9 新聞売りの少年とサンドイッチ
乗客の皆様、長時間のご旅行お疲れ様でした。この列車は当駅が終点となります。改札口にて乗車券を拝見いたします。到着いたしました列車は、整備点検の上、折り返し、ウッドフォード行き2番列車となります。お手荷物などお忘れ物がございませんよう、ご注意をお願いいたします。
――― なお、お荷物をお受け取りの方は駅係員までお申し付けください。
「こんちわーっす!今日もよろしくお願いしまーすっ!」
ランチ営業の準備が進められている喫茶店『ツバメ』のキッチンに、ひときわ元気のよい声が響いた。声の主は裏口から入ってきたのは狐耳が生えた金髪の少年 ―― フィデルだ。ランチに使うサナオリアの皮むきを続けていたロランドが苦々しい表情で声をかける。
「いっつもお前はうるさいんだよっ! もう少し静かに入ってこれねぇのか!」
「新聞売りは元気が取りえってねっ!てか、お前こそ手を止めてるとまずいんじゃねぇか?」
ロランドの悪態に、フィデルも負けずに言い返す。お互いに歯をイーッと見せ、今にも取っ組み合いそうな雰囲気だ。タクミがやんわりと間に入る。
「二人とも。元気が良いのはいいのですが、ホールまで聞こえてしまいますよ。フィデルさん、今日もミルクを飲んで行かれますか?」
「あざーっす!ありがたくいただきますですっ!」
フィデルはタクミに深々とお辞儀をしつつ、恭しくミルク受け取る。その姿が勘に触ったのか、ロランドは小声でブツブツと言い始めた。
「ったく、今更ミルク呑んだって背は伸びないって・・・・」
「んだとぉ!デカウサギ!」
「なんだ、チビキツネの癖に生意気なんだよぉ!」
再びキッチンが険悪な空気に包まれるが、すかさずタクミがたしなめる。
「はいはい、そこまでにしておきましょうね。ほら、ロランド、よそ見をしていると怪我してしまいますよ」
タクミの指摘に、ロランドは慌てて手元を見る。焦った様子が楽しかったのか、フィデルはケタケタと笑っている。
「ほら、フィデルさんも、早く昨日の分の精算を済ませないと、列車が来てしまいますよ。ちゃんと準備しておかないと怒られるんじゃないですか?」
「っと、失礼しました!じゃあ、いつものようにお願いしますですっ!」
フィデルは一通の書類をタクミに渡す。“注文書”と書かれたその書類には、今日仕入れる予定の新聞の種類と部数、それぞれの金額が書き込まれていた。タクミは、書類の内容をもう一度確認し、金額を合計する。
「今日の注文は全部で80部、1120ペスタですね。では、お預かりしてもよろしいですか?」
「もちろんっす!」
フィデルは、懐から袋を取り出し、中身のお金をジャラジャラと取り出していく。ほとんどが銅貨で紙幣はほんのわずかしか入っていない。タクミは、フィデルから100ペスタ紙幣3枚と、50ペスタ相当の白銅貨を6枚、そして520ペスタ分に相当する大量の銅貨を受け取ると、もう一度勘定に間違いがないか確認する。そして、手元に用意してあった100ペスタ紙幣よりやや大きめの横長の用紙が綴られた手形帳を開き、その一枚に金額とサインを書き入れたうえで、半券を切り離した。
「はい、1120ペスタ、確かにお預かりしました。受け取りの際に、こちらの為替手形を引き換えにお渡しくださいませ」
「ありがとうございますっ!じゃあ、先にホームに行かせてもらいます!」
タクミが為替手形をフィデルへと渡すと、フィデルは一礼をした後、一目散に裏口からホームへと向かっていった。その後ろ姿に、ロランドが三度悪態をつく。
「おー、もう来なくてもいいぞーっ!」
遠くから、やなこったー!という声が聞こえてくる。そんな二人のやりとりを微笑ましく見守っていたタクミは、フィデルから預かったお金を管理用の手提げ金庫に片付けると、ロランドに声を掛ける。
「さて、もう少し仕込みを続けますよ。ロランドも、フィデルに負けてられないですよね?」
