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羽州の狐


「庄内、ですか」

「はい。秀次様から取り成しては貰えぬでしょうか?」


出羽に着いて最上義光との会談に臨んだ秀次。歓待を受け、礼節の伴った挨拶を受けた後、酒宴となり、明けて次の日に義光から内々に話がしたいと申し出があった。


表向きは駒姫の側室入りの件であるとして、義光は僅かな近侍だけを伴って秀次との会談に臨んだ。

秀次も舞兵庫、立花宗茂の両名のみを伴っての会談である。無論、部屋の外には可児才蔵や風魔小太郎が控えてはいるが。


そこで切り出された話は、庄内地方を最上家に取り戻せないか、という事であった。


「元は大宝寺の領土で、上杉の後見を受けて奪還に来たのが経緯だったとか?」


「おおむね、その通りです。かの政宗が大崎との戦に及んだため、私は援軍を出していました。政宗との和議は成った後ですが、動けぬ隙を突いて上杉景勝の後見を受けた大宝寺に奪われました。

 無論、戦国乱世。隙を見せた私と隙を逃さずに動いた景勝殿の差と言われればそれまでですが、私が問題としているのはその時期です。その時期、既に関白殿下は惣無事令を発しておりました。さらに申せば、私は羽州探題に任じられています」



最上が上杉に庄内を奪還されたのが天正十六年の八月。それより前の五月に秀吉は最上義光を羽州探題に任じている。


(つまり、惣無事令を破ったのは上杉の後見を受けた大宝寺であり、羽州探題に任じられていた自分の面子が立たない、と。ついでに惣無事令を発した秀吉が、それを無視して庄内地方を上杉の領土と認めたのに納得がいかないわけか。それにしても、それならなぜ俺の側室に駒姫を……齢九歳でしかない愛娘を送り込む? むしろ豊臣とは距離を取るように思うが……)


秀次が覚えている史実では、最上義光は母の葬儀によって小田原へは遅参したが、徳川家康に取り成されて特に問題なく所領安堵を受けている。


(家康が秀吉に史実ほどの影響力を持っていないとしても、別に最上は政宗のように惣無事令を破ったわけではない。遅参の理由も真っ当だ。取り成しがなくても所領安堵でいいと思うが、秀吉は俺に最上の領土は少し削ろうかと思ったと言っていたな。何か理由でもあるのか?)


秀次は確かに史実を知っていたが、各大名の遍歴や豊臣との関わりを全て知っているわけではない。


(ぶっちゃけ、最上とかそこまで知らねーんだよな……)


最上義光の妹が伊達政宗の母、そう言った視点から語られる事が多いためか、今一、印象に残っていない大名なのである。


「義光殿、庄内ですが、私は当時その件に関わっていないのです。詳しい経緯をお聞かせ願いますか?」


「私は関白殿下に徳川殿を通じて庄内を我が領土として認めて頂くように取り成して貰ったのです。が、上杉家の家老である直江兼続が石田三成という者と通じており、我が見解は通りませんでした」


「なるほど、三成はその当時から殿下の側近でしたからな」

(……三成と兼続の繋がりか。見えてきたな)


徳川家康を通じて庄内の領有権を主張した最上義光と、直江兼続と友誼のある石田三成を通じて領有権を主張した上杉景勝。


結果として、秀吉は三成の言を入れて上杉家の領有を認めた、というところである。


(が、正論としては最上が正しい。惣無事令を発したのは秀吉だ。大義名分を通せば、惣無事令を破った上杉家には何らかの罰があっても良かったくらいか。しかし実際には上杉家が庄内地方を取った。酒田港などを考えれば、失った場所が痛すぎるか……。秀吉、最上はいつか豊臣家に敵対とは言わないものの、隔意を抱くには十分と思ったか? 三成を通じてある程度家内の様子がわかる上杉のほうが組し易いだろうからな)


家康を通しての嘆願より、三成の言を入れたのも、おそらくは家康の影響力が増すのを防ぐため……秀次はそう判断した。


実際、大大名である事に変わりはない家康は、豊臣政権下で最大の外様である。東北の取り次ぎ役になられて、影響力を行使されては困ると思ったのだろう。


(……徳川殿を通じて、俺に話を持ってきていたら、また結果は違ったかも知れないが……)


