歩みに持つは杖(2)
※※※
「あンのヤロォ、またいねぇ!」
「教室にもいなかった。一緒に帰ろうって言ったのに」
「コソコソしやがって」
※※※
剣道部の筋トレメニューが終わった後、三町部長は三波を体育館の隅に呼んだ。そこから少し離れたところで、樋口と入江は防具をつけ始めている。
いいよな、道着に防具。いかにも武道って感じで。んで、俺はいつ着けられるんだろ?
三波は自分用の防具がないか目で探してみたけれど、案の定カケラも見えなかったので、大人しく隅へ移動した。部長は竹刀片手に目をキラキラさせている。
「それでは足の動かし方を練習します。まず、足を肩幅に開いて」
言われたとおりに少し足を開いて立った。部長は前後左右から三波の姿勢を確認し、竹刀の先でちょいちょい足をつつく。
「うーん、もうちょっと狭く。で、左足を右足のかかとの位置まで下げる…そうそう。左のかかとを上げて、膝伸ばしきらない、体重は右足と左足の真ん中あたりに……はいっストップ!!」
「?!!」
「これが基本の形。前へ動くときは右足が常に先、左は右足の前に出さない。下がる時は左から先に後ろへ動かす。こんな感じでね」
部長は袴の裾を持ち上げると前後に動いて見せた。左足はかかとを上げたまま擦る様に右足についていく。
「はーい、じゃあやってみよう。前、後ろ、イッチニ、イッチニ…」
「…」
…コレ、つまらん。
「…なー部長。あっちで樋口達何かやってるじゃん?」
「切り返しやってるねぇ」
「俺も早くハカマはいたり竹刀持ったりしたいんですけどー」
「よ そ 見 を し な い っ!!」
「わっ!」
大声と共に、ダンっと竹刀が床に打ち付けられた。
急になんなんだと抗議しようと部長の顔を見て、三波はそのまま言葉を飲む。
…部長の目がマジだ。
熱血的なマジでもなく、逆切れ的なマジでもない。こういう状態の人間に迂闊な刺激を与えてはいけないと本能的に悟る。敵意や殺気が感じられない分、妙に怖い。
「まあいい。ちょっとあの2人を見ててご覧」
部長は顔を動かして向こうで稽古をしている2人をさした。
白い道着と防具を纏った入江が、何やら打って(面なのか小手なのか、三波にはわからない)駆け抜けた…と思ったら振り返りまた打ちかかり…2~3回ほど繰り返して、今度は打つ役が樋口に代わる。
一巡したところで、部長が三波の方を向いた。
「どう思う?」
どう思うといわれても…別に。
部長は黙って返事を待っている。感想を言わないとダメらしい…。何をどう言えば正解なのかわからず、ひとまず見たままの事を口にしてみた。
「…動きが早い、です?」
「そ。すばやく間合いを詰めて打つ。打てる位置に動けないと、いくら竹刀を振ってたって話にならない。このように、足の動きは一番大事というわけだ。
さー、次は左右の移動!」
ちょ…左右もあんの?!
今日の活動を終え、1年の2人は一足先に部室から出た。
さすがに午後7時ともなると外も薄暗くなり、廊下の電気も必要最小限に点灯している。その微妙な明るさは、疲れを一層湧き立てるような気がして、樋口は軽くため息をついた。
さすがに2人だけの稽古はくたびれる。ずっと同じ相手とやるというのは飽きるし…早く三波も加わって部長も合わせ4人で回せるようになれれば大分マシになるのだけれど。
そうして、前を歩く三波は先ほどからダンマリだ。
朝は…いや、部活始まる前までは、なんのかんの騒いでいたのだけれど。終わってから今に至るまで全く口を開いていない。どうしよう、何か話を聞いてやるべきか?
「えっと、三波どうだった?第一日目は」
樋口の言葉を聞いた途端、すごい勢いで振り返ると堰を切ったようにしゃべりだした。
「苦痛だったよ!超苦痛!なんだアレ!あんなの毎日やってたら足すり減るじゃんか。樋口はよくその身長維持してるな」
「そんな、消しゴムじゃないんだからさ」
「部長なんか性格変わってたし。なんなんだよ、もう。同じところをずーっと行ったり来たり、しかも一歩単位。これ部活か?部活なのか?あれが?こんなの運動してねーじゃん!!棒持たせろ、棒!せめて道着着させろ」
どうやら、そうとう堪えたらしい。三波の口は完全に尖っている。
そりゃ部活中ずっと『足さばき』だけさせられちゃ、そうなるか。
樋口は、自分が初めて剣道をした時はどうだったか思い返した。足だけやってた記憶はない。確か最初から竹刀を持って構えや打ち込みなんかを教わったはず。三町部長の時は違ったのだろうか?
とりあえず何か励ましの言葉をかけたほうがいいかな、と視線を逸らしたところで、進行方向先に動く影のようなものが目に入った。
生徒玄関のところに誰かがいる?
下駄箱の前を行ったり来たりしゃがみ込んだり…誰を待っているのか知らないが、その人物はかなりイラついているようだ。今の時間まで残っているといえば部活やっている人間だけど、どうもそれ関係の人間には見えない。待ち合わせってより待ち伏せのような感じが…。
「あれ誰だろう。4組のとこじゃないか?」
「4組?俺のクラスじゃん…」
近づくにつれ段々と人なりが見えてくる。
身長は…多分普通かちょっと高めぐらい。やせ形。落ち着きなく動いていることから、短気。
生徒玄関は薄暗くて顔はまだよく見えない。せめて玄関の電気をつけて待てばいいのに。
ん…光の加減かな?髪がなんか白っぽいような?
「うわっ!砂押っ!」
薄っすらと表情が判別できるまでに至って、三波が叫んだ。
どうも会いたくない知り合いだったらしい。慌てた彼が身をひるがえして走り出そうとした瞬間、砂押と呼ばれた生徒の手がそれより早くその腕をつかんだ。
「逃げんなコラ!」
近くで見ると、目つきが鋭く(いや、怒っているからかもしれないが)髪は前髪と襟足を長く残したいわゆるヤンキーカット、おまけに色を金に染めている。もし彼が樋口達と同じ1年なら、随分思い切ったことをやってるもんだ。
……て、あれ?コイツ昨日見た、確か井筒が言ってたイロモノ中とかいう奴じゃ?!
「くそ離せよ、何でここに」
三波はまだ抵抗を止めずもがいていた。
「何でも三でもあるか!お前、勝手に行動すんなって言ったろうが」
「いいだろ別に。俺だって…」
「うるせぇ!また豚腹ひん曲がり事件起こす気か!」
「う…な、何だよ、その事件名。ダセエの」
「テメェが付けたんだろが!」
スパーンといい音をたてて三波の頭をはたく。
「いーから詳しい話はバスん中だ、さっさと靴履けバカ」
ブツブツ言いながら靴箱へ向かう三波を見送って、砂押はあっけにとられてやり取りを見ていた樋口の方を振り向いた。
「んで、テメェか、うちの三波に迷惑かけられている奴は」
「え、いや、そんな迷惑なんて…」
「わりぃけど明日改めて礼するわ。おら、バス遅れんだろ。さっさとしろ!」
「せかすなよ」と靴を変えてやってきた三波の顔は、さっきまでの困り切った表情はなく、いつも通りのものだった。さっさと歩いていく砂押の後ろをのんびり歩いてついていく。
玄関から外に出る前、三波は樋口の方を振り返って手を振った。
「じゃあなー、樋口」
「あ、ああ」
え?何今の?…ええ?!