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8 駆け込みのお二人様とアツアツごはん

本日も当駅をご利用いただきまして誠にありがとうございます。本日の最終列車は、この後16時30分の出発予定です。改札は、出発の10分前を予定しておりますので、ご乗車のお客様は、改札口横にございます待合室にてお待ちください。

―――なお、本日は悪天候のため、列車の発着が遅れたり、運行を中止する可能性がございます。ご迷惑をおかけいたしますが、ご容赦のほど何卒よろしくお願い申し上げます。


「本日は大変申し訳ございませんでした。またのご利用をお待ちしております」


 普段であれば、この駅を出発する最終列車の改札が始まる頃、タクミは行列を作るお客様に一人ずつお詫びをしながら、頭を下げ続けていた。朝から季節外れの大嵐に見舞われたローゼス・ハーパー線は運行が大幅に乱れていた。そして16時に差し掛かる頃、途中の河川増水や暴風により列車運行に危険が生じる恐れが高まったことから、本日中の全ての列車の運行を打ち切ることが緊急電信にて通知された。駅長代理であるタクミは、その連絡を受けると、すぐさま改札をクローズし、払い戻しや翌日以降の便への振替などの対応を始めていた。


 昼の時点で列車の出発が不透明だったことから、タクミは、乗車予定だった人たちを駅舎の喫茶店『ツバメ』に案内していた。運休決定を伝えるタクミの説明に、待機していた乗客たちから残念そうな声が上がったものの、誰もが本日の運休を覚悟していたのか、この天候では仕方がないといった感じで理解を示していた。


「今日はごめんなさいなのな。こちらはマスターからのサービスなのにゃ」


「ああ、ありがとう。まぁ、この天気では仕方がないことだね」


「そうなのな。このまま無理に列車が走っても、危険が危ないなのなっ。あ、お代わりが必要な時は遠慮なく声をかけてくださいなのなっ」


 タクミの指示で、ニャーチは手続きの順番や迎えを待つお客様にコーヒーを振る舞っていた。コーヒーには一枚の焼き菓子 ―― 甘いクッキーが添えられていた。トウモロコシの粉とコメ粉、卵黄、砂糖、バターなどを混ぜて作られた柔らかい生地を、スプーンで一枚ずつ天板の上に薄く広げ、中温に温められたオーブンでじっくりと焼き上げたものだ。クッキーはさっくりとした仕上がりであり、たっぷりと入れられた砂糖とバター、それに卵黄がコクのある甘みを演出していた。


「ん、これ旨いな。ささくれ立った心が癒される甘さだ」


 ニャーチから受け取ったクッキーを口の中に放り込んだ男性客が、思わず感嘆の言葉を漏らす。


「ありがとうございますなのなっ。お昼の間にマスターが仕込んでおいたのなっ」


「へぇ、随分気が回るもんだねぇ」


「さすがにこの天候では、ランチ営業も落ち着いていましたしね。もし宜しければこちらもどうぞ」


 払い戻し等の対応が一段落したタクミが、男性客に声をかけながら小さな包みを渡す。男性客が興味深そうに包みを開くと、一口サイズに小さくに焼き上げられた菓子 ―― クッキーが詰められていた。タクミの計らいに、男性客は笑顔で応える。


「まぁ、列車が出なかったのは残念だが、逆にいい手土産が出来たさ。じゃ、もう少しゆっくり待たせ貰おうとするかな」


「こちらでよろしければぜひ。コーヒーのお代わりが必要であれば、あちらのスタッフにお申し付けください」


 タクミは男性客に一礼をすると、最終列車に乗車予定だったお客様が残っていないかを確認するため、駅舎の改札口へと戻る。普段であれば間もなく列車が出発する時間だ。まだ手続きされていないお客様が残っていなければ改札側はいったん区切りとしよう……タクミがそう思って待合室となっている喫茶店へと戻ろうとしたとき、駅舎の玄関からバシャバシャと雨の中を走ってくる足音が聞こえてきた。そちらを見ると、視界が霞む程の強い雨の中、カップルのお客様が傘も差さずに駅舎へと駆け込んできた。二人のうちの男性が、タクミの姿を見つけるとすぐに声をかけてきた。


