その始まり
「唐入り、ですか……殿下は本気でそのような事を?」
驚いて秀長に聞く秀勝。隣で秀次は眼を瞑っていた。
「兄上は、琉球に島津を通じて従属を要求した。さらに朝鮮に対して明への道案内を申し付けるつもりだ」
秀長が咳き込む。いよいよ病床が重くなってきた秀長は、本来なら絶対安静の身である。鶴松が亡くなり、その葬儀のために大和より無理をして大坂に出て、兄である秀吉を慰めていたら、そこで唐入りの話が出たと言う。
「……朝鮮は明の属国ではありませんか。道案内など……受けるはずがありませぬ」
「受けねば、攻め滅ぼすおつもりのようだ。ゆくゆくは自らは明の都に豊臣の旗を立て、かしこきところを北京へとお迎えすると。そのために名護屋に城を作れと仰せだ。万事、抜かりなく進めよとの事なのだが」
「殿下に勝算はおありなのでしょうか?」
「……わからん。私には見えないが、あるいは兄上には見えていらっしゃるのか、それとも九州や関東、奥州を征伐した時と同じように考えておられるのか。秀次、お主はどう思う?」
話を振られた秀次はしぶしぶと言った感で話し始めた。
「まず、朝鮮が明に攻め入るための道案内を務める事はありえません。明に保護されている国なのです。受けるはずがない。
そして、受けぬとなれば攻めるしかありませんが、朝鮮には本格的な軍備はない……明に派兵を要請し、それが到着するまでは戦線を後退させながら守りに入ると思われます」
「ふむ、朝鮮は取れると?」
「取っても意味がありません。歴代のほとんどの唐王朝が直接朝鮮を統治しなかった事をお考えください。統治してもそれに見合うものはないのでしょう。我らが取ってもそれは同じかと。仮に関東と同じだけの領土を得たとして、その石高が十万に足りずという事もありえるかと」
「明を取るしかないと……」
「絵空事ですよ」
断じて物を語る秀次。対馬から朝鮮を通って明に攻め入り遠く北京まで軍を送り征服する……完全な絵空事だと。
(結局史実通りの展開ってか。ままならん。浪人問題はある程度片付けたつもりなんだが)
天下統一の過程で潰された大名の家臣は、後に大名となった者達に吸収されている。それでも世に浪人は多くあったが、天下統一した豊臣家がそれらを雇用、さらに戦がなくなった世に多すぎる兵隊達を使う場所として蝦夷開発を推し進めたのが秀次である。
(余剰人員の受け入れ先として蝦夷開発、それに伴う各港の整備にそれに伴う様々な需要を生み出した。今の各大名家はそれなりに収まっている。様々な転封をして勢力を分散し、ようやく豊臣家の政権運営が軌道に乗った所だというのに……史実では秀吉が唐入りを選択したのは、各大名家の力を削ぐ事と天下統一によって世に溢れた余剰人員の受け入れ先を飛び地に求めた結果かと思っていたが……本気で鶴松が死んだのが引き金か。いや、それだけか?)
「秀長様、止めるべきです。百害あって一利ない。やるだけ無駄な……」
「秀次」
青白い顔を秀次に向けて、秀長は発現を遮った。
「お止めしてはならぬ。少なくとも、お主と秀勝はこの件に関して兄上に何か言うてはならぬ」
この秀長の言を聞いて、秀勝は訝しがったが、秀次はなんとなく分かってしまった。
(豊臣家中の論を割るな、と言う事か)
秀次と秀勝が表だって反対すれば、家中の意見が割れる事になる。周囲がそれをどう取るか。
唐入りに反対の者は秀次達に付き、唐入りを歓迎しているような者は秀次達を糾弾しかねない。
(一部の者にしてみれば天下が治まった後に降ってわいた異国の地を取る機会としか映らんからな。実際に朝鮮になんぞ何もないと言っても、実際に土地が取れるとなれば、止まらん奴は出るだろうな。秀吉自身が先鋒を野心ある若手に飴として提示しかねん)
そうなれば、豊臣家が内紛状態に進んでもおかしくはない。
今はそうならないだろうが、これより先は。
「私から兄上に思いとどまって貰うように、働きかけるが、翻意していただく事が出来るかどうか……いや、とにかく私はしばらく大坂に留まって説得する。お主らはいつもどおり振る舞っておればよい。殿下からこの話を振られれば、適当に濁しておけ。準備をしておけと言われるかも知れぬが、その時はとりあえず従ってくれ」
(史実と違うのは、唐入りを言い出した時点でこの人が生きているって事か。それにすがるしかないとはな)
秀次と秀勝は揃って秀長に頭を下げた。実際、彼らに今の時点で出来ることは無い。
この日から秀長は病身を押して、前田利家や黒田如水と密かに協議。なんとか明への遠征を避ける方法はないかと模索し始める。
秀次と秀勝は表面上はそれらの動きを静観しているしかなかった。
