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大坂城

日本史上最高の城、と喧伝されて築城中の大坂城。

秀吉が「古今東西にない巨大さ、防御力、そして重厚さと機能美を備えたものを造れ」と言って自ら何度も図面を(あらた)めて作っている城である。

既に八割が完成しており、側衆や文官などは城の中で慌しく動いている。秀吉の側衆である宮部継潤などはそこにいるはずである。

(誰かいい人材を紹介して貰わないとな)

さて、その大坂城である。その巨大さは古今比類なきものであり、日本史上この城を超える巨城は存在しない。

別名、錦城。石山本願寺の跡地に築かれた、秀吉の権力の象徴であり、天下を治める中心となる城である。

北に淀川が流れ、天然の要害となっており、淀川を利用した水運にも都合がよく、その淀川を溯れば京へと到る。

経済の中心となる大坂にふさわしい城である。

ただし、この時点ではまだ本丸しかない。二の丸、三の丸などはこれから造られる。今は五重の天守閣に漆が塗られ、金を貼り、その豪華さを際立たせている。

この城に、秀吉に味方している諸将が集っている。柴田勝家を滅ぼしたと言っても、まだ秀吉の政権は安定していない。

東に徳川家、さらに東に北条家、四国に長宗我部、九州に島津氏と秋月氏もいる。東北には伊達。もっと近場で言えば雑賀衆も秀吉の配下になったわけではない。佐々成政も反秀吉の姿勢を崩しておらず、柴田を討った時点での秀吉は近江から京、姫路などを押さえただけで、友好関係にある毛利を含んでも京周辺から中国筋までが支配の及ぶ範囲であった。

それらの勢力に対する示威もあっただろう。最も、今の段階でこの城が囲まれるような事態になれば、秀吉の天下など夢物語だが。


秀次は徒歩で本丸へと進んでいく。

特に秀吉に逢う事が目的ではなく、かつての養父に逢い腕のいい将を紹介してもらおうということが目的である。

番兵に軽く挨拶しながら御用部屋などを回ったが、あいにく三好康長は不在であった。

宮部継潤とは逢えたので、早速用件を切り出す。

「ふむ、武将を紹介してほしいと?」

「そうなんだよ、宮部の父ちゃん」

父ちゃん、という言葉に宮部継潤は少し頬を緩ませて微笑んだ。

思えば、不思議な子だった。養子という名目の人質として自分の所に来た男。人質という立場をまったく感じさせないような立ち振る舞いで、周囲から貪欲に知識を習得していった。穏やかな性格で人から好かれる、何か独特の雰囲気を持っている少年だった。父ちゃん、という言葉に宮部継潤は少し頬を緩ませて微笑んだ。

ふと、あの頃のことが頭に浮かぶ。

浅井・朝倉の連合軍。さらには本願寺勢力に寺社仏教勢力まで加わり織田家は完全に包囲されていた。普通に考えれば武田の侵攻によって完成した織田包囲網によって信長は滅ぶ。そう観測するのが普通であろう。それをこの人質に意地悪く告げた家中の者がいたが、彼はこう返した。

