冷ました鶏のスープを使うことが多いのですが、本日はここにアルメハを白ワインで蒸して作った旨みたっぷりの蒸し汁を使わせて頂きました。お気に召していただけましたでしょうか?」
口角を持ち上げながらにこやかに話すエルナンドに、ソフィアもまた笑顔を見せる。
「ええ、とても素晴らしかったですわ。正にエルナンド様を彷彿とさせる味わいでしたわ」
「そう言っていただけると何よりです。さて、本当なら全部召し上がって頂きたいところですが、あまりお腹いっぱいになって、リベルト様の料理が入らなくなってもいけませんね。そろそろバトンタッチをさせていただきましょうか」
ソフィアに話しかけるそぶりを見せながらも、エルナンドはリベルトに視線を送ってプレッシャーをかける。
しかし、リベルトは動じることなく、自身の料理が入ったトレイをすっと前に出した。
「では、私の料理も出させて頂こう。どうぞ召し上がってくれ」
リベルトがトレイの蓋をとると、そこにあったのも一杯のスープであった。
こちらも白磁の皿に注がれたクリーミーな白いスープの上には、刻んだペルフールがわずかに散らされ、濃い緑色とのコントラストが美しい。
エルナンドが用意した赤いガスパチョが艶やかさを前面に出したものとすれば、こちらは静かな美しさが感じられる一品だ。
エルナンドのそれと同じように、皿の周りには雫がついており、横には軽くトーストされたマイスブレットが添えられている。
リベルトのスープをしばらく目で味わっていたソフィアだったが、リベルトの方へと視線を上げると、確認するように言葉を発した。
「こちらも冷やしたスープということでよろしいかしら?」
「ああ。これは『パタータのヴィシソワーズ』というもの。冷たいスープで重なるとは驚きだったが、どうやら似たような発想をしたようだ。講釈はさておき、これも食べてみてくれ」
リベルトに促されたソフィアは、コクリと一つ頷いてから、その白いスープを口へと運ぶ。
ミルキーな味わいのスープはどこまでも舌触りが滑らかで、丁寧に調理されたことを伺わせる物であった。
コクのある牛乳の味わいの中には、柔らかなパタータの風味と丁寧に火を通したと思われるセボーリャの甘みが加わり、それを鶏の旨味がしっかりと下支えすることで素晴らしい美味しさが生まれている。
スープの実として入っているのはみじん切りのセボーリャ。
これが全体的に柔らかい味わいのスープのちょうど良いアクセントとなり、スープの輪郭をはっきりと浮かび上がらせていた。
味を確かめるように何度も口元へと運びソフィア。
こちらも半分ほどを食べ終えた後、リベルトに感想を伝える。
「パタータの味わいが牛乳の味わいとよく合っていますね。ポタージュに近いですけれども、冷たくするとこんなにも雰囲気が変わるのは驚きでしたわ」
「うむ。暑い日となるとやはり冷たいものが欲しくなるし、そんな日でも食が進むようなものとなると、やはりスープのようなものが良いだろうと考えた。牛乳やパタータを使えばしっかり栄養もとれるだろうし、優しい味わいの方が口にしやすいかと思ってな。まぁ、これも、自分のイメージをタクミ殿がしっかりと形にしてくれたからこそなのだからな」
そう言いながらリベルトがタクミへと視線を送ると、タクミもまた静かに頭を下げる。
すると、横からエルナンドが口を挟んできた。
「リベルト兄さんの言ってることはもっともだと思う。でも、栄養があるのは牛乳やパタータばかりじゃないよね? 暑い時にはトマトを食えっていう言葉もあるし、ペピーノは体に溜まった熱をとってくれる。ピミエントやセボーリャ、それにアルメハだって栄養たっぷりだ。そもそも、熱くて疲れた時なんかは、柔らかい味わいよりも、かえってはっきりとした味わいのものの方が食べやすいってこともあるんじゃないかな?」
リベルトの言葉にあったことを自分もしっかり気づいていた、エルナンドはそう強くアピールするかのようにリベルトに言葉をぶつける。
その言葉にリベルトは反論しようとするが、それより早くソフィアが口を開いた。
「ええ、エルナンド様も私の身体を労わって頂いたということは、こちらの赤いスープを頂けばしっかり伝わっておりますわよ。どちらも本当に素晴らしいですし、正直申し上げましたら、味わいについては甲乙つけがたい出来栄えになっておりますわ」
「で、では、引き分けということに……?」
ソフィアの方へと振り向きながら言葉をこぼすエルナンド。
しかし、ソフィアは首を横に振りながら話を続けた。
「いいえ、この二つのスープには、一つだけ明確な違いを感じました。ほんの僅かの差かもしれませんが、そこが大切なポイントになりました。私がより心を動かされたのは……、そう、こちらのスープです」
ソフィアはそういうと、白いスープ ―― リベルトの『ヴィシソワーズ』をすっと前に差し出した。
静かに目を瞑って頷くリベルト。
しかし、その結果に納得できないエルナンドは、ソフィアに詰め寄りながら声を荒げる。
「どうしてですかっ!? 何がダメだったのですかっ?」
「エルナンド様のスープもとてもおいしゅうございました。スープとしての完成度としたら、もしかしたらリベルト様のスープよりも上だったかもしれません」
「では、なぜっ!?」
「もし私がエルナンド様をお選びしたとしても、今晩一緒過ごすおつもりは無いのかなと思ってしまったものですから……」
「えっ? それはどういう……、あっ!」
ソフィアの謎めいた言葉に一瞬考え込むエルナンド。
