第二話 旅人と少女
では皆様、4日間お世話になりました」
俺は門の前で見送りに来てくれた村長たちに頭を下げた。
「こちらこそ、オーガキングの件ではありがとうございました」
村長も同じく頭を下げる。1円玉ほどの肌色が頭頂部に見えたが、あえて黙っておくことにした。この人も色々苦労しているのだろう。
「これ、持って行って下さい。北はとても寒い地方ですから役立つと思います」
妙齢の女性が茶色い上着を渡してくれた。
普通の上着と違い、少し光沢が見える事、そして特徴のある毛並から、これが村の近くに生息しているブラッドウルフの毛から作られたものだという事がわかる。
「ありがとうございます。ですが、これ結構貴重なものですよね。いいんですか?」
ブラッドウルフというのは普通の狼と違い、食らいついた肉から取れる血を自身の身に吸収し、その分だ能力が上がるのだ。
より強い個体はそれに比例して黒の毛並の光沢がより美しいものとなる。
この毛並は近くの森からすると平均的なものだが、ここのブラッドウルフたちは一匹でオーガ一体を食い殺せる程に強い。
「いいんです。ここは比較的暖かいですから使う事もないですし、それに村の恩人であるあなたに使って頂けたら、私も嬉しいですから」
「そうですか・・・」
そこまで言われたら断る訳にはいかないと思い、その上着を受け取り、折角なのでそのまま羽織る事にした。
。
「ありがとうございます」
「道中寒いでしょうが、どうかお気をつけて」
軽く頭を下げ、そして鞍に足を掛けシュバルツの背に乗る。
「それでは皆様、お元気で」
「カイト殿も」
村長はニコリと笑ってそれに答えてくれ、他の人たちも手を振ってくれたり、「じゃあなあんちゃん!」と言ってくれたり「また来てねー!」言ってくれる子供たちもいた。
俺はそれに微笑み、そして彼らに背を向けた。
見送りの声は、村の人々が見えなくなるまで続いた。久しぶりかな、あんなにいい人たちに見送ってもらうのは。
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北、バイス領というのが一番ここから近いのだが、それでも馬で10日掛かる距離である。それはシュバルツとて例外ではない。
村が見えなくなり、森を抜け、ビスマルク領の境目であるどてかい山脈の姿が見えてきた辺りに着いた頃には、既に日が沈もうとしていた。
もう少し進んでおきたい欲求に駆られるが、夜の山道を進むのは、危険で愚かな事である。その為、ここで野宿をすることにする。
(幸い、水場も近い・・・いい野宿場所だな)
木々に囲まれるように存在する小さ目の湖を見ながらそう思った。
ここなら水分も確保できるし、魔物が来ても、結界を張れば何の問題もない。
俺がそのように思っていると、後ろの方でガサリと草木が掠れる音がし、思わず振り返る。
振り返った先にいたのは、ぼろ布を纏った一人の少女であった。
(子供・・・・?)
俺はこんな森の深い所に、なぜこのような小さい少女がいるのか疑問に思ったが、次の瞬間に、その少女は倒れてしまった。
「あっ、おい!」
俺は思わずシュバルツから降りてその少女の元に駆け寄った。
白く透き通るような肌に、少女の腰のあたりまで伸びた純白の髪。
抱えた時の重さはとても軽く、下手をすれば、このまま消えてしまいそうな程に儚げな少女は、小さな胸を上下に動かし、スウスウと寝息を立てている。
(俺を見て安心したのか。それとも恐怖で脱力してしまったのか・・・)
その原因を追究しようとする俺の思考を邪魔するように、今度は重々しく騒がしい足音が聞こえる。
(今はそれを考えている暇は無さそうだな・・・)
「シュバルツ、この子を頼む」
俺は少女をシュバルツの背に乗せて後を任せる。賢いあいつのことだ。落とす事なく安全な場所に避難させてくれるだろう。
足音の原因を確かめるべく森に入ろうとした所、果たして、その原因が現れた。
俺よりも頭3つ分は大きいであろう豚面の2足歩行動物。いやこいつは世間一般では魔物と呼ばれている。