「あんなヤツに負けっこないですよ!サナオリア終わりましたっ!次、お願いしますっ!」
「はいはい、じゃあ、そろそろパタータが茹であがるので、つぶしてもらいましょうか。火傷にはくれぐれも気を付けてくださいね」
「分かってるっす!じゃあ、滑らかに仕上げて置くっす!」
時計の針は間もなく11時となり、そろそろ到着列車を迎える準備を始める時間になっていた。タクミは、最初に比べると随分と頼もしくなったロランドの作業ぶりを確認し、じゃあ、あとはよろしくお願いしますね、と声をかけて、手提げ金庫を持って改札口へと向かっていった。
◇ ◇ ◇
「ん、今日もおいしいのなのなっ!ロランドくんもメキメキ腕を上げて来てるのなっ!」
ランチ営業の合間に賄いを頬張るニャーチは、ネコ耳をピクピクと揺らしながら満足そうに笑顔を見せる。普段の賄いはランチの一部を流用することが多いのだが、最近は料理の練習を兼ねて、時々ロランドに作らせていた。今日の賄いは、軽くトーストしたコーンブレッドに、薄く切ってカリカリに焼いた燻製肉と、細かくちぎったレチューガと、それにトマトのスライスを挟んだサンドイッチだ。
「ニャーチさん、ありがとうございますっす!」
やや緊張した面持ちだったロランドだが、ニャーチの言葉にほっと安堵の表情を見せる。自分の作業が終わったタクミもサンドイッチに手を伸ばし、うんうん、とうなずく。
「ベーコン…燻製肉もちゃんと焦がさないようにカリカリに仕上がっていますし、全体のバランスもいいですね。ブレッドを軽くトーストしたのは?」
「その方がサクサク感と香ばしさが出るかと思って……もしかして、ダメっすか?」
ロランドがタクミを不安そうに覗きこむ。
「いえいえ、いい工夫です。ただ、トーストした方がいいかどうかは、中に挟む食材との相性もありますので、これからもいろいろ試していきましょう」
「了解っす!」
ロランドはいつものように元気な返事で応える。その言葉の中には、料理ができること、料理をおいしいと言ってもらえることの喜びが満ち溢れているようであった。タクミは、自分もそういう時期があったなぁ…と少しだけ過去を思い出しつつ、ロランドに一つの“仕事”を任せてみようと考えた。
「ニャーチ、今日の賄いの出来なら、ロランドの料理もお客様に出せると思うかい?」
「うーん、まだ少し荒削りのところもあるけど、問題ないとおもうにゃっ。 あ、もしかして例の件のことにゃ?」
「ええ、あの注文、この際ロランドに任せてみようと思いまして」
「それはとってもいいアイデアなのにゃっ!」
二人の会話の中身が見えないロランドは、目にはてなマークを浮かべながら二人の会話を見守る。その様子に気づいたタクミが、ロランドに声をかける。
「ああ、すいません。話が全然見えませんでしたね。いや、ロランド、君に一つ仕事を任せようと思います」
「へ?な、なんでしょう?」
まだ話が見えてないロランドが、タクミを食い入るように見つめる。
「実は、とある方から、ある程度まとまった数のランチをテイクアウトできないかという相談を受けていました。これまでも、時々なら注文も受けられていましたが、ランチ営業の準備もありますし、毎日となると手が回りきるかどうか不安でしたので、少し待ってもらっていたのです」
タクミの言葉に、ロランドはふんふんと頷く。タクミは言葉を続ける。
「でも、ロランドの最近の仕事ぶりは目覚ましいものがあります。ランチの準備もスムーズになって余裕がでてきました。それに、今日の賄い一つとっても、十分お客様にお出しできるレベルまできています。ということで、この注文、ロランドが中心になって受けてほしいと思っているのですが、いかがでしょうか?」
ロランドは、目を見開き、耳をピーンと立てて全身で驚きを表していた。そして、急に降ってきた大きな仕事に、不安を隠せないでいた。
「お、オレなんかで大丈夫っすか?」