「武田は織田に勝てません」

はっきりと言い切られて言われたほうが怯んだ。

なぜだ、武田の強さを知らぬのか、となおも言い募ったとき、この少年は堂々と言った。

「上杉がいる限り、武田は全軍を尾張に持ってくることはできません。途中には徳川家がいます。これは負けるでしょうが。時を稼ぐという意味では勝つでしょう。信長様は」

そこで彼は質問者を初めて振り返った。

「信長様は勝ちます。武田信玄との戦こそが、信長様の本当の強さが知れる戦いになるでしょう」

そう言って秀次はまた書物に戻った。

完全に勝つ、と断言するまだ元服すらしていない少年。ただの子供の戯言ではなく、何か確信を持っている。

「虚勢を張っているのよ。可愛い奴ではないか」

そう言う声もあった。しかし、その後の武田の撤退、そして織田家中に流れた「信玄が果てた」という話。

ここまで読んでいたのか? どうやって情報を知りえたのか、それとも我らが武田の動きを見る眼とこの少年が見る眼はまったく違うというのか……。

「で、誰かいない?」

「……ん。そうじゃったな。前野殿、田中殿は軍の統率を取るとなると、お主がほしいのは、さしずめ豪傑かの? 前線にて兵を叱咤しながら斬り進む者か」

「さすが父ちゃん! そうなんだよ。小隊の頭が欲しいんだ。できれば強い奴」

「ふむ、要は先駆けじゃな。一人紹介できるぞ」

「お、それなら是非! どんな人?」

こういうとこは無邪気だ。……しかし武田戦だけではない。その後の情勢などもほぼ的確に当ててきた。孫七郎よ、わしは今でも人質ではなくおぬしを羽柴様の元へ帰しておくべきだったと思っている。そうすればきっと。この男は竹中半兵衛、黒田官兵衛と並び立つこともできたろうに……。

「まあ、二万石になったのじゃ。確かに前線の将も欲しかろう。よし、わしから話しておこう。ただ、石高は千石ほど与えてやってくれ」

「千石? それはまた、二万石しかない俺には結構なもんだな。誰?」

「美濃の出だ。元は明智や柴田殿の下で働いたこともある。名を可児才蔵という」

可児才蔵。『笹の才蔵』と呼ばれた豪傑である。なんでも首を多く取るので持ち運べずに、取った首の口に笹の葉を差し込んでおいて後から首の数を数えたという。筋目もはっきりしており、織田家の兵卒としても戦歴は長い。

(うってつけだな。大名になってないのに、後世に名が伝わるほどの豪傑だ。これで小牧・長久手の戦いでの危険が減るな)

小牧・長久手の戦いでは基本的ににらみ合いになる。だが、万が一、史実通りに秀次が総大将として別働隊が編成されたら命の危険がある。

可児才蔵は、史実で別働隊の撤退時に秀次に「馬をよこせ」と言ったら「雨降りの傘にて候」とか言って馬を貸さなかったという逸話もあるが・・・強いのは間違いない。

もし撤退しなればならないような状況になれば、彼のような豪傑を側に置きながら退くのが安全だろう、と秀次は判断した。

(千石取りか。侍大将としてはそれなりの地位だけど、今の二万石から出すのはなかなか厳しい。それでも雇っておくべきだな)

「わかった。千石、約束しよう。取次ぎをお願いしていいかな?」

「それはわしから話しておこう。日を見てお主の下へ馳せ参じさせよう」

 こうして可児才蔵が新たに秀次配下に加わることになる。

「じゃ、俺は秀吉様に挨拶してくるよ」

「ああ」

そう言って秀次は部屋を出て行った。その後姿を見ながら、宮部継潤は目を細めていた。

(立派になっていく。相変わらず、肩の力の抜けたいい雰囲気を持っておる。今の世にわしは大した功績は残せまいが、そのわしを父と呼んでくれる。優しい子じゃ。しかし羽柴様が天下を目指せばおのずとあの子の立場も上がってしまう)

できれば戦などと無縁の場所で過ごさせてやりたかった、と考えてしまう宮部継潤であった。


宮部継潤と別れた秀次は秀吉に会うために謁見の間へと歩いていく。

(ほんとに無駄に広いな・・・)

謁見の間までにどれだけの部屋があるのか、数えるのもうっとおしいのですらすらと進んでいく。

秀吉が諸将を謁見する公式の場所が謁見の間である。広大な畳敷きのその部屋の前には取次ぎの男がいた。

「よ、ご苦労さん」

秀次は気軽に声をかけるが、相手は表情を動かさずに返した。

「上様がお待ちです。規則でありますゆえ、刀などは全てここに……」

「持ってないよ、もともと」

普通、武士はどこに出かける時も帯刀している。が、秀次は、今日は刀を帯びていなかった。どうせ使えないので、公式行事に臨む際の、帯刀の必要な時以外はほとんど刀を外していた。

それを聞いた取次ぎの男、石田三成は少し驚いたようだ。

「刀を持っておられぬのですか」

「使えないからな」

平然と答えると謁見の間へと進んでいく。

ふと、秀次が振り返って三成の顔を見た。

「なにか」

「いや、なんでもない」

そう言ってさっさと行ってしまった。

(あれが石田三成か。これまであんまり関わってなかったけど、文官筆頭で後にあの家康と関ヶ原の戦いでやりあう男なんだよな)

