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校庭から大急ぎで駆け出したあたし。
もちろん体操着のまま基地に向かうわけにはいかないため、更衣室で制服に着替え、教室までカバンを取りに戻ってから学校を出た。
あたしの通う高校は、基地があるのと同じ市内の共学校。
呼び出しがかかった場合、迅速に基地へと向かうように言われている。
だからこの高校を受験した、というわけではないのだけど。
実際、あたしがキグルミントンになったのは、高校に入学したあとのことだし。
今は六月の終わりくらいだから、キグルミントン・ニャンコとして戦い始めて、まだ三ヶ月も経っていないことになる。
……
…………
………………
あれは、高校に入学してまだ一週間も経たないある日のことだった。
学校の授業が終わり、あたしはのわちゃんと一緒に下校した。
あたしとのわちゃんは同じ中学校の出身で、今の高校からも歩いて通える距離に家がある。
家に帰り着いたあと、そのままだらだらしていてもよかったのだけど。
天気もよかったから、あたしは放浪の旅に出ることにした。
といっても、当然ながら遠出をするはずがない。歩いて適当にその辺を散策するだけ……つまりは単なる散歩だ。
春のぽかぽかした陽気の中、散歩をしていると、とっても気持ちがいい。
ただ若干の誤算があった。激しく暑かったのだ。
汗がだらだらと流れてくる。制服のまま来てしまったのは大失敗だった。
とりあえず涼を取ろうと考え、ちょっとした林を見つけたあたしは、迷わず足を踏み入れていた。
その林の奥のほうに、なにやらコンクリートで出来た小さな建物があり、扉がついていた。
ツタが絡まってはいるものの、扉を見る限り、さほど古そうには思えなかった。
日の当たらない林の中に経つ、コンクリートの建物。ということで、触れてみるといい感じに冷たい。
ここで休んでいこうと腰を下ろし、扉をなにげなく見つめていた。
鉄製の扉。
厳重な錠前なんかが掛けてありそうなものだけど、そういった気配はない。
開いたりして。
なんとなく横に引っ張ってみると、難なく開いてしまった。
中をのぞき込めば、地下へと続く石の階段が見える。
探究心をそそられたあたしは、わくわくしながら階段を下りていった。
林に入ってもなお暑さが消えていなかったから、地下なら涼しいに違いない、と考えた部分もあったのだろう。
薄暗い中に、自分の足音だけが響く。
階段は途中で折れ曲がったりしながら、下へ下へと続いた。
すでに涼しいと通り越して、寒いくらいになっていた。
まだ四月だから長袖の制服だったとはいえ、それでもぶるぶると震えが止まらないほどの涼しさが全身を包み込む。
やがて、広い空間に出た。
そこは、以前にも見たことのある光景と非常によく似た空間だった。
あたしが思い出していたのは、地下神殿とも呼ばれていた放水路だ。
観光用に開放されることもあったその地下神殿には、小学生の頃に見学に行った経験があった。
もっとも、入り口はここから随分離れた場所にあったはずだし、それも何年か前に封鎖されたと聞いている。
だけど……そうすると、ここはいったいなんなのだろう……?
疑問符を飛ばしながら、きょろきょろと周囲を見渡す。
あたしはかなり地下深くまで下りてきた。
それなのに、神殿のような柱の様子はしっかりと視界に映り込んでくる。
考えてみれば、階段を下っているあいだも壁や足もとが見えていた。
ここまで深い地下だと、自然の明かりが届くとは思えない。おそらく電気が通され、常時明かりが点灯しているのだろう。
寂しく冷たい地下深くにただひとり。
恐怖心も湧き上がってきてはいた。それでも、好奇心のほうが勝ってしまった。
あたしは周囲に目を向けながら、地下神殿のような場所をゆっくりと歩き回っていた。
そんなときだった。
背後に突然、人の気配を感じたのは。
驚いて振り返ったあたしの目に映ったのは、はぁはぁと荒い息を吐き出す、小太りで真四角レンズのメガネをかけた男性の姿だった。
……いや、まぁ、それがシンバルさんだったわけだけど。
あのときは、本当にびっくりした。というか、絶対ヤバいことになる、って思った。
実際、ある意味ヤバいことに巻き込まれてしまったのは、紛れもない事実だと言えるのかもしれないけど。
そこが日本防衛隊支部地下神殿基地で、あたしはキグルミントン・ニャンコとして戦うアルバイトという立場になったのだ。
………………
…………
……
わずか二ヶ月半くらい前の出来事を思い返し、微かに笑みをこぼす。
あたしは今、基地へと続く薄暗い階段を下りているところだ。
笑える状況なのかというと、ちょっと微妙かもしれないけど、それなりに充実した生活を送っていると、あたし自身は思っている。
だからきっと、あの日ここに足を踏み入れたのも運命だったのだ。
そしてそのときの、運命の出会いも――。
ソルトさんの顔を思い浮かべ、微かな笑みがニヤニヤ顔へと変わる。
今日は会えるかな。
そんなことを考えながら、あたしは意気揚々と基地の入り口をくぐった。
「おっ、来たね、桔花ちゃん。早速出動だ!」
「シェリーさん! はい、わかりました!」
出迎えてくれたのがソルトさんではなくシェリーさんだったことを、少しだけ残念に思いつつ。
あたしがキグルミントンの着脱ルームへと向かおうとした……そのとき。
「ちょっと、桔花! なんなのよ、ここは!?」
唐突に、よく知った声が響き渡った。
「の……のわちゃん、どうして!?」
そう、それはのわちゃんだった。
先生に連絡を頼んだはずなのに……!