しかし、その言葉の意図をつかむと、大きな声を上げた。
自分の“失敗”にきづいて、エルナンドは悔しそうな表情を見せる。
そんなエルナンドに、ソフィアがなだめるように声をかけた。
「お分かりいただけたようですわね。そう、私にとっては少々アッホの風味が強かったのですわ。もしかしたら私を元気づかせようというお気持ちだったのかもしれませんが、やはり私も女性ですし、どうしても匂いは気になってしまうのです……」
「ソフィア殿に選んでほしいと思う気持ちが、少しばかり先走ったのだろうな。しかし、俺の方に油断があればあっという間に食われていた、それくらいの素晴らしい料理だったと思うぞ」
エルナンドの肩を叩きながら、リベルトもまた慰めの言葉をかける。
しかし、エルナンドはその手を払うと、ゆっくりとリベルトの方を振り向いた。
「よしてよ。敗者には何も与えるな、だろ? あー、せっかくここまで上手く運んできたと思ったのに、また一から計画のやりなおしだよ」
「計画? それは何のことですか?」
その言葉に引っ掛かりを覚えたソフィアが、エルナンドに意図を尋ねる。
それに対し、エルナンドは一度微笑みを見せてから真剣な表情で話し始めた。
「そうだよ。本当に欲しかったのは、ラウレンティス家に匹敵する家名さ。ソフィア殿と良い仲になって、アルバレス家に婿養子に入ればかつての地位を取り戻せるかなって」
リベルトに話すのと同じように、砕けた調子で話すエルナンド。
どうやら彼にとっては、こちらの姿の方が自然体のようだ。
一方、エルナンドの告白を受けたソフィアは、微かに口元を震わせる。
「そのために私を……」
「そゆこと。でも、ちょっと焦っちゃったみたいだね。やっぱりこういうことは早々上手く行かないものだねぇ。まぁ、一つは収穫があったからいいけどね」
「収穫?」
今度はリベルトが疑問を投げかける。
すると、エルナンドは、二カッと笑ってから言葉を返した。
「うん。ソフィア殿とリベルト兄さん、超お似合いだなって! 国に帰ったら、どこに報告しよっかなーって」
「テメェ、さてはネタをどっかに売りつける気か!」
リベルトが思わず激高する。
独身のリベルトにとって、ソフィアとの仲をどこかに嗅ぎつけられてもスキャンダルになることは無い。
しかし、それでも騒ぎにはなるだろうし、ソフィアに大きな迷惑をかけることも十分に考えられる。
だからこそ、ソフィアとはこのハーパータウンの地でこっそりと会うようにしていたのだが、それを元の木阿弥にされては許せないというのも当然だった。
そんなリベルトに対し、エルナンドは口角を持ち上げながら冷静に言葉をぶつける。
「冗談だって。そんなことをしてもつまんないしね。それに、リベルト兄さんやラウレンティス家が困るのは見たいけど、ソフィア殿が困るのは見たくないしね」
「くっ……」
その食えない態度に、リベルトは思わずこめかみを押さえた。
すると、今度はエルナンドが真顔でこう告げる。
「リベルト兄さん、いろいろしがらみがあるのは分かるけどさ、ソフィア殿のことを本気で思ってるなら、早く身を固めなって」
「そ、それはそうなのだが、互いに事情というものが……」
助け船を求めるようにソフィアに視線を送るリベルト。
すると、その視線を追いかけるようにエルナンドもソフィアの方を振り向くと、そのまま横目でリベルトへと視線を戻し、声をかけた。
「あんまりグダグダしてると、俺がもう一度ソフィア殿にアタックしちゃうからね。ね、リベルト兄さんには届かないところもあるかもしれないけど、客観的に見たら俺もそんなに悪い男ではないでしょ?」
「そ、そんなこといわれましても……」
何て答えてよいか分からず、ソフィアは顔を真っ赤に染める。
しかし、その様子を意に介することなく、エルナンドは言葉を紡いだ。
「正直、最初は家名の大きさに引かれたのは間違いないです。でも、ソフィア殿といろんな話をして、仕事も一緒にさせてもらっているうちに、貴女の魅力に惹かれたのもまた本当の気持ちです。リベルト兄さんがあんまりふがいないようであれば、俺が貴女のことを浚いに来ますので、そのつもりで待っていてくださいね」
「お、お前……!」
従兄の想い人に対するものとは思えないエルナンドの言葉に、リベルトは絶句してしまう。
その様子を視界にとらえながら、エルナンドは半分残された赤いスープの皿を手に取った。
「そうならないように、リベルト兄さんもしっかりするんだよ。さて、俺はそろそろおじゃま虫だから帰ろうかな。お二人はどうぞごゆっくり」
そう言い残したエルナンドは、タクミに一礼をして部屋を後にする。
散々引っ掻き回された二人の間には、微妙な沈黙が漂っていた。
しばらくの間、柱時計の音がコチコチと鳴り響く。
やがて、その沈黙を破ったのは、この店の主タクミであった。
「それでは、お二人用のお食事を用意させて頂きますね。しばらく席を外しますので、お二方でどうぞごゆるりとお過ごしください」
その意味深な言葉に、二人は再び頬を赤く染めるのであった。
お読みいただきましてありがとうございました。
今回は更新が遅れに遅れてしまい、大変失礼いたしました。
エルナンドの設定については、登場当初からずーっと温めておいたものでした。
リベルトに対しては、憎しみと憧れがないまぜになっている感じですね。
ソフィアに対しては、自身の利益と目的のために仕掛けたつもりが、本気で惚れてしまったというやつです(笑)
それでは、引き続きご笑読いただけますようよろしくお願い申し上げます。