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不意に。
すくっと、のわちゃんが立ち上がった。
「桔花、愛憂!」
「えっ?」
「はい~?」
「やるわよ!」
「なにを?」
「エッチなことですかぁ~? 女の子同士で、しかも三人ですけど~……」
「な……なに言ってんのよ、こんなときに! インベリアン退治に決まってるでしょ!?」
言うが早いか、のわちゃんは動き出していた。
クモの姿をしたインベリアンに、体当たりをぶちかましたのだ!
「これ以上インベリアンが増えたら、それこそどうにもならなくなるわ! 気色悪いけど……一度触っちゃえば、もうどうってことない! そっちはふたりに任せるわよ!」
クモに触れた腕の部分を気にしながらではあったけど、のわちゃんは力強く言い放つ。
「そう……ですね~。わかりましたぁ~」
すぐさま愛憂ちゃんも立ち上がる。
「毒の危険性のあるクモをのわさんが受け持ってくれるのでしたら、どうにかなると思いますぅ~。ムカデなら毒もないでしょうし~」
『いや、ムカデも毒を持っている。むしろ、すべての種で毒を持っているから、クモよりも毒の危険性は高いかもしれない』
「ちょ……ちょっと、シェリーさん~。覚悟を決めているところなのに、余計な解説を入れないでください~」
『ああ、すまない。ムカデの場合、毒はあっても毒性は低い。昆虫などならともかく、人間が死に至るほどの毒ではない。だから大丈夫だ、安心しろ!』
「わたしの場合~、毒ってこと自体でトラウマになってるんですが~。でも、そうは言っていられませんねぇ~!」
さすがに怯え気味ではあったものの、愛憂ちゃんもムカデに飛びかかった。
対するムカデも、不意打ちではなかったからか、反撃に出る。長い胴体を巧みにくねらせ、愛憂ちゃんの全身を絡め取ったのだ!
ムカデともども、ビル群のあいだに倒れ込む愛憂ちゃん。
巻きついた胴体から伸びる無数の足が、愛憂ちゃんの柔らかい肢体に容赦なく食い込む。
「あふっ……」
なんだか妙に艶かしいうめき声を上げ、愛憂ちゃんが身をよじって逃れようとするも、一向にムカデの足は外れる気配を見せない。
ならば作戦変更とばかりに、愛憂ちゃんは両腕を伸ばし、ムカデの胴体に力強く抱きつく。
逆に締め上げるつもりなのだ!
ムカデのほうは、愛憂ちゃんを胴体で巻き取って絞め殺す構えだった。それも功を奏したと言えるだろうか。
一番恐れている毒を持ったアゴは、愛憂ちゃんの頭よりもかなり上のほうに位置している。
これならば噛みつかれるような心配もない。
もちろん、全身にあんな気色悪いムカデが絡みつき、肩にも胸にもおなかにもお尻にも太ももにもふくらはぎにも食い込んでいる状況なんて、発狂ものだろう。
しかも自ら腕を絡めて抱きつき、そしてそのまま胴体をちぎってしまおうだなんて。
絶対に返り血というか返り体液がべっちゃりついて、最悪の状態になってしまうに違いない。
それでも愛憂ちゃんは、戦う覚悟を決めたのだ!
あたしは非情にも、よかった、助かった、なんて考えてしまっていた。
だけど……。
のわちゃんはさっき、なんて言っていた?
そっちはふたりに任せる。そう言っていたじゃないか。
なのにあたしは、まだ腰を抜かしたまま。
目の前で展開されている、ちょっといやらしくも思えるムカデと愛憂ちゃんの絡み合いの光景を、ただ呆然と見つめることしかできない。
仕方がないよね。だって、動けないんだもん。
大丈夫、のわちゃんと愛憂ちゃんが戦ってくれる。
戦える人が戦えばいいんだ。
必死に頑張ってはいるけど、愛憂ちゃんは全身をムカデに絡め取られてすごくピンチなのに、あたしは安堵の息をついていた。
油断していたのがいけなかったのだろうか、不意に体の自由が利かなくなる。
「えっ?」
よく見れば、あたしの体は白い糸のようなものでぐるぐる巻きにされていた。
クモがお尻をあたしのほうに向け、糸を飛ばしてきていたのだ!
