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疑心暗鬼

人の歴史がどれほど積み上がろうと変わらない事がある。

戦争とは始めるより終わらせるほうが難しいという事だ。



秀次と名護屋城で会談した三成は、素直に秀吉から出された講和条件を変更する気である事を話した。

越権行為としても、現実にその内容が通るはずはないと語り、秀次の理解を求めた。


「まあ、仕方ないだろう。実際に明が引きさがるとは思えんしな」

それが秀次の答えであった。

「やはり、そう思いますか」

「その内容ではどうしようもないな。そのまま提示したら即再戦となりかねん。明から人質を取る、朝鮮からも人質を取る、どちらも飲むわけがない。少なくとも明はまだ一寸たりとも領土に踏み込まれていないからな。そして明が背後にある朝鮮王朝も引く事はできん。で、どれくらい内容を変える気だ?」

「まず、人質の件は削除します。それと領土に関しては漢城以南全てというのはさすがに……提示はしますが、最終的には釜山周辺ほどまでは妥協できるという事を匂わせて交渉に当たろうかと」

「……ふむ、それだと交渉が長引くな。明の本国とこちらの距離もある。そう簡単に連絡も取れない。三成、余りに長引く雰囲気を感じたら、最後の手段があるぞ」

三成に顔を寄せて囁く秀次。

「明には日本は降伏し、これ以上朝鮮に手を出さぬと言え」

「さ、さすがにそれは!」

「聞け、太閤殿下には明は降伏しいずれ明から使者が来ると報告しろ。で、ここからが胆だが……」

さらに顔を寄せて話し始める秀次。


「女真族、という朝鮮北部に拠点を持つ者達がいる。再三に渡って明や朝鮮と揉めていた者達だ。一応、朝鮮側は自分達の配下だと言っているがな」

「……毛利や上杉の国人のようなものですか? 恭順はしているが心から従っている訳ではないと?」


(うーん、異民族が地続きの場所に居るって感覚がないんだよな、この時代の日本人。当たり前か)


「まあ、似たようなものか。国人よりは独立しているとは思うが。実際、女真族は朝鮮人の中では北の蛮族と呼ばれているみたいだが。で、こいつらに現地で忍びに接触させている」

「はぁ。秀次様が忍びでの調略を得意とされている事は、北条征伐時に良く存じておりますが……」


ニヤリ、と秀次は笑った。


「調略は無理だ。寝返るも何も、日本の下になんぞつかぬよ。女真族は明と朝鮮、共に何度も揉めていると言っただろ? どうも明側は女真族に対するために城まで用意しているとの情報もあった。規模は知らんが、拠点を築く必要があるほどには、悩まされていると考えていいだろう。つまり、女真族はそれなりに力を持っているという事だ」

「明側が防衛線を構築しているとなれば、確かに力はありそうですが」

「で、この女真族に武器や兵糧を渡して来た」

「ぶっ!!」

思わず吹き出す三成。顔に驚愕という言葉が当てはまりそうな表情を浮かべている。

かまわずに秀次は続けた。


「忍びからの報告だが、あいつらはもう少し力を付ければ、本格的に動く気らしい。今回の戦で平壌に攻め寄せて来た朝鮮軍の中に、女真族の者やそれに通じる者が混じっていた。こちらも手引きはしたが、あれだけの物資を持ち去ったという事はそれなりに計算できるとは思わないか?」


三成の額に冷汗が浮いていた。

「つ、つまり、整理しますと……」

精一杯の深呼吸をした三成は、姿勢を正した。


「つまり、明には日本は降伏し二度と朝鮮には関わらぬと約定。そしてこちらには明は降伏し太閤殿下が提示した条件をどれだけ飲めるのか、本国で検討してから使者を送る事が決まったと報告。当然、明の王がいる北京でしたかな? そこから正式な使者が日本に来るまでには時間がかかって当然。それを待っている間に……女真族が明・朝鮮に本格侵攻。明は日本との交渉どころではなくなる上に、日本は渡海してまでその戦に首を突っ込むような真似も出来ない。なし崩し的に交渉そのものが終わってしまうと……」

「女真族がどれほど強いかにもよるが、少なくとも朝鮮は取れそうだが、明に向かうだろうな。鉄砲に槍、刀に兵糧があればな。今頃、俺が接触したヌルハチという女真族の有力者は軍勢を整えているだろうよ」