「出来ると思わなければ、お話はしていませんよ。ただ、今までのランチの仕込み作業が減るわけではありませんから、相当大変なことは確かです。段取りも少し見直した方がいいでしょうし、場合によってはここで働いてもらう時間を少し伸ばしてもらうことにもなるかもしれません。ま、それでも何とかなるとは思っていますけどね」
タクミは、いつものようなにこやかな表情でロランドに優しく語りかける。ロランドは、しばらく俯いて逡巡していたが、ようやく意を決して、タクミをまっすぐに見据えて決意を表した。
「……やらせてくださいっ!オレ、頑張るっす!ご指導よろしくお願いしますっす!」
「もちろん、お客様に出す以上、今まで以上に厳しくいきますからね」
「試食なら任せてなのなっ!ロランドくん、美味しいものいっぱい作ってなのにゃっ」
ニャーチの呑気な言葉に、タクミもロランドも一気に緊張が解けてしまい、キッチン中が笑いに包まれた。タクミは、ニャーチの頭をポンポンと撫でると、さて、もう一息頑張りましょうと声をかけ、作業へと戻っていった。
◇ ◇ ◇
数日後、ロランドはいつもより30分早く『ツバメ』へと駆けつけた。今日はいよいよテイクアウトメニューを試作し、“注文主”に試食してもらう日 ―― ロランドにとっては初めて『お客様』に自分の料理を食べてもらう日だ。ロランドは、タクミから任された最初の仕事であるオーブンストーブの火入れを済ませると、カフェエプロンを纏い、入念に手を洗う。ほどなく、駅舎の業務を終えたタクミがキッチンへと戻ってきた。
「おはようございますっす! オーブンの準備、オッケーっす!」
「はい、おはようございます。じゃあ、先に下ごしらえを済ませて、そのあとサンドイッチづくりを始めましょう」
「了解っす!」
タクミとロランドは、段取り良くランチの下ごしらえの作業を進めていく。二人で相談した結果、ロランドがこれまでより30分早く来ることで、新しいテイクアウトの注文に対応していくこととしていた。また、テイクアウト分のレシピは前日に決めておくこと、それと材料も出来るだけランチメニューに合わせることで、手間を減らす作戦であった。
ロランドが野菜類を中心とした食材の下ごしらえを進め、それと並行してタクミがメイン料理の仕込みやスープの仕上げを進めていく。キッチンの中が、スープや香辛料の良い香りで満たされていく。それに釣られるかのように、フィデルが裏口から現れた。
「こんちわーっす!今日はえらい早くから仕込んでるんっすね。こんな匂いを嗅がされたらお腹空いちゃいますよ」
フィデルは鼻をヒクヒクとさせて、キッチンの香りを堪能する。香りにつられたのか、フィデルのお腹からぐぅという音が鳴り響いた。
「今日から早めの仕込みになりました。ここじゃバタバタしますから、駅舎の方で手続きという形でもよろしいですか?」
「もちろんです!こっちだと、お腹がすきすぎて、あそこのデカウサギを食べてしまいそうです!」
ロランドから、何だとーっ!という声が返されるが、フィデルが気に留めている様子はない。タクミは、ロランドに声を掛ける。
「じゃあ、このまま改札業務の準備になるでしょうから、こちらはお任せしますね。下ごしらえが終わったら、あっちの準備もよろしくお願いします」
「了解っす! そっちのチビキツネもとっとと連れてってくださいっす!」
相変わらずイーッといがみ合うロランドとフィデル、そんな二人の様子をやれやれと見守りつつ、タクミはフィデルを連れて駅舎へと向かっていった。
キッチンに一人残されたロランドは、下ごしらえの残り作業を手早く終えて、いよいよ『お客様への料理』にとりかかった。今日は試食ということで1食分のみだ。初めて自分が一から作った料理を“お客様”に食べてもらう…そう思うと、緊張で身体が震えてしまう。ロランドは、手にしていた包丁をいったんまな板の上に置くと、ふぅと大きく深呼吸し、気持ちを落ち着かせて、調理へと取り掛かった。
(よっし! いっちょやるっすか!)