糸の一部は顔面にまで巻きついてくる。
「うぐっ!? けほっ、けほっ! 白いの、口の中に入ってきた~! ぺっぺっ! なにこれ、変な味~! ちょっと飲んじゃったかも~……」
『セリフだけ聞いてると、なんだかエロいな……』
よくわからないツッコミを入れてくるシェリーさんの声は聞こえていたけど、そんなのに構ってはいられない。
全身を糸で絡め取られたあたしの運命やいかに。
カメレオンみたいに、そのままお口にパクリ!?
相手はクモだから、糸は普通、巣……というか、昆虫とかを捕らえる網を作るために張るものよね。
このままお口に運ばれるってわけじゃないか。
それにしても……お尻から出てるってことは、この糸ってすごくばっちぃんじゃない!?
っていうか、口の中に入ってきて、しかもあたしさっき、少し飲んじゃったよ!?
困惑するあたしに、のわちゃんからの怒鳴り声が飛ぶ。
「もう、なにぼーっとしてんのよ、あんたは!」
「だってぇ~。お尻から出てきた糸なんて、汚いし~」
『大丈夫だ、クモの糸は肛門から出るわけじゃない! 出糸突起っていうのがおなかの端のほうにあって、そこから出るんだ! 場所は近いが、ウンコじゃない!』
うわぁ~、シェリーさん、はっきり言った!
でも、そうか、違うんだ。よかった。
「それにしても、ムカデの話といい、シェリーさん、どうしてそんなに虫に詳しいんですか?」
『……シンバルの奴が小さい頃から虫好きでな。実物を見せながら、嬉しそうに解説してくれやがったんだ! 何度も何度も! 毎回泣きながら聞いていたよ、私は! そのせいで、しっかり覚えてしまった! 想像なんてしたくもないのに、鮮明な映像つきで!』
なんというか、嫌~な過去だ。
ただ、泣きながらも話を聞いていたあたり、シンバルさんとの仲のよさがうかがえる。
ふたりは幼馴染みで、今の基地ができる前の研究グループだった当時から、一緒に研究・開発する仲間として力を合わせてきたらしい。
シンバルさんは女子高生が好きな変態だし、シェリーさんも百合っぽくて女の子が好きな変態だけど、考えてみればすごくお似合いなのかもしれない。
おっと、そんなほのぼのした妄想に浸っている場合じゃなかった!
クモの糸でぐるぐる巻きにされたあたし。その状態のまま、体が浮かされる。
いや、糸によって、空中に持ち上げられたのだ!
「ちょっと!? 糸じゃなくて、これじゃ腕だよっ!」
まさにその言葉どおり、クモは糸を腕のように操り、あたしを空中でぐるんぐるんと振り回し始めた。
「あう……酔うぅ~~。また、吐きそう……」
振り回されるスピードは目に見えて速くなっていく。
というか、周囲の風景が、目に見えないほどの速度で流れていく。
凄まじい遠心力によって、体が外側から剥がれて徐々に飛び散っていきそうな、そんな感覚にさえ陥る。
と、不意に拘束が解かれた。
回転していた手から放たれたハンマー投げのハンマーのように、あたしは宙を舞う。
飛ばされた先には、巨大なビル。
ぶつかる!
そう思った瞬間、
「危ない!」
「きゃっ!」
激しい衝撃があたしを襲う。
にもかかわらず、背後のビルが破壊されることはなかった。
「くっ……。桔花、大丈夫だった?」
「のわちゃん!」
そう、のわちゃんが自らの身をビルとのあいだに素早く滑り込ませ、あたしを受け止めてくれたのだ!
