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45 揺れる乙女心と涼を呼ぶスープ(1/3パート)

 本日も当駅をご利用いただきまして誠にありがとうございます。この列車は当駅が終点となります。到着いたしました列車は車庫に入ります。お手荷物などお忘れ物がございませんよう、ご注意をお願いいたします。

 ―― なお、『ツバメ』の個室のご利用を希望されるお客様は、お早めにご予約いただけますようお願い申し上げます。

「では、この件はこれで双方合意を得たということで、よろしいですね?」


 『ヴィオレッタ号』の船室にて、エルナンドがテーブル越しに書面を差し出す。

 それを受け取ったのは一人の若き女性。

 派手さこそ押さえられているものの重厚な気品を醸し出している二等航海士の執務室の中で、ひと際雅やかさを輝かせているソフィアが、自分の手元の書面を差し出しながら、エルナンドからの書面を受け取った。


「確かに、結構ですわ。では、これで調印ということで」


 テーブルの上に備え付けらえていた万年筆にインクを含ませると、ソフィアは手慣れた調子でさらさらと書面にサインを施す。

 向かい側に座るエルナンドも手元に渡された書面にサインをすると、再度書面を交換してそれぞれにもう一度サインを書き入れた。


「これで良しと。いや、今回は素晴らしい成果を得ることができた。さすがは噂に名高い銀行家(バンカー)のソフィア殿、ご尽力誠に感謝する」


「こちらこそ、エルナンド様のおかげで大変よい取引を結ばせていただくことができましたわ。しかし、二等航海士であるエルナンド様が通商も担当されるというのは珍しいですわね」


「なあに、たまたまですよ。ところでソフィア殿、思いのほか早く調印手続きが終わりましたが、この後は何かご予定でも?」


「ええと、今日は夕方にこちらのビジネスパートナーと会食の予定が入っておりますが、まだしばらく時間がございますわ。でも、どうされまして?」


「そうか。では、もしよければこれから一軒お付き合い願えないだろうか?いや実は、こちらについてから大変気に入っている店があってな、ぜひソフィア殿をお連れしたいのだ」


「あら、そこまでご執心のお店を見つけられたとは、素晴らしいですわね。そういうお話なら構いませんわよ。ぜひご一緒させてくださいませ」


「ありがとう、では早速馬車を用意させる。少しお時間をいただきたい」


 エルナンドはにこっと微笑むと、壁に並んでいる伝声管の蓋を一つ開け、馬車を手配するよう指示を出す。


(こうしてみると、リベルト様とよく似ていらっしゃいますわね……)


 その凛々しい姿に想い人の面影を感じ取ったソフィアが、無意識のうちにエルナンドを目で追いかける。

 すると、その視線に気づいたエルナンドが、笑顔のまま振り向いた。


「ん? 何か?」


「い、いえ。失礼しましたわ。いや、こうしてみると、私の良く知る方とずいぶんと似ていらっしゃるなって。立ち振る舞いや仕草なんて、そっくりですわ」


「ふむ、それはソフィア殿の恋人……いや、それとも婚約者か何かかな?」


 おどけるようにしながらもエルナンドがぐいっと切り込む。

 すると、不意を突かれたソフィアの頬が赤く染まった。


「い、いえ、その、まだ婚約者というわけでは……」


「なるほど。すると、今のところは互いに想いあっているという段階とお見受けした。これほど素敵なソフィア殿に思われているとは、うらやましいものだ」


「まぁ、エルナンド様ったら。お世辞でもうれしいですわ」


「いやいや、お世辞でも何でもないぞ。美貌と才能を兼ね備えた新進気鋭の女性銀行家(バンカー)ソフィア・マリメイド殿とこうしてお近づきになれただけで、大変光栄なことだ。っと、馬車の用意ができたようだな。では、どうぞこちらへ」