ロランドは、真っ赤なピミエントをまな板の上に置き、種ごと刻んでいく。次に、小さなボウルを用意し、その中へ、赤ワイン、砂糖、はちみつ、塩、ヘンヒブレの根を摩り下ろしたもの、そして先ほどのピミエントのみじん切りを投入し、さらに、自家製のケチャップソースを加えてよく混ぜる。混ぜたソースを一滴だけ手の甲に乗せてペロッと舐めてみると、はちみつと砂糖の甘さとケチャップのコクのある味わいに、ピリリとしたピミエントの刺激的な辛みが加わっている。火入れしていないためアルコールの風味が強めではあるものの、ロランドが狙った通りの味に仕上がっていた。
(うん、ソースはこれでヨシッと。次はこっちの番だなっ)
続いてロランドは、ロケットストーブに火をくべる。その上に鉄製のフライパンを載せ、適度に温まったところで、豚の脂身の部分を塗りつけるようにして油をなじませる。そして、薄くスライスして下味をなじませておいた豚肉にアロース粉とトウモロコシ粉を合わせた粉を全体に広がるようにまぶし、フライパンに並べていく。フライパンの中からパチパチと弾けるような音が響き、粉を振った豚肉がこんがりとキツネ色になっていく。
(よし、これくらいかな)
ロランドは、両面にしっかりと焼き色がついたことを確認すると、先ほど作っておいたソースを勢いよくフライパンの中へ投入する。フライパンからはジュワァーという音とともに湯気が一気に立ち上り、辺り一面が香ばしい香りに包まれる。ロランドは、トングで肉をひっくり返しながら煮詰まっていくソースをたっぷり絡め、バットの上へと引き上げた。
(後は最後の仕上げっと♪)
ロランドは、コーンブレッドをまな板の上に置き、指一本分ぐらいの厚みで2枚分スライスする。そして、オーブンストーブのグリルに短時間だけ入れて軽くトーストし、一枚をまな板の上に置く。少し焦げ目がついて香ばしい香りを漂わせるブレッドの上には、ちぎって水気を切った淡い緑のレチューガとスライスして水にさらし辛みを抜いた白いセボーリャを載せ、さらにその上に少しだけ厚みを持たせてスライスした真っ赤なトマトを重ねる。そして、先ほど焼き上げた豚肉をブレッドの幅に収まるように切り分け、もう一度ソースを絡め合わせてから、トマトの上で重ね合せるように並べる。最後にもう一枚スライスしておいたブレッドを載せてから手で軽く抑え、全体を少しだけ圧縮しながらなじませる。
(さて、うまくいったかな……)
ロランドは、緊張した面持ちで包丁を掴む。上手くできていなかったらどうしよう……そんな不安が頭をよぎる。出来上がったサンドイッチの真ん中に当てた包丁の先は、プルプルと震えていた。それでも、意を決してサンドイッチを切り分けると、肉・トマト・レポーリャといった具材がきれいに積層され、美しい断面をのぞかせていた。
「うん、うまくできたようですね」
「うぉっ!タクミさんっ!!!」
いつのまにかキッチンに帰ってきていたタクミからの呼び声に、ロランドはびっくりして振り返った。その横には、普段であれば既に新聞売りに出かけているはずのフィデルの姿があった。ロランドは、何でコイツがここに残っているのか不思議に感じたが、それよりも、今は完成した料理が合格点をもらえるかどうかで頭がいっぱいだった。 そんなロランドに対し、タクミはねぎらいの言葉をかける。
「これで問題なさそうですね。じゃあ、こちらを…はい、フィデルさん。ご注文の品のサンプルです。あちらで召し上がっていってくださいませ」
「「えっ!!!」」
今度はロランドとフィデルの二人ともが驚きの声を上げる。そんな二人の息の合った様子を、タクミは微笑ましく見つめていた。
◇ ◇ ◇
「まぁ、見栄えだけは大丈夫そうだな。でも、問題は味だからなぁ……」
フィデルは、キッチン脇のテーブルに着くと、ロランドが丹精を込めて作り上げた“照り焼き風ポークソテーのサンドイッチ”に手を伸ばす。ロランドは、間もなく始まるランチ営業の準備を進めながらも、やはり、味の感想が気になるようで、フィデルの方をチラチラと見ていた。
(いや、でも、本当に旨そうな香りだぞ。アイツ、こんなの作れるのか……)
