45 揺れる乙女心と涼を呼ぶスープ(2/3パート)
※第1パートからの続きです
「リベルト様! ど、どうしてこちらへ……」
珍しく取り乱した様子を見せながら、ソフィアが席を立ち上がる。
するとリベルトは、いったんソフィアの方へと視線を移しながら口を開いた。
「今日は面談の予定があったので、こちらの二階の個室をお借りしていたのだが……。なるほど、単なる偶然ではなさそうだな」
リベルトはそう言いながら、エルナンドをギッと睨み付ける。
その苦々しい表情は、普段のリベルトからは想像がつかないものだ。
一方のエルナンドは、口元に笑みが浮かべながらリベルトを見上げている。
そして、しばらく無言のまま上目づかいで視線を送った後、ゆっくりと席を立ち上がった。
「恋愛は自由に限る、いつも兄さんが言っていた言葉だよね?」
「えっ? お兄さん?」
エルナンドの言葉に驚いたソフィアが、首を何度も振りながら二人を見比べる。
確かに二人の佇まいや雰囲気は良く似ている。
こうして見比べてみれば、兄弟と言われるのも不思議ではなさそうだ。
しかしその言葉を受けたリベルトは、一層苦々しげに口元をゆがめる。
「お前に兄呼ばわりされるいわれはない」
「どうして? リベルト兄さんは自分から見て母の兄の子にあたるから、間違いなく従兄さんだよね? まぁ、一旦座ろうか。兄さんも、あんまり周りに注目されるとマズいだろうしね」
嬉々として話すエルナンドに対し、リベルトは一層鋭い視線を送りながらも渋々といった様子で椅子に腰かけた。
それに合わせてソフィアも腰を掛けると、俯き加減でこめかみを押さえながらリベルトとエルナンドの二人に声をかける。
「あまりに急な展開でまだ状況が呑みこめていませんわ。とりあえず、一つずつ説明してもらえるかしら?」
「では私から説明しよう。エルナンドの言う通り、私の父とエルナンドの母は血を分けた兄弟、つまり私とエルナンドは従兄弟にあたるということになる」
「そうでしたか。通りでお二人はよく似ていらっしゃると……。ということは、エルナンド様もアルバレス家に連なる方ということになるのでして?」
「ところが、そうではない……いや、そうではなくなったと言った方が正しいですね。母は自分が小さい頃に亡くなり、その後、父は政争に負けた挙句家名を剥奪。幼きエルナンドは貴族階級から一般庶民へと落とされたのです」
「そういった物言いは止めろと言ったはずだ。エルナンドの父は、交易上不正にかかわった罪で放逐された。母親が亡くなっていたこともあり、エルナンドもまた、アルバレス家の一員ではなくなったというのが正しいところだ。つまり、血縁上は従兄弟であるが、実際には家系としては認められてないという形となるな」
「そ、そうですか……。なかなか複雑な間柄なのですね……」
どう言葉を書けて良いか分からず、ソフィアが言葉を詰まらせる。
すると、エルナンドがいつもの朗らかな調子で話を続けた。
「そうでもないですよ。 まぁ、父のことはアレでしたけど、結局はそれも父の自業自得。おかげで自分は広い世界で見聞を得ることもできましたし、こうして二等航海士として自分の力で海を渡ることもできるようになりましたしね」
「……ご苦労されたのですね。心中お察し申し上げます」
「まぁ、大きな回り道もさせられましたし、正直大変な想いもいろいろとしましたけど、それでも今はいい経験だったと思います。持って生まれた才能はともかく、単に敷かれたレールに乗っているだけの人よりは仕事ができると思いますよ?」
エルナンドは口角を持ち上げながらリベルトへと視線を送る。
するとリベルトは、眉をピクリと動かしてから静かに口を開いた。
「いったい何が言いたい?」
「ソフィア殿のパートナーとしては、このエルナンドこそがふさわしいってことさ。ということで、リベルト兄さん、ここは自分から引いてもらえないかな?」
「えっ!?」
エルナンドの言葉に、ソフィアが大きく目を見開く。
その横から、今度はリベルトが、努めて感情を抑えるような低い声でエルナンドに言葉をぶつけた。
「ほう、しばらく会わないうちに随分と口だけは大きくなったようだな。しかし、その願いは聞き入れる訳には行かぬ。なぜなら、ソフィアは私が人生を共にするパートナーと決めているからな」
「リ、リベルト様までっ!?」
「でも、婚約もまだって話じゃん? そうしたら、リベルト兄さんのいう『恋愛は自由』に限るって範疇じゃないかな。確かにソフィア殿はリベルト兄さんのことを憎からず想ってはいるみたいだけど、でも、出会った順番が逆だったら分からなかったんじゃないかな? ソフィア殿、どうでしょう?」
「ほう、ソフィア殿、私に対する想いはその程度だったのか?」
二人から話しを振られ、しばらく黙りこむソフィア。
そもそも、従兄弟の間柄とは思えない程非常に良く似た二人だ。
エルナンドの言う通り、リベルトと出会うよりも早くエルナンドと会っていたら心惹かれていた可能性は否定できない。
しかし、実際にはそうではなかったわけだし、リベルトのことを親しく思う気持ちは本物だ。
少し間が空いたことで頭の中が整理されていく。
すると、徐々に心の中に言い知れないモヤモヤが湧いて出てきた。
しばしの沈黙の後、ソフィアがキッと二人を見据えながら言葉を発する。
「……知りませんわっ! エルナンド様、仮定の話をされても困ります! それに、リベルト様こそ私の気持ちをお疑いなのですかっ?」
「う……」「そ、それは……」
