雑意を封じ時期を探る
土曜日
砂押が竹刀袋をひっさげて三波の家にやってきたのは、午前10時の事だった。
さすがに室内で振り回すわけにもいかず、裏庭にある車庫の前へ移動すると、「ほらよ」と竹刀を一本、三波の方へ放り投げた。
「…ふぅん、思ったより重くないな」
ついでに、本当に竹なんだと当たり前なことに感心する。竹なんて、婆ちゃんの畑の仕切りに使ってる、細くてUの字に曲がってる奴しか見たことない。
「じゃ、左手だけで持ってみろ。一番端っこ掴んで、こっちに向ける。どうだよ」
「そりゃこうしたら重いだろ。バランス悪いし」
「けど、それで素振りするんだぜ。100ぐらいは簡単にできるようになんなきゃ話になんねぇぞ」
「マジでか」
「普通は竹刀じゃなくてコッチ、木刀でやるみたいだけどな」
砂押は薄っすら笑みを浮かべ、今度は木刀を取り出した。竹刀よりは遥かに刀らしい形をしている。さっきと同じ感覚で木刀を受け取ろうとして、三波は慌てて手の力を入れ直した。
「重っ」
(本当にこれで素振りするのかよ?)
木刀を片手で振り上げてみた…少し剣先がフラフラする。振り下ろすと予想以上に勢いがついて、地面にガツンと叩きつけてしまった。
「あ、悪い。…欠けたかな」
「気にスンナ、俺のじゃねぇから」
一瞬、三波が口を開きかけたが、砂押は一切気に留めず、三波の右手を掴んで木刀の持ち手へと乗せた。
「こうやって右手で木刀上から掴んでみな。親指と人差し指の間に楕円の上がくるようにする。それで左も…って、持つ位置変えんじゃねえ!左は端ギリギリもってりゃいいんだよ」
「あーもー細かいな。なんで超ガチガチなんだよ、ちょっとぐらい変でもいいじゃん」
「武道ってぇのはそういうもんなの。くだらないこと言ってんじゃねぇ、ぶっ飛ばすぞ!」
「ちっ。わぁったよ」
「それが構え、だかんな。足はやってんだろ?」
「で?これからどうすればいいんだ?」
「で……振る」
「そんだけ?」
何か『手首はこう使う』みたいな振上げ・振下ろしの助言はないんか?そんな不満を感じとったのか、眉間の皺をますます深くして砂押が喚いた。
「だから基本なんて知らねぇって言ったろ。持ち方はそりゃ教わったがな、振り下ろし方とかそういう理屈、聞いた覚えねぇの!いいから振れや!」
「いやいや、おかしいって。覚えがなくてどうやってやってたんだよ」
砂押はため息をつくと、杖のように持っていた竹刀で地面を叩いた。所詮、ただの土だから、神経質なリズムでトントン音をたてるだけなのだけども。
「…あのな?道場なら丁寧に習うんだろうが…少年団だぜ?
俺がいた時は強いってんで何十人もいたんだ。なのに指導教員1人、高学年は大会にもバンバン出てたしそっち優先すっだろ?初心者の低学年はほとんど放置。
しばらくしてもう一人先生加わったけどさ、その頃には俺らだって見よう見まねで、ある程度打てるようになってるわな」
「…あの、ソレって…習ったけど忘れてるだけじゃねぇの?」
「るせぇ!とにかく実践的なアドバイスなんかできねぇってこと。ま、素振りなら俺でもわかるぜ。形が変とかは言える。いいから始めるぞ」
これ以上、コイツの機嫌を損ねてもいいことないと判断し、三波は慌てて竹刀を構え直した。とにかく一定のレベルをこなせるようにならないと。
「はぁー疲れた…うわ、12時過ぎてるじゃん」
「ま、様にはなったんじゃねぇの?」
お褒めの言葉に三波が顔を輝かせるのを見て、砂押は「形だけはな」と言い添えた。
「なんだよもう。
そうだ、昼食べてけよ。お前も今日、堤んとこ行くんだろ?一緒に行こうぜ」
「ああ」
三波は先頭に立って玄関の方へ歩き出したが、ふと、神妙な顔で砂押の方を振り返った。
「砂押、ごめんな」
「あぁ?何の話だ」
「…兄貴、まだやってんだろ?」
砂押は小学3年まで剣道をやっていた。兄と一緒に。当時、嫌々やっていたのも覚えているし、兄に対しても尋常ならぬわだかまりがあるのも知っている。
知ってはいるが、どうしても引き下がりたくなかった三波は、騙し討ちの様な形で砂押を部活に巻き込んだわけだ。
「そーだな、胸糞悪ぃ。部活やんのは別にいいが、よりによって剣道ときた。嫌がらせかと思ったぜ」
「だよな。
…あのさ、前に部長、名前だけでも助かるって言ってたし、砂押は無理に活動しなくても…」
(やっぱ、こっちに気ぃ使って黙ってやがったのか)
それにしても、今になって幽霊部員案を出すくらい気に病んでいるんなら、最初から素直に相談すればいいものを…。
「最終的にやるって決めたのは俺の判断だ。半端なマネはしねぇよ。何でそんなに執着してんだか知らねぇが、テメェやりたかったんだろ。だったら気にすんな。
んな事考えてるヒマあんならよ、竹刀と木刀、袋ごとやっから毎日振ってろ。メーワクかけるような真似だけはすんなよな」
「俺、そんな迷惑なんかかけてねーだろ」
「いつもだろうが、バーカ」
三波はようやく笑顔を見せた。
外が暗くなり始めたころ。帰宅した砂押を迎えたのは、喧嘩腰の兄だった。
「おい、物置にあった俺の竹刀、どこやった?」
「三波にやった。いいだろ、新しいのあんだし。アレ結構ほったらかしだったじゃねぇか」
「なんだそりゃ。アイツ剣道やってないだろ。何に使うんだよ」
「テメーにゃ関係ねぇよ。ウッゼぇ」
強引に話を切り上げ、砂押はさっさと自室へ向かう。何か後ろの方で騒いでいたようだが追ってくるつもりはないらしい。
(普段は気にも留めねぇくせに、勘が鋭いな…)
この兄は昔から砂押をダシにして自分のやりたいようにやってきたのだ。
『コイツが欲しいって言ってるから』
『これをやりたいってコイツが』
当然、せしめた物は砂押の手をすり抜けていくし、それをやりたいのは兄の方なので、いくら弟の砂押がいらない・やりたくないと言っても「最初に言い出したクセに我儘」で片づけられてしまう。(そう持っていくのが上手いんだ、これが)
それで、兄が飽きたらまた弟を口実に使うのである。
『なんかコイツ辞めたいって』
剣道を始めたのだってこの流れだ。今までと違うのは、珍しく長続きしているということか。
とにかく、周囲を味方につけるのが上手い兄の事、砂押は抵抗に抵抗を重ねようやく『徹底的に兄を避けまくる』という自衛手段を編み出した。
当然、いつまでもできる作戦じゃない。三波が剣道を選ばなくたって、近い将来似たようなことは起きただろう。
幸い、向こうは3年生である。
(多く見積もって1年弱。高校も違うし、厄介なことにゃならんはずだ)
傍目には、兄弟同じ部活に入ったってだけの話だ。こちらが付け入るスキを与えなければどうということはない……。