歩みに持つは杖(3)
登校してきた井筒は、昨日起こった話を聞いて笑い転げた。
「ははは、そりゃ災難だったな」
「井筒、お前知ってたろ。三波も十六沢中でイロモノ3人組の1人だって知ってたんだろ」
ほとんど八つ当たり気味に因縁をつけて樋口は机にうつ伏せた。脇には菓子の袋が2~3個転がっている。どうやら愚痴相手が来るまでヤケ食いしていたらしい。
運動関係ではあちこち顔を出す樋口だが、交友関係は保守的だ。平凡に暮らしていれば話をすることもない『異色タイプ』と接点を持ってしまって、パニクッているのだろう。
「オーバーだな。多少だろ?金髪の一人や二人。世界が終わりになるわけでもなし。
それにアイツ等が悪目立ちしてるからイロモノ言われてるだけで、不良グループだって訳じゃないぜ?」
「あんなの二人もいてたまるか。目が怖えーよ、アレ2~3人消してるだろ絶対。お前近くで見ていないからそんなこと言えるんだよ」
「まあまあ。でも本当に知らなかったよ?金髪と外人+チビのセットで覚えてたんだから。インパクトのない単体でこられてもわかんないって」
「…」
これ以上言うセリフが無くなったのか、樋口は黙って菓子の袋を差し出してそっぽを向いた。
大体、害をなしてくると決まったわけでもないのに必要以上に怯えすぎなのだ。精神力を鍛えるのが剣道のウリじゃなかったのか。もっとも、井筒はそんな話信じていないけど。
「これが武道やってる人間かと思うと笑えるね」
「なんとでも言え。大体、井筒がこっちに入部してれば問題なかったんだぞ」
「まだ言うか。ほら、噂のチビ君が呼んでるぞ」
井筒がニヤニヤしながら廊下を指した。もはや見慣れた頭が、開いている戸の陰からこちらを覗きこんでいる。
無視するわけにもいかない。樋口は足取り重く廊下へ向かった。
廊下では三波が(昨日のような遠慮したような雰囲気は見えない)後ろに金髪の『背後霊』をつけて待っていた。
「おはよう、樋口」
「あぁ、おはよ」
軽く挨拶を返し、三波のそばへ近寄る。
後ろのはいない…見えない…気にしない。井筒は樋口の気が弱いと言うが、他人に警戒するのは当たり前だ。さわらぬ神にたたりなしって言うだろうが。
…それはともあれ、奴はこっちを睨んでる(なんでだ)。その視線をできるだけよけようと微妙に体を傾ける樋口に、三波が申し訳なさそうに口を開いた。
「樋口悪いなー、えっとコイツがさ、部活するには廃部がかわいそうだって理由はマズイって」
「?!い、いや、部室が無くなるかどうかってだけで廃部って訳じゃ…」
「それに超初心者は役に立たないって。だから…」
廃部だと思ってたの?じゃなくて、この話の流れは…まさか入部キャンセル?
何だか胃がキリキリしてきた。どうしてこう問題が起きるのだろう。今から代わりの部員を探せと言われても、全くアテがない。
樋口が内心青くなっていると、三波はにっこり笑って砂押の背中をたたいた。
「だから俺の代わりにこの 砂 押 が 入部するってさ。コイツ超経験者だし」
「あァ?!」
(ひっ!!!)
一瞬にして金髪が三波の胸ぐらをつかんだ!!