激しい剣幕を見せるソフィアに、たじたじとなる二人。
しかし、ソフィアの怒りは収まらない
「そもそも、お二人とも勘違いなさっていませんか? 私の人生のパートナーを選ぶのは、私自身ですわよ! お二方の気持ちは嬉しいですけど、勝手に決められても困りますっ!」
「ぐ……」「ぬ……」
至極真っ当な正論に、二人は二の句も告げない。
するとソフィアは、ふと思い出したようにリベルトに噛みつき始めた。
「そもそも、リベルト様があの時の『約束』を果たしてくれないから、なかなか先に進めないのではないですか! それとも、あの時の約束のこと、もうお忘れなのですか?」
「い、いや、もちろん忘れてはおらぬが……」
昔の証文を持ち出され、リベルトの額に汗がにじむ。
その雰囲気にふと引っ掛かりを覚えたエルナンドが、ソフィアに質問を投げかけた。
「ん? ソフィア殿とリベルト兄さんは何か『約束』をされていたのです?」
「ええ。リベルト様が『私を満足させてもらう料理』が出来たら、私の祖母から正式に交際を認めてもらえることになっているのですわ。リベルト様、いったいいつになったらその料理を作ってくれるのですか?」
「うぐ……。し、しかしここ最近は何かとあったし……」
「お怪我をされたときに、お料理を差し上げましたよね? あの時のお返しもまだ頂いてはおりませんわよ?」
ここぞとばかりに攻勢に出るソフィアに、リベルトは防戦一方の様子だ。
そして、そのやりとりを見ていたエルナンドは、ここがチャンスとばかりに二人の間に割って入る。
「なるほど、話は分かりました。ソフィア殿、もしよろしければ、そのチャレンジに私も加わらせてはもらえませんか?」
「えっ? と、いいますと?」
「ですから、私からソフィア殿に『料理』を差し上げる機会を頂戴したいと。そして、リベルト兄さんよりも先にソフィア殿を満足させることができれば、そのときはぜひ私と交際をさせて頂ければと存じます」
「ちょっと待て、それは体の良い割り込みではないか?」
提案を持ち出すエルナンドに、リベルトが即座に反論する。
しかし、エルナンドも負けずに言葉を返した。
「ソフィア殿の話を聞く限り、約束を果たせていないのはリベルト兄さんの方なんじゃないかな? 何もソフィア殿を無理やり奪い取ろうとしているわけではない。同じ土俵の上で正々堂々と戦う機会が欲しいと言っているだけさ」
「……確かにエルナンド様の言うことにも一理ありますわね」
「ソフィア殿!?」
ソフィアがぽつりとこぼした言葉に、リベルトが慌てて顔を振り向ける。
するとソフィアは、リベルトの目を真剣な眼差しで見つめた後、正面を向き直してから口を開いた。
「ではこうしましょう。ちょうど明日、この『ツバメ』でリベルト様と会食を行うこととなっておりますので、その場に私への『料理』をご用意ください。審査員は私自身、リベルト様とエルナンド様、私の心をより満足させて頂いた方を選ばせて頂きますわ。エルナンド様、これならよろしくて?」
「もちろん。むしろ貴重な機会を頂いて光栄です」
笑顔を浮かべるエルナンドに一つ相槌を打つと、ソフィアはもう一度リベルトの目をしっかりと見つめて声をかける。
「リベルト様も、あの時の約束を果たしていただけますわよね?」
「思わぬ形になってしまったが、これも私の不徳の致すところだな。こうなれば、あの時の約束、きっちりと果たさせて頂こう」
落ち着きを取り戻したリベルトが、大きく頷いてソフィアの言葉に応える。
その姿を見届けたソフィアが、口元に笑みを浮かべながら話を続けた。
「さて、そうなると、段取りだけしておかなければなりませんわね。あー、またタクミさんにご面倒をかけてしまいますわねぇ」
そうつぶやきながらホールにいたニャーチを手招きで呼び寄せると、タクミを呼んできてもらうように依頼する。
ほどなくして三人の下へやってきたタクミは、ソフィアからの説明に首を縦に振った。
「事情は分かりました。ご予約の時間帯であればご対応できるかと存じます。しかし、お二方の料理を比べるとなると何かテーマのようなものを決めておいた方がよろしいのではないでしょうか? 例えば、お一人がガレータを、もうお一人がパエージャを用意したとすると、この二つを比べるのはかなり大変かと存じますが……」
「言われてみればそうかもしれないわね。ありがとう。そうしたらテーマは……『暑い日でも食が進むようなもの』というのはいかがかしら? 実はこの暑さでちょっと夏バテ気味なのですわよね」
ソフィアは舌をペロッと出しながら、覗き込むようにして二人に視線を送る。
すると、二人は一瞬ドギマギした表情を見せつつも、そろって首肯した。
「じゃあ、これで決まりですわ。タクミさん、またご面倒をおかけして申し訳ないのですけど、よろしくお願いいたしますわ」
「かしこまりました。リベルト様もエルナンド様も、必要な用意がありましたらどうぞお申し付けください」
「ああ、済まぬがまた料理の指南をお願いしたい。エルナンドはどうする?」
「いや、自分は『ヴィオレッタ号』の料理長に頼むよ。これは勝負なんだし、お互いの手のうちが分かっても面白くないだろう?」
「それもそうだ。では、明日は容赦はせぬぞ?」
「リベルト兄さんこそ、せいぜい頑張ることだね」
早速火花を散らしあう二人。
その横では、どこかに憂いを帯びた表情を見せながら、ソフィアが視線を彷徨わせていた。
※第3パートへと続きます。更新は23日(土)22時頃となる予定です。