 伝声管から聞こえてきた準備完了の声にエルナンドは一言返し、立ち上がろうとするソフィアにそっと手を差し伸べる。

 その優雅で気品あふれる仕草に柄にもなくドギマギしながら、ソフィアはその手にそっと自分の手を重ねた。




――――― 




「いらっしゃいませなのなっ! あ、ソフィアさんお久しぶりなのなーっ!」


 エルナンドに案内された店は、ソフィアもよく知る喫茶店『ツバメ』であった。

 店に入ると、ソフィアの姿に気づいたニャーチが、いつものように元気な声で出迎える。


「ニャーチちゃん、久しぶりねー。元気にしていらしたかしら?」


「ニャーチはいつも元気なのなっ!」


「おお、ソフィア殿もこの店はご存じだったのか」


 ニャーチと親しく話すソフィア姿の姿を見て、エルナンドが驚いた表情を見せる。

 するとソフィアが、エルナンドのほうを振り向いて種明かしを始めた。


「駅のほうへ馬車が向かっておりましたから、もしかしてとは思っていましたわ。ここのマスターであるタクミさんやニャーチちゃんには、以前から親しくさせていただいておりますわ」


「左様であったか。いや、驚かせようと思ってこちらの店に案内したのだが、どうやら驚かされたのは私の方だったようだな」


 どこか芝居がかった様子で、エルナンドが大げさなふるまいを見せる。

 その滑稽な姿に、ソフィアがくすくすと笑みをこぼした。

 すると、ちょうどそこにタクミがやってきた。

 馴染みのお客様二人の姿に、タクミが頭を下げる。


「これはソフィア様、お久しぶりでございます。そして、エルナンド様もようこそいらっしゃいました。お二人がご一緒とは、また珍しい取り合わせですね」


「ええ、お仕事の関係でエルナンド様に案内していただいたのですわ」


「素敵な女性をご案内するならこの『ツバメ』しかないと思って意気込んだのは良いのだが、ソフィア殿は私よりもこちらのことをよくご存じだったようだ。いやはや、格好つけようと思ってもうまくいかないものだな」


「そうでございましたか。っと、お席にご案内もせず失礼いたしました。今日はあいにく二階の個室が埋まっておりますので、一階のホールでのご案内となりますが、構いませんでしたでしょうか?」


「おお、そうか。いや、予約もせず立ち寄らせていただいたから仕方がない。私は構わぬのだが、ソフィア殿は一階でもよろしいかな?」


 エルナンドの言葉に、一瞬ためらいを見せるソフィア。

 というのも、エルナンドと二人でいるところに、万が一リベルトと遭遇したら少し気まずいと感じたからだ。

 二か月に一度の約束の日は明日、確か今日にはこのハーパータウンを訪れる予定だと聞いている。

 もし最終の列車でハーパータウンを訪れるのであれば、この『ツバメ』で一服することも十分に考えられた。

 

 とはいえ、ここまで来て無下に断ることも失礼にあたる。

 きっと大丈夫、あの方ならわかってくれると思い直したソフィアは、少しの間をあけてからエルナンドの申し出に首肯した。

 

「私も構いませんわ。それではお席にご案内いただけるかしら?」


「かしこまりました。じゃあニャーチ、お二人をあちらの席へ」


「はいなのなーっ。それでは、どうぞこちらへご案内なのなーっ」


 元気な声に二人は笑みを浮かべつつ、カウンター近くの窓側の席へと向かっていった。



―――――




「お待たせいたしました。 アイスコーヒーをお二つお持ちしました。それと、こちらは私から日ごろお世話になっているお二人へのお礼ということで」


 注文のアイスコーヒーを運んできたタクミは、二人の前に小さなガラスの鉢を並べる。 二人がそろってそれをのぞき込むと、その中には半透明の球状のものが二つ入っていた。

 表面がつややかに濡れたそれは見るからに涼しげで、そのうちの一つには何か橙色のものが、もう一つには淡い緑色のものが透けて見えている。

 その美しさに、エルナンドもソフィアもそろって息をのんだ。


「これはまた素晴らしい。食べるのが惜しいくらいだ」


「本当に、タクミさんの引き出しの奥深さにはいつ来ても驚かされますわ。今日のこちらはいったいどんなものなんでして?」


 エルナンドやソフィアからの賛辞に礼を示しつつ、タクミがこの涼やかな甘味について説明を始めた。


「こちらは『水まんじゅう』という菓子になります。周りの半透明のものは片栗粉に砂糖を加えて練り上げたものです。中に入っているのは橙色の方がマンゴーのピュレ、緑色の方はキビス(キウイ)を同じようにピュレにしたものです。冷やしてありますので、どうぞこのままお召し上がりください」


