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「うわわわっ!」
あたしは慌ててシンバルさんから離れた。
「にょっほっほ、女子高生に抱きしめてもらえて、僕ちん、嬉しいよん!」
すっかり普段どおりの口調に戻ったシンバルさんは、さぁ、もう一度、今度はこっちから行くよん、と言わんばかりに両腕を広げて迫ってくる。
「うぎゃ~っ! 来ないで~~! ばっちぃ~~~!」
「自分から抱きついていったのに、桔花ってばひどいわね~!」
のわちゃんがニタニタ顔でツッコミの声を飛ばしてきた。
あたしに対して、ちょっとひどい言葉をぶつけてくることが多いのわちゃん。
桔花語はわけわからんと言ったり、頭頂部から伸びるふた房の髪の毛をゴキブリの触角と呼んだり、テンイムソウの思考ワープ娘と名づけたりした友達っていうのは、のわちゃんのことなのだ。
「うう……」
「ま、それはともかく。さっきのはいったい、なんだったの? さっさと答えなさい!」
相手は少々年齢不詳気味だけど、おそらく十歳くらいは年上の人だというのに、敬語も一切なし。
両手を腰に当て、鋭い口調で追求するのわちゃんの姿は、なんだかとっても凛々しかった。
「キミ、名前は?」
「鍵宮のわ、桔花の友達よ」
のわちゃんが素直に名乗ると、シンバルさんはとんでもないことを言い出した。
「度胸が据わってるね、のわくん。気に入った! 実は勝手ながら、キミを試させてもらっていたんだよん!」
「は……?」
「これで今日からキミも、キグルミントンのパイロットだ!」
「えっ? ちょっと、いったいなんなのよ!?」
さすがののわちゃんも目を丸くしていたけど。
そういえば、あたしのときもこんな感じだったと、今さらながらに思い出した。
……
…………
………………
興味本位でこの基地に不法侵入してしまったあの日。
薄暗い地下神殿のような場所をうろついていたあたしの背後に立っていた人影、シンバルさん。
「女子高生くん、よく来てくれたね。これも神のおぼし召し。さあ、この猫の着ぐるみを着てくれたまえ!」
と息を荒くして言われたときは、完全に変質者だと思った。
「なお、キミに拒否権はない。オレを怒らせないうちに、覚悟を決めるんだな。もし断るようなら、そのときはキミを消すしかなくなってしまう」
シンバルさんは急に変質者から暗殺者へと変貌を遂げたかのように口調を一変させ、鋭い目つきで脅しとも取れる……というより完全に脅しの文句をぶつけてきた。
恐怖心と地下の寒さによって、おしっこをちびりそうになりながらも、あたしは震える声で言い返した。
「あ……あなたなんかの言いなりにはなりません! あたしはこれでも空手の有段者なんですからね!」
考えてみれば、危険極まりない行為だ。
こんなあからさまなハッタリなど、効くはずもない。
すぐに逃げるべきだった。だけどあたしは、そんな考えに思い至ることすらなかった。
「ほほう? それにしては、構えがなっていないようだが。ちなみにオレは、柔道の黒帯を所有している。そうだな、寝技でもかけてやろうか」
シンバルさんはへっへっへといやらしい笑みを漏らす。
当然ながら、黒帯なんて嘘っぱちだったのだけど。それどころか、言っていることすべてが嘘っぱち。
そもそも自分のことをオレだなんて、この人は普段絶対に言わないし。
とはいえ、そんなの当時のあたしが知るよしもない。
ヤバい! あたし、この人にすべてを奪われてしまう!
若干飛躍しすぎかもしれない想像が頭をよぎる。
初めての相手は白馬に乗った王子様って決めてたのに!
でも、か弱い女子高生のあたしには、抵抗なんてできないよ。相手は黒帯を持ってるみたいだし……。
ここは人生経験だと思って諦めるしか……。
なんて、無理無理無理無理!