「すいません!列車に二人乗せてください!三等車でいいです!ふ、二人分お願いできませんか?」


 慌てた調子でまくしたてる男性の片手には大き目のボストンバッグが握られ、もう片手は同行する女性の手をしっかりと握っていた。女性も、右手で男性の手を握り返し、左手には男性のものよりはやや小ぶりながらもしっかりとした旅行鞄を手にしていた。何かしらの事情があることは、タクミの目にも一目瞭然であった。しかし、今の状況では……、タクミはホームへと振り返り、もう一度空から激しく振りつける雨を見つめてから、ゆっくりと口を開いた。


「お客様、大変申し訳ございません。本日はこのような荒天のため、列車運行の安全確保が難しい状況です。このため、本日の最終列車は、運転取り止めとなってしまいました」


 タクミが二人の意には沿わない現実を告げた瞬間、ドスンという音が響いた。呆然となった男性が手にしていたカバンを落としたのだ。男性は、思わずタクミに詰め寄る。


「どうしても!どうしても今日じゃないとダメなんです! 何で、何で列車が出ないのですか!!!」


 タクミは、詰め寄って肩をつかんできた男性客の手にそっと手を置き、静かに言葉を返した。


「本当に申し訳ございません。ただ、この天候では、もし無理に列車を運行しても乗客の皆様を危険にさらしてしまいます。私どもはお客様を無事安全に目的の駅までお送りするのが務めです。万が一にも、お客様の身の危険を与えるような無理はできないこと、ご理解いただけませんでしょうか?」


 タクミの正しい言葉に、男性は反論できない。男性は、タクミの肩を掴んだままうつむき、歯を食いしばる。先ほどまで手を取り合っていた女性は、いつしかその場に座り込み、嗚咽を漏らしていた。駅舎に降り注ぐ雨はさらに激しさを増し、ゴーッという滝のような雨音が辺りを包んでいた。






◇  ◇  ◇






「申し訳ございません、あれだけ取り乱したというのに、こんなにお世話になってしまいまして……」


 タクミは、先ほどの二人連れのお客様を2階の部屋へと案内し、すっかり濡れてしまった服を着替えさせた。喫茶店にて待機していた他の乗客たちは乗合馬車に分乗して帰路に着き、店にはこの二人だけが残された。二人は、タクミから差し出された大きなタオルで濡れた髪を拭き、鞄の中に持っていた衣服(かろうじて濡れていなかったものがあった)に着替え、下へと降りて来た。


「いえいえ、困ったときはお互い様です。身体もすっかり冷えてしまっているでしょうから、コーヒーで暖まってくださいませ」


 タクミは、着替えて降りてきた二人をテーブル席へと招き、あらかじめ温めておいたシナモン・コーヒーを差し出した。先ほどよりも少しラフな格好に着替えた二人を見て、思った以上に若いのかもしれないとタクミは感じた。作業服風の青い上着を羽織った男性は、青年というにはどこかにまだあどけなさが残る顔つきをしていた。女性も、ゆったりとしたハイウエストのロングワンピースの装いに着替えたためか、先ほどまでの印象よりも幼さを感じさせていた。


「ところで、お客様はこの後どうされますか?ご帰宅されるのでしたら、もう一度乗合馬車を手配いたしますが……」


 タクミが二人に優しく話しかけると、二人はしばらく無言でじっと見つめ合う。そして、まずは男性の方が、ポツリ、ポツリとタクミに言葉を返し始めた。


「実は……私たち……帰るわけにはいかないんです……」


続いて女性も言葉を続ける。


「そうなんです。もし帰ったら……、私たち……、もう、一緒には……いられないんです……」


二人とも、まるで人生が終わってしまうかのように深刻な表情を見せている。タクミは、二人が言葉を続けるのを静かに待つ。再び沈黙の時間が訪れる。―――やがて、男性の方が、意を決したかのようにタクミを見据え、言葉を発した。


「こんなことを言えばとてもご迷惑かと思いますが……、明日の始発列車が出発するまでここで待たせてもらえませんでしょうか?軒先か…いっそ駅のホームのベンチでも構いません! どうか、どうかお願いできませんでしょうか?」


 女性も、男性の言葉に合わせるかのようにじっとタクミを見据える。二人から真剣な表情で見つめられたタクミは、しばしの逡巡の後、微笑みながらこう答えた。


「かしこまりました。二階には空いている部屋がございますから、そちらにお泊り頂けるよう準備させていただきます。よければ食事もご一緒にいかがですか?」


「本当ですか!ありがとうございます!!」


 タクミの言葉に、二人から喜びに満ちた返事が返ってきた。若い二人は互いに見つめ合い、手を取り合って嬉しさを表していた。その様子をタクミがしばらく見つめていると、視線に気づいたのか、二人はやや慌てた様子で体裁を取り繕って、タクミに挨拶を始めた。