「ありがとう。では早速いただくとするか」


「そうですわね。タクミさん、いただきますわ」


「こちらこそ、いつもありがとうございます。それでは、どうぞごゆっくり」


 一礼をしてキッチンへと戻るタクミを見送りつつ、二人はスプーンを手に取る。

 エルナンドは一瞬手を止めてソフィアの手元へと視線を送ると、彼女が橙色の方にスプーンを差し入れるのを確認して、自身は緑色の方へとスプーンを動かした。

 

 その見た目からヘラティーナ(ゼリー)のようなものかとイメージしていたが、スプーンから伝わってくる感触は思いのほかしっかりしている。

 『プルン』というよりは『もっちり』とした、粘り気を感じるイメージだ。

 半分に割った水まんじゅうをスプーンに乗せた二人は、一瞬顔を上げて視線を交わしてから口元へと運んでいった。


「ほう!」「まぁ!」


 二人の口から感嘆の言葉が漏れ出る。

 口の中に含んだ水まんじゅうはどこまでも柔らかく、ねっとりと吸い付くような食感はなんとも艶めかしい。

 官能的な刺激は、とても心地よさを感じさせるものであった。

 そして味わいもなかなかに面白い。

 周りの部分ははんなりとした甘さ、それと対比するように中のピュレの甘酸っぱい味わいが口いっぱいに広がってくる。

 橙色のマンゴーのピュレからは夏の太陽の恵みがたっぷりと感じられ、緑色のキビスの爽やかな酸味は心をワクワクと弾ませるようだ。


 そして水まんじゅうが喉に通ると、心地よい冷たさがするーっと胃の中へと落ちていく。

 夏の日差しで火照った体を冷ましてくれるこの冷たさもまた、今の時期ならではのごちそうだ。


 うっとりとした表情を浮かべながら水まんじゅうを堪能するソフィア。

 その幸せそうな表情に、エルナンドもまた笑みを浮かべていた。


「本当に素敵だな」


「そうですわね。タクミさんの料理や菓子はいつも素晴らしいですが、今日は一際素晴らしいですわ」


「いやいや、そうではない。っと、もちろんタクミ殿の水まんじゅうも素晴らしいが、素敵なのは、貴女のその笑顔だ。美味しいものを頂いてそれだけ幸せな表情が出来るのは、ソフィア殿と伴に過ごすものも幸せにしてくれるであろうよ」


「あらやだ、またお世辞でして? でも、そう言っていただけるのは嬉しいですわ」


「お世辞ではないぞ。もし心に決めた相手がいないのなら、ぜひともパートナーとして立候補したいくらいだ」


 朗らかに笑うエルナンドを前に、ソフィアは頬が赤く染まるのを感じていた。

 今はリベルトのことを想ってはいるとはいえ、このようにストレートに好意を寄せられて悪い気はしない。

 もし、リベルトよりも先にエルナンドに会っていたら、彼の方に心惹かれていたかもしれない……、そんなことを想いつつ、火照った頬を冷まそうとアイスコーヒーを一口飲んでから言葉を返した。

 

「ありがとうございますわ。エルナンド様のような素敵な方にお褒め頂けて、本当にうれしいですわ」


「いやいや、私は割と本気だぞ? もし本当に婚約前であれば、今からでもパートナーの候補として名乗り出たい。一歩先んじられていることは承知の上だが、出来れば私にもチャンスを頂きたい。ソフィア殿、いかがだろうか?」


 先ほどまでと打って変わって、エルナンドの表情は真剣そのものだ。

 その鋭い視線から、彼の情熱がぐんぐんと伝わってきた。


 エルナンドの余りの迫力に、ソフィアは返す言葉を失ってしまう。

 すると、ソフィアの背後から、聞き覚えのある、しかしながら低く圧力を感じさせる男性の声が聞こえてきた。


「ほう、それは私に対する宣戦布告ととらえても良いかな?」


「リ、リベルト様っ!」


 慌てて振り返ったソフィアの目に捉えられたのは、鋭く睨み付けるリベルトの姿であった。


※第2パートへと続きます。更新は20日(水)22時頃になる予定です。

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