そうだ! 相手は男の人なんだから、股間を思いっきり蹴っ飛ばせば、痛みにもだえ苦しんでるうちに逃げられるかも!
そんなことを考えているあたしに、シンバルさんの小太りで汗べっとりの体が迫る。
足は出ない。
それどころか、腰が抜けたのだろう、あたしはその場にぺたんと座り込んでしまった。
「へっへっへ、それじゃあ、脱いでもらおうか」
「なにやってるんですか!」
突然大声が響き渡った。
言うまでもなく、あたしの声ではない。
新たに現れた人影が、シンバルさんを殴り飛ばしていたのだ。
うわっ! 白馬に乗った王子様が、本当に来てくれた!
あたしとしては、そう思ったものだ。
もちろん、馬に乗っているはずはなかったけど。むしろ乗っていたらおかしいけど。
「キミ、大丈夫?」
そっと手を差し出してくれたその人は、あたしよりはかなり年上みたいだけど、二十代半ばくらいと思われる超イケメンだった。
男性としては少し長めの髪がさらさらと揺れ、ほのかに爽やかな香りも感じられる。
声も川のせせらぎのように澄んでいて、耳に心地よく響いてきた。
「あの、ありがとうございました!」
あたしはその人――ソルトさんの手を支えに立ち上がり、素直にお礼を述べる。
と、ソルトさんは爽やかな声で、こんなことを言い放った。
「それじゃあ……この猫の着ぐるみ、着てくれるかな?」
この人も敵だった~~~~~!
あたしは普段からは考えられないほど素早い動作で、股間への蹴りを繰り出していた。
その後、逃げようとするあたしに、痛みにもだえるソルトさんから「待って」と声がかけられ、細かく説明してもらった。
ここがインベリアンと戦うための基地で、今はキグルミントンのパイロットになりうる人を探している最中だということ、そしてあたしにその適性がありそうだということを。
なにがなにやらわからなかったけど、どうにかこうにか脳細胞をフル稼働させて話が理解できた頃には、随分と時間が経ってしまっていた。
キグルミントンになれる適性があることは、基地の入り口にある生体センサーでチェックしていたらしい。
実は近々、基地の一部……過去に放水路として造られた地下神殿みたいな部分を一般公開し、見学可能にする予定だった。数年前まで実際に行われていたように。
そこで入り口を通過する人をチェックし、適性のある人材を見つける予定だった。
まだその準備中だったわけだけど、生体センサーはすでに設置されていて、あたしが侵入した際に適性チェックを通過してしまったのだという。
急だったためバタバタしてはいたものの、大慌てであたしのもとへ向かってきたのがシンバルさんだった。
シンバルさんがあんなことを言っていたのは、素直な感情を引き出すためだった、との話だけど。
どう考えても悪ノリしていたとしか思えない。
だからこそ、遅れてこの場にやってきたソルトさんも、堪えきれずに飛び出してきてくれたのだろう。
話を聞き終えたあと、あたしは股間を蹴っ飛ばしてしまったことを素直に謝った。ほんとに思いっきり蹴っ飛ばしてしまったし。
それでもソルトさんは、
「ううん、大丈夫。こっちこそごめんね、誤解させるようなことを言って怖がらせてしまって」
と、逆に頭を下げてくれた。
とても誠実な人なんだな。
あたしがそう思って惹かれていったのも、当然の流れだったと言えるはずだ。
単純に顔がカッコよくてタイプだったから、ひと目惚れしたというのもあるのだけど。
………………
…………
……
「ボクのほうから説明させてもらうね」
愛しの君、ソルトさんの爽やかな声が響いたのは、シンバルさんの言葉を聞いてのわちゃんが目を丸くした、そのすぐあとだった。
わっ、今日もソルトさん、カッコいい!
マンガやアニメだったら、あたしの目はきっと、わかりやすくハート型になっていたことだろう。
ソルトさんの話によれば、今回ものわちゃんが入り口を通った時点で、生体センサーでの適性チェックが済んでいるらしい。
加えて、のわちゃんにもあたしと同様、キグルミントンのパイロットとしての適性があるようだと語った。
あれ?