(いい加減、領国の事も考えんといかん。秀勝はまだ領地が近いが、俺は関東……秀長様に言われた通り、今は静観するしかないなら、一度戻るか……ある程度は吉政がやってるだろうが。道の整備と江戸の街の区画分け、港の整備に関八州を又に掛ける治安組織の設立まではやっておくとか言っていたが……あれ、検地も終わってるから俺の役目ってなくね? 軍政に関しては兵庫を筆頭格として宗茂と新たに召し抱えた九戸、成田の両名が居て……旧北条家臣は成田の伝手でどんどん来てるし……)
秀次、一瞬マジで自分が戻る必要性を政治的には見いだせなくなったが、正室の稲姫と息子に会いたいために一時帰国を決断。
あくまでも鶴松の葬儀のために上坂しただけなので、何か理由がない限り大坂に居続ける事は出来ない。
その点、秀勝は秀長の補佐役として普段から大坂に詰めている。
現状で秀長が唐入りを諦めさせる事を模索しており、また病身でもあるために、豊臣家の表向きの用は秀勝が担当していた。
秀長は自身が病気である事すら利用していた。病床に見舞いに来る諸将の中で力があり見通しの効く者達と密かに協議していたのである。
前田利家、黒田如水、徳川家康、毛利輝元、小早川隆景、様々な者と協議を繰り返すが彼らにも名案はなかった。むしろ、下手に重みのある彼らが唐入りに反対の立場を明確にすれば、それこそ意見の分裂から乱の芽が生まれかねない。
秀長も表立って秀吉を止めるような諫言は出来かねた。鶴松が亡くなってからの秀吉は何かを求めるように唐入りの構想に没頭している。
(信長様の夢が、ここにきて兄上を縛るのか……鶴松を喪って行き場のなくなった兄上の情熱が唐入りへと向かってしまった)
その間、秀勝が秀長の業務を代行しながら、まめに江戸の秀次に文を送って状況を逐一報告していた。
実際、それくらいしか秀勝にできることはなかった。
秀次が江戸に戻ってから二ヶ月後。
大坂からの急報が届く。
羽柴秀長、大坂城にて死去。
豊臣家の柱石が一つ折れた瞬間であった。
結局、秀次は二ヶ月だけ江戸に居ただけでまた大坂へと戻る事になった。
(……まずいな)
秀勝からの急報には秀長の死と共に、秀吉への説得が失敗した事が記されていた。
(朝鮮への出兵……文禄の役は確定か)
重い足取りで大坂に入り、秀長の葬儀に出席した秀次。
鶴松に続き秀長を失った秀吉の憔悴は酷く、見ているのもつらいほどであった。
しかし秀次達にはどうする事も出来ず、ただ見守るしかなかった。
葬儀より二日後、秀勝に相談があると呼ばれた秀次は秀秋と秀康も呼んでおくように言った。
(しかたあるまい)
秀次は覚悟を決めた。
「秀勝、お前は大坂に詰めろ。殿下が名護屋に行くというならお前もついていけ。決して渡海だけはさせるな」
全員が揃った所で、開口一番に秀次はそう言い放った。
「あ、兄上は……」
「事ここに至って、俺が出ないという選択肢はない。総大将として海を渡る。対馬には秀保を入れる。秀秋もお前に付けるが、援軍となればあいつに大将として渡海させよ。いいな、日ノ本を動揺させるな、殿下を決して渡海させるな。お前の仕事はその二点だ」
秀次は側に控える自らの”弟”達に向けて言葉を続ける。
「秀家、宇喜多勢は前田家と共に国内に睨みを利かせるために残す。利家殿に従え。分かったな」
「分かりました。兄上、武運を祈っております。いざとなれば私も海を渡りましょう」
「秀康、すまんが俺と共に来い。お前は豊臣の猶子であり、徳川の縁者でもある。一手を与えるゆえ、働いて貰うぞ」
「望むところですな。できれば先鋒を任せて頂きたいところです。露払いは私の手で」
秀康はその佇まいと身にまとう雰囲気は一将として頼りがいのありそうな男である。
さすがに家康の息子と言ったところであろうか、言葉に気負いもなくそれでいて力強さがあった。
(徳川勢と俺の手勢を中核として、軍目付として如水を連れて行く。こうなれば戦の手練れを総動員して被害を抑える事を第一に考えるしかない。奥州勢は蝦夷開発で使えない。俺と家康、毛利と長宗我部、上杉に島津……正則と清正、それに長政か。ついでに真田も使おう。篭城戦の名手だ、使いどころはあるだろう。前田には残って国内の睨みを利かせる役目として、宇喜多秀家と細川忠興、最上義光を予備として置くか。九鬼と小早川と長宗我部にガレオン船の修練を急がせる。水軍を運用できれば兵站には三成ら奉行集がいる。戦線は維持できるが……最大の問題は、相手が朝鮮という事だ。取っても何の旨みもない……半島を越えて明まで行くのは……現実的ではないか……くそ、まだしも琉球から台湾を経てルソンに渡るほうが勝算がある)
「秀勝、渡海する大名達に金子を融通してやれ。手弁当ではすぐに崩れるぞ」
「分かっております。なんとか工面しますゆえ、兄上、早まった真似だけはしてくれませるな」
「そんな度胸はないよ、元々。精々、総大将としてふんぞり返っているさ」
後に、秀次は振り返る事がある。この時、どうにかして自分が残っていたら、あんなことにはならなかったのではないかと。
 