いまさらながら、ここは戦国時代なんだよな、と再認識していた秀次であった。

さて、顔を見られた石田三成は若干怪訝そうな顔になっている。一応、秀次は秀吉の甥であり、現在では唯一の「後継者候補」である。

三成は秀次の評価を関係ある人々からいくつか聞いたがほとんど同じであった。

「時に驚くべき洞察力を発揮なさるが、基本は心証穏やかにて知に長けるお人ですな。

 古典や古事にも詳しく、気さくな人柄で下々の者からも慕われておりますな」

まず高評価と言っていい。

実際には「知に長ける」と言っても、人質時代は勉強くらいしかすることがなかっただけである。

驚くべき洞察力、と言われても秀次にとっては「最初から知ってる」だけなのだが。

(わざわざ振り返って私を見た意味はなんだ?)

三成は理論的な男である。ゆえに、相手の行動にも理論が伴っていると考える。

(私という男を見極めようとなされていたのか)

それとも何か別の思惑があったのか。

衆道にはまるで興味がない人物と聞いている。

思考の海に沈みながら、三成は秀次を見送った。


「来たか、秀次」

秀次が対面した秀吉は上機嫌だった。

大坂城が完成間近であり、着々と進む天下統一へと向けて鼻高々と言ったところであろうか。

(来年には家康&信雄という智将&愚将コンビとやりあうことになるのに・・・)

史実での小牧・長久手の戦いである。

信雄だけなら楽勝なのになぁ、今からでも家康を懐柔できないもんか。

そう考えることもある秀次だが、家康の懐柔はこの時点では不可能である。

別に徳川家康は秀吉の部下ではない。かつての秀吉の主君、織田信長の同盟者である。

言い方を変えれば、秀吉の主君だった男と同格なのだ。

秀吉が信長の敵討ちという偉業を成し遂げようが、「それは重畳」と一言祝いを寄こして終わりでも、無礼にはならない。

秀次は新たな領地のことや新規召抱えの部下の話などを秀吉にした。

それを聞いて秀吉はうなづいてから本題を切り出す。

「秀次、来月にはこの大坂城に諸大名を招いて宴を催そうと思う」

「はっ」

「秀長を補佐してやってくれ。出迎えの饗応を怠るな」

「承りましてございます」

かしこまって受ける秀次だが、目線は少し上げていた。

「何か存念があるようじゃの、秀次」

秀吉は秀次の能力を買っている。

身内の少ない秀吉ゆえの身贔屓でもあるが、秀次はまずそれなりの評価を得ている男である。人質に出した宮部、三好ともにこの若者を大いに評価していた。古典を学び、政治学も学び、誰彼問わず気さくに話しかけるということで、大層評判が良かった男だ。

何せ秀吉には親類縁者が少ない。一族郎党が少ないのはこの時代では弱みである。

宮部などは「なんど上様の元へお返しようかと思いました。彼の者であれば、竹中半兵衛様、黒田官兵衛様と並び称させる軍師となりえたと、私は未だに悔やんでおります」

そんなことを言っていたが、最初は人質とはいえ自分の手で養育した者を売り込むことによって自分の立場を押し上げようと考えているのか? と邪推したが、どうも本気のようだ。

三好は養子縁組をしていたことを「孫七郎様、この三好、つまりは源氏の名を継ぐものであります。ゆえに孫七郎様にも源氏としても格式や歴史を学んで頂きます」

そう言って様々な文献などから源氏の講釈を受けたようだが、色々と秀次の返しに驚かされたという。

「源氏も平氏も全国に散ってしまっているが、この三好家と他は明智殿が正統なる家系のひとつですな。関東に座る北条家は元は伊勢家より出ているそうですし、それを隠すどころか誇りにしていますな。彼らは西には興味なく、鎌倉幕府時代のように東に強大な政権を確立しようとしているのでしょう。しかし、源氏、平氏であれば朝廷から官位が貰いやすいという利点はありますな」