「桔花がなにやってんのか気になって、私も早退させてもらったのよ!」
「そっか、じゃあ先生に連絡はしたのね。よかった」
ほっと胸を撫で下ろす。
でもすぐに、安心していられる状況ではないと気づいた。
「あの、えっと、のわちゃん、これはね、その……」
はてさて、どう説明したらいいものやら。
視線を向けてみると、シェリーさんも困惑している様子だった。
そこへ、さらなる人物が場を混乱させるように登場した。
「秘密を知られたからには、消すしかないな……」
それはこの基地で一番偉い支部長の立場にある人物――シンバルさんだった。
シンバルさんの言葉に、顔が青ざめる。
えっ? 消す……? のわちゃんを……?
だけど、べつに秘密だとか、そういうわけではなかったんじゃ……。
そう思いながらも、若干うつむき加減で見たこともないほど真面目そうな表情のシンバルさんを見ると、不安ばかりが胸に募る。
なにも言えないあたしの前で、のわちゃんは果敢にもシンバルさんに食ってかかった。
「消す……ですって? そんなこと、できるものかしら。人ひとり消すのって、そう簡単なことじゃないわよ?」
「ふっふっふ、それは普通の人ならばの話だろう? オレはあいにく、裏の世界にいる人間でね。お望みとあらば、戸籍や記憶さえ改ざんして、キミの存在をこの世から完全に抹消してやろう……」
普段のシンバルさんからは考えられないほど、低く押し殺した声だった。
お得意の『にょっほっほ』という気色悪い笑い声もない。
これって、もしかして、本当にヤバい……?
ダメ……のわちゃん、逃げて!
小学校時代からの友人でもある、一番仲のよい女の子、のわちゃんを助けるための言葉すら、恐怖で震えて出てこない。
のわちゃんひとりも守れないのに、キグルミントンになって日本を守るだなんて、生意気なことをよくも言えたものだ。
自分自身に対する苛立ちまで湧き上がってくる。
そんなあたしとは対照的に、のわちゃん本人は実に落ち着いたもの。
「どうぞ、やってみなさい。私は逃げも隠れもしないわ!」
「そうか、ならばお望みどおり……」
「ダメ~~~~~~っ!」
ようやくあたしは動く。
シンバルさんがこんな人だったなんて。
正直驚いているし、怖くて膝もガクガクしている。
それでも、あたしはのわちゃんが大切なんだ!
のわちゃんを消すなんて、そんなことさせない!
あたしは思いきってシンバルさんに飛びかかった。
両腕を使って必死にシンバルさんの体を押さえ込む。
涼しい地下基地の中なのに、シンバルさんの体は汗べっとりで気持ち悪かったけど。
そんなこと、言ってられない!
「ここはあたしに任せて、のわちゃん、逃げて~!」
必死の叫び。
「桔花……」
のわちゃんは感激に打ち震えた声をこぼした。
……と思ったら、そうではなくて。
「あんた、そんなデブ男が好きなの?」
「ふえっ?」
気づけばあたしは、シンバルさんを両腕でがっしりと押さえ込んでいる状態――つまりは思いっきり強く抱きしめているような状態になっていた。