「っと、そういえばきちんとご挨拶もしておりませんでした。大変失礼いたしました。私の名はセリオ、こちらは…」


「エマと申します。本当にご無理なお願いを聞き届けて頂き、ありがとうございます」


 二人の息があった挨拶に若いことの素晴らしさを感じ取りつつ、タクミも改めて挨拶を返す。


「駅長代理兼喫茶店の店主のタクミです。困った時はお互い様ですから、遠慮なくお泊りください。そうそう、夜の食事もご用意させて頂こうかと存じますが、何か苦手なものはございますか?」


「そうですねぇ…いや、特には大丈夫です。エマも苦手なものはなかったよな?」


「ええ、私も大丈夫です」


「かしこまりました。それでは、簡単な料理になってしまうかと存じますが、夕食も準備させていただきますので、それまでどうかお部屋でお寛ぎくださいませ。おーい、ニャーチ、手が空いたらお客様を上の部屋に案内してもらえるかい?」


 タクミがカウンター周りの掃除をしていたニャーチにも声をかけると、いつものような元気のいい声が返ってきた。


「かしこまりなのなーっ!お風呂も用意した方がいいかにゃっ?」


「そうだね。じゃあ、お願いできるかな?」


「あいあいさーなのにゃっ! じゃあ、まずはお部屋へお二名様をご案内なのなーっ。お荷物もお預かりしますなのなっ!」


「ニャーチさんと仰るのですね。エマと申します。今日はお世話になりますけど、仲良くしてくださいね」


「もちろんなのなっ!こちらこそ、よろしくなのなっ!」


 ニャーチとエマは、荷物のやりとりを通じてすぐに打ち解けたようだ。それを横目に見ながら、セリオが少し身を縮めながらタクミに話しかけてきた。


「本当に何から何までお世話になって本当に恐縮です。では、一晩お世話になりますが、よろしくお願いいたします」


「ご自宅のように…とはいかないかもしれませんが、ぜひごゆっくり寛いでくださいませ。では、また後程」


 タクミは、セリオの気持ちをほぐすように穏やかに言葉を返しつつ、厨房へと入っていった。窓越しに見える外の雨は、少し落ち着いてきているようであった。






◇  ◇  ◇






 タクミは、いつものように黒のカフェエプロンを腰に巻くと、4名分の夕食の用意に取り掛かる。営業時間外とはいえ食事をお出しする相手は“お客様”に変わりはない。であれば、普段のような適当な賄いではなく『ちゃんとした料理』を出してあげたいとタクミは考えていた。


(問題は、材料ですね。何が残っていましたっけ……。)


 今日は朝から荒天となっていたため、仕入れられた材料が限られてしまっていた。朝方にガルドが運んできてくれたのは牛乳やチーズ、朝締めの鶏肉程度のものであり、この時期が旬の野菜類は畑での収穫作業は出来なかったとのことで残念ながら今日は仕入れることができなかった。このため、今使える野菜類は常備している根菜類やトマト、セボーリャ(玉ねぎ)パタータ(じゃがいも)といったものに限られていた。


(まぁ、それでも一通りの形には出来るでしょうが……。)


 食料庫に入ったタクミは材料を前に腕組みをして思案していた。タクミのこれまでの経験からは、単に美味しい食事ということであればいくつか思いつくメニューはあった。しかし、今日の“お客様”の事情を推察すると、単に“美味しい”だけの食事をお出しするという気分になることはできなかった。少々おせっかいかもしれないが、若い二人が自分自身をもう一度見つめなおしてくれるような献立したい……タクミは、思い浮かんだメニューからある一つに絞り込み、調理の準備を始めた


(ご飯は十分残ってますね。トマトに玉ねぎ、あと、こちらの鶏肉も使い切ってしまいましょうか。)


 タクミは、食料庫から取り出したセボーリャの上と下を切り落とした後、縦に半割にした上で皮を剥く。そして、縦に細かく切り込み入れた後で横方向にも包丁を入れ、みじん切りにしていく。端のところも捨てずに出来るだけ細かく刻むのがタクミの流儀だ。みじん切りにしたセボーリャはボウルに作っておいた塩水に浸し、しばらく置いておく。その間に鶏肉とチーズを細かく刻んでから、塩水に浸しておいたセボーリャのみじん切りをザルにとり、水気を切った。