ありがとう、のわちゃん! あたしを守ってくれて!
感謝の言葉を口にするより早く、のわちゃんのゲンコツが容赦なくあたしの頭にヒットしていた。
「なにやってんのよ! 自分のすべきことを、ちゃんと考えなさい!」
「うっ……」
反論できない。
ゲンコツじゃなくて、せめてビンタにしておいて、といった文句すら返せない。
あたしを睨みつけるのわちゃんの瞳は、怒りの炎を何百万度にも燃え上がらせていた。
なにか言いたそうな顔ではあった。
それでも、のわちゃんはなにも言わず、クモのインベリアンへと飛びかかっていく。
自分のすべきことを、しっかりと成し遂げるために。
そんなのわちゃんの後ろ姿を見つめながらも、あたしは結局動くことができなかった。
やがて、のわちゃんがクモのインベリアンを蹴り上げ、自らも跳び、全体重をかけた膝を乗せたまま地面に落下。
見事、敵を撃退する。
まばゆい光に包まれ、星屑をまき散らしながら空気に溶け込んでいくクモ。
それとほぼ同時に、愛憂ちゃんもムカデ型インベリアンを締め上げていた腕により一層のパワーを込め、強引に胴体をぶった切る。
そして、緑色の体液を飛び散らせるムカデも輝き出し、クモと同じようにデリートシャイニー状態へと入った。
二体同時に襲いかかってきたインベリアンを、ようやく退治することに成功したのだ!
巨大化を解き、オペレーターであるシェリーさんのもとへと集まった面々。
のこのこと戻ってきたあたしの顔を見るなり、のわちゃんは怒りを爆発させた。
「ふざけんな! 桔花も戦え!」
鬼か悪魔か般若か修羅か。
のわちゃんはそんな恐ろしい顔で、心の奥底から噴き出してくるマグマを止めようともしない。
あたしにだって、今日の自分がひどかったのは、充分わかっている。
戦っている最中だって、わかってはいた。
わかってはいても、どうしようもなかったのだ。
「でも……」
「でもじゃない!」
言葉を返すことさえままならず、肩をすぼめる。
「まったく……。ほんっと、ダメダメね、あんたは!」
のわちゃんの怒りは、留まるところを知らない。
「まぁまぁ、そう言わないでください~。桔花さんはあれでも、頑張ってくれていたと思いますよぉ~?」
「あんたも気楽に構えすぎなのよ! だいたい、桔花は頑張ってなんかいないわ! 震えて泣き叫んでるだけだったじゃない!」
愛憂ちゃんがフォローを入れようとしてくれたけど、のわちゃんはあたしを責め立て続ける。
のわちゃんの言うとおりだ。言い返せるわけがない。
自分自身が情けなくて、涙が溢れてくる。
「ほら、また泣く! 泣けば許してもらえるとでも思ってるの!? これだから、お子様は嫌になるわ!」
「ううう……」
涙を止めることも、のわちゃんの怒りの声を止めることもできず、ただ肩を震わせるだけのあたし。
「のわちゃん、それくらいにしてあげなさい。桔花ちゃんだって反省してるはずだ」
シェリーさんが助け舟を出してくれたけど、あたしはそれでも、なにも言えなかった。
とはいえ、上司という立場にあるシェリーさんから諭され、のわちゃんも少しは頭が冷えたのだろう。
それ以上、あたしを罵倒するような言葉を吐き出してはこなかった。
「インベリアンの現れる頻度が増えてきて、さらには単体のインベリアンも強力にもなってきている。だからこそ、人員を増やしたんだ。ひとりで戦っているわけじゃない現状では、チームワークが大切になってくる。三人いるんだから、それぞれの力の特性を理解して、役割分担を考えなさい」
『はい』
三人で声を合わせて答えはしたものの。
シェリーさんの言葉をしっかりと胸に刻みつける精神的余裕なんて、今のあたしにあるはずもなかった。