辛うじて悲鳴を抑えた樋口の目の前で、ものすごい勢いで襟口を締め上げる。
「み な み テメェ、どういうつもりだ」
「何が」
「お前が辞めるって話をしに来たんだろが?なんで勝手に俺が入る話になってんだよ」
おだやかな朝の廊下風景が、たちまち修羅の世界へと変貌する。
たまたま通りかかってしまった生徒は急ぎ足で距離を取り、廊下でおしゃべりしていた女子生徒たちは、話を止め遠巻きにこちらを見ている。慣れない視線を浴び、一刻も早く教室に戻りたい樋口だが(仲間だと思われてるんだろうなぁ)、目の前の2人を放っておいて逃げるわけにもいかない。
砂押と呼ばれた金髪の顔は、漫画で例えれば、血管が2~3つ浮いているような恐ろしい表情になっている。…にも関わらず慣れているのか、三波はニヤアと嫌な笑いを浮かべて言い放った。
「俺言ったじゃん、今更辞めるのはメーワクだって。で、お前は迷惑かけんなと言う。じゃ俺の代わりにお前が入るしかねーじゃん?砂押。だろ?」
「ぐ…」
砂押が投げ捨てるように手を離した。
しわくちゃになった襟首を直しながら、三波は更に追い打ちをかける。
「お前は3年もやってたんだし?基本は当~然身についてるよな?教えてもらうこともねーもんな?」
「小学だぞ?!身についてるってほどじゃねぇし、わかってんだろがテメエも!!」
「当然。…言っとくけど砂押、今回はぜーったい引かないぜ」
昨日、あの後どんな話があった?!(断片的に判断するに、三波がちゃぶ台返したっぽいが)なんにせよ、はっきりした結論が出てから、樋口のところに来てほしかった。
三波も砂押も何も言わず黙って睨み合っている。
「…野郎……チッ、わーったよ!後で投げ出すんじゃねぇぞ!」
とうとう砂押は諦めたのか肩の力を抜くと、目立たないように背景と同化している樋口の方へ向き直った。
「樋口だっけ?俺も入部するぜ。この バ カ と一緒にな。いいだろ?」
「あ、ああ。それは助かるけど、無理にとは…」
「ただし活動内容によっては、俺らは辞めるからな」
「ん?」
「おいおい。『ら』ってなんだよ『ら』って」
後ろで騒ぐ三波を全く無視し、金髪はバッサリ言い切った。
「単に利用されんのは御免だ。やるからにはマトモな練習してぇんだよ。人数寄せ集めの名ばかりサークルなんか時間の無駄だ。もしヌルイ事やってんなら、速攻、引かせてもらうぜ」
(今、引いてくれ!!)
なんだ、その条件は!
思ったより真面目なようだが、こんなの入れて大丈夫か?なんせ、剣の道とは程遠い外見の生徒である。部長や入江先輩に相談なしに、砂押を入部させてもいいもんだろうか?
返事をしない樋口に焦れたようで、砂押は語気を強めた。
「なんだ?!ちゃんとした活動してねぇのか?!」
「い、いや…そういう事なら一回見学してから入部したほうが」
「お前 大 丈 夫 か?するわけねぇだろが。俺はちょっとやったことあるし、どういうもんかも知ってるってんだよ。んなもん剣道なんざ大抵やるこたぁ一緒だろ。
だから言いたいのは、入部するけどもよ、俺が気に食わなかったらすぐ辞めっからなって事だ。ったく何回言わせんだよ、わかったのか?おい」
金髪は機関銃のようにまくしたてる。おまけに調子が荒いものだから、樋口はなんだか責め立てられているような気分になってきた。何を言っても怒りを助長するような、そんな無力感。だめだ、完全に相手に飲まれている…誰か助けはいないのか?
そっと教室を振り返ると、安全地帯で見物している井筒と目があって、奴はヒラヒラと手を振っている。
(くそ、アイツ楽しんでいるな…他人事だと思って!)
「おー、入部するって?ついに我が部にも波が来たかぁ?」
のんきな声が、一瞬で緊迫感を打ち消した。
「部長!!」
いつの間に近くにいたのだろう?状況を理解しているのかいないのか、三町は何の躊躇もなく樋口と砂押の間に割って入る。
「三波もいるし丁度良かった。
あのさぁ昼休みに剣道部の会議やるから、部室に集まってくれるかなぁ?」
「はぁ」
「もちろん、キンキラキンの君もねぇ。それ地毛?」
「…あ?いや」
「そか。それじゃ、よろしくねぇ」
言いたいことだけ言って、さっさと去って行く。時間にして1分もかからなかったが、砂押の剣幕を鎮静化させるには十分だったようだ。
「あれ部長かよ…マイペースな奴だな」
つぶやく声色は先ほどの怒気の含んだものではない。そのことに胸をなでおろしつつも、樋口は言いようもない不安を感じていた。
(…会議って。何か決めることあったっけ?)