いつ北条家の元が伊勢家などということを知ったのか。これには皆驚いたという。

様々な秀次の評判を聞き、秀吉はこの若者に期待せずにはいられなかったのだ。

「織田信雄殿もお招きになるのでしょうか」

その答えに秀吉は満面に笑みを浮かべた。

「さよう、招くことになろう。でだ、秀次。信雄めは来ると思うか?」

「来ないでしょう。大阪城で宴を貼るから招く、とは主家が臣下に対して行う行為に等しいと存じます。あの方は、織田家の後継者を諦めてはおりますまい」

その明確な答えに秀吉も深く頷く。

「そうだな。信雄は来ない。だが、いつかはあの男にも立場を教えてやらねばならん」

「一戦しても……ですか」

「聡いの、秀次。まあ見ておれ、今に信雄からわしに挑戦してきよるぞ」

自信たっぷりの秀吉。

秀次は当然知っているが、信雄の重臣が秀吉に懐柔され寝返った、との噂が流れる。

むろん、噂を流すのは秀吉陣営であり、その噂を真に受けた信雄は重臣を殺してしまう。

これを口実に秀吉は信雄討伐の軍を起こすのである。

つまり、尾張に軍を進める。

これはいいが、秀次はやはりこの戦いは気が乗らなかった。

「何か存念がありそうじゃの、秀次」

「は。信雄殿と戦となれば、信雄殿は徳川殿を頼るでしょうな」

徳川、という単語を聞いた秀吉は瞬時に真顔になった。

「おそらくな。信雄は徳川殿を頼りに兵を挙げるであろう。

 しかし徳川殿にどれくらいやる気があるかは疑問じゃの。

 勝ち目も薄い、勝っても信雄が自分の領地を割いてまで徳川殿に報いるとは思えんしの」

徳川家康は無駄を嫌う。織田信雄と羽柴秀吉の戦いなど「織田家の内部争いでございましょう。我々は手出しせぬことをお約束しましょう」とでも言っておけば無視できてしまう。

「それでも、信雄殿は徳川殿が応援せねば、単独での戦は無理でしょう。

 徳川殿が兵を出したとして、国力では上様が勝っておりますが」

ふん、と秀吉は鼻を鳴らした。

「まあ、それでも徳川殿は信雄殿と組んで立つであろうな。

 徳川家単体では戦にならん。信雄の百万石があってこそ、様々な戦略も立てられよう」

それは確かにそうである。

既に国力の差がついている以上、信雄の百万石の兵力あってこそ、秀吉陣営と対陣しえるだろう。

「それと外交によって全兵力を尾張に向けれないようにするでしょうな。

 そして有利な場所を選んで対陣する。というところですか」

秀吉は苦笑した。

「そこまで読んでおるなら話は早いわい。わかっておろうが、徳川殿の狙いはわしの首などではない。

 ある程度の勝利を飾り、こちらに高く自分達を売りつける算段よ。

 封土を削らず、我らからの干渉を受けないような戦後交渉のための戦じゃで。

 信雄はそれに利用されるだけじゃろう」

「役者が違うでしょうからな」

「左様」

ここで秀吉は秀次に顔を近づけて低い声で言った。

「これはの、秀次」

鋭い眼光で秀次を見据える秀吉。

「織田信長公亡き後、この日の本を誰が導いていくのか、それを天下に知らしめる戦ぞ。

必要な戦じゃ。信雄など、脇役に過ぎぬ。織田家の名を持っていなければ、この舞台に上がることすらできぬ」

そこまで言って秀吉は扇子で自分の肩をぽんぽんと叩きながら言った。

「気張れよ、秀次。よく秀長を補佐せよ。柴田や滝川などの戦いとはまったく違う戦となろう。饗応の件だけではなく、よく周辺諸国に手配りせよ。

特に北陸の佐々成政などは頼まれもせずとも勝手に反抗してきよるわ」

佐々成政の秀吉嫌いは有名である。

草履取りが追従と下賤な贈賄によって織田家の将として成り上がったと毛嫌いしている。

「承知しました」

秀次は平伏して答えた

こうして、小牧・長久手の戦いへと歴史は進み始める。

その中で秀次の足掻きも始まっていく。


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