河内で考える
茶々。後の世では淀の君と呼ばれた女性。
浅井長政とお市の方の娘。浅井家と織田家の血を引く女性である。
浅井家と織田家、と言うと名家の血を引くやんごとなき姫、と思えるが、この時代の感性から言うと少し違う。
本当の名家、つまり武家として歴史のある家と言えば、京極氏や細川氏などだが、浅井や織田などは新興勢力である。
本当の意味での名家とは言えない。
もちろん、羽柴家などから見たら雲の上の名家かもしれないが。
秀次は屋敷でのんびりと横になりながら、つらつらとそんな事を考えていた。
河内2万石。
秀吉から拝領したのが一月前である。
2万石。大名である。
とはいえ、小さな領地であり、特に兵を多く養える地でもない。
京周辺に親族を配置した、というだけであろう。
史実ではすぐに領地が変わるので、河内の大名であったことすら知らない人が多いであろう。
本格的に何かが出来るのは、秀吉がもっと自分を引き立ててから。
そこは秀次も分かっている。今の段階は秀吉が天下を完全に押さえたわけではない。
つまり、秀吉はまだ天下人などではなく、織田家の遺産を柴田勝家との戦に勝利したことによって織田の後継者となっただけである。
その後継者の位置も対外的には幼当主の後見人としての地位でしかない。
秀次は煙管を取り出して口に含んだ。
秀吉の敵はまだ多い。
まずは東海の覇王・徳川家康。三河を中心とした強力な戦力を有する武断の家。
それより東には関東の王・北条家がある。
西には四国の長宗我部。精強な土佐兵を中心に四国を平定した家。
四国は全て合わせて石高は100万石に届かない。しかし彼らが淡路を抑えれば一気に大坂が危なくなる。
その西には九州がある。大友氏が秀吉に臣従する気でいるが、九州にはあの島津がいる。
北の伊達家などまで考えると、天下統一にはまだまだ敵が多いことは一目瞭然である。
(最大の敵は、徳川殿か)
秀吉は家康を懐柔しようと官位を贈ったり、使者を出して暗に臣従を迫ったりしているが、効果はないようだ。
(一戦してある程度の勝利は挙げられる。そこから交渉すれば有利な条件での和睦もあると考えているだろうな)
実際、史実ではそうだったのだ。これは変わらないだろう。
(ま、徳川殿との戦いに関してはどうにかなるだろう。俺が中入り部隊を率いて散々な目にあうのはわかってる。
行かなきゃいいんだよな、中入り部隊なんて。それは全力で反対しよう)
下手をしたら、討ち取られる可能性すらあるので、秀次は小牧・長久手の戦いでは出来るだけサボろうと考えていた。
秀次が中入り大将として出陣しなければ、歴史がどう変わるかわからないが、秀次にとっては討たれる可能性がある戦場には行きたくなかった。
(まあ、小牧・長久手の戦いは大人しくしておくに限る。それよりも茶々か)
秀吉は浅井三姉妹を保護した。旧主筋の娘である、との理由で。
(こういうとこは分かりやすいよな、秀吉って)
秀吉は名家の娘好きである。織田家時代より多くの戦場に赴いてきたが、その場で必ず名家の娘を側室に迎えている。
単に好色というのもあるが、嗜好として名家の娘を好むのだ。
しかし、元が農民の秀吉。室町の世から続く名家や、公家などの名家にはさほど興味を示していない。
恐らく、公家などは別世界の者だと思っているだろうし、武家で言えば織田家が秀吉にとっての名家なのである。
守護の下の守護代の家老程度ではあったが、秀吉にとって"上様"は信長のみであったし、その妹も市と顔を合わせたこともないだろうが、憧れはあっただろう。
織田の姫が手の届くところにいる。
噂では茶々は母のお市の方に似ているそうだ。
(まあ、秀吉はじっくりと攻めて落としてしまうだろうな)
こればっかりはどうしようもない。
史実通りなら彼女は秀頼を生む。
秀頼が生まれたら秀次が邪魔になった、という説が根強いので、秀次は秀頼が生まれたらさっさと隠居してしまおうと考えていた。
隠居して身を隠して生きていけば、それなりの暮らしはできるだろう、たぶん切腹はないんじゃないか、と思っているのだ。
まあ、秀吉が茶々に興味を持たない、というのが一番の理想ではあったのだが。
(それは無理だろうしな)
ほとんど完成している大坂城に、いずれは呼ばれるだろう。
(考えてもしょうがないか)
今の段階では秀次が出来ることはほとんど何もない。
ただの親戚の一人であり、せいぜい2万石の大名であるだけなのだから。
河内2万石。歴とした大名である。
大名と言っても、史実ではすぐに領地が変わるので、あまり意味はないか。
領地は史実通りだったが、史実にはなかったことが起こっている。
俺は三好孫七郎から羽柴秀次に名前が変わった。
史実よりも早かったわけだ。少しは北ノ庄で頑張ったのが評価されたのか? それとも気まぐれかはわからない。
河内の大名になったが、どうせ領地が変わると思ったので、彼は河内では田中吉政に戦国時代のやり方から変えたほうがいいと思うことを実行させた。
「治安維持に勤めること。街に見回り組を置いて領民の安全を守ること」
「犯罪者は捕らえた後、しっかりと取調べを行って記録を残してから裁くこと」
「親の罪は子に及ばないことを徹底すること」
「検地を行い台帳を作成すること」
「新たに城は作らない。領民の労働は街道整備を行う。報酬をきちんと支払うこと」
「税率を下げること」
治安維持は後に大きな領土を持った時に警察のような組織が必要だと思ったので、その試験導入。
犯罪者の裁判記録は少しでも公平な裁判を行うため。
親の罪が子に及ばないのは、現代人の考え方である。
検地を行うのは台帳を作る経験を積ませることによって文官の実力の底上げを狙って。
どうせすぐに出て行くので城は作らない。街道整備はあったほうが便利そうだったから。
税率を下げるのは人気取り。軍費が減るが次の戦は小牧・長久手である。
いくつかの大名をまとめる立場になるだろうから、自分の配下はさしていらないと思われるので問題なしと判断した。
しかしいくつかの不安はある。
まず、人材が足りない。
兵士は領地が変わったら大幅に増強できるだろうが、将はなかなか難しい。
譜代の家臣などいるわけもない。
田中吉政と舞兵庫だけでは心もとない。
領地替えでたぶん秀吉から何人かお目付け役として派遣されてくるだろうが。
自分で部下を何人かは持っておきたい。
とは言え、何の伝もなければ難しい。
宮部の父ちゃんと三好の爺さんに頼むのが早いな。
完成間近の大坂城にでも行きますか。