「しかし……」

三成が疑問を挟んだ。


「その女真族、明を征服できるでしょうか? 明はとにかく大きな国です。そう簡単に倒れるとは思えぬのですが」


(……あ、そうか。女真族が明を滅ぼして清王朝を作るなんて誰もしらねーんだ。そうか、この渡海軍で二度も援軍を出した事、その援軍が敗れ、人的被害が甚大だった事、それによって財政破綻に陥った事、国内が混乱して反乱が起きるのはもうちょい先か、でもそれをしらねーんだよな。明の内情なんて知ってる奴がいるわけないし)


しばし考えた後、秀次は答えた。


「様々な要因があるから、女真族が明を征服できるかどうかは分からん。が、大きな動乱にはなるだろう。今、朝鮮はもともと疲弊していたところに我らが仕掛けた戦でさらに疲弊している……朝鮮が動けないなら、脅威の一部がなくなったわけだ。ヌルハチとやら、おそらく大きく動くだろう。そうするようになんとかこちらからヌルハチを密かに援助する。そうなれば……」


「先ほど申し上げたように、明はこちらとの交渉など放り投げて対応せねばならなくなる、という所ですか……分かりました。今回の使節団は先導と護衛が小西行長殿、私と増田殿、大谷殿は使者として随伴します。とはいえ、多少の兵は連れて行きますゆえ、そこに……」


「だな。他の者には知られるなよ。大筒と鉄砲を持って行け。風魔の忍びを付けるゆえ、そいつらに任せておけ。お代は朝鮮人参でも貰うさ」



三成は名護屋城での諸将の饗応役を完璧にこなし、次々と大坂へ向けて出立する者達を見送った。名護屋城の城代には一時的に浅野長政が入り、最後に出立した上杉勢を見送った後、三成は小西行長らと共に海を渡った。


三成は兵五十人ほどを連れていたが、それとは別に「明への土産物として持たされた」としていくつかの大きな木箱を持っており、それ以外にも人数以上の鉄砲を揃えていたり、交渉の場で威圧に使えるかも知れん、という理由をつけて大筒などを運んでいた。


(交渉は風間殿の手の者が仕事を終えてからだな。それまでは適当に引き延ばさねば)

大帆船で波に揺られながら、三成はそう考えていた。



結局、交渉の場についた三成達と明の特使は落としどころをどうするかで長々と議論を重ねた。

三成は風間家の人間から「首尾良し」との連絡を貰った後、同行していた他の三人に「どちらも降伏したという事にしてここは体面だけを整えよう」と提案。

国家運営の中枢にいる増田長盛、元々現地での苦戦から講和を望んでいた小西行長、時勢を見るに今は兵を休め国内の増産に努めるべきだとの考えを持っていた大谷吉継もこれに同意。

ほぼ史実通り、明から日本の豊臣秀吉に王号を授けるという内容で合意した後、彼らは無事に帰国している。

名護屋城から発って半年後の事であった。




三成が名護屋城を発った頃、諸将は続々と大坂に集結していた。

そこで改めて秀吉から労いの言葉と、嫡男・拾のお披露目があった。


(……秀頼がいるよ、おい。そうだよ、この次期じゃん。俺の切腹フラグ、折れてないの? あれ、でも俺は関白になってないからそもそも切腹になる理由はない……のか? 分からなくなってきた……)


史実からかけ離れた現状に、混乱する秀次。


「これで明が降れば、儂はかしこきところを北京にお迎えし、広く天下を治めようぞ。この拾がその天下を繋いでゆくのじゃ。皆の者、拾は豊臣の嫡男である! 拾元服の折りには、決して拾に逆らわぬ事、誓詞にて誓え!」


「「ははっ!」」

一斉に頭を下げる諸将。

秀吉が抱いているため、諸将は幼い拾に頭を下げているように見える。無論、頭を下げているのは秀吉相手なのだが。


(この場で言う事かね。こっちは朝鮮で戦をしてきたってのに……秀吉、大丈夫か?)


秀次の胸に微かな違和感があった。自身の切腹とは別の、何とは言えない違和感が。


もし。


もしもこの時、秀吉が秀次を見ていたなら、その違和感を感じる事が出来たかもしれない。


だが、秀吉が見ていたのは、最前列で平伏する秀勝であった。



秀勝は関白になるにあたって、新たに家老がつけられている。

中村一氏、堀尾吉晴、山内一豊、毛利勝信らがそうである。


彼らの手助けを受けながら、秀吉がいない間、奉行職を使い大坂で国の舵取りを行っていたのが秀勝である。

長女も産まれ、公私共に充実している。傍から見ればそうであっただろう。


ある時、秀勝から秀吉に願い出た事がある。諸将に貸し付けている金の事である。

さすがに唐入りから帰ってすぐに催促は出来ない。さらに言えばぎりぎりまでは手弁当でやらせた戦である。足が出た部分に関してはこちら側で処理するようにしたいとの願い出である。