それって、つまり……。
あたしはお払い箱ってこと?
それとも、あたしと交代でキグルミントン・ニャンコになるとか?
のわちゃんも混乱している様子だったけど、あたしのほうも別の理由で混乱していた。
ただ、あたしの疑問の答えは、すぐに示されることとなる。
「というわけで、のわくん! キミにはキグルミントン二号のパイロットとなってもらうよん!」
シンバルさんがのわちゃんをビシッと指差し、ひときわ大きな声で宣言した。
二号。
すなわち、あたしとは別にもうひとつ、違う着ぐるみが用意されていたのだ。
新たな着ぐるみは、あたしがキグルミントン・ニャンコとなってすぐくらいの頃から開発がスタートしていた。
あたしの戦いぶりに難があったから……? と、少々不満に思ったりもしたけど、そういうわけではなかった。
都心に現れるインベリアンの数が徐々に増えてきていたため、開発を急いでいたのだという。
キグルミントンの着脱ルームは個室になっているのだけど、あたしが使っている個室の隣に、別の着脱ルームも用意されていた。
そこがのわちゃん用の着脱ルームだった。
似たような個室は、まだいくつか並んでいる。とすると、他にも増やす予定があるということだろうか。
ともかく、あたしはいつものように、猫の着ぐるみを身にまとう。
着脱ルームの中には、キグルミントン着脱用の自動装置がある。
まず、着衣をすべて脱ぎ、生まれたままの姿になってその装置に入る。
ドアが閉まると、数十秒程度で自動的に着ぐるみが着せられ、ドアが開いたときには着ぐるみ姿となっている。
いつも思うことだけど、素肌の上から着ていても、肌触りがとっても心地よい。
綺麗に洗濯して乾かし終えたばかりの、ふわふわでお日様の匂いがいっぱいのバスタオルに全身をすっぽり包まれているような、そんな感覚でもある。
あたしが着脱ルームから出ると、騒がしい声が響いていた。
「ちょっと、なによこれ!?」
「キグルミントン二号こと、キグルミントン・バニーだよん!」
シンバルさんが名称を告げた、のわちゃんが身にまとっている着ぐるみ。
その姿はまさに、バニーガールだった。
長い耳が伸びている頭の部分だけを見れば、あたしと同じで顔は丸出しなものの、もふもふとした毛並みがキュートなウサギの着ぐるみで、淡いピンク色のとっても愛らしい造形だと言える。
だけど一方、体のほうは露出度が高い……というか高すぎるほどの、バニーガールの格好そのものだったのだ。
肩は完全に出ているし、のわちゃんの豊満なバストも谷間がバッチリ見えていて、かなり際どい部分まで露出している。
下半身に目を向けてみると、ものすっごいハイレグ状態だった。
お尻の辺りに丸い尻尾がついているのは、確かにウサギを模していると言えなくもないけど。
それにしたって、なんというか、これは……。
「のわちゃん、えっちぃ格好……」
「うき~~~~~っ! このド変態っ! 脱がせろ~~~~っ!」
シンバルさんにツバと一緒に金切り声を飛ばすのわちゃんは、恥ずかしさと怒りで顔が真っ赤っかになっていた。
「こんなところで脱がせて、すっぽんぽんになってもいいのかい?」
「うぐっ……!」
のわちゃんは言葉を詰まらせる。
実際のところ、着脱装置に入らなければ、脱ぐこともできないはずだけど。
「シェリーさん、どうにかしてください!」
シンバルさんでは話にならないと考えたのか、のわちゃんはシェリーさんに助けを求めた。
でも……。
「え……? ごめんなさい、思わず見惚れちゃってたわぁ~! はぁはぁ、いい体……」
「この人も敵だ~~~~~~!」
のわちゃんの悲痛な叫び声が、静かな基地の一角にこだまする結果となるのだった。