秀次の正室は家康の養女である稲姫である。そちらから話を秀次に持ち込まれたら、秀吉と言えども上杉に肩入れする事は無かっただろう。


最も、その場合は上杉が三成を頼むに足りぬと判断しかねないが。


(駒姫を側室として送り込んできたのも、庄内地方を取り戻すため……というよりは今後の生き残りを考えて、か。関東八州を治める事になった俺に娘を側室としてつける事ができれば、豊臣は今後、最上家を疎かには扱えない。というか、外から見れば俺って秀吉の後を継いで幼君を後見する、いわば中継ぎの立場に見えるだろうからなぁ。後々にまで影響力を残せると考えたか? 外戚と考えると分かりやすいか)


実際、外戚どころか清和源氏である名門、最上の姫と秀次の間に子が生まれれば、豊臣と最上の子である。出来たばかりとは言え、形式上は源平藤橘に並ぶ姓なのだ、豊臣とは。


正室は徳川家の養女。奥の序列を変えるような事がないとすれば、側室の生んだ子には豊臣秀次の後継にはならない。だが、名門を取り込んだ婚姻から生まれた子は、豊臣の分家を興すにはちょうどいいだろう。


(血統を考えれば、もう一つ家が興せる。豊臣政権で秀次殿が頼みにする家が……)


最上義光はそこまで踏み込んで考えていた。


そのために秀吉が最上の遅参を少し咎めるような口振りだったのを、わざと大きく捕らえて秀次に側室をと申しこんだのだ。


秀吉は名家たる最上家が慌てて誼を結ぼうとする様に満足し、秀次に側室がいない事もあってその場で駒姫との縁談を纏めてしまった。


――徳川家の養女が正室なのはかまわないが、それだけではいかん。そこにきて東北名家の最上家の姫なら側室として家の格は十分。関東に移る秀次も東北大名の取り次ぎ役として最上が使えるのはありがたかろう――


秀吉の思惑は十分に政治的判断と言えるが、それ以上に自らの生まれが卑しい秀吉は名家が頭を下げ、幼き娘まで豊臣のために差し出してくる様に満足を覚えた。





そこまで計算して駒姫の側室入りを願い出て、側室入りが決まった後に、庄内の件を義理の息子となる秀次に直訴する。

次代の豊臣政権を担う者と縁戚になり、その縁を持って上杉から肥沃な庄内平野と酒田港を兵を使う事無く取り戻そうとしている。



表向きは惣無事令と羽州探題の任を建前として。

裏向きは秀吉の甥である秀次の義父として。



『羽州の狐』『奥羽の驍将』とまで呼ばれる最上義光は、この手の政治感覚を持った大名としてはまさに傑物と言えた。




秀次にしてみれば、駒姫の側室入りは決定事項である。秀吉が決めた事なのだから。

(しかし、庄内を上杉から最上に返還するように命じる……いまさら? 上杉が従うか? 最低でも上杉には代替地を用意しないと……いや、奥州も関東も土着している国人を整理したんだ。この際、上杉には別の領地を与えるか? 越後からどこか別の地へ……それにしても何か秀吉を説得できるだけの理由付けがいる……いや、庄内の件は終わった事だと突っぱねることもできるが……)


秀次は考える。上杉を越後から加増して国替えし、庄内を最上家に戻すか。

庄内の件は既に関白秀吉の裁定が出た話であるとして、この話を突っぱねるか。


(どちらにせよ、今ここで俺が決めれる事ではない、か)


秀次は腹を決めた。上杉に国替えを飲ませるだけの理由をなんとか用意し、秀吉に提案してみようと。

だめならだめで、最上に庄内の件の替わりを用意できないかと。惣無事令を持ち出されているのは政権側なのだから。


(上杉の国替えがダメなら、庄内だけを最上に返還させるわけにはいかん。官位などで手を打ってくれるといいが……相談だな)


「一度、大坂に戻った時に殿下に上奏します。返答は駒姫様の輿入れ時でいかがでしょうか?」

「有り難き幸せ。では、輿入れの際に私も伺わせて頂きます」


そういって深々と頭を下げる最上義光。


(また妙な宿題を……)


秀次は頭を抱えたくなったが、なんとか自重した。



その後、義光に呼ばれて部屋にやってきた駒姫から、

「駒にございます。ひでつぐこうには、ごきげんうるわしくぞんじます」

と少々舌足らずな口調で挨拶を受け、ほっこりしたので先ほどまでの胃の痛い話は忘れる事にした。


しばし駒姫と歓談し、輿入れの時期は大坂へと報告に行き、関東に戻って来た後とする事を決め、秀次は奥州からの帰路に着いた。


(いろいろ疲れたな)


それが秀次の感想であった。


長くなってきた……まだ奥州から帰ってきたところ……だと……

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