名前はオーク。愚鈍で、愚直で、しかしながら石でできた城壁を壊してしまえる程の怪力を持つ魔物だ。
そのオークが、そのままこちらに突っ込んできている。走行中のダンプカーの目の前に立っているような気分だ。
このまま突っ立っていれば、俺はこの肉の塊に轢き殺されてしまうだろう。ゆえに、俺は奴が姿を現した直後に、背中にある物を引き抜く前に、ある呪文を唱えた。
「バインド(汝を縛るは天の定め)」
言葉を唱えた瞬間、森の枝たちがオークに迫り、その体に絡みつく。
絡みつかれてしまったオークは、まるで急ブレーキをかけたかのように急速にスピードを緩めていき、俺にその体が届く寸前の所でその動きを止められてしまった。
だが、さすがはオークと言うべきか、縛り付けている数多の枝々を気にも掛けず、こちらへと進もうとしている。あと5秒もすれば、完全にその縛りを解いてしまうだろう。
だからこそ、俺は背中から抜いていた武器を持ち、オークの腕へと跳ぶ。
そして踏んだオークの右腕を踏み台にし、さらに高くへと跳び上がり、森の木々の頂点が見える少し前の所で、俺は武器の先端を下、つまりオークのいる場所へと向けた。
槍の穂先を潰したような形をした武器の先端は、このように高度からの突きに最も適した形となっており、俺は先端の足がかけられる部分に足を掛け、そのままオーク目がけて落ちていった。
一方、俺のけしかけた枝たちを漸く振り払えたオークは、敵が上にいる事、そして頭上に攻撃してくることを獣の本能で理解したのか、手に持っていた木の棍棒を頭上に構え、防御の姿勢を取る。
そんなオークに確実に止めを刺すべく、俺はまた新たなる呪文を唱えた。
「ブースト(我、加速するは疾風の如し)」
瞬間、自然落下に任せていた俺の身体は、何かに引っ張られるかのようにスピードを上げ、オークの棍棒へと向かっていく。
そして一瞬の交差。木と鉄が刹那の拮抗を見せる。
しかしその拮抗はすぐに終わりを告げた。鉄の刃が木の棍棒に切り込みを入れ、そのまま紙を裂くように切れ、オークの頭に突き刺さった。
刃の半分以上を飲み込んだオークの頭は、目を白目にし、脱力しきった表情になる。
その様子を見た俺は武器を引き抜いてそこから跳び降りた。
そして俺が地面に着地した頃には、オークの身体は俺が降りた方とは逆の方に倒れた。
「やれやれ、野宿前にオークとはとんだ災難だな。まあ今日の夕飯が手に入ったと考えればラッキーなんだろうが・・・」
俺はオークの血が付いた武器を地面に突き刺し、オークを一瞥する。
この辺りはついこの間までオーガたちの支配圏内だった筈で、オークは食い尽くされたのだと村長に聞いていたのだが、まさか生き残りがいたとはな。
後ろを振り返ると、そこでは少女をのでたままの状態のシュバルツが、のんびりと湖の水を飲んでいた。随分器用なやっちゃな。
「つか、せめて主人の心配くらいして見守っておけや」
とシュバルツに言った所、シュバルツは俺の方を見て、『あんな敵如きで心配する必要ある?』と目で語ってきた。
信用していると考えると嬉しいんだが、なんだかなー。
まあいいや。このまま放置してシーフルウルフの群れが来ても困る。とっとと結界でも張って夕食の準備と洒落込みますかね。
少女もその内、目を覚ますだろうしな。
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夢を、見ていた。
誰もいない暗闇の中、孤独の中。
私は恐怖した。ここがどこだかわからないからとかそんな理由ではない。
私はこの暗闇の正体を、そしてなぜ自分がここにいるのか知っている。
だからこそ、私は怖い。私はこのまま消えてしまうのだろうか・・・。
誰にも認知されず、誰にも認めて貰えず、このまま暗闇の中に消えてしまう。
そんなのは嫌だ。抜け出したい。ここから抜け出せるならどこだっていい。とにかくこの暗闇から出たい。さもなくば私は消えてしまうから。
でも、私はここから抜け出す術を知らない。
もがけどもがけど、広がるは暗闇ばかり。
私はどこ?私は誰なの?