 次いで、タクミは火をくべておいたオーブンストーブの天板に中サイズの銅鍋を置き、バターを多めに入れてゆっくりと溶かしていく。白いバターが透き通った液体へと変わる頃、セボーリャのみじん切りを入れ、じっくりと炒める。急いで火を通そうと強い火にかけてしまうと、鍋の中でセボーリャが焦げ付き、色がついてしまうので注意を求められる作業だ。丁寧にかき混ぜながら火を通していくと、バターを吸ったセボーリャのみじん切りが徐々に透き通っていく。そして、セボーリャのみじん切りに十分にバターが染み渡ったところで、刻んだ鶏肉を投入した。


 鶏肉を入れた段階で塩・胡椒で下味をつけながら軽く炒め合わせ、ある程度火が通った頃合いを見計らって鍋をオーブンから下す。そこへ、ランチ用に炊いてあったアロース(ご飯)を銅鍋の中へと投入すると、手早く木のヘラで切るようにしてアロースと具材を混ぜていくと、バターや鶏から出た脂分がアロースに馴染んでいく。そして、全体的に油を吸ってしっとりとしてきたところで、摩り下ろしたトマトとセボーリャに、砂糖、塩、ビネガー、赤ワイン、香辛料を加えて煮詰めたスパイシーさと甘さを兼ね備えた自家製のトマトソースを半分だけ投入。そしてさっくりと混ぜ合わせて、味を絡めていった。


(あとは、これをお皿に移してっと……。)


 タクミは、楕円のグラタン皿を4枚用意し、具材やソースを加えたアロースを敷き詰めていく。そして、先ほど半分残しておいたトマトソースをアロースの上に載せ、その上に刻んだチーズがたっぷりとかけた。

ここまで準備が出来た段階で、タクミは、オーブンストーブの下段に手を入れて、内部の温度を確認する。


(うん、温度は十分ですね。)


 オーブンの温度を確認したタクミは、用意が整った4人分のグラタン皿を鉄皿に並べて、炉内へと投入する。そして、キッチンテーブルの上に置いてある砂時計のうち、一番大きなものをひっくり返して焼き上げまでの時間の計測を開始する。焼き上がりを待つ間には、付け合せとして、千切りにして塩を振り、しんなりとさせておいたサナオリア(にんじん)リーモン(レモン)の汁とコルザ(菜種)油、それに砂糖を合わせて作った甘酸っぱいドレッシングを和え、最後にパサス(干しブドウ)を散らした特製のサナオリアとパサスのサラダを用意し、さらに、ランチ用に作ってあったベーコンとレポーリョ(キャベツ)のスープも温めなおした。


(さて、そろそろお二人を呼びますか。)


 タクミは、砂時計の具合から焼き上がりの時間を確認し、2階にいるセリオとエマ、そしてニャーチに降りてくるように声を掛けた。階段からは、いつものようにパタパタとしたニャーチの足音ともに、二人が降りてくるのが伝わってくる。その様子を耳で感じ取りながら、タクミは、今日の夕食の最後の仕上げに取り掛かった。






◇  ◇  ◇






「お待たせしました。皿はとても熱いので触らないように気を付けてくださいね」


 タクミは、焼き上がったばかりのチキンドリアを慎重にテーブルへと運ぶ。その間にニャーチがサラダとスープをセリオとエマに取り分けていた。


「こっちのスープもあったまるのにゃっ」


「ニャーチさん、ありがとうございます。 さっきから美味しそうなお話ばかりで、私もうおなかペコペコですわ」


 エマとニャーチはすっかり仲良しになったようで、二人で笑いながらおしゃべりをしている。そんな二人の様子を微笑みながら見つめていたセリオが、改めてタクミの方を向きなおして感謝の言葉を述べる。


「タクミさん、ニャーチさん、本当にありがとうございます」


「いえいえ。さ、お熱いうちにお召し上がりください。身体も暖まりますよ」


「そうなのな! でも慌てて欲張って頬張ると口の中じゅうを火傷するから気を付けるのなのなっ!」


 ニャーチの言葉に、テーブルが温かな笑いに包まれる。それを合図に、4人はそれぞれの言葉で天と大地の恵みに感謝の言葉を捧げ、今日の温かな晩餐が始まった。


 エマは、最初にベーコンとレポーリャのスープを口へと運んだ。たっぷりと時間をかけて煮込まれたのであろうレポーリャは舌先でつぶせるほど柔らかくなっていた。ベーコンの旨みもスープの中に十分溶け込んでいる。それに、特徴のある辛みと風味を持ったものが隠し味として加えられていた。