昼休み。
剣道部の面々は部室の折り畳みテーブルを囲み、それぞれの弁当を食べていた。
当然、部員同士の交流とかそんな目的じゃない。部長が『昼休み』としか言わなかったので、昼休みの『いつ』部室に行けばいいのかわからなかっただけだ。
はぁ~っと大きなため息をついて、三波はダルそうに卵焼きを口に運んだ。
「堤がさ、メンチカツ作ったんだって。分けてもらおうと思ってたのにさ」
「お前は野菜食えよ。弁当茶色じゃねぇか、だから背が伸びねぇんだよ。ホレ」
ブツブツ言っている三波を小突き、砂押がポイッとオカズを投げ入れる。
「ミニトマか。これ1個でどんだけ伸びんの」
「あ?………1μmぐらいじゃねぇの?1,000個食って1mmか。そういや剣道は頭殴られっから背が縮むっていう話があんの知ってるか?」
「迷信だろ?それじゃ樋口の説明がつかないじゃん」
「あのなぁ、樋口みたいに長年剣道やってる奴は、縮んだらその分背を伸す技ってのが使えんの。よく考えてみな、頭竹刀でガンガンやられんのに身長維持できるわけねぇだろ?」
「そういえば…」
「それ以上チビになりたくねぇんなら、剣道から離れんだな」
サッパリ話を打ち切った砂押は、横で固まっている友人に目もくれず食事を再開する。この冗談みたいな会話を聞いていた樋口は、三波が本当に真に受けてしまうんじゃないかと心配になってきた。
「…あの、砂押さ、変な理屈で退部勧めるの止めてくれ」
「はっ本気にするバカいねぇって」
「!!なんだよ!嘘かよ!ふざけんな金髪ジジイ」
「本気にするとは思わなかったぜ、チービ」
一足先に昼食を終えて本を読んでいた入江が顔をあげ、ちらりと一年生グループを見やった。これ以上、内容がない会話を続けられても時間の無駄である。
「…部長、もう話し合い始めないか?全員居るんだし、食べながらでいいだろう?」
「そうだね、始めるか」
三町部長は軽く机をたたいて、注目!と一声あげた。砂押や樋口がこちらを向くのを待ってから、穏やかに話し始める。
「今回、集まってもらったのは他でもない。まず剣道部の目標を決めたいと思うんだよねぇ」
「はぁ目標」
「次の大会。団体戦。一勝しよう」
「…だ、団体戦?」
「参加する気ですか?!」
部長の言葉がようやく頭の中に入って、入江と樋口は戸惑った。団体戦うんぬんは最低部員数の話であって、参加するなんて一言もきいていない。
そんな2人の反応に不思議そうに小首をかしげ、部長は更に話をつづけた。
「するよ?自分はしないけど。参加するのは君達。入江に樋口に三波!」
「でも、次って…参加申込み期限は…?」
「ギリギリ間に合っちゃったんだなぁ、これが。砂押はさすがにもう遅いけどねぇ。だってホラ、せっかく人数そろったんだしもったいないだろう?」
「いやいやいや、勿体ないとかそういう問題じゃなく」
「ってことは、俺マジで出るの?!」
三波の目がグリンと輝いた。近いうちに試合に出る以上、『足さばき地獄』以外の稽古もできるということだ。竹刀に、道着に、防具に…。
「おい待てや」
砂押が花畑になりかかっていた三波の頭をたたくと、部長を睨みつけた。
「部長さんよ、コイツまだ2日目だぞ?大会5月の下旬だっけか?後10日ぐらいしかねぇだろ」
「約18日。土日に連休除いたら、だけどねぇ」
「幼稚園同士の試合じゃねぇんだ。相手になるかよ」
「三波は高校生だから基本動作はすぐ覚える。とりあえず試合はできるよねぇ?」
「話にならねぇな。部長が無理難題押し付けるとは呆れるぜ」
「砂押君、勘違いしているねぇ」
「あ?」
「必ず勝てとは言ってないよ。あくまで目標の話。
そもそも団体戦なんだから、三波が勝たなきゃ一回戦突破できないでしょぉ。短期間でそこまで腕が上がるとは思ってないよ。それは無理」
「じゃ出る意味ないじゃん」
三波がつまらなそうな顔になった。負けが判っているのに参加するなんてバカらしい。
「あるよ。日ごろの練習の成果を見せる所なんだから。どのくらいの力を見せられるかは三波次第だけどねぇ。いずれ大会には出るんだ、早めに慣れておいたっていいでしょぉ。経験だよ経験」
樋口も何か言いたかったが特に気の利いた事が思い浮かばないので黙っていた。幼稚園とは言わず小学生ぐらいなら、1週間前後で試合に出るのは聞く話だ。とはいえ、地区大会でやるのはどうかと思うが…。
「…で、ここからが本題なんだけど」
部長はふと真剣なまなざしになって、部員一人ひとりの顔を均等に見た。
「現在、剣道部は木曜日だけ体育館半分使用を認められている。水曜日は実習室前のアリーナ。残りは筋トレだ。十分、とはいえないでしょぉ?」
「アリーナがある分、俺が1年の頃に比べてマシなのは確かだけれどね」
入江先輩が苦笑ぎみに答える。