肉に絡んでいるソースからは香ばしさを含んだ芳醇な香りが漂い、鼻孔からフィデルの食欲を刺激していた。フィデルは、小声で食前の祈りをささげた後、一口目をがぶりと頬張る。軽くトーストされたブレッドの表面はさっくりとした歯ごたえだが、その中はふわっとした食感、そしてさらにレチューガのシャキッとした歯触りも加わっていく。咀嚼を繰り返すたびに様々なリズムが口の中に広がり、フィデルの心を躍らせいた。
そして、味わいの方も抜群だった。やや濃いめに仕上げられた甘辛いソースの味わいが、焼き上げられた肉の旨みを存分に引き出している。そして、重くなりそうな口の中を、トマトの酸味とレチューガとセボーリョの瑞々しさがさっぱりと洗い流してくれる。あふれるぐらいに挟まれた豚肉のおかげで、食べごたえも十分だった。
ロランドが作ったと知ったフィデルは、食べる前まではちょっとでも気に入らなければ突き返してやろうと考えていた。しかし、一口食べた瞬間にそんな考えはどこかに飛んでいた。フィデルは、飲み物にも手を付けず黙々と頬張っていき、皿の上はあっという間に空になった。
「………ど、どうだった?」
フィデルの傍には、デカウサギことロランドがいつの間にか近づいて来ていた。フィデルがふと顔を上げると、声を掛けてきたロランドはすっかり身を縮め、見たことがないような落ち着きのない表情を見せていた。いつも小うるさいフィデルがあまりに静かに黙々と“自分のサンドイッチ”を食べ進めていたので、ロランドは不安で仕方がなかったのだ。
一方のフィデルも、あまりの驚きにロランドには見せたことがない態度で本音を漏らした。
「…………う、美味かったよ」
「…………そ、そか! あ、ありがとう。こ、これなら商品になるかな?」
「…………なるん、じゃ、ない、かな?というか、これで、う、売れなかったら…、俺の売り方が悪いせいだろうな…」
いつもいがみ合っていた二人が、本音と本音をぎこちなくぶつけ合う。不器用な二人は、しばらくたどたどしく言葉を交わし ――― ようやく緊張が解けたところでいつもの調子に戻った。
「って、どうせこの料理、タクミさんが考えたのをなぞって作っただけなんだろ? 旨いのも当然だっ!」
「ってめぇ!確かにアドバイスはもらったけど、ある程度自分で考えたんだよっ! それに、どっちにしろ、美味い美味いって食ってたじゃねぇか!」
「へーん、まぁ、美味かったさ、ああ、美味かったさ! ただ、この次、明日の本番の10食分もちゃんと作ってくれよなっ!」
「じゃあ、テメェの分も一つ余分につくっておいてやるさっ! あんまり旨すぎて売る前に全部くっちまうんじゃねぇぞ!」
「はーい、そこまでー。じゃあ、フィデルさん、さすがにそろそろ新聞売りに出かけられる時間ではないでしょうか? ロランドはランチの盛り付けの続き、おねがいしますね」
タクミは、放っておけばいつまでも続けていそうな二人のやりとりに割って入り、ほんの少しだけたしなめる。フィデルは時計をみると、慌ててハンチング帽を掴んで、裏口から飛び出そうとする。タクミは、そんなフィデルの後ろから大声で呼びかけた。
「そうそう、明日は10食分のご注文ということでよろしいでしょうか?」
「オッケーでーす! ロランド、これからずっとお前に任せるからなー!」
フィデルは大きな声だけを残して、裏口の扉から飛び出していった。ロランドは、 フィデルの言葉に驚きつつ、自分の料理が認められた喜びでいっぱいだった。そんな浮かれたロランドを、タクミは冷静に現実世界へと引き戻す。
「ほらほら、どこにスープを盛り付ける気ですか? まだランチは始まったばかり、気を引き締めていきましょうね」
タクミの言葉にロランドが慌てて手元を見返すと、レードルで掬ったスープが一滴も器に入らず鍋の中へ戻って行っていた。ロランドは、首をぶるるっと振ってもう一度気を引き締めようとするが、やはりどこかにやついた表情になってしまう。まぁ、今日のところは仕方がないか……タクミは、かつて自分が通った道を思い出しながら、ロランドが今日の営業中に怪我だけはしないように良く見ていようと、心に誓ったのだった。