「タクミさん、このスープ、とても美味しいですわ。これ、もしかしてヘンヒブレが入ってます?」


「ええ、ヘンヒブレの根を摩り下ろしたものを少しだけ入れています。もしかして、あまりお得意ではありませんでした?」

 

「いえいえ、とっても気に入りました。でも、ヘンヒブレをこうしてスープに合わせるのは初めてだったので驚きましたわ」


「スープはランチ用に作ったものなので、少し風味を入れてみようと思いました。お気に召していただけましたら何よりです。ありがとうございます」


 タクミがヘンヒブレを使った理由はもう一つあった。ヘンヒブレ ―― タクミが元いた世界では“生姜”と呼ばれているこの香辛料には、身体を温め発汗を促す作用がある。 タクミは、すっかり雨に打たれて身体を冷やしてしまった二人に少しでも暖まってもらおうと、隠し味として加えていたのだった。


「あちちっ! ……うん、こっちもすごく美味しいです!アロースにこんな食べ方があっただなんて!」


「それはドリアっていうのにゃっ。チーズたっぷりがうまうまなのにゃっ!」


 セリオとニャーチは、ハフハフとしながらドリアを食べ進めている。スプーンでひとさじ分掬い取れば、断面からはトマトの赤色に染められたアロースに、十分に熱されて溶けたチーズが絡みつく。湯気が立ち上るそれを口の中に運ぶと、たっぷりと油の旨みを吸ったアロースに、ややスパイシーに仕上げられたトマトソースの味わいが重なり、それらをまろやかなチーズの風味が包み込んでいる。熱さとともに旨みとコクが口中にあふれ、どんどんとスプーンが進んでいく。


「セリオさん、スープもとっても美味しいですわよ。こちらも冷めないうちに頂くといいですわ」


「ああ、エマもドリアを食べてみるといい。アロースがすごく味わい深い料理になっている。ただ、本当に熱いから気を付けてな」


 セリオとエマは、お互いに勧め合いながら、暖かな晩餐を堪能していた。そして一時の後、すっかりお腹が満たされた二人の前には、きれいに空っぽになった皿が並んでいた。


「本当に美味しかったですわ。ごちそうさまでした」


「ビックリするような料理ばかりでした。いや、本当に美味しかったです。ありがとうございました」


「どういたしまして。食後にコーヒーはいかがですか?」


「ニャーチがいれるのなっ!ちょっと待っててなのにゃっ!」


 セリオとエマが返事をするよりも早く、ニャーチがぴょんと椅子から降りて、コーヒーを淹れに行ってしまった。タクミは思わず二人に苦笑いを見せるが、セリオもエマも仲良く笑顔を返した。


「今日の料理、どれも独創的なものばかりで、大変驚きましたわ。どうすればこんな発想が出来るのでしょう?」


「いや、以前に働いていたところで覚えただけですよ。ちなみに、今日の料理は私が初めて『お客様』に出した料理でもあるのですよ。これをお客さんに出してもいいって言われるまで、3年かかりましたけどね」


「えっ?3年も…ですか………?」


 セリオが、思わず目を丸くしてタクミに言葉を返す。タクミは、セリオのその言葉に頷いて、話を続けた。


「もちろん、それまでに下ごしらえとか盛り付けとかはやらせてもらっていましたけどね。一から全て自分で作らせてもらったのはこれが初めてでした。学生の頃のアルバイト…お手伝いで行っていたお店とはいえ、当時はなかなか料理を任せてもらえず、ちょっと拗ねた時期もありましたねぇ」


 セリオとエマは、思わず顔を見合わせる。


「でも、今にして思えば、この3年間はしっかりと基本を身につけるいい機会だったと思えるんですよね。当時はまさかこうして店を持つなんて思いもしませんでしたが、それでも、こうしてなんとかやっていけるのも、当時の経験が生きていると思うんですよね」


「基本を身につけるのに時間がかかるのはわかりますわ。でも、それでも何も任せてあげなければ、先には進めないのではないでしょうか?」

 

 エマが少し食ってかかるように、タクミに言葉をぶつける。タクミも、少し真剣な表情を見せながら、エマに優しく諭す。


「うーん、それは一概には何とも言えません。でも、もし何かを成し遂げよう、究めようとするのであれば、今やっている一つ一つのことから学び取ることを辛抱強く繰り返していくのが大事なのではないでしょうか?ってなんか偉そうにすいません、私もまだまだ勉強中なんですけどね」