他の学校に比べ防具をつけての練習量は確かに少ない。けどもう少し人数いないと体育館使用日数を増やすのは難しい。
けれど、本格的に部活をやりたい人間は最初から別の学校に行くだろうし、今のままで十分だ、と樋口は思う。優勝目指しているわけではないのだから。
でも三町部長はそうは思ってなかったようだ。
「だからねぇ、月金の週2日、自分が通ってる道場にお世話になることにした」
「…え『しよう』じゃなくて、『した』?そういう流れ?」
一拍遅れて、入江が反応した。さっきから重要事項をポンポン話す部長についていけなくなっているのだろう、呆れと疑いの混じった表情になっている。
「部長の言う道場って、地区センターの市民サークルの事だろう?」
「うん。
だってさ、自分たちには指導する先生もいないし、十分な稽古ができてる環境ともいえない。そのサークルには指導経験がある人いるし。だから思い切って…」
「おいおい。さっきからおかしいと思ってたが」部長の言葉を遮って砂押が声を上げた。
「剣道部って 顧 問 いねぇの?!」
その言葉に、思わず樋口は上級生達の方を見た。今まで考えもしなかった!そういえば俺も見たことないぞ。
「出場選手とか道場とか、普通そういうモンは顧問が決めることじゃねぇ?なんで部長が好き勝手言ってんだよ」
「いや、いることはいるんだが…」
微妙に砂押の視線を外しながら、言いにくそうに語尾を濁した副部長の後を、部長がカラリと引き取った。
「入院中なんだよねぇ。近いうちに戻ると思うけど。それまで自分が代行。そう、私が法律だ」
「おいコラ!」
「といわけで三波、ちゃんとした先生が教えてくれるから安心して。試合に出ても酷いことにはならないよ。砂押もブランクがあるしね。
入江も樋口も色々な相手と練習するのは良い事だろう?」
「いや、いい事ですけれど…」
「今のままの部活じゃ確かに意味ないな。…部長がそういうんならそれでいいよ」
入江の声にはどこか諦めの色が混じっている。
「ところで部長、どーして昼休みに会議したんだ?」
それまで黙って弁当を食べていた三波が、ふいに顔をあげて問いかけた。
「今の内容って別に急ぎじゃないじゃん。部活の時でも良かったと思うんですけどー?」
(急ぎ…あれ?今日って何曜日だっけ?)
なぜか不吉な予感がして、樋口は部長を見た。入江や砂押も同感だったらしく黙って同じ方を向いている。部長の口元が上がったように見えた。
まさか…
「授業終わったら、防具持って玄関前に集合!」
「は?!」
「サークル今日からかよ?!」
昼休みの終わりかけ、ようやく樋口が自分の教室に戻ってくると、菓子の箱を片手にもぐもぐやっていた井筒が出迎えた。
「おかえり。お前に野球の数合わせ頼みたいって奴来てたぞ。町内会での…どした?なんかあった?」
「…うまそうなモン食べてるな」
「今言った野球のさ、前払いってポッキー置いていった」
「って、ソレ俺宛てじゃないの?」
「今回は俺も誘われてるし。ちゃんと半分残してある」
井筒は悪びれる様子もなく、箱を投げてよこした。確かにもう一包み封が開かずに残っている。
それを見た途端、全ての疲れが一気に樋口を襲った。
今日に限らず、周囲に振り回されっぱなしだ。皆、よく考えもしないで勝手なことばかり騒ぎ立てて。
樋口を裏切らず、心を落ち着かせてくれるのは菓子だけである。もう嫌だ。人のいない安らかな場所に行きたい。もう嫌だ畜生…あんだけ散々歌った平和で静かな大地はどこにあるのだ。
「…南の島かな…砂浜で海見てずーっと座ってたい」
「なんだ突然。んー、ああいうとこって雨すごそうだよな。スコールとか」
「…うるさいな」
さっきの剣道部会議。あの後、入江副部長が本気を出した。
部員にも家族はいること、民主主義と代表者制度について、上に立つ者の心得、正しい行いと横暴の違い、会議とは相談の場であって発表会ではない……
部長の目をじーっと見ながら多岐にわたり淡々と、しかも一切反論させない様は、もし自分だったらと考えると恐ろしい。実際、樋口も砂押も三波も、ただその模様を見ていることしかできなかったのだ。
結局、三町部長は、道場は来週からでいいと妥協したのだった。…どうあっても合同練習をしたいらしい。
5時限目の予鈴が鳴り、樋口は漸く腹をくくった。
決まってしまった事はどうしようもない。練習はキツくなるけれど、その分強くなると思えば…まあ我慢はできるだろう。
それに、一度片足突っ込んだら、何があっても抜けられない性分なのは自分でもよーくわかっているのだから。
「……で、井筒。野球はいつ?」
「明日だってさ。土曜。ヒマだろ?」
「まぁな」
ともかく、来週は忙しくなりそうだから今のうちに遊んでおこう、と樋口は思った。