北政所から口を利いて貰い、豊臣家の金蔵から供出した金であるが、当然それは秀吉も黙認していた事である。

朝鮮と明を取れればいくらでも報酬として土地は渡せる。それゆえ、借金の返済を迫る気は秀吉にもなかった。ゆえにこの申し出は当然の事であり、秀吉が無かった事にすればそれで済んでしまう類のものであった。


そう処理しようとした。

だが、一時的に関白乱行として金を持ちだした経緯を思い出した。


そして、もう一つ思い出した事がある。

淀君、茶々が言った言葉である。


「関白様が拾を後見なさってくださるのですね。拾が元服すれば、職をお譲り頂けるという事なのですか?」


(……秀勝が後見人に。関白職だからな。将来は拾が関白を譲られて天下人となる。その通りだ。何も間違っておらぬ。秀次に後見させようかと思ったが、あ奴は関東。遠いからの、秀勝が後見人じゃ。そう、秀勝が後見人……拾、拾の元服はいつじゃ? 十五か? あと何年……儂はその時、生きておるか?)


秀吉の背筋がぞっとした。


(生きてはおらぬ。生きてはおらぬ……秀勝が拾を後継者として関白職を譲るだろうか? 秀勝には娘がおったな。娘と拾を婚約させるか? そうだ、そうすれば拾は安泰じゃ。そうしよう、それなら安心じゃ。安心……いや、秀次の娘も側室として迎えるべきか。待て、秀次は秀勝の兄、兄の子が弟の子の下に着くのを良しとするじゃろうか……そもそも、秀勝は江との間に生まれたのは娘一人。この先、秀勝に嫡男が産まれたら……)


秀吉の背中にイヤな汗が流れる。


(秀勝は……自分の息子を天下人にするのではないか? 儂亡き後、拾が天下人になれる保証など、どこにある? 三法師を見よ、信雄を見よ、儂が死んだ後の事じゃ、儂があと何年生きられる? 秀頼の元服を見届けてから死ねると思うか、藤吉郎よ)


考えが飛躍している。そう思おうとしても、秀吉は己の思考を止められなかった。

思考は既に自問自答になっていたが、それに気づく事無く秀吉は思案の底に沈んで行く。


(秀勝に嫡男が産まれるかどうかなど、分からぬではないか。江との間に嫡男が……産まれれば浅井と織田の血を引く者となる……それを下地として……いや、筋目から言えば拾にしか継承権はありえぬ。ありえぬのだ……本当にそうか? 戦乱の世は去ったとはいえ、何が起こるか分からぬ世である事には違いないではないか。いや、それは無い。秀勝が拾を排して天下人の座を狙うなど、あ奴がどれだけそれを欲しても他が納得すまい。誰が認めるというのだ。秀次が止める。あ奴は権力には執着しない男、秀勝の関白就任すら喜んでおったではないか。弟に官位で抜かれても心から笑っておった男ぞ。豊臣家に内紛を起こすような事は、秀次が許さぬはず……内紛? 豊臣家に、拾に内紛? そうだ、内紛が起こり得るという事、それ自体が問題ではないか……)



秀吉は手元にある、秀勝からの書状に眼を落とした。

書状には諸将に貸し付けた金額とその返済期間、それを無かった事にするとの申し出が書かれていた。

(……取って置くべきだな。これは……”証拠”になる)


その書状を秀吉は自室の奥に仕舞った。

万が一の時は、切り札になりえる……そう思った。



文禄三年、秀吉は中々やってこない明の特使に対し、速やかに上坂せよと催促の使いを出す。

その使いは二ヶ月で戻ってきて、明に対して朝鮮人の一部が戦いを仕掛けており、その戦がかなりの規模になっており朝鮮すら混乱している、との報告を持って帰ってきた。


「何をやっとるのだ、明は……」


呆れて使いの者を下がらせる秀吉。今までの秀吉ならこの機会に朝鮮と明を叩きに行くべきか考えただろう。



だが、今の秀吉にはそれ以上の関心事があったため、そんな些事にかまけていられなかった。


拾が産まれてから一年半。豊臣家に慶事が続いた。


秀次に女児が生まれ、そして秀勝と江の間に男児が産まれたのだ。




秀吉の中に、疑心暗鬼が生まれた。


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