「いえ、すごく身に沁みます。でも、なんでこんなお話を?」


 セリオが投げかけた素朴な疑問に、タクミは種を明かした。


「すいません。セリオさん、エマさん。お二方のことは存じ上げておりました。 エマさんのお父さんは靴を作る職人さん、そしてセリオさんはエマさんのお父さんのお弟子さんですよね?」


「え?どうしてそれを?」


 二人がそろって驚きの声を上げる。


「以前に靴を新調してもらおうと、お店にお伺いしたことがありまして。その時にお見かけしていたのです。お二人は、駆け落ちされるおつもりだったのでは?」


「と、止めても無駄ですわ。もう二人で決めたことですの!」


 エマの口調が不意にきつくなる。それを宥めようとセリオが慌てて制する。

 

「最初からご存知だったのでしょうか?もしくは、師匠…エマのお父さんから既に聞いていたとか?」


「いえいえ。でも、ずぶ濡れになりながら荷物を抱えて出発間際に駆け込んで来れば、何かしらの事情があるとは推察できます。そしてお二人のご様子を見れば、おのずと答えは絞れるかと。これでも“駅長代理”ですしね」


「なるほど。では、私たちをここで足止めして、家に帰すおつもりですか?」


 セリオも少しずつ言葉がきつくなっていくが、それを気遣う余裕は無くなっていた。


「そんなことはございません。もし明日の一番で旅立たれるであれば、改めて切符をご用意させていただきます。でも…」


「でも…?」


「親元や故郷を離れる前に、老婆心ながら少しだけ自分の経験をお伝えしたかっただけなんですよ。おせっかいついでに、もう一つだけ続けても良いですか?」


「え、ええ」


「これは私の師匠の受け売りなのですが、3日、3週間、3ヶ月、3年……このように“3”のつくタイミングは、いろいろ変化を求めたくなるそうなんですよね」


「あ…」


 セリオには思い当たる節があったようだ。タクミは、セリオの様子を察して、言葉を続けた。


「こういう時に、安易に変化を求めてしまうと、せっかく築いてきたものを崩してしまうことがあるから注意が必要だって教えられました。ただ、一方では転機のチャンスにもなりうるので、良く考えて変化を決めるのなら、それはそれで大切なことなんですよね」


 二人は神妙な面持ちで、タクミの言葉に聞き入っている。


「そういう意味では、今日のこの荒れた天気も、お二人にとっては天の恵みなのかもしれませんね。少なくとも一晩、しっかり考える時間を頂けたのですから。っと、やっとニャーチが戻ってきましたね」


 キッチンでコーヒーを淹れていたニャーチは、4つのカップを並べた金属製のお盆を手に戻ってきた。


「なんか難しい話をしていた匂いがするのにゃっ。まぁ、そんなことより食後のコーヒーを楽しんでなのなっ!そうそう、おまけでクッキーも持ってきたのなっ。二人へのプレゼントなのなっ」


 戻ってきたニャーチの言葉に、場が一気に和み、セリオとエマの緊張も解きほぐされていた。そして、視線を合わせて頷きあうと、ニャーチに笑顔でお礼をして、コーヒーとクッキーを受け取った。いつしか、外の雨は小降りとなり、風も徐々に静かになっていた。






◇  ◇  ◇






 「昨日ご乗車予定の皆様には大変ご迷惑をおかけいたしました。本日は定刻通りの運行が出来る見通しとなっております。それでは、始発列車の改札を始めさせていただきます。ご乗車の方は改札口までお越しください」


 翌日は透き通るような晴天だった。電信を通じて通常運行可能との連絡を受けたタクミは、いつも通り“駅長代理”の業務に着き、乗客の皆様に一人一人声を掛けながら、改札を進めていた。セリオとエマは、しばらくの間その様子を遠くから見守っていたが、やがてタクミに一礼をすると、駅舎の外へと向かっていった。


 昨日の雨の中を走ってきた道は、ところどころに水たまりが残っており、決して歩きやすい状況ではなかった。ましてや、この道の先に“とてつもなく巨大な雷”が待っていると思うと、正直足がすくんでしまう。それでも、二人で手を取り合って、しっかりと道を歩んでいこう、そして、二人で一晩かけて話し合った未来のために、今与えられた中から一つずつ学んでいこう ―― セリオとエマは、しっかりと手を取り合って一歩ずつ“家”へと歩みを進めていった。


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