誰か、私をここから出して。『私』という自我がある内に・・・
そしてその願いが届いたのか。
この暗闇しかない世界に一筋の光が差し込む。
私は駆けた。足があるのか分からない。それでも私は走った。走るという感覚に任せ、光の方へと向かった。
やがて光は大きくなり、私の視界を、そして私自身を包む程になり――――――
「目を覚ましたか」
目を覚ますと、私は空高い所にある草葉を眺めていた。
声の主が気になり、身体を起こしてみると、そこには若いが気難しそうな顔をした、ボタンの無い、学ランのような恰好をした黒髪の人がたき火に木をくべていた。髪がリーゼントとかじゃない事に、少し違和感を感じる。
(この人が、助けてくれたのかな・・・)
「あ、ありがとう・・・」
お礼を言おうとしたのだが、上手く声が出なかった。
「気にするな。こっちも夕飯が取れたし、結果オーライってやつだ」
ん、夕飯?
多分私のあの時の状況からして、取れたのは私だよね?
で、夕飯ってことは・・・・私、食われるの!?
「はっはっはっ、誰も君の事を食いやしないよ」
思わず身を縮みこませてしまった私を、その男の人は軽く笑った。じょ、冗談か。ならよかった。
「夕飯ってのはこれの事だよ」
男の人はそう言って、手に持った骨付きの肉を指差した。
私を引っ張り上げた時に取れたのかな。でも肉?魚じゃなくて?
「君も腹が減ってるだろう。こっちにきて食べたらいい」
確かに、あの時は確か昼だった筈だが、今は夜だ。あれから何も食べてないし、今更ながらお腹もグウゥゥゥと小さく音を鳴らしている。
少し恥ずかしいが、背に腹は代えられまいと立ち上がり、掛けられていた茶色い上着を纏いながら、男の人の側に歩いて行った。
この上着についてもお礼を言おうとしたのだが、男の人が「気にしなくていい」と言ってしまったため、何も言えなくなってしまった。顔に出ていたのだろうか。
(ん?なんかこの人かなりでかい・・・いや、私の視点も心無しか低いような・・・)
なんとなく気にはなったが、そんな事より飯を食わねばと思い、私は男の人から肉を受け取る。
(あれ、なんか、手も小さいような・・・)
思ってたよりも大きい骨付きの肉に、私はアムリと食らいつく。
美味しい・・・。
お餅のように柔らかいお肉。噛む度に肉の中の油汁が口の中で飛び散り、舌の上でジワリジワリと溶けていく。そしてまた噛むと、溶けた油汁もまた舌の上で弾けたかのように、そしてまた溶けていくかのように。
私は男の人の視線なんか気にせず食べ続けた。久しぶりにありつけたまともな食事(にしては少々ワイルドだが)に、私の口は止まる事を知らない。
「美味かったか?」
案外柔らかかった骨まで食べてしまった私に、男の人が声を掛けた。
私はまたお礼を言いたかったのだが、口の中に物が詰まっていたので、とりあえずコクリと頷いた。
「そいつはよかった。ところで、まだ何本かあるんだが、食うか」
男の人はたき火の方を指差す。そこにはまだあと五本ほどのお肉が残っている。
迷いなく私はもう一本を取り、トウモロコシを齧るように食べ始めた。
しかし、このお肉はさっきのと少し違う気がして、思わず首を傾げてしまった。
いや、美味しい事は美味しいのだが、なんというか、まだ生臭い感じがするというか、さっきの極上を食べてしまうと少し物足りないような・・・。
そんな風に考えている私から、男の人はお肉を取り上げてしまう。
「あっ・・・・」
「まあ少し待て。肉は減りはしないが少し工夫を加えなくちゃな」
「工夫?」
ちょいと見てろよと言って、右手でお肉を持ち、そのお肉に対して左手を翳す。
そして、彼は言った。
「フォイエ(天が授けし初めての贈り物)」
その瞬間、
男の人の左手から火が出た。
(えっ・・・・)
その異様な光景に、私は目を奪われた。
男の人は、そんな私を気にせず、バーナーのように放出される火を、お肉に満遍なく当てていく。
「あちちっと、少し待った方がいいかなって、どうしたんだ?」
白崎石子 16歳。
どうやら私は助けられたのではなく、異世界に飛ばされてしまったようです。